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理解不能の、弱い蒼  作者: 倉木 碧
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19 《選択の時に》 (5)

 ラインハルトは、スーパーに来るのが初めてのようにみえた。にこにこと周囲を見渡して、博物館のノリであちこち行きたそうだったが、夏美は緊張感でドキドキしていた。夏美は今まで、職場の近くにプライベートで来ることがなかったからだった。職場にいる店員・松本夏美と、ふだんの松本夏美は全くの別人格だと思っている。

 特に『夏美!』と敬称無しで呼んでくれている人と接している時の自分は、かなり無防備なのだ。リラックスし過ぎてはいけない。無意識に鉄壁や仮面が剥がれ落ちているかもしれないのだ。


 1階には、メインのスーパーの食料品売り場と専門店街に直結している通路があるが、その性質上、女性が多く、背が高くてスマートなラインハルトは必然的に目立ってしまっていた。

 なるべく職場関係の人に会わないように、夏美は書店から一番遠いエスカレーターを選択したつもりだったが、その選択は間違いだったのだろうか。買い物に来た主婦の方々が無遠慮にライさんをじろじろと見ているのを感じて、申し訳ない気持ちになる。


「ライさん、靴屋さんは3階ですよ。靴をゲットしたら、即座にグランドホテルに行きましょうね!」

 そんなつもりは無いのだが、まるで子供の意思を無視して急かしまくる母親のような口調になる自分が恥ずかしくていたたまれない。

「わかった。夏美はいつもこんなに賑やかなところにいるんだねー。おや、あれは何かな?」

 2階の駄菓子やさんを指差そうとするラインハルトの背中を押す勢いで

「今度また、ゆっくり見てくださいね」と3階への上りエスカレーターに押すように導き、一緒に乗る。

「夏美にエスコートされてしまうとは(笑)」

 夏美は小声で詫びる。

「ごめんなさい、無理に急かして。今日、私プライベートなんで、ちょっと恥ずかしいんです、特に2階に長居したくないんです」

「わかった、見つからないようにしたいんだね、了解」

「すみません」

「いや、なんか顔を赤くしてる夏美が見られて、ちょっと新鮮」

 と、上機嫌の優しい笑顔でラインハルトに至近距離で見下ろされると、夏美はさらにドギマギする。

「もうー、ライさん…。あ、ここで待っててくださいね。受け取ってきます」

「わかった。心配しないで。ニンジャになったつもりで目立たないように待ってる。軍師の言いつけは絶対だから」

 店頭に展示されてるスニーカーをライさんが眺めているだけなのに、やっぱりどことなく浮き世離れしてみえる。


「お待たせでした!行きましょう」

「わかった、荷物は僕が持つよ」

「あ、いいです、大丈夫です……ありがとうございます」

「こちらこそ。ごめん、エスコート癖があると思って、我慢して」

「はい、では、さっそく駐車場に…ライさん?」

「夏美、あの方がさっきからこっちを見てるんだけど、どうする?挨拶した方がいいかな?」

「え??あ、」

 夏美は、真っ赤になった。忘れていたけど、靴屋さんの向かい側は眼鏡屋さんだったんだ。

 なんと、副店長の中山さんがこちらを見て手を振ってVサインをしている。

 なぜ、Vサイン…?

