39 黎……ⅠⅠ………明(未だ『明』に繋がらない『黎』。)
暗かった。ただただ、暗い、としか言えない。目を開けても閉じても同じ、みたいな暗さ。
気がついたら、ただひんやりしてとても静かな暗いところに、私はいる。そして、自分の存在感が希薄過ぎることに気がつく。暗すぎて身体が見えないだけ?
私は、右手で左手を触ってみようとしたけど、右手を動かしている感覚もなければ、左手に触った感覚もない。
もしかして、私は死んでしまったのかもしれない。
里津姫(黎津姫)さまが、光のあふれる世界に行くのに賛成して、私はここで、この闇の世界で待っていてあげると言ってしまったから…?
じゃ、ここが地獄なのかもしれない。
地獄の門にも天使さまがいて門番をつとめていたはずなのに…。どなたにもお会いしてないけどなぁ。
私は悪魔のライさん?の知り合いなので、顔パスかVIP待遇で審査無しで入れてもらえたのかもしれない。
今、怖くて確かめられてないことがある。
それは、宝珠さんに呼びかけてみること。
最近の私は、宝珠さんと話をしていたから宝珠さんが返事してくれないと、たぶんすごく寂しいだろうなと思うと出来なかったのだけれど、勇気を出してみようか。
ううん、なんとなくもう、結果はわかっている。さっきまであんなに存在感があったというのに、今は気配を感じられていない。
あの、悪い悪魔さんが…私から(もしかしたら、ちょっとエッチなことをして)取り外して持っていってしまったあとなのかもしれない。
えーと…。あのー、こんなことを考えるのもアレなんですけど…。
私の身体、あの、何もされていない気がしてならないんだけど…。
あ、いえ、残念がっているとかそういうんじゃないよ!
そういうんじゃなくて、なんか身体…はもう、なんかあまり実体を感じてないからなのか、変化がないみたいって…それで合ってる?、変じゃない??
私…、やっぱり鈍い、鈍感なヤツなのかな…。不感症…だったとか…?
あんなに脅かしにきていた悪魔さんだけど、やはりちょっと悪いなぁとは思って、私の意識がなくなってから、そうっと取り外してくれたのかもしれない。そういうことにしておこう。
そうか、私は、きっともう…死んじゃったんだね。
今ごろになって、手放した幸せが残念で、惜しくてたまらない。
でも、ずっと我慢していたという黎津姫さまはもっと可哀想だと思ったから。
黎津姫さまは、幸せになれただろうか?
ああ、美津姫さまがどこか近くで、私のそばで泣いているみたいだ。…未だに美津姫さまイコール私という風には感じないけれど、それでもなにか一番近くで一緒にいるみたいに思える。さっきまで、私は独りだったのに。
えーと、ごめんなさい。私が選択ミスをしたから、私とここにいることになってしまったのかな…?
美津姫さまは、テオドールさんのそばになんとか戻りたかったんだよね。
今更、何をと言われるかもしれないけど、黎津姫さまと手に手を取った時に、もともと美津姫さまは双子だったのだから、出来れば魂がまた元どおり一つになって幸せになれるとかだったら、良かったのにね。
…そんなこと、無理か。ごめんなさい、ひどい言い草だった、別人格なのにね。
私、事なかれ主義の自己中人間だからだよね、自分以外の人や物が合体しようか離別しようか、良し悪しがわからないんだよね。きちんと物事を考えて、分別のある人間になりたいって思ったけど、いざ実行したいと思っても、全然出来ないのだ。
私、美津姫さまの想いも尊重して、きちんと選択すべきだったよね…。
いろいろなものから逃げていた私なのに、こんなところで何をしているのだろう。
そうだ、私、真実を知りたい!って思っちゃってたんだ。
そして、偉そうに真理を探したい!って思っちゃってたんだ。
それで衝動的に、真実の門の中に入ってしまったんだ。
知らないで悩むより、知って悩もうと突進してしまったに違いない。
ドラゴン(竜、龍)は良いものなのか、悪いものなのか。
私の中の宝珠は良いものなのか、悪いものなのか。
その善悪を誰が決めるのか、とか。
そういうことが気になって仕方がなくて、本当は誰彼構わず、聞いて周りたいくらい。
平凡な私は、特に意識高い系なわけではない。
