18 《選択の時に》 (4)
何かあったのだろうか?
夏美は、少し不安になった。
まさか間違えて、オブジェの下の方の、1階で待っているっていうことはないよね?
私が葡萄の房を見たがっていたのをわかってくれていたし。
ライさんが迷子になるわけはないと思うし…。
キラキラした緑色のガラス玉を組み合わせて、葡萄の房を表現したものが3階に飾られているが、それは1階から吹き抜けになった壁の一角に設置されており、オブジェからちょうど滝のように青灰色のタイル張りの壁に沿って、水が落ちている。
葡萄の房からしずくが滴り落ちるのを模しているらしい。下から見上げている時も夏美は思わず口を開けて見とれていて、気づいたらライさんが黙ってにこにこして自分を見ていた。
まるで保護者のように、
「そのままずうっとのけぞっていくと君は転ぶかな、と思って」
と背中側にいてくれたみたいだった。
1階ではそのオブジェのための滝壺みたいな池が作られていて、それをぐるりとベンチが囲み、数人が座っているのも見える。そこに座って上を見上げている人も多い。夏美はしばらく見下ろしてみたが、ラインハルトらしき人はいない。
もしかしたら自分が、自分自身が迷子なんじゃないだろうか。
今、私は栗色の髪と青い瞳の外国人で、さっきまで見ていた服と同じ服装をしている若い男性を目で探しているだけなんだと思う。迷子センターに行っても上手く説明出来るのだろうか。
そういえば私、ライさんのことを良く知らない。
実は名字?ファミリーネーム?もろくろく覚えていない。先日名乗ってくれていたものの、ホとフォが多すぎる名前だなーくらいにしか、関心がなかったのだ。
さっきまでガラス玉の造形に見とれて夢中になっていたはずなのに、夏美はどんどん不安になってきていた。博物館で別々に回ったりする時は全然平気だったのに、何故こんなに不安な気持ちになるのだろうか、ライさんのことどころか、自分のことが自分で良くわからない。
あんなにエスコートすることにこだわっていたライさんを疑うわけではないが、20分も来ないなんて。まぁ、先日のように交通手段がなくなったわけではなく、バスと電車の乗り継ぎで帰れる安心はある。
そうよ、もしもライさんに置き去りにされたら、私はバスに乗って帰れば、帰れるんだわ。
…じゃなくて、念のためにスマホを取り出して確認する。簡単なメッセージが届いていた。
「ごめん、芝生広場で木の上のバドミントンの羽根を取ってくる」
なぁんだ、と思って安心する。
私は本当に馬鹿だ、早く確認すれば良かった。
自分が携帯やスマホがあまり好きじゃないように、ライさんもまたスマホを使わないイメージでいたのだ。ちゃんと普通の今どきの人なんだ。瑞季とゲームをやっているような話も聞いていたし。自分は、外国の人にも馴染みがなかったし、ライさんがなんとなく浮世離れした感じの人だから、魔法使いか何かちょっと幻想的なイメージを妄想してしまっていたんだ、きっと。
誰かに頼まれたのかなぁ?ライさん、人当たり良さそうだから。
エレベーターホールの横からちょうど芝生広場を見下ろすことができる窓があるので、そこまで行ってのぞいてみた。
たしかに少し離れた場所の木の上にいるラインハルトらしき背中が小さく見える。服装が同じだから、たぶん間違いない。
それは、けっこう高い木のように見えた。下に向かって誰かに何かを言っているようだが、木の下の方までは、この窓からは見えなかった。それから、ラインハルトが何かを投げた。たぶん羽根をパスしたのだろう。
え?うそ?
あの高さからライさんは、下に飛びおりようとしている?
いくらなんでも、人間には無理な高さだってば。危ないからやめた方が、え?
跳んだ…!まさか、嘘でしょう?
思わず叫びそうになったけど、かろうじてこらえた。
夏美は、自分の顔が青ざめているのを感じた。心臓がドキドキしている。
それだけじゃない。
自分の身体の中から、あの時の宝珠の囁きが聞こえるような気がした。
……を守らねば…!