 あー、あれだ、片想いの人がいるって中山さんに言ってたんだ、フェイクで。

 ヤバい、ヤバすぎる。絶対、ライさんのことを誤解している。

 撤退しなくては。

 通路を挟んで遠いのが幸い、近寄る暇がないほど時間がないみたいな振りをして頭を下げてお辞儀をした。

 なんだか隣のライさんまで自分の真似をしているようだ。ちらっと横を見ると、中山さんに呼応するかのようにVサインまでしている。人当たりが良すぎだってば、ライさん。


 そんなラインハルトを急かして、夏美は下りのエスカレーターに乗る。

「夏美、見つかっちゃったねー、顔が真っ赤だよ。…僕のミスだったらごめん」

「…大丈夫、ライさんのせいじゃないから。

 3階だから、まだ知り合いは少ないし。セーフ!です。

 2階はもっと知り合いが多いから、そうっと帰りましょう」

「優しそうなおじさまだったねー、あれ、いったいなんのVサインだったんだろう」

「さあ、なんでしょうね、あの年代の方の流行りかもしれないですねー」


 ごめんなさい、中山さん。

 夏美は心の中で、手を合わせておいた。

 ま、頻繁に見合い話を持ってこられないように、しばらく誤解しておいてもらうのもいいかもしれない。いざとなって誤解を解きたくなったら、

「上手くいきかけていたのに、振られてしまったんですー、残念」と言えばいいんだし。



 ♣︎♣︎♣︎♣︎♣︎



 グランドホテルのリハーサルルームに到着すると、ラインハルトは、

「ごめん、少しここで待ってて。ご挨拶をしてくるよ」と、斎藤さんと音響の方たちの方へ行ってしまった。逆に、後藤真凛さんがそこから抜けて寄ってきてくれる。

「おー、夏美、こんにちは。よろしくお願いします」

「こんにちは、先日は本当にお世話になりました」

「あー、夏美は律儀にどーも。楽しかったです、こちらこそ」

「さっき聞いたんです、真凛さんがダンスの先生をしてくれるなんて。よろしくお願いします」

「大して上手じゃないんですけどね、男女のステップ両方ともできるから、アシスタントをやるんです。

 …うちのボスはいかがですか?!話してて面白い人でしょう?」

「はい。勝手にライさんって呼んじゃっているんですけど、日本語は上手だし、紳士だし、いい方ですねー」

 向こうで何か打ち合わせしていたラインハルトが、夏美のそばに戻ってきた。

「やあ、真凛。君たちが準備してくれるおかげで、僕は何もしなくて済みそうだよ、サンキュー。

 そうそう、さっき、博物館の広場で花梨にも会ったんだよ」

「『子供と遊んでいたら、ボスがいて、驚いたー!』とかいう連絡来ましたよー。みんなでこの暑い日にバドミントンなんかしてたんですか?」

「いや、僕達はしていないよ。花梨は子供たちと元気に暴れていたみたいだね。芝生広場で日陰にいない親子なんて珍し過ぎて目立っていたよ」

「うふふ、あそこの建物の中にも子供たちの屋内遊具がたくさんあるのにね、1年ずっと毎日30分は自然を感じる時間が大切だと言っているので、きっといつものことで慣れているんでしょう」

「急に戸外で運動すると、今年は大人でも倒れそうですからね」

「さ、夏美。スタッフにOKもらったので、ウォーミングアップしてぶっつけ本番で合わせてみようか。空調もちょうどいいし」

「はい、久しぶりだから、ちょっと緊張します。真凛さんも踊ります?」

「ええ、私達もチェックすることがあるから、踊るつもり。

 でも、まずはお二人のダンスをチェックしたいので、また後で」


 ラインハルトと夏美が、ストレッチを思い思いに始める。

「ポピュラーなワルツの曲をかけてもらうから。…知ってる?『美しく青きドナウ』。

 斎藤さん、ちょっと流してくれる?

 久しぶりだから、少しテンポ落としてもらうか…」

「あ、これはオルゴールの曲ですね、良く知ってます。テンポとか細かいことはわからないので、お任せします」

「こうやって右回り、ナチュラルターン、左回り、リバースターン。まぁ交互に足に体重を載せて早歩きするつもりで。お、すごいね、さすが子供の頃にやっていると、身体が覚えてるのかもしれないね」


 不思議だった。

 今はまだ正式なダンスのホールドを組んでいない。ラインハルトに促されるまま、ただ二人で向かい合わせになって伸ばした手を握り合い、少しステップを踏んだ。何となく覚えている気がする。

「すごいね、夏美。瑞季が褒めてたけど、よく分かるよ。振付けとかパッと覚えてしまって、すぐその通りに身体を動かせるって。で、何年後かでも再現できるって」

「そこまで褒められてると、ハードルすごく上がってる気がして困りますが、頭で考えない、身体で覚えることは得意みたいで。普通の勉強とかテストには全く役に立たないんですけどね」

「この早さでおしゃべりしながらステップできる余裕、達人かもしれないな」

「考え込むとダメになっちゃうんですけどね」

 曲が終わりかけたところで、ラインハルトがいきなりふざけて

「ダッシュできる?はい、右回り」

 と、手をつないだまま、ぐるぐる走り出した。

 ライさんは、子供みたい。

「大丈夫、テニス部女子をなめないでくださいね!」

 遠心力で、2人で上手にバランスを取ってティーカップのように回転する。

「じゃ、リバース!おお、さすが、夏美は脚にバネが入ってるみたいだね!」

「ありがとうございます!」


 子供たちがふざけあっているようなウォーミングアップが終わった。

「それだけ走れるなら、大丈夫だね」

「ライさんも、いつもデスクワークばかりかと思ったのに、ナイスですね!」

「おふたりは、何かスポーツの試合に臨まれてるようなウォーミングアップのご様子ですが、ダンスするんですよね?」

 と真凛が聞いた。

「もちろん!、夏美が目を回していなければ」

「大丈夫です。今からちょっとロマンチックな気持ちになるようにします」

 と夏美は笑った。ラインハルトも言った。

「そう、まるでオルゴールの中にいる小さな恋人達のように」


 そして長い足を引いて、深々と夏美に向かって一礼した。

 夏美は、差し出されたラインハルトの掌の上に手を預け、少し膝を曲げてまるで貴族の少女のように小さく優雅なお辞儀をする。2人は無言で同じように少し微笑みあい、アイコンタクトとラインハルトのリードで、きちんとホールドした。


