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理解不能の、弱い蒼  作者: 倉木 碧
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29 《神の刻印より乖離する自我を調え》 (5) ー☆ー

 

 遥から電話がかかってきたので、夏美はようやく起きる気になった。いつもより疲れているのかもしれない。ベッド、布団が支えてくれていなければ、どこまでも深く身体が沈んでいきそうで、それがまた心地いいのだった。自分を手放してしまっている感覚。スマホの着信音の方が、現実的ではないようにも思えた。


「ありがとうね、夏美」

 といきなりお礼を言われたけど、寝ぼけた頭では、いったいなんのことかわからない。

「何、なんのこと?」

「ダンスパーティのことを真剣に考えてくれてること。おかげで話がトントン拍子に進んでいるよ。

 ライさんとウィンナーワルツを踊ってたんですって?

 まるでずっと練習してたかのように完成度が高くて良かったって、姫野さんや音響の人に聞かされて。見逃した感じで残念だわ〜。誰か動画に撮っておいてくれてたら良かったのに」

「あ、ああ、あれね。そう、突然だったの。

 ライさんと話しているうちに『ダンスの相性が悪かったらどうする?』みたいな話になってきて、リハーサルルームでちょうど音響チェックをしているということだったので。

 でも久しぶりに身体を動かして気持ち良かったー。リハーサルルームの床も踊りやすかったし、イケメン執事さんにも会えたし、とても楽しかったよ」

「ウィンナーワルツはもう絶対確定だからね、良いよね?」

「うん、大丈夫。というか、ごめん、そのあと色々トライしてみたけど、結局はそれが一番まともだったから、本当はちょっと気がとがめてるの。他のダンスはもうぼろぼろで、ライさんが上手くて、何とかなっている感じ。他のも頑張って練習するね。

 私、本当は加奈子ちゃ…さんに交代してもらおうかと最初、考えていたから」

「ええ?…そうなの?…交代の話なんて出ていたの?

 そんな話は全然聞いていないんだけど?

 話が変わってたの?

 ライさんはなんて言ってた?

 もしかして…ライさんはきちんと夏美に伝えていないの?」

「え?」

 遥が矢継ぎ早に質問してくるなんて珍しいなと、夏美は思う。

「うーん、つまり、ライさんは夏美とたくさん踊りたいっていう話をしてなかった?

 姫野さんと後藤さんは大盛り上がりだったし、もうライさんと夏美を主役で、甘々のハッピーな恋物語風にしようとしているのに。シナリオってほどの大げさなものじゃないけど、ほぼ決まったんだけど…」

 困惑しているらしい遥の声で、夏美は自分が余計なことを言ってしまったことに気づく。ライさんの相手役を自分が務める方がいいか、加奈子ちゃんが上手だったら交代してもらった方がいいのか気になっていたのは本当だけど、もう解決したことだったのに…。


「あ、遥、ごめんごめん。えーと、私、なんか適当なことを言ってしまった。交代の話をライさんとしていたんだけど、とっくに解決した話なの」

「夏美、何か悩んでたの?」

「悩むというほどではないんだけど。

 ライさんの相手役にはダンスの上手い人がいいのかもとか、私が言い出して、で、ライさんと博物館に行った後に一度踊ってみようということになって、リハーサルルームに行ってそれで解決したんだったの。

 遥がメインで頑張って作ってくれてるシナリオとか設定とかをダメにするつもりはないの、協力すると決めたからには、ダメ出しに従おうってライさんも言っていたし」

「良かった〜。私もね、他の用事があるから、全部ちゃんと聞いてなかったのかなと思って。あと、夏美が心配なこととかあったんだったら取り払いたいと思って、今慌てちゃったよ。ライさんは何て言って、解決することになったの?」

