36 ………黎……(『黎』の意味は、闇、黒。) ー ☆ ー
ラインハルトは明らかに驚いたようだった。
夏美の胸の真ん中あたりをちらっと見て、慌て視線を逸らし、
「あのさ、そもそものところから確認するよ?
もしかして夢の中だけでなくて…。
現実に、宝珠の微かな音とかじゃなくて、囁いている声が聞こえて、わかるようになった、とか?」
と心配そうに言いかけ、夏美の表情を見てすぐに言葉を継いだ。
「それって…。夢の中じゃなくて、現実に君は、君のそばで声が聞こえるってこと?
そしてそれは、僕の持っている宝珠の…声ではないってこと?」
夏美はうなづいた。
「私、ライさんのいない時もそうだったのかもしれない。自分の妄想だと思っていたけど。つまり、だから、ライさんの宝珠が私のそばにない時も、私、宝珠の声を聞いていたんです」
そうだ、私は最初から気づくべきだったのだ。
だって私は、自分の部屋の中で、子供の頃からあの悲しい夢を見ては忘れてしまうことを繰り返していたのだから。
「あの、だから、ライさんが私に会おうとしたせいでもなんでもなくて、私は子供の頃から怖い夢を見ていたんです。だから、ライさんは、私に謝ってくれる必要なんてなかったんです」
「そうなのか…あのね、夏美、」
「ごめんなさい、私、話したいことを忘れたら困るから、今、ピンと来たことを全部言わせてください」
「わかった。オーケー、待つよ」
私は、夢の中の竜と同じように、似たような箇所に宝珠を持っているのかもしれない。
真面目な悲しそうな顔をして私を心配そうに見つめているライさん、たぶん本当に優しい人なんだ。
そう、貴方はきっと優しすぎる人だったのだ…。優しい嘘をこれ以上、聞きたくない…。
「まるで、私の中にも宝珠があるみたいなんです。いえ、たぶんそれが本当なんだわ。現実離れした妄想みたいだけど。とても、信じられないけど。
ライさん、そう思いませんか?
私は、龍の宝珠の関係者って、そういうことなんですか?
ライさんは、もしかしたら、始めからそういう話がしたかったんですか?」
ラインハルトは、うなづいた。
「うん、そう、夏美。初めて会った時には…そこまで予想していなかったけど。
今、君は、君の中に宝珠を持っている。僕もそう思うよ」
「じゃ、私、あの、いつか、龍になってしまうんですか?」
「それはたぶん、大丈夫だと思う」
「たぶん…て、なんか大丈夫のような気がしないですけど…。
ライさん、私、もしかして人間じゃなくて、特異体質の、化け物なの?
もしかして、私、本当は人間の松本夏美ではないの?」
夏美の声は最後、涙声になっていた。
「夏美、落ち着いて。ハンカチある?僕のを貸そうか?」
「あります、大丈夫です」
夏美はハンドバッグからハンカチを取り出した。イルカのソフィーが揺れる。そっとソフィーの頭を撫でてみる。それから目を少し抑えた。
「ごめんなさい、話すのしばらく、ライさんの番でお願いします」
「オーケー。夏美の自制心は成長しているんだから、絶対に大丈夫だよ。
とにかく、ちゃんと君は人間だからね。保証するよ。
えーと、落ち着いて聞いて。
本当は、もっと早くちゃんと話すべきだったんだけど…。とても説明しにくい話だろう?
いきなりそんなことを言う外人が現れたって、絶対、拒否されるだろうし…」
ラインハルトが、一度コーヒーを飲む。
「続けるよ?
以前も君に言ったんだけど、本当は少しニュアンスが違う。本当のところは…。
僕は、宝珠を持っている人を探しに来たんだ。
君はその条件に合う人間だった。僕の宝珠に反応していたからね。
でも、ごめん、僕は君が宝珠を持っているとは思ったんだけど、君の身体の中にあるとまではわからなかった。で、確かに僕みたいに外に持っているのと違って、身体の中だから、ちょっと厄介ではある」
夏美の顔がみるみる曇ったので、ラインハルトが慌てる。
「あ、別に。竜になりやすいとかそういう度合いの話じゃなくて。
宝珠と君とを安全に分離するのがちょっと難しいというか。
つまり、うーん、何か人間でもほら、病気になって、おでき、であってるかい、そういうのとかガン細胞とか出来ても、その人は変質したりせずにちゃんと人間だろう?
