22 《選択の時に》 (8)
「…そうだね、宝珠の声とか音とか、考えたことがなかったけど…」
「…?…」
「ああ、ごめん。それって、どんな感じ?なんか感覚的なもの?」
「そうです。こちらの反応に呼応してドキドキしてるような…微かな羽ばたきのような」
「何を言っているかわかる?」
「そこまでは…」
「そうか、そうなのか。ちょっと待ってね…」
ラインハルトの予想を上回る展開だった。やはり、宝珠があるのか。そして、まさか、もう覚醒しようとしているのか。
大丈夫だ、まだ…蛇の目は、祠に厳重に封印してあるのだから。自分の知っている限りでは。
「?…はい」
夏美はシリアスな表情の、ラインハルトの横顔を見つめる。ライさんはさっきから否定しているけど、やはり夢の中の人に似ている、と夏美は思う。あの争乱の時に慌ただしく出立していった真剣な横顔と…。
「夏美、…すごいよ。たぶんそれは本当に限られた人だけなんだと思う。正直に言うよ、宝珠から音や囁きが聞こえるなんて僕は初めて聞いた。
今までのことを良く考えてみたけど、僕は宝珠に反応出来るけど、音や囁きとかわからないんだ。新しい情報をありがとう」
「いいことなのでしょうか?そう思います?」
「それは、ごめん。今はまだ本当にわからないよ。物事には良い面と悪い面があるから、一概には言えないだろうけど、調べて、なんとか君の助けになりたい」
「ありがとうございます。私、もう一つ聞きたいことがあったんですけど、いいですか?
ライさんは以前『夢の中で女の子に宝珠をもらった』と言いましたよね。じゃ、なぜそれが実体化していて、ライさんがそれを持っているんですか?」
ラインハルトがうなずいた。
「そうだね。その話は、きちんとするべきだよね。今度は僕が、正直に僕のカードをめくって君に見せるよ。
とりあえず、さっき答えなかったことから言おうか。
今日、僕は、意図的に宝珠の話題を避けていた。君が感じていた通りだよ。
先日以来、君が宝珠の影響を怖がっていると思っていたし、それに僕は責任を感じていたから。責任というか…。
君が宝珠に煩わされるのは、僕のせいだと思う。
僕が宝珠のことを調べ終わってすらいないのに、僕は君を探しに日本まで来てしまったからね。宝珠が反応する人、宝珠に反応する人を僕は、ずっと探していたんだ。
また君と僕が一緒にいたら、君が少しずつ宝珠の影響を受けるかもしれない予測はしたんだけど、僕は君と一度だけでもいいから、今日はデートをしたかった。いつまで日本にいれるかはわからないし。だから、今日何回か不安な気持ちにさせてしまったことは、心から謝りたい。
申し訳ありませんでした」
丁寧に頭を下げられて、夏美はドギマギする。
「あ、いえ、そんな…。こちらこそ、そのたびに挙動不審みたいになって、ごめんなさい」
「とにかく、過去は消せないから、今後も行動には気をつけるようにするから、夏美も何か気になってしまう点があったら、申し訳ないけど僕に教えてくれないか。えー、教えてくれるとありがたいです。…言い方、合ってる?」
「はい、大丈夫です。伝わってます」
「言ってもらえないと、謝ることができないし、お願いだよ。行動を改めることも出来ない。
僕は、以前から日本人スタッフとも接することがあったけど、何も言わずに僕から去っていく人がいるんだ。自分が何か悪いことをしたのかもしれないけど、全く気づけてないことは謝ることも出来ないんだ。
もちろん、僕だって我が強いほうだから、簡単に直していけるとも言えないけどね」
「はい、ライさんの気持ち、良くわかりましたから」
「横道にそれちゃったね。
で、えーと、そもそも僕が宝珠を持っている理由はね。
僕がまだ小さい頃に叔父たちと日本に来て、神社の火事で人助けをしたことがあるんだ。3人姉妹の一番年下の巫女姫さまと呼ばれて大事にされてた人を偶然、僕が見つけて助けた。それで、その時の神主さんからいただいた貴重なものなんだ」
「そうだったんですね」
「ああ、もちろんご神体とかじゃないよ。神社は、えーと今はどこか別の神社とご神体が合祀されてしまって、現在ではその神社は残っていないんだ」
「そうだったんですねー。私はなぜ宝珠に反応するのかライさんは、わかります?」
「そうだね、それも併せて調べていかないとね。それについては中途半端な説明しか出来ないから、もう少し猶予をくれるかな。きちんと調べたいし、さっき君が言ってた音の響きとかが、危険じゃないかどうかも含めてね。
ずいぶん先のことになると思うけど、もしも夏美が正当な宝珠の継承者だと確定して、君が望むなら、僕が預かっている宝珠を君にお渡しするよ」
「?、どうして。ライさんはお守りにしているのでしょう?」
「たしかに僕は、とても宝珠に癒されているし、冒険に行った先で何度も助けてもらっているのを感じる。辛い時も、もちろん僕には声は聞こえないけど、優しい光に慰めてもらっている。
でも、神主さんからいただいたとは言え、宝珠を所有しているというより、神さまから信託を受けていると思っているから。僕よりふさわしい人がいたら、考えないと。
でも、夏美はまだ事情が良くわかっていないわけだし、とてもまだ返せないけどね」
「ええ、もう少し待ってください。私はまだ怖いです」
「うん。中途半端に何か変えてしまったら、一番危ないからね。さっきも言ったけど、物事には良い面ばかりではないと思うから。準備や知識が不足しているのに何かを始めてしまうのは、やはり卵から孵ったばかりのひよこの様に弱々しい状態で攻撃を受けるに等しいくらい、危ないことだと思うな。
しばらく現状維持でいいかな?