怖い夢を見て飛び起きた時の、あの気持ちを思い出してしまった。
そんなはずはない、宝珠はライさんが持っているはずだもの。
しかも、今日は持ってきていないと、さっき言っていたもの。
でも、身体が勝手に震えてる。どうしよう、私、またライさんに飛びかかったりするのだろうか。落ち着かなくては。
大丈夫、私は普通に冷静な振りをして、エレベーターのボタンを押している。
夢の中じゃなくて、ちゃんと現実にいるって私はわかっている。
たぶん、ライさんは大丈夫。心配し過ぎるのはやめよう。
ここからは木が高く見えたけど、何か土手みたいなところに飛び移っただけ。もしも何かあったら、大騒ぎになるはずだもの。
それに、あの跳び方は…。
おっかなびっくりとかお試しとかじゃない、普通に着地が出来ると確信を持って跳んでいたみたいだ。そう、わざと勢いをつけて跳んでいた。
遠くから小さな背中を見ていただけなのに、彼がドヤ顔というか、傲慢な笑みを浮かべているような気がしてならない。
こういう俯瞰で、誰かを何かを心配していたような気がする。その誰か…その人は…。
だめ、考え過ぎちゃだめだ、今日が平日で本当に良かった。
上がってきたエレベーターは、幸い誰も乗っていなかった。周囲には誰もいないし、誰かに心配をかけたりしなくて済みそうだ。
胸がドキドキする。そのドキドキがエレベーターの中で響いているように感じるが、感じてない振りをする。目を閉じて深呼吸しようとしたが、何か聞こえる。否応なく以前見た夢の中の会話を思い起こさせる。
押し殺したような数人の緊張した声だった。月も出てない闇夜、音を立てぬように彼らは旅支度をしている。
あのお方は、竜を討伐に…やはり!
あの槍の構え、急降下しての突き、どうしてもっと早くに…
忌むべき『竜殺し』だったとは、まさに…仇ではございませんか!
宝珠を守らねばなりません。ご決断を…
お願い、違う話にして。出来れば宝珠なんて出てこない、違う話を妄想させて。
何か流行りのお笑いネタがなかったかしら。すごく笑えるやつがいいんだけど。
夏美は、建物の玄関ドアから慌てて飛び出した。
2人の子供を連れた母親とラインハルトがのんびり会話しつつ、こちらの建物に向かって歩いてくる。
ラインハルトがすぐに気づいてくれ、手を振ってくれた。
「あ、夏美だ!…あれ?また君は、走ってるの?」
「こんにちは!」
母親が快活に挨拶をしてくる。
普通の日常、だ。
それがなによりも自分を落ち着かせてくれて、嬉しい。夏美はほうっと息を吐いた。が、次の瞬間、帽子の下の若い母親の顔を間近に見て驚く。
「こんにちは、って、真凛さん?」
先日会った後藤真凛さんが、パーマ髪をくるくるさせて、ちょっとふくよかになっていた。
「あ、ごめんなさい、真凛の妹の花梨の方です。初めまして。さ、ほらお姉さんにご挨拶を」
「優奈です、こんにちは」
「…翔太だよ!」
「あ、こんにちは、松本夏美です」
良かった、私は、普通の顔をして普通に喋っている。
ふだんの仕事上で培われた鉄壁が、私を守ってくれている。
明るくてじりじりと熱い太陽の光が、闇をあっという間に払ってくれた。
宝珠の囁きももう聞こえない、耳鳴りすらしない。もう大丈夫。
私がしっかりとしていたら、たぶん大丈夫。
明るい親子の声が心地よく響く。
「すみません、お邪魔をしてしまって。
バドミントンの羽根を、打ち上げてしまって『諦めて帰ろうね』と言ってたんですけど、翔太がなんと!うちのボスを見つけたので、図々しくも羽根を取ってもらっていたんです」
「ママがねーあのねー」
「ママが、いきなりドカーンって打ったの」
「うー、ごめんなさい。ママ、下手なんだもん。デートのお邪魔をするつもりはなかったのに」
「いえいえ、真凛さんと花梨さん、本当に似ていますね、髪型を変えたのかと思いました」
「真凛も花梨も、うちの会社の人なんだよ。夏美は真凛の知り合いなんだって?」
「皆さん、同じ会社だったんですねー、先日真凛さんにすごくお世話になってありがとうございました」
「ねぇねぇ、お姉ちゃんが、にーにのカノジョ?」
「わぁい、カノジョ!」
ラインハルトも夏美も花梨も、顔を赤くして慌てる。
「優奈、翔太!、ごめんなさい、もうー、そういう話、子供って大好きで」
「ごめんよー。にーに、振られちゃったんだ(笑)。また応援してね」
「!…ライさんてば」
「にーに、頑張れ!」
「…頑張れ!…振られちゃったって、何?」
「あのねーお耳貸して。内緒で教えたげる」
ごにょごにょし始めて子供たちは話をそっちのけで、くすぐったがったりしている。
「うー、もう本当にごめんなさい。さ、もう行くよー。お弁当を食べるのが遅いと、もう遊ばないで帰るよ。遊具いっぱいのとこまで行かないからねー!」
「えー⁈、またね、お姉ちゃんとにーに」
「お姉ちゃん、今度かけっこしてね」
「すみません、失礼します」
賑やかに3人は建物に入っていってしまった。
「夏美、ごめんね、お待たせしてしまって。メール見てくれていた?