でも、試験をやり過ごすためだけに勉強をしていた私は、学生生活を終えたら、本当にどんどん馬鹿で阿呆になってきたような気がしてたんだ。ただ毎日を流されて生きてきて、なんだか自分が空っぽになっていくような(ううん、もしかしたら最初から空っぽだったことに最近ようやく気がついただけなのかもしれないけど、そんな)気がして、簡単ですぐ終わる程度のストレス解消法に逃げこむのに飽きてきたところだったんだ。
それでも、ただ頭の中に何かを詰め込んで暗記の知識を増やすだけの勉強をしたいわけじゃない。だから、気持ちはあっても何もやりたいことが見つかってなかったんだ。
『真理という、古今東西どこにおいても誰に見せても正しいと言ってもらえる論理がある』と、小学校の時の先生から教わってたことを思い出したりして、そういうのを見つけて改めて学びたいとか最近思うようになって、ちょっと嬉しさと飢えみたいなものを感じていたんだ。
それはね、たぶんライさん、あなたに会えたからだったんだと思う。
ここに来る前に、心配して私を止めてくれようとしていたみたいなのに、それでもここまで来たのは、そういう私の気持ちのせいだ。それは、確かに間違った選択だったのかもしれない。
でもね、私、ここまで来てから、ようやく気がついたことがあるんだ。
毎日を流されてやり過ごせばいいやって思っている私のそばまで来てくれて(まぁ、動機としては宝珠なんでしょうけど)、人間関係の話とか色々な話をしてくれたから、ライさんは私にとって、とても大切な友達になったということ。
私は大人になっていく時に、《空気を読んだ方がいいのかな?》《深い話をしたいなんて言ったら、引かれちゃうよね?》って学んでいき、他人とは表面的につきあえばいいやって思いかけてきて、それがかなり寂しかったんだ。
だから、私はライさんと本音を話したかったし、大切な何かを別々にでもいい、一緒にでもいい、見つけたり、見つけた話をしあったり、時には議論したり、(喧嘩しても仲直りすることができると信じて)喧嘩したりするような友達になりたかったかもしれない。
私を惜しんでくれて…ありがとう。ライさん、私、こんな風に素直になれば良かったのにね。
一瞬、まるで何かが始まったかのように、私は一つの明確なイメージを見つめていた。
脳裏に…?心の中に…?何か天啓…みたいなひらめき…?ううん、どれも違う。
美津姫さまの思い出が、私の知らないテオドールさんとの2人の思い出が私の中によみがえる、みたいに。
……。
死なせたくはなかったんだよね、うん、そうだよね?
だから、君は悪くはないのだよ。
と、兄さまは私に優しく諭した。
一生懸命に説明してくれたけど、難しい言葉は良くわからなかった。
正当防衛?だった…と思う、そうに違いない、と。兄さまは言った。
そうだけど。そうかもしれないけど。
正義よりも正当よりも、そういう言い訳を主張したいわけではないの。
貴い者はそれよりも更に、『立派な』振る舞いをしなければならないはずなのだ。
私は、潔い振る舞いをする誓いを立てて、巫女として白蛇竜の神に仕えていたのに。
ううん、それと同時に沸き起こったもの、知ってしまったことが、あったのだ。
その話は、最後まで兄さまに言えなかった。
全てを私は…兄さまに話せてはいなかった…。
兄さまが私から取り上げた鏡の中に、悪や闇があったのではなくて。
たぶん、それは兄さまの優しい嘘に違いなかった。
私の中に大きな悪が、力を溜め込んだ大きな悪の心が潜んでいたのに。
穢らわしい悪を憎む感情は、抑えきれないほどの衝動で。
もう、見たくない穢れを瞬時に消し去りたかった私の気持ちが何かを呼び覚ました。
ワレ 二 セイギ アリ…
ワレ 二 セイトウセイ アリ…
ユエニ…
ワガ チカラ セイギ ナリ
テキ ヲ ホロボスコト セイトウ ナリ
私の中の力はあっという間に大きく膨れ上がった。そして、宝珠を奪おうとして私に手をかけようとした敵と同じように、ううん、それ以上に暗い波動を放っていた。
敵という獲物に奮い起ち、牙の間からよだれを垂らし、舌舐めずりをして早く喜びを味あわせて欲しがっていた…。私は、その力を止めなかった。
悪い物は、神の御心にそむくようなものは、切り捨てるのが正義。
西洋では、そう教わるのだと兄さまは言った。
我が手、我が身であろうとも。
そう、それならば私が正しくて、敵が悪ならば、敵を滅ぼすのは正当だ。でも…。
私の心の中に、消えない暗い影は染みついていた。
