25 《神の刻印より乖離する自我を調え》 (2)
たまに気流の関係で不規則な揺れが挟まるものの、それでも飛行機の揺れが心地よい。ラインハルトは目を閉じて、うとうとしている。いや、厳密に言えば、うとうとするふりをして自分を眠りの中に落とし込もうとしている。疲れすぎると眠れないし、考えごとをしたくないのに考えてしまって、眠れないのだ。
宝珠から声が聞こえたりするなんて…。
考えもつかなかった。今までも、光り方が変わったりすることはあったのだが、音を発していると思ったことはなかった。
微かな羽音のような、と夏美は言っていた。振動?脈拍みたいな…?
いろいろ想像して自問自答しているうちに、それらのことを感じたことがあったような気がしてくる。これは危険な兆候だ、しっかりしろと自分に言い聞かせる。
宝珠の音を聞きたい、感じたいと思う自分がいるからこそ、聞いたように、感じたように思えてくるのだ。そうやって、自分で自分を騙していくような気がする。自分の望む、自分に心地よい解釈の方に寄っていってしまうのだ。
エリザベス達のいる最先端科学技術研究所でならば、宝珠の微弱な振動も測れるのだろうが、このような科学に馴染まないような、魔法生物の貴重な遺物をそこに持ち込んで良いのか、わからない。感覚的には、やめておいた方が無難だろう。
宝珠が自分の物になってからというもの、自分に危害を加えたことなどはない。先日、夏美が宝珠に反応した時に熱を持ったくらいだ。自分が無理に押さえ込んでいなければ、受けないだろう位の軽い火傷程度で済んだ。それまでは、普通の鉱物と同じ扱いしかしてこなかったけど、それは正しかったのだろうか?もしかしたら、この宝珠は生きているのかもしれないというのに。
美津姫は、宝珠から声が聞こえるとは言ってなかった。本人も聞こえていなかったのだろうか、それとも僕には言わないようにしていたのか。今となってはわからない。
僕は、彼女を守っているつもりだった。だが、結局は…信頼してもらえてはいなかったのかもしれない。
僕は、自分の望まなかった事実に向き合わなければならない。夏美の誤解をベースにして、過去の事実を夢として片付けるのは、僕にとっては心地良い、心地良すぎる嘘だった。あの辛い事実は夢なんかじゃない、過去の現実なのだ。
ふいに身体が揺さぶられた。
「?」
横にいるフィリップが笑顔で言った。
「そろそろ機内食の時間らしい、『何を飲みたいか?』だと」
「ああ、僕はアイスティーか烏龍茶を…じゃ、アイスティーで」
「なんだ、相変わらず真面目だなぁ。…俺はワインにしたぞ」
「ご自由に。僕はソフトドリンクが好きなんだから」
「少しは寝たのか?…身じろぎもせずお行儀よく、寝顔まで真面目なんだから呆れる。
お前、何か気にかかっているんだろう。おお、ありがとう。これはなかなかのご馳走だぞ」
ラインハルトも、食事のトレイを受け取って客室乗務員に笑顔で挨拶した。
「いただきます。
食事中に言うのもあれなんだけど、失礼して。
僕の長い不在の間に馬がね、死んだんだ。とても賢い、良い馬でね。遠乗りに行くのが楽しみだった。
日本に行く時に僕は、その馬に約束をしたんだ。すぐに戻ってくるって。きっと、ずっと僕を待っていてくれたのに違いない。報告書類を見るまで、その馬の名前を見つけるまで、僕は約束したこともすっかり忘れていたんだ。僕は自分の事ばかりかまけていて、…ずっと眠っていて戻れなかったんだ。
あの馬にもう一度ブラシをかけて背中をさすってやりたかった。そばにいてやれないって、そういうことなんだ。してあげたいことを何も出来ないんだ。
今、ちょっと好きな子がいてね、ああ、全然うまくいってないんだよ(笑)。