それに僕は明日からまたちょっと冒険に行くから、正直言って、今は手放したくない」
「はい、ライさんが持っていてください」
「どう、今そうっと見てみる?今日は、なんかとても良い状態のような気がする」
「大丈夫かなぁ。私、自制心は成長させているつもりなんですけど。それに私も先日みたいに悲しい激しい気持ちにはなっていないような…保証の限りではありませんが」
「君がもう一度飛びついてくれるなら、僕は、絶賛ウェルカムなんだけど」
夏美は、スルーした。
「まだ誰も来ないから、見るなら今のうちかもしれないですね」
「本当に、秘密結社気分だな…」
ラインハルトが、持っていたジャケットからそうっとブレスレットを取り出した。青白く仄かに光っている。先日みたいに熱は帯びていない。なにか光を受けての反射ではなく、自ずから穏やかな光をはなっている。
2人とも、安堵して溜息をついた。まるで示し合わせたかのように。まるで呼応するかのように。
「…きれい…!」
「うん、とてもきれいだ。どう?何かきこえる…?」
「声が聞こえるというより、穏やかな野原にいるミツバチや蝶の羽音のような感じ…」
そう、イメージが浮かぶ。そういうところに2人いつまでもいて笑いあっていた。
湖や木陰の日なたや日陰で、あなたの瞳の色が変わるのを楽しく見つめていた。
少し離れていても、また手を広げてくれるあなたの腕の中に飛びこんで。
これは、宝珠の記憶なの…?宝珠を持っていた巫女姫様の記憶なの…?
「夏美…?」
心配そうに声をかけたラインハルトに向かって、夏美は微笑んだ。宝珠のおかげなのだろうか、夏美は清涼な風に癒されて緊張感もほぐれていくような気がした。
「声が聞こえているんじゃなくてね。とても素敵なイメージが浮かぶんです」
「へぇ、そうなんだね、羨ましいなぁ」
ラインハルトがリラックスしているのも感じる。私、不安になっている時つい自分のことばかり考えて、ライさんに気を遣わせていた。
心のどこかで宝珠を持っているライさんに対しても、不安を感じていたから。少しだけだけど、ちょっとまだ悪い魔法使いイメージも残っていたし。でも、たまにキツそうにも見える切れ長の青い目は、子供たちに微笑みかけている時、とても優しかった。そして今も。
「この宝珠は、きっと…ライさんのことがとても好きみたいです、たぶん」
今日のデートのために準備をして、エスコートをして、私を不安にさせないように心配りをしてくれていたライさん。お陰で私は本当に話したかったことが話せたのかもしれない。
ラインハルトが、少し照れたように笑った。
「占い師さんみたいなことを言ってくれるね、でも嬉しいな、僕も本当に宝珠が好きだから。今日は、夏美が飛びついてきてくれなくて残念だけど」
「うふふ。私の自制心が育ってきたのかもしれないですね。ああ良かった。宝珠に影響を受け過ぎて支配されてしまったら困ると思っていたんですから」
「あのさ、試しにハグしてみたらどうかなぁ?ほら、《宝珠の謎解き委員会》結成記念と実験を兼ねて。こう、秘密結社の共犯気分というか、ここから帰る前にハグしたくならない?その素敵なイメージで」
夏美はベンチから立ち上がった。
「いいですよ?
でも帰り道にちゃんとライさんの天使さまのお話の続きをしてくださるならという条件つきで」
「おー!やったー。じゃ、これからもよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
ラインハルトの抱き締め方にドキンとした。良い意味でのドキドキ感。色っぽい気持ちになるというよりは、旅行してきた家族が「ただいま」「おかえり」と挨拶しているような。
そう、まるで自分の身体の中からも、何かライさんの宝珠と共鳴するかのように。
あなたのもとに帰るわ。私はあなたのそばにいたいの…。
そう宝珠が思っている気がする。
そう、本当にそんなに…ライさんのことが好きなのね…?