 真凛は、息をのんだ。ほとんど完璧だ。これが初めて組んだ人同士なのだろうか。でも何か言った方がいいかな?

「あ、ほとんどきちんと出来ています。夏美、もう少し首のラインを左にええ、そう少しだけ。その方がきれいなラインがみえるので」

「ありがとうございます」

「僕は、どうかな?」

「ボスはさすがですよ。じゃ、斎藤さん。もう一度最初から、音楽お願いします」


 夏美は、驚いた。ライさんは、とてもリードが上手だ。子供の頃に行った教室の一番偉い年配の先生を思い出した。

 リードが上手すぎて、何もせずただその先生の手にホールドに従って足を交互に動かすだけで、誰もが正しいだろうステップを自然と踏んでしまうのである。知らないダンスであっても、足運びだけは踊れてしまうのだ。もちろん、ダンスは足運びだけではないし、女性パートナーも他に表現すること等はたくさんあるから、それだけで踊れたとは言えないのだが…。


 ラインハルトがそうっと「集中して」と囁く。

 小さく「はい」と夏美は返事をする。

 私は、今ライさんの恋人。彼が右回りを選択すれば右回り。右回りから左回りへの切り返しも、彼のリード通りに。

 ダンスを習いたての頃には、切り返しを間違えたくなくて、不慣れな相手の拙いリードをカバーしてあげたくて、次かな?ここかな?ってドキドキしていたのに。たまに相手からの合図があったと勘違いして、間違えて切り返しをしそうになり、ダンスを崩してしまったこともある。そして、先生に「夏美、先走らないで。もっと素直に。心を開いて」と注意された。

 何も考えたり、心配したり、無理な気遣いをしなくて済むって、なんて心地良いのだろう。踊りやすい点はもう一つある。ラインハルトは女性をリードして女性を最大限に踊らせて、あたかも自分は中心に立っているように外には表現しつつ、自分がさりげなく歩幅を広げて遠回りに移動して女性を疲れさせないようにしているようだった。

言葉を交わしていないのに、目を見交わしてもいないのに、ラインハルトの意思がリードで伝わってくる。それを受けとめて呼応し、回転動作を繰り返しているだけで、スカートも綺麗に広がってたなびく。ずっとこのまま踊っていけそうな気持がする。


 曲が終わった。夏美はこのエンディングを知っている。男性がホールドを解き、女性を一回転させ、横並びになって観客に向かってお辞儀をする。そして、深々とお辞儀をした女性を男性がさりげなくリードして立たせて、女性は彼の左肩に両手を置いて左頬に感謝のキスをする。

 それで終了!だったはず。

「ありがとう、夏美。嬉しいよ」

 ラインハルトがとても良い笑顔で紳士的に腕を差し出す。夏美も自然とエスコートに応じる。

「で、これで退場、と。…すごいよ、僕たちは完璧じゃない?」

 斎藤さんを始め、見守っていたスタッフが大きく拍手をしてくれる。

「素晴らしいですよ!…お世辞じゃなくて。いやもうすぐにでも、正式な衣装を着てもう一度踊っていただきたいものです!」

「真凛?、どうかな?え?」

「真凛さん…?」

 真凛が泣いていた。ハンカチを目にあてている。

「もう、すごいですー。ごめんなさい、すごく良すぎて、なんか最後泣けてきました〜。夏美は、すごいですね、完璧なデビュタントを。もうお二人が本物の恋人にしか見えなかったんですけど」

「真凛は最近、キャラ変わってきたよね、冷静沈着な真凛さんだったのに」

「真凛さんに褒めていただいて嬉しいですー。恋人みたいにみえるように演技してるので、本物みたいって言われるのが、最高の褒めことばなんですもん。こちらこそ、ありがとうこざいます」

「うん、僕も思わず、僕達付き合っていたんだと誤解して夏美にキスを返そうかと思ったよ」

「本番では、その演出を入れていかがでしょうか?…ラインハルト様のためにも」

 機材の陰から、黒髪ロングの長身のイケメンが現れた。

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