でも、可愛いだろう、花梨の子供たち。たまに僕が、遊んでもらっているんだ。
真凛と花梨と夏美が知り合いになるなんて、本当に良かった。
ちょうどうちのスタッフもパーティに出るし、何人か交代でダンスレッスンも一緒にやるから、よろしくね」
「…あ、はい。こちらこそ。賑やかになりそうですねー」
「じゃ、靴屋さんに行こうか?」
「ごめんなさい、一度私、トイレに行ってきても良いですか?」
「あ、そうだね。僕も手を洗わなくてはいけないな、じゃ、あの滝壺みたいなところのベンチで待ち合わせしよう」
夏美は、そうっとラインハルトのスラックスと靴を見てみた。特になにもついていない。あのスピードと高さなら、靴が地面にめり込んだかもしれないと思ったのに。何事もなかったように歩いている。
目の錯覚だったのかもしれない。妄想と夢をごっちゃにして思い出したりしてるのかもしれない。やっぱりそばに何かあって、安全に飛び移っただけだったのだ。
大丈夫かな、私。心の中でドキドキは続いていた。でも、宝珠の囁きは聞こえない。ライさんにも誰にも飛びかからないで済んだことに、夏美は心からほっとする。
ライさんに相談してみようか。
先日は宝珠のことを調べていると言っていたし、でも、またややこしい話をしなくてはならなくなる。それを説明する勇気が出ない。
ライさんは心配して、根掘り葉掘り聞いてくるかもしれない。夢の話もしなければならなくなる。ライさんのことを心配してスイッチ?が入りそうになったなんて、思いっきり誤解をされそうだ。
思い出した夢の断片をちょっとずつ小出しにして、質問すればいいのだろうか?
自分でも全く繋がらないのに。ジグソーパズルのピースが、しかも全部が揃っていないだろう状態で、一緒にはめて絵を作っていく作業なんて、とても頼めない。
自分がさっき得意げに説明した作戦を実践できる勇気は、やはりない。
ベンチに座って待っていてくれたラインハルトが立ち上がって、夏美ににこりと笑いかけた。自分も笑顔を返してそばに走り寄る、当たり前のように。
何か、かすかにちくんとする…。小さな違和感。
車でずっと2人でうざい話をガンガン話している時には感じないのに、2人少し離れてみたり、そばに戻ったりする時、何か違和感を感じるのだ。
この人はいったい誰?
ライさんだ。今日出かける約束をして待ち合わせて、一緒に出かけてきたライさんだ。
でも、本当は?