で、持っている箇所によっては、簡単に身体から取れると思うんだけど。身体の中に入ってしまっている場合は、ちょっと分離しにくいよね?
おできより、体内のガンの方が大変だよね?」
夏美はコクンとうなづいた。
「ちょっとした関係で、君は宝珠を持っていると思うんだけど。
今まで僕が調べたことによると、宝珠を身体に持っていたからっていきなり究極形の白銀龍状態にはならない。というかむしろ、なろうとしてもなれない。
ある魔法の遺物がないと条件が揃わないし、君は巫女の修業もしてないだろう?
だから、大丈夫だと思うよ。
万一、急に竜とかになりそうな時は、えーと、そうだな、僕のこのうちなら、15m級の吹き抜けのある塔があるから、治るまでそこに泊まっていきなよ」
「…ライさんてば。そんな…全然嬉しくない…」
「喜んでくれるように、大きなフレンチウインドウをサービスで取り付けてあげるよ」
「…もう、ひどい」
「美味しいものをたくさん作って運ぶよ、『ガリバー旅行記』みたいに」
ラインハルトの冗談に笑いかけて、夏美は気がついた。
「じゃ、じゃあ、ちょっと待って。
やっぱりあれは、あの竜は、巫女姫さまなんじゃないの?
あの髪の長い巫女姫さまは、身体の中に宝珠を持っていて、竜になって死んでライさんに宝珠をくれたの?
あれは、夢じゃなくて、まさか宝珠の記憶…?」
「うん、そうだね、夏美…。
そう、たぶん宝珠の記憶なんだろう、かなり再現度が高いよ。
途中までしか話してないけど、さっきの神社の話も本当だし、君が見た悲しい夢は、夢じゃなかったんだ。
ごめん、そう、どんなに夢であってくれれば良かったと思っても、僕は最終的に巫女姫さまを助けてあげることは出来なかったんだ。
あの子は故郷に帰りたがっていたのに、絶望したまま…死なせてしまったんだ」
ラインハルトの長い睫毛が震えているように見える。
ライさんは、本当に心からお姫さまのことを思って心配し、愛していたのね。お姫さまも竜になって苦しんで暴れていたけど、命がけで愛してるライさんを助けたんだ…。
どうして、愛しあっている2人がこんなに辛い目にあわなきゃいけなかったんだろう…。
「ライさんあのね、そのお姫さまはね、最後はね、ライさんに宝珠を渡したいと願ってたの。
思いはちゃんと伝わっていた?
ライさんを助けたいって。それはね、命を助けることだけじゃなかったみたい。ライさんの一族は崇高な理念を持ってる錬金術師の子孫の人達で、ライさんが使命を果たすことになっていたから、姫さまは本当は、そのお手伝いがしたかったんだわ」
「夏美、そんなことまで思い出し……じゃなかった、そんなことまで宝珠が伝えている?
僕は君に錬金術師の子孫だとは言ったけど、僕の使命の話なんて…」
「ライさん、お姫さまと婚約したところで婚約披露パーティーをするはずだったんでしょう?
あの時も生まれ変わってきて欲しいって、一緒に願ったはずでしょう?
どうしてお姫さまの名前を呼んであげないの?」
「夏美……?、君、宝珠の言葉を通訳してるみたいだよ?まさか…!」
夏美が真剣な顔をしてラインハルトを見つめている。
あの、追い詰められた牝鹿のような瞳。
それは、その瞳は。あの子にも良く似ているんだ。そうだ、いつのまにか夏美の黒い艶のある髪は長くなっている。伸びるのが早い体質なのか?まさか…本当に?
