26 《神の刻印より乖離する自我を調え》 (3)
夏美が仕事から戻ると、リビングには母が1人。いつものようにテーブルを占拠している。今夜は、児童書をたくさん広げていた。
「お帰りなさい〜、あら、通勤カバンに可愛いのが付いてる」
「おとといの頂きもの、可愛いでしょう〜。ひんやり素材のイルカなの、ホラホラ〜触ってみて」
「ホント、可愛い。癒し系だね、この子は。そうね、ボンザって名前、どう?」
「変!もう〜究極に変、ルーシィかホーリーで迷ってるのに」
「そんなきれいな水色なのに?」
「この色にボンザと思う方がおかしい〜、ボンザだとスイスイ泳げない気がする。
それよりも、ねえ、何してんの?」
夏美は、慌て話題を変えた。
イルカがボンザという名前を気に入ったら困るからだ。気に入るはずはないけれど。
「ああ、これね。ほら、図書館で働いている水野さんがね、夏休みの海外の児童書のコーナーを作るらしくってそのお手伝いを頼まれたから、ポップ?のアイディアを出そうとしてて、いろいろチェックして下書きしようかと」
「へぇ〜。懐かしいな、『ナルニア国物語』、C.S.ルイスかー。こっちはハリポタ、定番過ぎない?、で『指輪物語』かー。J.R.R.トールキン…。ねー、これ、全部、この人1人の名前?、長くない?」
「あら、外国人ってそういう人、多いわよ。
トールキンはねー、ちょうどさっき調べてたんだけど、正式には《John Ronald Rauel Tolkien CBE》と書かなければいけないのよ。最後の方は、大英帝国勲章を授与されてる爵士の称号ね」
「トールキンさんは、ジョンなの?ロナルドなの?」
「さぁー?なんかいい人そうだし、どっちで呼んでも返事をしてくれるんじゃないかしらね?
ちなみに呼びかける時は、勲章を持っている方なのでミスターじゃなくて、サー」
「ふうん、日本人はじゅげむさん以外、シンプルなのにね」
「明日からいっそ、松本ボンザ夏美にしてみる?」
「しない。松本ボンザ隼人の方がいいよ、サッカーがすごく上手な感じでしょ?」
「そうねー、ボンザは隼人にあげよう」
「良かった。そういえば、お母さん、あれ伯母さんに聞いてくれた?水晶玉の話」
「うん、一応電話しておいたよー。今、伯母さんが聞いてくれているはずだから。もう少し待ってて」
「わかった、ありがとう。あと、そこにあるタロットの本を後で見せてくれる?」
「いいよ〜。なんか興味、出てきた?」
「ちょっとだけ、ね。
今、何かを見つけてすがりたくて。偶然にもらえるメッセージがとても欲しいの、そんな感じ」
「うんうん、そういうの、あるある。子供たちにもさ、大人にもだけど、博物館とか図書館とかで、何かに偶然、出会って欲しいのよね。それでその何かから何かを見つけてもらいたいなー。唯一無二とかすごいものじゃなくてもいいから。沢山のガラクタをかき混ぜて何か拾い上げる、みたいな」
「わかる〜。最近、皆、無駄なことをしなくなっちゃってるから。私もだけど。ちょっとだけ今、リハビリ気分なんだ」
「博物館に行って良かったねー」
「うん、久し振りに行くと新鮮。おすすめだよ」
母の愛用のタロットの本をパラパラとめくって、カード絵を順番に眺める。
「カードも貸してあげようか?」
「ううん、カードって、占いをする人のパーソナルな大事な物なんでしょう?
私は影響を受けやすそうだから、お母さんに占ってもらう時だけ本物を見るだけでいいなー。私の星座のカード、どれだっけ」
「とりあえず夏美は双子座だから、って示す意味の札のことね?
『VI The Lovers 恋人たち』だよ」
「そうだったー。いつも占いの方が気になってカードの絵をちゃんと見てないから、ちゃんと見たいと思ってね。どんな意味を持つんだったかなぁ、と」
「そうね。意味は解説書に沢山の単語が並んでるから、何かピンと来るかしら?