私も今、この間みたいにライさんの腕の中で穏やかな気持ちになっている。まるで本当のお兄さんみたいに優しいハグだから。
「!…!!!」
いつのまにかキスしてるって!なんで?どうして?今、私が妄想してたから??
しっかりと目を開けた夏美は、ラインハルトのどアップを見てしまった。まつ毛が長い。
慌ててラインハルトの胸のあたりを両手で押す。その押し方があまりに弱すぎて、夏美は自分に動揺する。
「ん?」ラインハルトの青い瞳がとても優しく自分を見下ろしている。そっと唇を離したけれど、まだ夏美を大事そうに抱きしめて、そのまま当たり前のように自分の胸に夏美の頭をもたれさせて頭を撫でている。まるで以前から行っているダンスのルーティーンのように自然だった。ライさんはいつもこうやって自分の一歩先を優しくリードしていたような…?
これは、やはり宝珠の記憶…?夢…?現実…?
私、今、全然金縛りになんかなっていないのに、どうしちゃったというのだろう。
声は出せるのだろうか?
「あ…ライさん、あの、あの、ハグするだけって言ってなかった?」
「だけ、なんて言ってないし。どうしたの?…頭を撫でるの、嫌いだった?」
「あの、違うんです。その、」
「良かった…」
柔らかな良い笑顔でラインハルトが言った。
「い、いえ、そうじゃなくて、あの、ごめんなさい、ハグをやめて話を聞いてください、あの、」
あっさりハグを解いて、ラインハルトがにこっと笑う。
「そうだね、そろそろ帰らないとね」
「なんでその、…」
夏美は真っ赤な顔で口ごもった。その単語を言うのも恥ずかしいけど、言わないと伝わらないし…。
「あの、どうして今、キスしてたんですか?」
「え?…キスしてたのが何故かって?
もしかして僕、今、そんな解説をするカードをめくってと言われてるの?…照れるなぁ」
「……」
「あのさ、外国では、ハグして頬にキスするのが一般的なんだけど、そうしようとしたら、君が僕の方を向いたまま、とても良い表情で目を閉じるもんだから。
あぁ、そうなんだ〜って思うよ、普通」
「そ、そういうつもりではなかったんです。私、宝珠のことを考えててボーっとしてただけで」
「そうかー。ごめん、夏美は嫌だったのか…。
そうだ、じゃ、やり直しってことで、今、改めて頰にキスしようか?」
ラインハルトが、嬉しそうに言う。いつものドヤ顔になっている。
「い、いえ、もう結構ですー」
「まー、僕たち欧米人同士でも、せっかちな人同士だと、たまに頭をぶつけそうになったり、口にキスしちゃいそうになることもあるから、ちょっとしたハプニングだと思って。
それに先日も僕は君の頰にキスしてたけど、あの時は君、全然怒らなかったんだけどなぁ…」
「あの時は、私、金縛りになっちゃってたじゃないですか〜」
「あ、ああ!そうか、確かにね。
うん、僕も今、ちょっと自制心をなくしてしまっていたかも。そこら辺に落としてるかもしれないけど、まぁいいや。
そうか、君が金縛りになってくれてたらいいのか、なんか夏美にもう一度ハグしたくなってきた」
「もう!私、ライさんに今とても、素直に感謝していたのに…!
ライさんの自制心が落ちてる場所に、私の地雷がたくさん仕掛けてあると思いますから!」
「あ、それはヤバいな。僕の自制心は爆発に巻き込まれて、無くなるかもしれないのか。
うん、それは絶好のチャンスだね、まだ近くに誰も来ないし。いっそ、もう少し色っぽい感じのハグを試してみる?」
夏美は後退りして、言った。
「絶対ダメですって!
ライさんの自制心は大事なものだから、早く拾って帰りましょう。
ライさんが狼になったら、絶対に許さないんだから!」
「えー、あ、ヤバいな、そろそろ僕が狼になって遠吠えする時刻だ。夏美に退治されてしまう」
「ライさん。私、ライさんに悩みを聞いてもらえて良かったです。
ありがとうございます。早く車に乗って、あのお話の続きを聞かせてください」
「夏美の切り返しと自制心は、素晴らしいな。僕も見習いたいよ」
「はい、ぜひ。抜け落ちない鉄壁の自制心を持っていてください」
「わかった、頑張る。じゃ、ここから君の家まで送る間、気分を変えて、かっこいい天使さまのお話をしよう」