「ダンスの上手い下手は関係ないから、でも相性が関係あるかなって話になって。それで、とりあえず何も習わないまま踊ったらどうなるか試そうと言ってくれたので」

「それで上手くいって良かったよ。他に何か言われなかった?」

「えーと…ダンスは二の次だって言ってたような…」

「うん、じゃ一番はなんなの?ダンスより優先することって?」

「えーと、一番は、何だったっけ…?」

 夏美は赤くなった。ライさんの言葉が蘇る。


 ……僕はダンス抜きでも夏美をエスコートしたい。

 他の人が美人だとか、君よりダンスが上手いというのは関係ないんだ……


「わ、忘れたかもしれない、エスコート、だったかもしれない。レディファーストで躾けられたから、エスコートしていないと落ち着かないって、言っていたみたいで」


「なるほど〜エスコートなんだ…。

 えーと私の聞いたところによると、…。言っていい?」

「うん、なになに?」

「私が最近聞いた話を全部するとね。…つまり、ライさんと夏美がデート中にリハーサルルームに立ち寄って、初めて2人で踊るんだけど、と前置きした上でほぼ完璧にウィンナーワルツを踊り、その完成度の高さに教える予定の人も驚いたと…そして、エンディングで夏美からライさんにキスしていたと…」

「ぎゃあー!、そ、それは、そのう…」

「…やっぱり本当だったんだ。目撃者が多かったから、否定できないよ?夏美。

 夏美がちょこっと背伸びしてライさんの頰に自然にキスしてて、ライさんが嬉しそうに照れていたらしいし、もう観てた人がみなほっこりしてたというか、冷房をさらに強めてたというか…。

 おめでとう、主役2人上手くいってたんだね、みたいな話になっているんですけど〜♪」

「違う違う、あれは演出なの、演技なの、おめでとうとかじゃなくて」

「うん、それもそう聞いたよ。2人がにこにこ照れながら、演技だ演出だと言っていたらしいと聞いたけど」

「良かった、ちゃんと伝わっている」

「うん、大丈夫。ちゃんと言葉的には伝わっているんだけど、みんな言い訳だと思っているみたい(笑)。とりあえずハッピーな、仲良しの雰囲気はあるんだよね?

 心配ごととかは無いよね?」

「あのさ、遥。一個だけ聞いてもいい?

 私、すごく我が強い方だと思う?」

「どういうこと?」

「ダンスを踊っていると、男性のリードに従うのが基本で。でも、ライさんが上手すぎて、それはすごく良いんだけど、なんだかだんだん悔しくなってきたりするんだよね。それはライさんにも伝わっていて、負けず嫌いだねと言われてしまったんだけど」

「リードに従うのは、嫌?」

「ううん、全然。むしろずっと踊っていたいかもしれないくらい。仕事中に普通に歩くより楽なくらいだし、余計なことを考えなくてもいいし、曲の流れている間は、自分がライさんの恋人だと思いこんで踊っているから。あ、そういう風に昔、ダンスの先生に言われてたから、心がけてることだけど」

「じゃ、パーティで、私と踊る時とか姫野さんと踊る時は?」

「もちろん、曲の流れている間は、相手パートナーが恋人みたいなものだから」

「わぁい、夏美と踊れる人はラッキーだね。ちなみに私も夏美と踊るシーン、入れてあるよ。でも、ペアダンスじゃないけどね。女性4名とか6名でフォーメーションダンスをね、入れるつもりなんだけど。

 あ、あとのパーティで踊ってもらおうっと」

「良いよー。いいけど、遥は第2部のロックバンドが忙しいんじゃない?

 私、ダンスが終わったら、ビュッフェは全種類制覇するつもりだから」

「あ、そうだ、それも聞きたかったんだ。夏美は何かやらないの?

 皆さまのエントリー受付中。色々あって楽しいわよ。演目は言えないけど、姫野さんもライさんもみんな多趣味ねって感じ。瑞季も彼と出てくれるし」

「皆さまの芸をのんびり観ながら、食べて飲んでる方が幸せかも」

「わかった、とにかくお料理は最高グレードですから、楽しみにしてて」

「ありがとう」

「夏美、あのさ、さっきの我が強いという話に戻すけどさ、やっぱり夏美はそんなことないよ。

 私はそう思う。

 一緒にダブルスの試合に出ていた時のことを思い出してみても、夏美が後衛にいて、前衛にいる私が決めに行きやすいようにアシストしてくれたり、押されている時はすごく粘ってくれたり。逆に前衛にいる時も、後衛の私を気にかけてくれてるのもあって、やりやすかったよ。