その解説書には書かれてないことを話すと…。
『VI The Lovers 恋人たち』のカードはね、実は、恋とか愛だけを示すカードじゃないの。
まずは数字の持つ意味から考えると6という安定数を象徴しているの。3が2つで構成されている安定数。三角形と逆三角形を重ねた六芒星を表して《安定と調和》を意味するのよね。三角形を男性(杖)で、逆三角形を女性(杯)として重ねると考えたから《愛》や《結婚》の意味をもたらすのね。
でもね、このカードのメインの寓意は《選択》ってこと。
タロットカードの22枚の大アルカナカードはね、世界樹を巡る放浪の旅を暗示していると言われているけど、もしかしたらこのカードは重要な分岐点を示しているのかもしれない。安定と調和って、なんか立ち止まって確定してるような言葉なのに、その地点で《選択》して、またどこかに進むって変な感じ。でもタロットがもともと道(Tar)とか輪廻(Rota)を含むと言われているから、きっと天体の運行のように感じればいいのかも。
私の持っているカードは最もポピュラーなカードだから、天使様がアダムとイブを見守っていて、傍らに蛇も描かれていて、知恵を得ることができる果実を食べるか食べないかの選択をする直前の絵だと思う。
他にも男の人が分岐点に立ち、2つの道にそれぞれ女性が立っていて、どちらの女性と共に歩もうか迷っている《選択の時》を意味するカードも昔、あったらしいわよ。その絵なら、『どちらの女性を恋人として選びますか?』って話になりそうね」
「何それ、二股男なの?そんな人はどっちの女性にも振られればいいのに(笑)」
「うふふ。手厳しいわねー。そんなのは、しょっちゅうあることじゃない」
「えー、まさかお母さんも?」
「うん、私、もちろん同時進行じゃないけど、パパ以外とも付き合ったし、パパにプロポーズされた時も悩んだよ。この人に決めちゃって本当にいいのかな?って。それって、まだ出会えていない候補者まで入れて考えてるってことでしょう?」
「お父さんを好きだったんじゃなくて、沢山の候補者の中からの選択なの?贅沢ね〜。
お母さん、モテたんだ。せっかくだから、もっと聞かせて」
「うーん、大した話じゃないわよ。
パパのことは、好きは好きでも冷静な好き、だったかな。
良い人だから私の中のランキング5位以内には入ってくるんだけど、他にも自分から惚れたり片想いしたりは、していたもん。2年前に別れた人はどうしたかなぁとか気になったり。
パパからアプローチされた時も、大好きな先輩にときめいている時だったから、目じゃなかったもん。同じ時期に別の人からも告白されたりもして。
男友達に恥をかかせないように、なるべく告白される前に先回りして好きな人がいる話をガンガンしておくんだけど、パパは全然気づいてくれないし、全然めげないんだよー。淡々と、友達としていてくれた。
そして、こちらがすごく困っている時に、きっとちゃんと気にかけてくれてたのね、さりげなくサポートしてくれて、そういうのが重なると、こっちも嬉しいから」
「へー、初めて聞いた」
「付き合い始めて一度、別れたことがあるの」
「なんで?」
「パパが就職して遠距離恋愛になったので、『別れましょう』って私から。性格的に遠距離恋愛って面倒くさい感じで」
「ひどい」
「だって、そばにいてさりげなくサポートしてくれる所が好きなところだったわけだし。まだまだいろいろな人や物に出会いたかったし。後はね、パパがね、付き合ってから、『ちょっと安定したかも』みたいな感じになったのも、少しいやな感じだったし」
「厳しいわー」
「それはパパには内緒ね?
それから、お互いに別の人と付き合って。別れて。いろいろな人と恋人未満くらいのデートっぽい遊んでる時期が楽しかったなぁ」
「それじゃあ、お父さんと結婚した決め手は何だったの?」
「パパにプロポーズされた後、私は何か答えが欲しくて、自分のタロット以外にもたくさんのタロットカードや本を眺めてたりした。
で、実はこの、『VI The Lovers 恋人たち』のカードの別の絵を見た時に心が決まったかなぁ」
「ええ?そうなの?」
「うん。全然、結婚する気もなくて、異性も同性も友達がいっぱいいて楽しく毎日生活していたのにね。ある日パパがね、
『僕達、そろそろ決めてもいいんじゃないかな?君だってたくさん遊んだでしょう?そろそろまわりを安心させてあげたくならない?君だって、このまま歳を取っていくわけだし』
と言いだしたの。カチンと来たわよ。
私はちゃんとした返事もしたくなかったから、
『まだ、遊び足りないです〜』とか言って、そのまま家に帰ったの。
『何それ?歳を取って、どんどん価値が下がるとか言いたいの?