ライさんの言う『真の姿』の話が、今ごろ気になってくる。
ライさんは、どんどん夢の中の人に似通ってみえる。
ううん、違うと思う。違うはずだ。
私がライさんに会って友達になったから、夢の中に出てくる違和感のある外国人ぽい人がみんな、ライさんに似てきただけなんだ。確か、夢の中の人は、ラインハルトという名前ではなかったと思う。
大丈夫だ。
この人は、普通にライさんなんだと思う。それでいい、むしろそれだけでいい気がする。
車に乗って発進させてから、ラインハルトがいきなり聞いた。
「夏美、何かあったの?」
「いいえ、何も」
「さっきから少し変だよ?僕、お弁当に毒は入れなかったはずだけど、もしかしてお腹が痛くなってきた?」
「あ、全然です、大丈夫です。美味しいお昼だったのに、そんなこと言わないでください」
「うん」
第3駐車場を出たばかりなのに、ラインハルトが第1駐車場に車を停めた。
「?」
「ちょっと待ってて」
ラインハルトは一度降りて、後部座席に置いておいたイルカのマスコットを取って助手席の夏美に渡した。
「この子をまた抱っこしてあげていてくれないかなぁ?」
「ライさん…?」
「この子には、すごい癒し効果があるんだよ。信じて」
「ありがとうございます。…心配しないでください、本当に」
「僕が原因?て、ごめん、しつこく聞いたりして。じゃ、スタートするね」
少し会話の間が微妙にあいて、夏美は、やはり違和感みたいなものを感じてしまう。
もしかして、ライさんと私は、もっとも大切なことを話せていないのだろうか?
さっきあんなに真の姿の話やら、人間関係の話やら作戦やらで盛り上がって話していたというのに。言いたいこと、聞きたいことを選び間違えないようにして、緊張しているような気がする。
「T市方面へ出ればいいんだよね?」
「はい、わざわざすみません。靴屋さんは、私の勤めてる本屋が入っているスーパーにあるんですけど、わかります?」
「うちの会社の近くだから、道はわかるよ。少しかかるから、寝ててもいいからね」
夏美は、小さく笑った。
「ん?」
「ごめんなさい、私、どれだけ寝る人かと思われてるのかと思って(笑)。なんか可笑しくて。どうせ瑞季と遥が言ったんでしょうけど」
「1日寝ていることもあるらしいように聞いてたので」
真面目にラインハルトが答える。
「スマホをあまりチェックしないので、返事が遅れただけですって」
夏美は2人の友人が大げさに言っているところを想像して微笑んだ。
「うん、今はちょっと元気な感じになってきたね」
「ライさん、すごく心配してくれてるみたいなので、本当につまんない話なんですけど、白状しましょうか?私」
「うん。嬉しいよ、君が一枚カードをめくって見せてくれるみたいで」
「カード?」
「ああ、ごめん、今さっき考えついたことなんだ、それはあとで説明するよ。今は、夏美の話が聞きたいな」
「私ね、実はライさんがさっきすごく高い木の上から飛び降りたのを見たので、びっくりしたんです」
「ええっ?僕が落ちたと思った?夏美、いったいどこで見てたの?」
「3階のエレベーターホールの窓から見えたんですよ。すごい勢いで自分から跳んでいたので、ちょっと怖かったんです。絶対に怪我すると思って」
「ごめん、すっかり驚かせちゃったみたいだね。でも、たぶん、それ目の錯覚かもよ?そんなに高い木じゃなかったんだから」
「ええ?、そうだったんですか?」
「うん、全然だよ。下でみんな、普通に笑っていたもの。
翔太たちに見栄を張って飛び降りただけ。馬鹿だろう?
こんなんだから、親戚のおじさんたちにいつも進化していない猿のように思われてるんだよ。
それで夏美は、あんなに青い顔をしてたの?
