21 《選択の時に》 (7)
ラインハルトが夏美に小声で囁いた。
「どうする?店を出る?それとももう少し座っている方がいい?」
夏美が、ぎこちなく微笑む。
「…出ましょうか、ライさんもいいですか?」
「うん、僕はOKだよ。…大丈夫?」
「はい、…ありがとうこざいます」
ラインハルトは会計を手早く済ませて、駐車場に行き、車に夏美を乗せた。
「さて、どうする?
疲れてるのなら、すぐに君の家まで送るよ」
「ライさん、私、あの、少しだけお話したいのですが、どこかで車を停めていただければ」
「じゃ、双葉町の三池公園に行く?
丘全体を公園にしているから夜景がきれいなところだよ、まだちょっと早いけど」
「じゃ、そこでお願いします。ありがとうございます」
まるで、夏美がマニュアル通りに言葉を発しているように見えて、突っ込みたくなるラインハルトだが、茶化す勇気はない。
「うん。どう致しまして。
他に何かリクエストある?近いから割とすぐに到着するけど」
「あ、いえ、大丈夫です」
2人が無言のうちに、車は公園の駐車場に到着した。
ラインハルトが、助手席の夏美を振り返る。
「どうする?少し歩こうか?」
「私、…あまり誰かに話を聞かれたくは、ないのですけど…」
夏美の表情は、相変わらず硬いままだ。
「歩いた方が、こう気分も良くなるよ?
大丈夫、見晴らしの良いところにいれば、誰かそばに来たらわかるから」
「…はい、そうですよね」
何か思いつめた表情で夏美が言う。
「私がもしも、もしも…この間みたいにライさんに飛びかかるとか、変なことをしたとしたら…?」
安心させるようにラインハルトは、柔らかい表情で笑った。
「あー、なんだ、このあいだみたいなこと?」
ひた、と不思議そうに夏美がラインハルトを見つめる。
「ライさん、どうして笑えるんですか?私、…とても笑えないです」
「ああ、ごめん。夏美を笑っているわけじゃないんだよ。
あのね、僕は宝珠のことを調べているって言っていただろう?
僕はあれが悪いものではないって知っているんだよ。もしも夏美が宝珠の話をしたいなら、僕は車内より、自然の風に当たりながらの方が嬉しいな」
「わかりました。じゃ、少しだけ」
「何か起こったとしても僕がうまくごまかすから、心配しないで。
さ、夏美、外で少し深呼吸しようよ。肩こりしちゃいそうな感じだよ?
いざとなったら、君1人くらい引きずって連れて車に駆け込むから。
誰かに見咎められたり、迷惑をかけたりしないように絶対に気をくばる」
「…すみません」
ラインハルトは、夏美をエスコートして丘の上のベンチに案内する。
「さ、ここなら見渡せるし。駅から離れてるし、意外と穴場のデートスポットかもよ?
ほら、そばどころか、誰もいないよ?見渡す限り。
もう少ししたら、もっときれいな夜景になると思う。日が落ちて涼しくなってきたし、ね」
夕焼けを微かに残しているかのような紺色の夜空が黒に侵食されていく。ラインハルトに言われるまま、眼下の景色を黙って見つめていた夏美が口を開いた。
「ライさん、ライさんは夢の中でダンスを習ったことがありますか?」
「うーん。良く覚えていないけど、ないかな。ダンスはね、子供の頃からずっとやらされて当たり前だったことの一つなので、夢よりもやはり現実に習った印象ばかりが強いな」
「そうですか。私、もしかしたらウィンナーワルツの踊り方を夢の中で習ったのかもしれないと思うんです。男の子と女の子が見本を見せてくれてたような記憶があって」
「夢の中でダンスが習えるなんてすごいね、いくつくらいの子供たちなの?」
「男の子は、うーん17歳から19歳くらいかなぁ。女の子はうーん、14歳から17歳くらい?何かパーティの準備をしてるみたいで、ウィンナーワルツの曲に合わせて練習してたんですけど。その男の子がライさんに似ているんです」
「僕の若いバージョンってこと?女の子は?」
「顔を良く覚えていないんです。印象に残っていないのかな。髪型は印象的で長い黒髪を三つ編みしたりしてお団子のアップ髪で可愛いなって印象でした」
「僕に似た男の子はカッコ良かった?」
「印象に残っていないかな(笑)」
「残念。それで?」
「さっきまで忘れていたのですけど、ダンスの練習の前に男の子が遅刻?してきたんです」
「面白いな、そんなところから夢が始まっているの?」
「本当はもっと前からかもしれないです」
「お話仕立てにしてみてよ。夏美の夢の話、好きなんだ」
「女の子がおめかしをしているんです。髪をアップにし、ドレスを着て可愛いらしいイヤリングをつけて、でダンスをする大広間に小走りに来て。たぶん練習開始する時刻のギリギリなのかと思うんです。
『ごめんなさいっ。…あれ?兄さまはまだ?』って。でも男の子の方がもっと遅れていてね、ちょっと拗ねてたり、心配もしてる感じ?でした。女中さんたちがくすくす笑って、『まだ、兄さまとお呼びになっていらっしゃるのね』とその女の子をからかっていたりして。そこへ遅刻した男の子が駆け込んでくるんです。どこかで泳いでから来たわけではないんでしょうけど、髪が濡れてて、タオルか何かで拭きながら部屋に入ってきている姿が、さっきのライさんにそっくり」
「夏美、ちょっといい?