私、こういう人と、絶対合わない!』って思って。しばらく怒っていたよね」
「ま、普段無口なお父さんが何か言うと、地雷を踏み抜くよね」
「地雷というか…。頭に来たのは、たぶん本当に気にしてることを言われたからなんだと思う。
私は甘えん坊だから、決して一生独身では生きていけないだろうなぁとは、普段から思っていたのね。だから、いつか結婚はしたいなぁとは思っていた時ではあったの。でも、なんかやっぱり面白くなかった。
『そうかー、そろそろなのか、私。でも、絶対にあなたとなんかじゃないわ!』とずっと怒っていた(笑)。しばらく連絡も取りたくなかった。
ちょうどその頃、友達と《自分が愛する人と結婚するのが幸せか、自分はそこまでじゃないけど愛されて結婚するのが幸せか》って議論したりしたけど、私は愛される方が幸せになれるって思ってた。一生懸命に自分を見てくれるパパの比重が大きくなってきてたのに。それなのに夢のないことを言われたのは、カチンと来てた。
でも、さっき言ったように『VI The Lovers 恋人たち』のカードの別の絵を見た時に納得したのよ。
そのカード絵の中の男女は、背中を向けあっていたの。
並んで同じ方向を見たり、互いに向き合って見つめあっている方が、恋人たちの表現としてはふさわしいと思うのに。
その絵を描いた人の説明によると、女性は愛や恋に幸せな幻想を見ているけど、男性は現実や生活のことを考えているのを表したかったそうなの。
それでようやく気がついた。恋愛ごっこなら、自分の家に簡単に帰れる。でも、今自分が直面してるのは、お互いに異質で、考え方も違って意見の合わない相手から、今まで生まれて育ててもらっていた場所を離れて、今後は一緒に生きていこうと誘われている選択の問題なんだと。
優しい甘い言葉が上手く言えないパパだけど、一緒に運命共同体として生きていきたいとまじめに考えるところが、自分には無い部分だと気がついたの。運命共同体として生きていくなら、私は同じ方向を見たり、互いにロマンチックに見つめあったりするより、違う視点を持っていて、ケンカするかもしれないけど互いに言いたいことを言い合えて、色々なことに気づかせてくれる人が欲しいんだと気持ちが定まった。不安もあったけど」
「そうなんだ〜」
「決め手なんて人それぞれなんだけどね。同じ価値観がある人が絶対にいいという人もいるし。私は自分の考えたことのない意見と議論とかもしたかった」
「それでよく議論したり、ケンカしたりしてるんだ」
「そう。一対一だから多数決にならず決着がつかない時もあるけど、どんなにやりあっても根っこの部分では互いにリスペクトして卑怯なことはしないつもりでいるけどね」
「なんかいい話、聞いちゃった」
「ふふ、パパにあまり言わないで。きっと照れるわよ。それよりもどう、何か見つかりそう?」
「わからないわ。全然本に身が入らない。今の、お母さんの話がインパクト強すぎて(笑)」
「あー、そうか。それはなんか、邪魔しちゃったみたいで申し訳ない。貸しておいてあげるから、気が向くまま読んでみて」
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世界樹を巡る放浪の旅を暗示しているタロットカード、と言われても、登場人物はバラバラで、夏美には皇帝や教皇のキャラクターカードにしか見えて来ない。
『XVⅢ 月』のカードの絵のページで、ふと指が止まった。月の表面に気難しそうな人の横顔が描かれている。ライさんのシリアスな横顔に似ている? …まただ、私、だんだん色々な人がライさんに見え始めている?それはないと思いたいけど。そんなんだったら、それはきっと病気かノイローゼになったというしかない。
目を瞑っている不機嫌そうな、つらそうな?横顔なのだ。ライさんと話してた時に一度だけ見たように思う。
月は、地上で見えている部分は太陽の光に照らされているけど、見えていない部分は闇が支配している、か。
《隠している秘密、うそ、胸騒ぎ、秘密の行動、危険》が正位置の意味。他のカードと逆で、正位置の方がネガティブな意味を持っているようだった。
じゃ、逆位置の方がポジティブな意味を持つのね?なるほど。
逆位置の意味は《真実を見つける、直感が冴える》か。おおむね良好な意味ばかりね。
《うそがばれる、偽りの恋心に気づく》?