結局、僕が原因か…ごめんね、レディが見てる時は、自重するからさ」
「あー、いいんです、私が勝手に驚いて、でも…驚き過ぎたからなのか…あの、」
「うん?」
「あ、いえ、あの、…あの跳び方で無事に着地できるのかなぁって…」
「全然、大丈夫だったよ。誰でも普通に降りれる高さだったさ」
ライさんは、話に納得してホッとしたように夏美には見えた。
つい、宝珠のことを言わないように避けてしまう。この2人だけの空間の中で宝珠の話をする勇気は、やはり出ない。まして、ライさんは運転中なんだし。これ以上心配されてしまうのも困る。
「夏美、それだけだった?事情がわかったら、怖くはないでしょう?」
「ええ、安心しました。ごめんなさい、私の目の錯覚で良かったです」
「うん」
「そう言えば、さっきの、カードを一枚めくるという話をしてくれませんか?」
「そうそう、午前中に話してた作戦のやつね。
いきなり深い重い話をするんじゃなくて、話を小出しにしてちょっとずつ関係を深めて相談するという、夏美の教えてくれた作戦の続きなんだけど。それを具体的なやり方にしたいなと思って考えていたんだ、頭の片隅で。まだ一つの例え話を思いついた程度で固まってないんだけど。
僕は、人間関係ってトランプゲームに似てるみたいに思えてきたんだ」
「トランプ?」
「みんなが配られた自分のカードを持って勝とう、負けたくないって思ってトランプ勝負をしているイメージだよ。
誰にもカードを見せないようにして、トランプをするよね?」
「ええ、見せたら自分が不利になりますからね」
「そう。だから、僕たちはそれぞれトランプカードを持って毎日を過ごしているんだけど、どこが勝負の時なのか場なのかわからずに人生というゲームを続けているようなイメージなんだ」
「生まれてきたその日にカードは配られているということですか?気づかないうちに持っているカード、出来れば運に恵まれて、良いカードばかり持っているといいけど」
「うん。そういうの、絶対に運が左右しそうだよね。
でも、カードゲームでも、互いにペアを作ってテニスのダブルスみたいに勝負するものもある。
協力しあいたいとか仲良くしたいとか、相手のことを知りたい時に、カードを1枚づつ見せ合ったりするんだ。自分だけ勝とうとするのじゃなくて、仲良くなれそうな人と一緒にゲームメイクしていく感じかな」
「なるほどー、なんとなくわかります」
「だから、そもそも全然気が合わないだろうとか、協力し合えなさそうな人同士はカードを見せ合ったりはしないと思う。
でも、気があうかもしれないなって思う人にはちょっぴり勇気を出して、自分のカードを一枚づつめくって見せたりするんじゃないかなと思ってね。
だから、相手に知ってもらいたいことを小出しに話したい時のが、ちょうどカード1枚めくってみせる感じかなぁと思ったんだよ。
『カードを一枚めくって、あなたに見せてもいいですか?見てもらいたいんですけど?』みたいなイメージだよ」
「あ、そうですね。相手は、見たくない場合は拒否もできますか?」
「もちろんだよ。さっき、僕は切り札を一枚切ろうとして、誰かに拒否られてたもん」
「ごめんなさい」
「大丈夫、夏美の当然の権利行使だよ。それでいいんだから気にしないで。ちょっと例として言ってみただけだから。
で、逆バージョンなんだけど。
相手のことを知りたい時もあるよね。
友達がなんかしょんぼりしているように見えたら、さっきの僕みたいに心配で、つい『どうしたの?何かあった?』って聞きたくなると思う。
でも、あまり聞いちゃいけないかもしれない時だってあるだろうし。もしもどんなに仲良しでも、本人が知らせたくないこともあるかと思うので。お互いに困るよね?
だから、そういう時は相手のカードを見せて欲しいって感じだと思うんだ、だから『あなたのカードを一枚めくって私に見せてくれませんか?』ってお願いしてみたりするといいのかなと思ったんだけど、どうだろう?」
「相手はカードをめくって見せることを拒否してもいいんですか?」
「うん。拒否しても、ごまかしても、あえて嘘を言ってもいいと思うんだ、僕は」
「嘘を言ってもいいんですか?」
「そうだよ。基本は個別にカードゲームをしている別々のプレイヤーだもの。
よほど一心同体なら運命共同体でもいいけどね。いくら友達でも別人格なんだし、駆け引きがあっていいと思うんだ。
『カードを見せて』って頼まれても、えー嫌だな、見せたくないなって時には、選択肢が多い方がいいじゃない。
つい、正直に答えるか。真顔で嘘をついて騙すか。うやむやにごまかすことにするか。拒否して口をつぐむか。なんでそんなことを聞くんだとケンカしてみるか。色々な答えがあっていいし、選択肢は無数にある方がいいなと思う」
「はぁー。私はなんでも一応信じてみるんですけど、そういうのってすごい損な人かも。嘘をつくのも下手だし」
「いや、君は演技力があるから大丈夫なんじゃない?