兄さまは、私が泣くのをやめさせたくて…私に
『忘れてしまいなさい。もう遠く離れたじゃないか。僕が君を幸せにするから』
といつも優しく言ってくれて。
ダンスをして微笑んで、私が明るく振る舞うと、とても喜んでくれて。
兄さまの微笑みは暖かく、美しい青い瞳は…まるで故郷の湖が輝いて見えた時みたいで。
でも…私は、それが幸せ過ぎたから。
本当にあったことを言えなくなってしまった。
自分の心に蓋をして、真実から目を逸らしていたのだ。
兄さまだって本当は…私の中に怖ろしいものがあるって知っていたのに。
自分の方が強くなって抑えこもうと、すごく努力していたみたいだった。
だって、兄さまは、本当は、その宝珠の力を求めて日本に来ていたのだから。
兄さまは、ご一族の使命のために私を…。
兄さま、ごめんなさい…私は、中途半端に目を背けてはいたけど。
どうしても忘れることが出来なかった。
私は、私に仕えてくれている者を故郷に帰し、自分は…。
本当は、自分も故郷に帰りたいと思い…ううん、
兄さまに言えなかったけど、もう一度故郷に帰って、そして。
自分の仕えた神さまに裁いて欲しかった。
全てを洗いざらい告白して罪を認めて。
償える罪ならば償って、禊を願い出たかった…。
それが叶わないのなら、いっそのこと…。
だって、
悪い物は、神の御心にそむくようなものは、切り捨てるのが正義。
なのでしょう?
西洋では、そうだと兄さまは言った。
我が手、我が身であろうとも。
それならば、たぶん想いをかけてくれた私でも。
どうぞ神の御前に差し出して欲しい…。
でも、兄さまは私を失いたくなくて、私を閉じ込めていた。
私は、兄さまの愛に感謝して応えたい想いの中に苦い不安を感じながら。
真実に二人で目を背けて…
私は私の神に背き、兄さまは兄さまの神に背くつもりなの?
私は…私のきれいな汚れていないところだけを愛する貴方に捧げたいのに…。
愛する貴方にまで罪を犯させてしまうなんて…。
私は、どうすればいいの…?
貴方は、そんな辛い話をすると、必ず遮ってしまうのに。
私は、誰に相談すればいいの…?
……。
そうか、そうだったんだ…。美津姫さまも、幼いながらにも、自分でいろいろ考えていたんだ。
愛しあっているのに、お互いを尊重しようとして大切な本当の話が出来なかったなんて、どこかですれ違ってしまうなんて、あまりにも悲し過ぎる。お互いにとても愛してたから、喧嘩したくなかったのかな…。
美津姫さまの苦悩、お気持ちはわかった。ううん、何度も繰り返し忘れたけど、見ていた夢は、何となくそういう夢だった気がしてたから。
美津姫さまも、何か正義とか高潔とかそんな真理を見つけて、それに従って自分をなるべく正しい方に進ませたかったのに違いない。
手を取って導いてくれる、その愛する人と共に光の差してくる方向へと歩んで幸せになるために。
自分の悪や闇を切り捨てて知らぬ顔をするのではなくて、きちんと向き合いたかったのかもしれない。
美津姫さまだけじゃない、私だって他人事じゃなくて、毎日他の生き物を殺して食べているのだ。罪人みたいなものだ。小学生の頃から、それを疑問に感じていて、なかなか折り合えない。
知らないうちに他の生き物を殺しながら生きていく食物連鎖の中に組み込まれた一つの生き物として私は、一度は神さまが作ったのだろう、このシステムを恨んだんだけど…。
それでも、私は生きてきて幸せだったのだ。そう素直に言いたい。
他の生き物の命と幸せを奪う原罪を負いながら、それでも生まれてきてしまったからには、きちんと神さまに近づいていける立派さを追求して、誰かを幸せにしてあげられるような行動をしたいと思っていた。それも出来なかったら、せめて素直に自分の幸せを感謝して伝えることができるように。
「私は、すごい幸せだよ、ありがとう」と、ああ、この地獄まで来てやっと素直に言える。
そうやって落ち着いてみると、さらに周囲が見えるようになった。この間の夢の中で白銀龍になった時みたいに良く見える能力が備わったみたいに。
私、死んでからいよいよ、白銀龍になりかけている…?
でも、この世界なら、あれくらいデカ過ぎても、あまり迷惑にならなさそうな気がした。
あれ、違うな。やはりなんとなく、ほんのりとさっきよりも少し明るい気がする。
ちゃぷん、と身体のそばで水音がした。