ライさんは、次に会った時に宝珠の話をきちんとしてくれると言っていたけど、そしてその約束は果たしてくれそうな程度の信頼はあるけど…。嘘をつく必要がある人だっているとか言ってみたり、まだ良くわからない部分がありすぎて心から信頼なんて出来ない。
たまたま宝珠の反応を感じる人間が2人出会って、私は宝珠がライさんのことを信頼して好意を持っている影響を受け始めている。
だから、偽りの恋心なのかな…?私はまだ、ライさんには恋なんてしていないぞ(笑)。
苦笑しながら本を読み進めていたけど、その次の行を読んで、夏美はもやもやの1つの原因を見つけたように思い、泣きそうになった。
《2度と得られないと諦めかけていた、失ったものを見つけることができる》
「僕は、宝珠が反応する人を、宝珠に反応する人を探していたんだ」
そうか、そうだったんだ。
最初に会った時から、そうだった。ライさんは誰かを探していた。
私が誰かに似てるか似ていないか、ではなくて。
私がどんな生き方をしてるどんな人間か、ではなくて。
宝珠が反応する人か、宝珠に反応する人を今度こそ結婚出来る相手になると思い込んで、探していたんだ。
《偽りの恋心》って、きっとライさんの私への告白を指しているんだ…。
私だけでなく、ライさんもきっと宝珠の影響を受けて、自分は宝珠に反応する人を探して恋をする運命?って思い込まさせられてるのかもしれない。一度結婚がだめになった辛さで、余計に宝珠につけ込まれたのかも。私だって、宝珠の影響を受けて、訳もわからないままドキドキしたり、ライさんの胸に飛び込んでしまったり、2人でキスする羽目になってしまったんだ。
だいたい、私がボーっと妄想していたからって、デートの一回目でキスすることないじゃない!
ファーストキスじゃなくて本当に良かった!…良くはないけど、被害少なめと思いたい。
勉強の良く出来そうな苦労知らずの浮世離れしたお坊っちゃんは、宝珠を自分の花嫁探知器みたいに思っているのね。
だから、私のことを全然知らないくせに、宝珠が反応する方にズルズル引きずられて告白したら、運命の予言通りに上手くいくとか思ってたんだ。バカみたい。
宝珠の影響を受けまくって、お祖父様孝行のためにパーティで花嫁候補を紹介したい(しかも、嘘でも偽物でもいい)なんて、ただの馬鹿よ、バカ。
子供の頃から淋しくてお嫁さんが欲しかったのかもしれないけど、ライさんは、自分がどういう人をパートナーに欲しいとかきちんと悩んだことはあるのかな、うちの母みたいに。
けっこうイケメンさんだから、花嫁探知器に従ってうろうろしてれば、そのうちに宝珠の影響を受けて、ライさんにぽわ〜っとしてくれて相思相愛になれるかもしれないけど、それで幸せなのかな?…幸せかもね。
バカップルが1組この世に誕生しても、親でもなけりゃ子でもないのだから、ほうっておいてあげよう。
私はただの友達だから、本人からどうしてもと頼まれてからアドバイスしてあげればいいのであって、とりあえず誰か可愛い性格の女の子が宝珠反応体質を持っていて、ライさんが巡り会えることを祈っておいてあげよう。それで何かヒントをくれと言われたら、うちの母みたいに結婚問題は真剣に悩んで、タロットカードか本を見るように言ってあげよう。
自分のためのカードのメッセージ探しだったのに、なんでこんなところを一生懸命に読んでしまったんだろう?なぜ、ライさんのことに煩わされなきゃいけないのよ。
とにかく、だんだんあのドヤ顔を思い出すと腹が立つ。ハタ迷惑な嘘つきのお馬鹿さんには、何かバチが当たればいいのに!
そう思って寝たら、ライさんが崖から落ちていく夢を見て夜中に目を覚ましてしまった。雪が積もっているような、深いクレバスか何か。青い顔をして必死で何かに手を伸ばしていて、誰かの名前を呼んでいるみたいだった。とりあえず、私の名前なんかじゃないと思う。
あの時と同じだ。絶望した青い顔を、誰か女の子?が10m以上の高みから見下ろしていた。
相反する2つの感情を持って。
どう?貴方はこの力が欲しかったんでしょう?
貴方を死なせたくないだけだったのに…!
ずっと愛していたのでしょう?…ずっと恨んでいたというの?
宝珠はどうして私にその誰かの記憶を伝えようとしているんだろう?
伝えられなかった想いが、どこかに残ってしまっているのだろうか?
本文中に、『VI The Lovers 恋人たち』、『XVⅢ 月』について少し書いています。でも、説明が断片的すぎるので、今後少しまとめたものをどこかで書きます。