どうかなぁ、こんなんで互いに理解するのが深まるだろうか?」
「具体的には何も思いつきませんが、良さそうな気がします。というか、例え話的にはわかりました。小出しにする話がカード一枚分って思うってことですよね。
誰かに何かを聞いたり話したり、それがすごい重要な話ってなると構えてしまうけど、カード一枚分と思ってみたら、話したり聞いたり拒否したりすることも少しハードルが下がるかもしれないですね。
コンサートでクラシックの曲15分よりも、カラオケで1曲だけ歌う、みたいな重みの違いというか。
私、今度ライさんに何か聞きたくなったら、試させてください。
うーん、そう思うと、何も思いつかない(笑)」
「そんな、いきなり良い具体例を思いつかないよ、僕も(笑)。
でもね、僕も夏美に何か聞きたくなったら、『そのカード、見せてくれませんか?』って 聞いてみるから。
言われた方だってさ、割と気軽に断りやすいと思うんだ、心理的に。
そうなると、結果的に断られた方も気軽かもしれない、少なくとも『あんなこと聞いちゃって悪かったかなぁ』の心理的負担が軽くなる、気がする」
夏美は、一生懸命に疑問に思っていることを思い出した。
「あの、えーと『竜殺し』って何のことだかわかります?」
ラインハルトが声をたてて笑った。
「それ、思いっきりただの一般的な質問だよね(笑)。
えーと、ドラゴンキラーとかドラゴンスレーヤーの話がしたいの?人のこと?武器?ジョブ?
夏美も何かロールプレイングゲームをしたりするの?」
「あー、私が質問したのに質問が返ってきた。ライさん、ズルい(笑)。
えー、私はゲームはあまりしないかなぁ、って私、何も考えずに普通に答えちゃった(笑)。嘘をつくという選択肢を思いつかない」
「ドンマイ、夏美(笑)。ごめんごめん、どのゲーム寄りの説明をしようかと思っただけ。ゲーム上の設定ではないとしたら、たぶん。
『竜殺し』は、西洋の文化の言葉を翻訳したものだと思うよ。もともとの日本語ではないでしょう?」
「わかりません、私は生粋の日本人ですけど。耳慣れない言葉です」
「西洋では竜はドラゴンを指す。そしてドラゴンは悪魔まで含めて、どちらかというと凶々しい、悪いもの全般を指す。だから、退治しなければならない対象になる。
『竜殺し』はドラゴンを退治する人とか職業、それか退治用の武器を指した言葉なんだ。
それで意味は合ってると思う。
他方、日本とか東洋の竜、龍は神秘的な生き物で必ずしも邪悪じゃなくて、およそ神さまに近い存在でもある。貴重なものや人物への尊敬を込めて竜、あるいは龍の字を付けたりする。
だから、東洋ではそもそも人間が殺したり退治したりする対象ではないので、『竜殺し』はもともとの日本語ではないと思う。外国人の僕が決めつけてはいけないけれど。
まぁ、ゲルマン民族の伝説上ではドラゴンと闘ってやっつけるというのが、いわゆるヒーローだからね。なにかのお話で、そんな用語が出てきたの?」
「あ、いえ、たまたま誰かが言った言葉が耳に残っていたので、そういう職業があるのかなぁと思って。詳しい解説をありがとうございます。
ライさんは、ドラゴンを見たことがありますか?」
「あ、うん。
うそうそ、夢の中でね、ドラゴンや龍が出てきてくれた。
現代社会ではなかなかお目にかかれないと思うよ。でも、ドラゴンも龍も、僕は居て欲しいと思う。本当にすべて滅びてしまったなんて思いたくないんだ」
「ライさんのさっきの話では、西洋では竜というかドラゴンは悪い生き物なんでしょう?それでも滅びていて欲しくないんですか?」
「うん。うちの地方では武術訓練をちゃんとするんだ。そんな時、小さなドラゴン、例えばワニとかのサイズを想定しての1対1訓練とかあったり。大きなドラゴンに数人がかりで闘う想定のチーム戦訓練も行われるよ。昔は、大きな災害の原因のように思われていたからね。いつドラゴンと戦うかわからないみたいに、まぁ防災訓練だね。
『もうドラゴンなんて、とっくの昔に滅びたさ』って良く言われるけど、僕はありとあらゆる生物が存在していて欲しいので、未だにドラゴンの存在も信じているから、訓練も大真面目にやっているよ。だから、滅びていて欲しくないんだ。
矛盾するかもしれないけど、共存したいと思うから、ドラゴンだからといってむやみに殺したくはない。戦って殺す訓練をしているくせにね」
「じゃ、ライさんは、目の前にドラゴンが出現して火を吹かれても我慢するんですか?」
「え?じゃ、試しに僕のカードはめくらないで、回答保留で」
「何それ(笑)保留までありなんですか?