 2人の真ん中にボールが来た時も互いに「はい!」とか「お願い!」とか声をかけあっていたし。実力のある格上ペアにもコンビネーション力で勝っちゃったことあるじゃない」

「そうだったっけ?」

「うん。私、上手な先輩にもはっきり言われたもの。私達と対戦するとき、最初はラッキーと思っても、意外と苦戦するのよねって。

 そういうの、やっぱり相性なのかもしれない。突き詰めて考えなくてもいいことなのかも。だって、白熱したラリーが続いて、私が何をしていいかわからない時に例えば夏美から『コートの中に球を集めて』って指示が出ても嫌じゃなかったし、逆のパターンで嫌な感じにはならなかったと思うし。お互い、それでポイント落としても笑いあえたりしてたじゃない」

「うん、変なこともお互いにやっちゃってたしね」

「夏美は、どちらかというと合わせ上手な人だと思うよ。演技をするのも得意って言ってたから。逆に嫌なこと以外は自分が先に合わせてしまっているのかもしれないから、流されないようにした方がいいかも」

「わかった、ありがとう、遥と話せてちょっと気持ちが落ち着いた。

 社会人として振る舞わなくちゃいけないって毎日思いこんでいると、自分がたまにどういう人間だったっけって忘れてしまったような気がするし。いっそ、ゼロかマイナスからのスタートかもしれないけど、松本夏美を新しく作りあげていっちゃえばどうなんだろうとか思ったりもして」

「そうなの?」

「みんなとか社会が期待する本屋さんの店員(ただし、文具担当)ってどういう人なのかな?

 どうしたらお客様の気に入った店員さんになれるのかな?

 って」

「夏美は真面目な良い本屋さんだねー」

「そう、でもね休日にはそれを全く考えていないのね。週5日やり過ぎてしまったのか、とても疲れてて残り滓でしかない気がするんだ。本来の自分が思い出せないくらい薄っぺらいことにがっかりし始めてた。

 だから、遥とライさんに感謝しているんだよ。こんな風にいつもと違う日常を送ったら、新しい何か、自分に肉付けできる何かが得られそうな気もするし」

「良かった、私も新しいチャレンジで緊張感があるけど、楽しいよ。お互いに頑張ろうねー。

 ライさんはたぶん、テニスのダブルスのペアのつもりで言いたいことを言って大丈夫な人だと思うので、コミュニケーションをとって頑張って。で、もちろん困ったことがあったら、私はライさんよりも夏美の味方をするからね、なんでも言ってね」

「ありがとう、VIPさんなのにライさんを優先しないで良いの?」

「大丈夫な気がしてる。私も最初は緊張していたし、敬語を使って話してたけど、『遥とは友達だから』って接してくれてるから。頑張るよ、私。

 夏美が頑張ってくれてるお陰で本当に私、助かっているんだから」



 遥と話せて、少し心が軽くなった。

 自分のキャパ以上のことは出来ないと思うけど、遥が喜んでくれて、ライさんが喜んでくれて、ライさんのお祖父様がちょっと誤解して喜んでくれるくらいに、みんながその劇仕立ての恋愛物語を見てほっこりしてくれるなら、自分の拙いダンスと演技が役に立つのなら、何も困ることなんて…ないよね。

 宝珠のせいでライさんに惚れちゃいそうなのは、ちょっとだけ心配だけど、大丈夫だと思う。

 宝珠さんはライさんのことがすごく好きなのかもしれないけど、私はまだまだライさんに惚れていないって冷静に言えそうだもん。

『宝珠さん』だって、…自分から言っておいて可笑しくなる。そのうち宝珠さんの気持ちがわかるようになったりして(笑)。最近、ひんやりイルカのソフィーにも話しかけ始めているし。自分の妄想だけでなくて、宝珠さんの気持ちをライさんに通訳してしまうようになってしまうかもしれない。


 宝珠さん、ライさんに会いたいですか?