濡れた髪を拭く姿なんて、きっと誰も一緒だよー(笑)。」
「そう、なんですけど」
「ごめん、僕は嬉しいんだよ?
きっと君は最初の頃よりも僕に親近感を持ってくれているんだと思う。僕が君にしつこくアプローチした成果が出てきて、だんだんとガイジンぽい男は皆、僕に似てきているのかもしれない」
「あー、私もちょっとそうかなとは思ったんですけど、やっぱりそういうことなのかなぁ」
「でも、その2人に感謝しないとなぁ。ダンスのエンディングで頰にキスする振り付け、すごく気に入ったよ。男の子もキスを返していたの?」
「ええと…男の子の方は…」
夏美は思い出した。そして赤くなった。女の子の頰じゃなくて本当にキスしていたりしたのだ。
「夏美…教えてよ。今度、僕もその演出を頑張るから♪」
「男の子は、えーと、キスも返さずに、すごく照れていました」
「本当にぃ?…もしもそうなら、それは絶対に僕じゃないって(笑)」
「そ、そうなんですか?で、その時に女の子が男の子の名前を呼ぶんですけど」
「ラインハルトだった?」
「違うんですけど…」
「ほらー、やっぱり。僕と別人だったのか、残念」
「でも、その名前が、ずっと私が助けようとしていた人の名前みたいなんです」
「なるほど、そこに話がつながるわけか。なんて名前なの?」
夏美が溜息をついた。
「思い出せないんです。…思い出せそうなのに思い出せないんです。大事なことだと思うのに」
「まぁ、名前を思い出しても、…慎重にね。
ほら、真の名前を呼んだら魔法が解けて、物語が始まってしまう話ってあるじゃないか。楽しい物語ならいいけど、怖ろしい物語ならどうする?
いきなり悲劇の女主人公になってしまって、物語から逃げ出せなくなったら」
「夢の中でなら、現実より頑張れそうですけどね。異世界に行って頑張る勇者になったりして」
「ゲームみたいに上手にレベルに合わせて、君のためにモンスターが用意されているといいね。現実ではそうはいかないから。生まれたてのひよこのような勇者の前に容赦なく、手に負えないラスボスみたいなのが現れる。そうならないように祈ってるけど。
そう言えば、夏美はこの間から夢の中の失敗かミスに落ち込んでいなかったっけ?」
「あ、…そうでした。
ちなみに…突然ですが、ライさんは本当にライさんなんですか?」
「ロミオ…という名前だったかな?」
夏美が目をまん丸にしたまま、ラインハルトをじっと見た。
「え?」
「あ、ごめん、夏美。ちょっとシェイクスピアをパクってみたいなーと、受けを狙ってみて失敗しただけ。
あの話は確か、女主人公が男主人公にロミオという名前を捨てろとかいう無茶を願うシーンがあるから(笑)。ここは笑って欲しかったんだけど。ダメみたいだね?
…了解、シリアスモードになるよ。
僕の名前はラインハルトだよ、ファミリーネームもちゃんと言おうか」
「すみません、お願いします」
「ホーエンハイム。で、その前にあるフォンは、付けても付けなくてもいいんだ」
「それって、偽名じゃないですよね?」
「まー失礼な(笑)、ラインハルトはお祖父様が付けてくれた名前なんだよ」
「そうなんですか…ごめんなさい」
「いや、いいよ、気にしないで。冗談だから。
どう?夏美、そろそろ種明かししてくれないかな?