すみません、今、話に夢中になっていて、カードをめくるイメージのさっきの話を忘れかけてました」
「せっかく、今日から僕は、《人間関係トランプカード理論》を打ちたてようと思ってたのに(笑)。賛同者がゼロのまま。まぁ、いいや。こんなぐちゃぐちゃの話をしているうちにきっと何か掴めるようになる気がするんだ。
それはそうと。保留しておいた回答をするよ。
ドラゴンに火を吹かれたら、さすがに防御するし、自分や誰かが殺されかけたらもちろん戦って、自分たちが生き延びるためにドラゴンを殺すのだろうけど。
僕のご先祖様がね、すごく頭の良い錬金術師で、沢山の発明をして時代の先端を走っていた人だったんだけど、最後に『一番大切なものは自然だ。神が多様なものを揃えて用意してくださっていた』と言い残してたらしくて。光も闇も神のもとにあるとの思想をもともと持っていたその人を尊敬しているし、僕も子供の頃からそう考えている。ドラゴンすなわち悪、と判断されるとしてもまずは共存できるかどうか考えたいんだ」
「そうなんですか。
じゃ、ライさんは、夢の中であったドラゴンとか龍とかを殺さなかったんですか?」
「うーん。すごい質問だね。
僕の心の奥にしまってあるカードをめくるべきかめくらないべきか。
聞きたい?」
「えーと、かっこいい話ですか?つらい話ですか?
かっこいい話なら聞きたいけど…」
「つらい話は聞きたくないよね。
残念ながら、嘘かごまかしを足しても僕自身の話は、かっこいい感じにはならない。
あ、そうだ。
僕が夢の中で、最強の『竜殺し』に会った話をしてあげようか。到着まで時間もありそうだし。
そのお方は、僕の守護天使さまで、とにかくかっこいい。たぶんその方が一番ドラゴンを退治しているし、その絵も世界各地にたくさん残っているよ。
逆に、僕の役はただ震えてる、かっこ悪い役」
「ライさんも怖い夢を見るんですね」
「うん、もうしょっちゅうだよ。
あと、その夢は、うちのおじいちゃん軍団からは、『お前は聖書の一節をそのまま夢に見ただけだ』と散々な言われようのパクリ疑惑な話なんだけど、僕は実際、夢に見たとしか言いようがない。もしも夏美がクリスチャンなら、嫌かもしれないけど。
ま、ちょっとファンタジー仕立てのお話が好きならば」
「私、クリスチャンじゃないし、小さい頃からお話を聞かせてくれる人は大好きです」
「よし、良いことを聞いた。ポイントを稼いで、好感度をあげておこうっと」
♣︎♣︎♣︎♣︎♣︎
僕が、守護天使さまに固く言いつけられていたことはどうやら
『水の中に入るな』
ということだったらしい。
理由は良くわからない。バスタブの中、プールの中、温泉の中に入ってもいけないのか良くわからないので、現実生活ではしっかり入って浸かっている(笑)。余談だけど、日本に来たので、銭湯に行きたくて仕方がないんだよね。ま、いいや。
とにかく、そのお方の出てくる夢の中では、何故か僕は、たいてい水の中にどっぷりとはまっていることが多く、かなりの頻度で溺れている設定でスタートというのも多くて、ものすごい勢いで船の甲板に引き揚げられたりしたずぶ濡れの状態で叱られるというようなパターンが多い。
え?おねしょしてるんだろうって??