「私の名前を、どうして…呼んでくれないの、…テオ…?」
「!…だめだ、その名前を呼ぶのは…!
夏美、気をつけて…宝珠ではなくて、僕の声の方を聞いて!」
夏美の唇が、言葉を紡ぎ出した。
「テオドール、私、貴方のそばに戻りたい…貴方を助けたい…
もう誰にも邪魔をさせないわ…」
夏美の頭がぐらっと揺れた。
ソファの中で倒れる寸前、テオドールという名前で呼ばれたラインハルトが、自分を助けようと対面のソファから立ち上がったのが、夏美には見えた。
自分を制止しようとした時に、何か夏美にはわからない言葉をつぶやいた。
ライさんの両隣に、白い神官の正装をしているマルセルさん、黒い悪魔の正装をしている姫野さんに良く似た外国の人がいきなり見えた。
これは幻…?魔法…?それとも…夢?
ライさんは、ライさんはやはり魔法使いだったの?
この2人は何かに似ている。白のイメージ。黒のイメージ。
真実の門の入り口の絵、白い柱と黒い柱。そう、そうだったんだわ…。
真実を…。私は、真実を知りたいのです。
そうですか…どんなに怖くても、どんなに辛くても真実の門に入りますか?
タロットカードの意匠の一つだ。カード絵に描かれる二本の柱。
真実を知りたい? 知りたいけど…それとも知らない方がいいの?
どちらを選択するのかを尋ねてくるタロットカード。
タロットカードは、ほとんど二者択一みたいに相反しているのね。
正と逆、白と黒、善と悪。
『物事には良い面と悪い面があるからね』とライさんは言ってた。
ドラゴン(竜、龍)は良いものなの?、悪いものなの?
私の中の宝珠は良いものなの?、悪いものなの?
最初から決まっているの?
それとも誰かが決めるの?
誰が、善と悪とを正しく判断できるの?
もし、自分の問題なのなら、自分が決めていくの?
ライさんは心配そうにして、私を止めようとしていたんだわ。
私は選択してはいけないというの?
私は、私が選ぶのなら…。
いつの間にか、白の人と黒の人に挟まれていたラインハルトの姿は掻き消えてしまっていた。
目の前には、白い柱と黒い柱に支えられた重厚感のある門が出現している。その前には、愛くるしい少女が豪奢な椅子に座っていた。
白いドレスを着て、肘のすぐそばまでを覆う白くて長いシルクの手袋をはめていた。艶のある綺麗な黒髪を左右から三つ編みに束ねて、ふぅわりとしたアップになるよう髪を結い上げている。アップ髪のところどころに花の飾りピンを刺しておめかしをした姿は、まるで舞踏会に行く前のようだ。顔立ちは日本人のように見えた。ああ、そうだ、確かこの少女だった。テオドールと呼ばれた少年とダンスの練習ををしていたのよね?
「あなたが美津姫さま…?」
少女は、無言で首を横に振った。
○ 終盤に出てくるタロットカードは、『Ⅱ THE HIGH PRIESTESS 女教皇』のカードです。2つの柱は、『神の慈愛』と『神の試練』を表現したものとされています。
正位置は、《隠れていたものが明らかになる》《よみがえった過去の記憶によりショックを受ける》等の意味があります。
逆位置には、《精神的に不安定》《予測がつかない》等の意味があります。
○ この章に続く「37」は、AとBの2つになる予定です。分岐する訳ではありません。「7」と「8」みたいに主人公の立場によって、当然視点は異なり、受け取り方も変わります。タロットカードのように1つの現象に2つ以上の解釈(受け取り方)があるのが現実に近いかと思います。どちらから先に読んでもいいように仕上げたいと思います。恋は1人でもできそうですが、恋愛は2人で手を取り合っていくものかと。
○ 黎明の『黎』は、「レイ」だけでなくて、「リ」とも読みます。
(平成31年2月2日 今後の更新によって、この説明文は若干変更されます)
(平成31年2月3日 後書き部分の2段目の表現を改善してみました←内容は変更ありません。本文については変更していません)