33 《神社にて》 (2)
僕が13歳になったか、ならない頃だった。
叔父達との旅行での重要な目的の一つだったのが、その神社を訪れることだった。神社はN県の山にあった。それほど高すぎる山ではないが、ふもとの村から登るのにほぼ半日くらい要した。それでも秋の風が心地よい頃で、苦にはならなかった。
神社を訪問したが、すでにご神体は、合祀先のもっと大きな神社に遷されてしまったと聞いた。
「せっかくおいでいただいたのに…残念ですが」
と宮司さんに言われてしまって戸惑った。
「ちょうど片付けたりなどの後処理を始めておりまして、神社として機能しておりませんので…。神様がおられない神社をお参りしていただくのは誠に申し訳ないことですし。
こう申し上げるのも憚れるのですが、白蛇さまをお祀りする神社は、日本全国にございまして」
と、口調は丁寧であったけれど、なんとなくやんわりと門前払いの体であった。
「わざわざ外国からこのようなところまでいらしてくださって…。どこでこちらをご紹介いただいたのでしょうかね?」
叔父のオットーが、代表して口をきいてくれていたが、そこで僕を振り返った。
「中国の方で、青龍王からお札をいただいたので、こちらをお訪ねするようにと言われました」
「はて?」
「3人の巫女姫さまがおられるので、宝珠をお譲りいただきたいのならお願いしてみたらどうか、というお話をいただいたのです」
宮司さんは、ひたと僕を見つめた。
「不思議なことを伺いました。宝珠とは何のことでしょうか。
…確かに過去、身分の高い女性がこの辺鄙な神社に3名巫女を勤めるという慣習がございましたが。それも今は昔。最後の巫女姫さまと呼ばれた方は、しばらく前にお嫁にいかれまして、もうどなたもおられませんよ。ダム建設の為にこの神社もふもとの村も無くなる予定でございますからね」
僕はうなづいたが、納得はしていなかった。ふもとの村で祟り神の噂を聞いていたし、それにその村で、不思議な体験をしていた。僕と同じ年頃の少年の原因不明の高熱が青龍王のお札をひそかにかざすと、ピタリと治ったのだった。お札は、常人では見ることすら出来ない特殊なもので村の人は僕が祈って治したと思ったかもしれない。お札の加護におすがりするなどを軽々しくしてはならないと信じていたから、僕自身そんな体験は初めてだった。青龍王のお示しになった、目指すべき場所は確かにここだと思っていた。
僕は、大人しく引き下がる話をした。
「そうですか、まだ日も高い位置にあるので、一度ダムの為に無くなる予定であるという湖を眺めてから山を降りようかどうしようか考えてみます。龍神さまがもうおられないとしても、せっかく来たのですから。
先日、大きな台風が通過したあと、こちらでも沢山の鬼火が湖のそばの木々の間に出ていたとか聞きました」
宮司さんが、にが笑いをした。
「ああ、なるほどあなたはお若いから、そういうご興味がおありでしたか。
ふもとで皆が怖がるようなデマがあの後流行っていたようでしたが、困ったもんです。ご存知ないかもしれないが、台風の影響を受けたのはずいぶん南の方でしたから。こちらはおかげさまで台風の被害はほとんどなかったのです」
「そうですね、伊豆地方では、地元で蛇食い山と呼ばれている山のちょうど真ん中を風と土石流が通ったらしいですね、まるで山が二つに割れたかのような様相でした。そちらもお見舞いしてから、こちらをお訪ね致しました。方角的にそこからまっすぐですので、僕達は間違っておらなかったと思っています」
「……そうですか」
宮司さんとお別れして、僕達はそのまま湖に向かった。
神社で祀られていたご神体がすでにここにないとしても、白蛇竜の精が、宝珠が、すでにここに無いとはどうしても考えられなかった。ギザギザに割れた山の裂け目がまっすぐにこの神社を指していたのを見てきたからである。ずっと焦燥感を伴う嫌な予感がしていた。ただ、どのように動けば良いかわからないまま、突っ走っていかなければならないとしたら、失敗のリスクが上がる。湖で祈りを捧げて心を決めるつもりになった。宮司さん達と争ったり、強制的に宝珠を奪うことは躊躇われた。穏便で、しかもなるべく早い解決をしなければならないのだが…。
数分後、まだ湖につかないうちに少し若い神職の人が僕達の後ろから呼びとめに来た。
「宮司の善之助に、皆様をご案内するように言いつかって参りまして。ふもとの村より来た者から聞きました。お孫さんの善蔵坊っちゃまのお熱を下げてくださったとか。そのようなご親切を受けたと知らずにたいへん失礼を致しました、どうか今宵は屋敷にお泊りくださいと申しております。ぜひお戻りくださいませ」
「ありがとうございます。なんとご親切な」