そんなことはないよ。物心ついた時にはたぶん、もうおねしょはしていなかったと思う。
船の甲板に引き揚げられた時の夢の話なんだけど、僕は本当に幼い子供状態だった。他に子供は見当たらなくて、大人ばかりだったと思う。一人で甲板で遊んでいて、そばでは誰か他の人たちが差し向かいでチェスをしていたんだ。
で、船が揺れてチェスの駒がたくさん海かどこか知らないよ、水の中に落ちていった。
青い衣を着ていたひと?が『そのままにしておきなさい』と言ったんだけど、それと同時に僕はもう水の中に飛び込んでいたんだ。
上等の駒でね、ナイトもキングもクィーンもきちんと人物が彫られていて悲鳴が聞こえるような気がしていたんだよ。
僕は泳げるはずだし、水中で目を開けたら、目の前にクィーンやキングが見えている。一瞬、楽勝だと思った。でも、緑色の水はねっとりして重い水だった。想定してた普通の水じゃ、全然なかったんだ。自分の手足は思うように動かせず、徐々に僕の身体を静かにゆっくりと底へと引き込んでいくような水の重さに絶望し始めた。
するとあっけなく身体がポーンと甲板に引き揚げられ、投げ出されたから、僕は慌てて起き直りその方の前でかしこまっていた。
そんなことをなさるのは、あの方しかいない。夢の中で不思議な確信があった。
おっちょこちょいで弾かれたように飛び込んでしまったから、確定的に言いつけを破ろうと決めたわけじゃないけど、とにかく言いつけを破ってしまったんだ。間違いない。事情を説明して謝ろうかと思うけど、それは言い訳に過ぎないということはわかっていた。
怖くてずっと下を向いていた。でも、ま、不快かもしれないけど、一応説明しておくと、我慢出来ずに口からダラダラ水を吐いちゃってたけど。かなり水を飲んでいたらしい。惨めだった。
優しい方がどなたかとりなしてくれているようすだったけど、頭の中で声が聞こえてくる。不機嫌そうな声で。あのお方は口を開いて話すって感じが全くしないんだ。用があれば、直接本人に話しかけるんだろうね。
《お前は、たった一つの言いつけも守れないのか》
そして更に言ったんだと思う。
《お前は、誰かを救えるとでも思ったのか、その手で。その力量で。
思い上がりにもほどがある》
確かに、そうだった。僕は口の中でもごもごと「申し訳ありません」くらいを言うだけしかなかった。下を向いていたのと、めそめそしていたので、どんなお姿だったかもわからない。そのお方は断罪をする役目を持つ天使だから、罰を与える剣と罪を量る天秤を持っているはずだけど、その時はそれも見ていない。ただ、剣よりも天秤の方が一層怖くてならなかった。憧れてる大天使さまに自分の駄目さ加減を指摘されたみたいで、辛かったけど、まさしく真実でしかないんだからね。
悲しいけど僕は水の中を漂う、沢山の駒の一つのどれとして掴むことが出来なかった。
僕の目の前を、僕の指の先をすり抜けていくキングやクィーンの駒と、何度も何度も目があったのをいつも思い出すんだ。
僕が絶望しているのと同じくらい、いやそれ以上に彼らの表情は絶望感に満ちていた。何を意味するか大天使さまに言われなくとも僕は、わかっていた。
『助けて欲しい。来てくれたことは嬉しい。でも、お前ではな…』
「あー、夏美、ごめん。設定を説明しているだけで駐車場に到着してしまったよ」
「ドラゴンが登場する前なのにー?」
「手短に、ドラゴン出てー。大天使さま来てー。ボカスカボカスカ、はい、ドラゴン退治完了!、でどうかな?」
「ライさん、200ポイントマイナスしますよ?」
「わかったよ。他に話題がなければ、焼き鳥屋さんで続きをやろうか。なんか僕がかっこいい夢、なかったかなぁ…」
最強の竜殺しである大天使さまの話が途中でしたが、「23」で語られております。宗教観もフィクションですので、ご了承ください。(11月24日)