僕はその子のことを考える時、勝手に守りたいなとか、そばにいたいなとか思ってやきもきしてるけど、彼女はどうやら僕なんて、必要がないみたいなんだ。それはそれでちょっとお気楽なんだけど、僕はその子に実はたくさん嘘をついているし。話せてないこともたくさんあってね。うん、このまま今度はヨーロッパに滞在して日本に戻れなかったら、どうなってしまうのかなぁって思ったり」
「大丈夫、仕事は無事に終わらせる。俺がいるんだからな。とりあえず日本に戻ったら、頑張れ。俺はこんなんだから、恋のアドバイスは出来ないぞ。うちの母ちゃんは、そばにいるとお互いにうるさいと思ってるし」
「フィリップ、僕は確かラブラブなご夫婦だと聞いていたんだけど、アルベルトに」
「あいつめ。上官の機密を漏洩するから、バチが当たるんだ。まぁ、いいや、ラブラブだぞ(笑)」
「いいなぁ。ま、もうちょっと違う悩みもあって。
もしもあなたの弟子が、技の選択とかをくよくよ迷っていたらどうする?」
「まあ、そうだなぁ…。
時と場合にもよるが、俺は弟子を褒めてやりたいな。迷うほど、技の引き出しを増やしたんだろうと解釈してやりたいしな。
しかし、修羅場でやられると『は?』ってなるかもな。『お前、こっちは5人同時に相手してんのよ、そっちの3人、サクサク倒せや、こら』とか」
「確かにそういう時は命取りになるから、迷っている場合じゃないと思うんだけど。というか、そういう時は、けもののように本能で動くことしか出来ないというか」
「そうだぜ、頼むよ。しかし、成長したな、ラインハルト。そういう質問をするようになったとは。
子供時分のお前は、そりゃまぁ、変に出来が良くて怖かったよ。ただまっすぐの武器だ。
切れ味鋭いカミソリが出来立てホヤホヤのまんま、素直に暴れてるんだから。大切な可愛い坊ちゃんだから、ケガさせたくもないんだけど、手を抜いたらこっちがケガしそうだし。何の迷いもなく、憎悪も殺意もなく、頭の中にすらすら詰め込んだ通りに剣技でも杖術でも教わった中の一番すごい技をパーフェクトになぞった完成度で、ただ試して褒められたくて、突っ込んでくる」
「フィリップに勝てた覚えはないような…?」
「とんでもない、こっちは必死だぞ。ただ俺は、いなすことに長けていただけ」
「コツがあるの?」
「それは、教えられんよ、まだ」
「ちぇっ、残念」
「成長の過程だからね。かわいそうだが、俺の知ってる答えは、今のお前にはやれない。
お前が小さくまとまってしまうのは、損失だからな」
「……」
「苦しいんだよな、そういう時は。
迷い始めてしまうと、今まで簡単に出来たことが、うまく出来ない。
引き出しが増えて、ちょっと背伸びして手がけている技の完成度が低い。んで…。
『まぁ、コレはまだ修得しきれてないもんな、ちょっと日和ることにしよう、あのちゃちい簡単なヤツでいいや、得意技だもんね』で、その、妥協して出した簡単な技がなぜか思ってたよりショボい。そして、落ち込む。
どうだ、そんなところか?」
「…うん…そんな感じ。いろんなことが押し寄せてくるからね、早く強くならないとって思うんだ」
「無理だ。
お前は、頭でやる勉強を早回しで修得したらしいけど、本当に身になってるか?うろ覚えのヤツは結局、幾度となく見直すしかないよな。脳の容量がもったいないから、忘れるのも大事だし。
だがな、身体に覚えてもらいたかったら早回しはダメだ。
《簡単に手に入れた物は、簡単に失う》っていう、ことわざの通りさ。
それに、偶然にも簡単に出来たということは、決して幸運なことじゃない。本当の正解の隣にある、間違いを掴んでしまうことだって、良くある」
「そうだった。僕はどちらかと言えば、そうかもしれない。そういう失敗を良くやってた」
「ああ。『基礎をしっかりとやってから』というタイプの教官は、お前をハラハラ見ていたけどな、俺は楽しくて仕方がなかった。8割出来たとドヤ顔していたはずが、バランス失って、すっ転んでいたりしてな。懐かしいなぁ。