と叔父が答えてくれた。
「では、湖を眺めてから神社に戻らせていただきましょうか、叔父さん?」
「そうだな、ここから近いなら…」
「いえいえ、ここからですと、まだけっこうかかります。『秋の日はつるべ落とし』と申します。木立の中を抜けるのは地元の者でも避けるくらい危ないので。湖をご覧になるのは、明日の午前中がおすすめです。明日なら近くまでご案内致しますよ。明るいうちならば抜け道を通れますから」
叔父が僕を振り返ったので、大人しくうなづいた。このまま湖に行かせないためにそういうお誘いをしてくれたかとも考えたが、事態が動き始めたのなら、まずはそれにのってみるしかない。
夜半、僕は廊下に出て歩いていた。微かな音か何かに呼ばれたような気がしたからだった。
だが、あっという間に数名に囲まれていた。お借りした浴衣を着たまま、うろうろしていた僕は簡単に罠にはまったのだ。身体に手をかけられたくはないと、逃げ込んだ板敷の部屋には宮司さんと側近らしき二人の方が静かに座っていた。その部屋に僕を追い込んだ人達は、障子を閉め、廊下に控えることになっていたらしい。
「どうぞ、お座りくださいませ。
泊めてもらった家の中を勝手に探索するのは、お行儀が悪いことですよ、我が日本では」
「申し訳ありません」
僕は勧められるまま、宮司さんの前の座布団まで進んだ。置かれていた座布団を丁寧に横に外し、板の上に正座して手をつき、頭を下げた。
宮司の善之助さんが、微笑む。
「我が孫とほぼ同じ年齢とお見受けしていたが、なかなか…日本の堅苦しい礼儀まで。
まぁ、ご遠慮なさらないで、どうか座布団をお使いください」
「ありがとうございます」
「なるほど、どうやら叔父のオットー様ではなく、青龍王のお札はあなたがお受けになられたということなのでしょうね」
「叔父は、持っておりませんでしたか?
先ほど叔父の部屋にどなたかがいらしていたように思いましたが」
「!…この!」
宮司さんの傍らにいた者の一人が気色ばみ、立ち上がろうとする。それを宮司さんが制した。
「まぁ、藤木、待て。お前はすぐに…」
と言葉を切って、座ったままの僕を見た。
「…豪胆なことですな。それを知った上でお一人で行動されておられたのですか。叔父さまに対しての非礼はお詫び申し上げます。どうやらあなたの目的はやはり…」
「白蛇竜の宝珠を探しに参りました。巫女姫さまをお助けして授かるようにと、青龍王の使いの方にお赦しをいただきました」
のんきに腹の探り合いをしている場合でもないだろうと思い、僕ははっきりと用向きを告げた。
善之助さんは嘆息する。
「ラインハルト殿は、真剣の日本刀をご覧になられたことは?」
「残念ながら、ありません。拝見させていただく時の作法も…心もとないですが」
「青龍王のお札を大人しく差し出していただければ、こちらも抜刀せずに済むと思いますが」
「申し訳ございません。それはお許しください。
お札をお預かりしているような状態とお考えいただけますでしょうか。そのようにどなたかに譲るなど僕の一存では…何も出来ないのです」
静かに頭を下げる。お札を差し出すことは出来ないのだ。お札を授かった者しか手に触れることもできないと聞かされているのだから。
善之助さんが床の間の刀掛けから刀を手に取るのも、側近の二人が横にどき、間合いを測っているのも意に介さなかった。僕は大まじめに命がけでここまで来ているのだ。
善之助さんは僕を見下ろして、また嘆息し、刀を刀掛けに戻した。
「あなたは、どこまでご存知なのか」
「巫女姫さまのうち、一番年下の方がこちらの神社にまだいらっしゃるということと、ふもとの村でのお噂ですね、祟り神が現れたというお噂ですが、もしかしたら…こちらの神社の、」
僕は、最後まで言わせてもらえなかった。
ピリッとした殺気を感じた。と同時に藤木さんが刀を掴みに立ち上がろうとしたところだった。善之助さんがなめらかな動きで制止してくれなければ、そのまま藤木さんに斬られていたと思う。
1958年(戌年)の設定。2018年のちょうど60年前です。東洋の暦では、一周60年なのです(この作品は、シリーズとして考えておりまして、タロットカードの『運命の輪』や輪廻、車輪、円環、周など端が無く丸いものをモチーフにして、東洋や西洋など相対的な異質なものが全て尊重され、平和な世界になることを理想と掲げる錬金術師の子孫を描きたいのです)。
「5」で登場人物の口から〈協力者〉として名前の挙がった、現在の龍ヶ崎グループの社長 龍ヶ崎善蔵氏はこの年、12歳でした。宮司の龍ヶ崎善之助氏の孫です。
なお、この章では「藤木」という名前の登場人物がおりますが、わざとです。決して間違えて書いたわけではないので、スルーでお願いします。