 返事はなかった。当たり前だ。でも、こんな質問をしなければ良かったと、思ってしまった。


 どうしよう、ライさんの声が聞きたい。

 ライさんに会いたい。どうしてなんだろう、心細くなってきた。

 遥とライさんの話をしていたせいかもしれない。

『XV THE DEVIL 悪魔』

《神の刻印より乖離する自我を調え》の章のイメージは、このタロットカードに託してます。


 山羊の角を生やした怖ろしい顔の、人間より10倍ほどに巨大化した悪魔が座っている台座には、人間の女と男がそれぞれ2本の鎖に繋がれ、従っている様子が描かれています。

 この構図、人物配置は、実は『VI THE LOVERS 恋人たち』とそっくりです。『悪魔』のカードには、15という数字がついています。その数字を一桁に見て足す(この計算の仕方はカバラ数秘術と呼ばれるものです)と、1+5=6になりまして、6番目のカード『恋人たち』に関係するということで、構図も似て描かれたのでしょう。

 『恋人たち』は、楽園から追放される前のアダムとイブが、大きく描かれた大天使ラファエルに見守られているカードでした。人類最初のカップルたちには、自己(神の刻印と表現されることがあります)という魂を持たされて楽園で暮らすことが許されていましたが、蛇にそそのかされて知恵の実を食べることを選択した結果、楽園を追放される=原罪を負うことになったのです。自己認識をし(自分たちが裸であり、それを恥ずかしがって慌ててイチジクの葉で隠すという描写)、自我を持ちます。それは、本当に罪(悪いこと)だったのでしょうか。


 『悪魔』のタロットカードのアルカナテーマは、ずばり{欲望}です。

 そして、実際に『悪魔』のカードは、錬金術を表すと伝えられています。自然界にあるものを統合、合成、分解など加工して変化させて黄金、賢者の石を作るという{欲望}の表れが、錬金術であり、『悪魔』に等しい所業と解釈されたと言われています。


 『理解不能の、弱い蒼』を書く時の根幹テーマは、

 ~~神から与えられた【自己】そのものに忠実に生きていけば良いのかもしれないけれども、【自我】は、欲望を持つことから始まった。それは果たして悪いことなのか。~~

ということです。


 女主人公の夏美は、25歳になるまでの過程で、空気を読むことや、自我を抑えつけていないといけない、世間的常識から外れてはならないと窮屈な思いで生きてきて、社会人になったものの、『平穏無事に過ごす』くらいしか思いつきませんでした。表面上のつきあいに終始していたのに、男主人公に出会った影響で、善と悪をどう判断するのかと考えてみたり、意地を張ってみたり、ネガティブな感情が浮かんだり、自分は我が強いのかと悩み始めたところです。


 男主人公には、錬金術師の子孫として以下のような思想を伝えられている設定になっています。(のちに高名な錬金術師の名前がネタバレする予定になっているのですが、以下の思想は、この小説上での全く架空のものですので、ご了承のほどお願いいたします。)


 欲望を持つと、それはすなわち神から乖離する(離れていく)悪と判断されがち(堕天使ルシファーの逸話もしかり)だが、欲望を持ちながらも、その自我を整えて、神のそばに戻りたいという思想があっても良いのではないだろうか。

 【悪】や【罪】、【闇】というネガティブなものも、神のもとに【善】、【正】、【光】と共に、元々あるものではないか。

 そのように相反するものを片方を否定して消し去る、混ぜ込む、のではなく統合しようとする思想があって良いのではないか。


 「0」でお言葉を引用させていただいた、ユング博士(Carl Gustav Jung)は、かの有名なフロイト博士に従っていたのですが、研究を進めていくうちに、自分が唱えたい説は、フロイト博士の説と離れていき、異なってしまったことに気づきました。また、ユング博士が、錬金術師のことやら、東洋の曼陀羅など、色々他のことを研究し始めたことに対しても、フロイト博士は怒っていたと言われています。

 最終的に、大恩のある先生であるフロイト博士から離れざるを得なかったユング博士は、落ち込んでしまい、湖のそばの一軒家に閉じこもり、しばらくノートにぐるぐる円ばかり描いていたという逸話があることを、この章を書いている頃に知ることが出来ました。根幹のテーマを改めて呟きながら、両博士がどちらも相当のご覚悟で、共にお辛かっただろうなと推察しました。[2019年11月21日]


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