けっこう良いヒントになったんだよ、最後の1つの要素が欠けてる、が、もしその状況ならベストかもしれない行為をする。まさにお前は、新技のヒントの宝庫だったね」
「ひどいなぁ」
「大いに苦しめ。お前なら、その先にある次の段階に行ける。
焦る必要はないだろう。俺は見てないから良く知らないけれど、あの時は勝てなかった、その体高10mだかのドラゴンにだって勝てるだろうよ」
「ドラゴンじゃないよ。東洋の、由緒正しい白蛇竜なんだから。貴いんだから」
フィリップの軽口に反応してやしないかと、ラインハルトは慌て宝珠にそっと触れてみたが、変化はない。
「おいおい、」
とフィリップは小声になった。
「お前、飛行機の中でドラゴンじゃない、その竜を呼ぶなよ?」
「僕は、巫女じゃないし、召喚士でもないし、竜使いにもなっていないから、そんなことは出来ないんだ、残念だけど」
「おお、安心した。けど、もしもお前が竜使いならば、今回のサルベージは簡単な仕事になっていただろうよ。羽の生えた、こちらに協力的な竜が、もしもいてくれたら」
「竜使いの修行はしたいと思うんだけど、なかなか竜やドラゴンに会えなくて」
「じゃ、そもそも何故お前は、それを持っているんだ。自分では使えない宝珠を。飼い殺しのためか?貴重なものなんだろう?」
「…」
「いいか、もしも今、お前が『僕、現代っ子で良くわかんないんですけどー、お祖父様や長老たちにそそのかされて、東方に行けって言われてー、なんかわかんないけど、竜が同情してくれて僕にそれをくれちゃったんですぅー』って言ったとしたら、俺は容赦なく弟子だというお前をぶっ飛ばす」
ラインハルトは、うなだれた。
「…言い訳出来ないな。ほぼ…そんなんだ。ぶっ飛ばされても仕方ないよ、フィリップ」
「スチュワード、じゃなくて、なんだ、今は客室乗務員って言うのか、それに拘束されるのも嫌だからな。それにこれから仕事だから、お前と仲良し体制でいたいからな。ぶっ飛ばすのだけは、やめておこう」
「フィリップ、…ありがとう」
「まだ、『ありがとう』はいらない。お前はまだ目を覚ませてなんかいない。意味があろうが無かろうが、答えを掴みに行け。結果的にお前のもとに宝珠があるんだろう。良くも悪くも、お前は既に選ばれてしまったんだ。腹をくくれ。やっていい手助けなら、するから。
簡単に『ありがとう』なんて言わなくていいんだ。素直じゃなくていい、すっ転んだお前を助け起こしもしないで笑っていた俺を睨みつけてもう一度トライしていた、憎たらしいお前はどこへ行ったんだ。
慌てなくていい、惨めでいいんだ。失敗しても、自分にマイナス評価を付けて萎縮しなくていいんだぞ。あのポジティブなジジイ連中を見て、少しは学べ。
まぁ、未知の領域に踏み込んでいるお前に、安全な場所にいる俺たちが説教たれるのは失礼だと思うけど、勘弁な。
応援と必要な手伝いとか、やれることはなんでもやってやるから。小さくまとまるな」
「うん。頑張る」
「今回、少数でひっそりということだからな。ラインハルト、修羅場じゃ迷うなよ。
あと2つ約束してくれ。諦めることも覚悟しろよ。撤退する時は、撤退する。
それから、あの魔力が乏しくなった時に他の物で補おうとするアレ、あの魔法だけはやめてくれよ。連携しづらいからな。一番大事なのは、自分の生命だ。いきなりぶっ倒れられたら、かえって迷惑だからな」
「うん、わかってる。蘇生役がいないから、慎重にやるから」
「ありがとうな、相棒として呼んでもらって、俺は嬉しいんだよ。お前が動くとなりゃあ、本当はもっと大勢が来たがっただろうがね。さ、もう休むぞ」
「うん、お休み」
今度こそ、眠れる気がする。
《簡単に手に入れた物は、簡単に失う》というのは、《easy come, easy go》を直訳したものです。日本語でのことわざは、『悪銭(あぶく銭)、身に付かず』となります。