いったい君は何をそんなに気にしているのかな…?」
夏美が再び真剣にラインハルトを見つめてくる。
こんなことを考えてる場合じゃなさそうだが、ラインハルトは思わず夏美に見惚れてしまう。昔、森の中で狩ろうとしても弓を引けなかった牝鹿が持っていたような瞳。彼女は無意識のうちに防御することも考えず、勝負に挑もうとしているようで、美しく危うい。
「ごめんなさい、もう少しだけ待ってください。私、今とても混乱中なんです。ライさん、さっきのカードをめくるやつって[ダウト]ありですか?」
「うーん。ダウト!と言われたら、そのカードを晒さなければならないというルールってことね。じゃ、嘘を見抜かれてしまったら、真実を白状しろと?」
「はい、もしも同じ質問に2度も嘘をついたとしたら、酷いと思います」
「オーケー、そのかわりダウト失敗したら、どんなペナルティにする?」
「ペナルティ、そうですね、どうしましょうか?」
「3枚カードをめくってもらうとか、それか相手のリクエストに1つ何か応じるとか」
「うーん」
「でも、それくらいしないとね。相手は嘘をみぬかれた途端に真実を言わせられるんだよ?
それとも、嘘の上に嘘を重ねて逃げていいことにする?」
「それは絶対にいやだと思いませんか?」
「僕は、嘘をつく人にも何か大事な理由があるんじゃないかなぁと思う派なんだけど」
「友達なのに…?」
「友達だとしても。それでも嘘をつきたい場合があるかもしれない。でも、いいよ、さっきのルールで。『ペナルティは相手のリクエストを1つ叶えるか、3つの質問に答えを返すことにして、見抜かれた人は必ず白状する』」
「わかりました…」
「スリリングな展開になったね(笑)、ねぇ、夏美リラックスしてよ。そんな顔をしてたらゲームには勝てないよ。一度深呼吸して。さ、何にダウトなのかな?」
夏美は硬い表情のまま、それでもラインハルトに言われた通り、一度深呼吸をしてから言った。
「じゃ、ダウトします!
ライさんは、『今日は宝珠を家に置いて来た』と言ってましたが、それが私はダウトだと思います」
ラインハルトがくすっと笑って、両手を広げて降参するような仕草をする。
「ゲームに強いな、夏美。ダウト成功、おめでとう。もしかしてあやしかった?
きっと勝算ありだったんだね?じゃ、僕が嘘を白状すればいいんだよね?
あの宝珠は大切なお守りだからね、本当は今日もちゃんと持ってきていたんだ。これでOK?」
夏美は、真剣な表情のままだった。
「どうして、今日は持ってきていないっていう嘘なんか…。なぜ嘘をついていたんですか?」
「それって、新しい質問だよね?じゃ、ノーコメントでお願い」
「ライさんてば…嘘をついておいて、なんだかひどくないです?」
「勝負なんでしょう?
勝負だったら、僕も君に負けたくないもの。だから、簡単にカードはめくらない。
もしも僕を信じてくれるなら、素直に君の知っていることを言って。さっきから僕に対して質問攻めばかりしているし、ちょっとずるいな。
例えば、宝珠の話として、勝負するんじゃなくて、ダブルスみたいに協力しあおうというなら、僕も正直にきちんと答えるよ。君の見せられるカードだけでも見せてくれたら、僕だって君にカードを見せたいなって思うよ。ギブアンドテイクってやつ」
「そう、ですね。確かに。
あのね、ライさん、私、宝珠の謎を知りたいんです。先日は、夢の中だけでなく、現実に宝珠があって操られるような感じで、ただ怖くて避けたかったのに。
でも、最近少しイメージは変わってきたし、夢の中でも悪いものじゃなかったし。
なにより何故自分が反応するのか、本当に大丈夫なのか、これからどうすればいいのかアドバイスしてもらいたいんです」
「うん、わかった。素直にそう言ってくれてありがとう」
と言って、ラインハルトは夏美と握手をした。
「じゃ君も、君のためにも僕と協力して《宝珠の謎解き委員会》のメンバーということで」
「委員会、何人メンバーがいるんですか?」
「まだ発足して2秒くらいしか経過していないし、先日も言ったけど、他の人には内緒にして欲しい。だから、秘密結社だよ。
僕が今まで調べてわかってることを全部話す。でも、今日そうやって全部話そうとすると君が朝帰りになってしまうから、とりあえず君が一番困っていることを言って」
「普段は、全然日常生活に支障はないし、怖い夢も見なかったんです。ごめんなさい、ライさんと今日会ったら、…だんだんと困ったことに」
「凹むなー。《宝珠の謎解き委員会》は、会長と副会長が会議をするたびにトラブルが起きるのか」
「ライさん、もしかしたら、ライさんも宝珠から音とか囁きが聞こえるのですか?」
「!……」
ラインハルトは、動揺した。まさか?…