15 《選択の時に》 (1)
「家の前まで迎えに行くよ?」
とライさんは言ってくれたけど、近所のおばさま達に見られるのも恥ずかしいので待ち合わせを駅前にしてもらった。今はそのことを少し後悔しながら、夏美は足早に歩いている。
最近、車の移動が多かったので、夏の日差しがこれほどキツイと感じていなかったのだ。
暑い!
10分歩くだけで汗が噴き出てくるなんて。
出がけにシャワーも浴びたのに!
自分はいつも化粧っ気が無いから、少しは愛想をしようかと思って?化粧もしたのに!
はー、どうして私はいつもギリギリな時間で行動してるんだろう。
涼しい服装をして出たはずなのに、少しは年頃の女の子らしい格好をしているはずなのに、部活でテニスをしている時と変わりない自分に苦笑する。テニス部を引退して約3年かー。大人になったというより、退化してしまった気がする。
まぁ、「色気のない女の子だなぁ」ってライさんに思われても別にいいやと開き直り、タオルハンカチで汗を拭きながら、歩く。
駅前駐車場に入った途端、入り口付近に停めてあった白い乗用車のドアが開いて
「ありがとう、夏美。わざわざ走らなくても良いのに。僕を呼んでくれたら、途中ででも拾ってあげるのに」
と笑顔のライさんが立ってきた。
「いえいえ、ごめんなさい、お待たせしました。…私、汗臭かったらごめんなさい」
「ううん、全然大丈夫だよ。さっそく出発してもいい?駅に何か用事でもある?」
「あ、無いですけど…」
「じゃ、行こうか?」
ライさんが、自分の車の前で立ち止まって夏美を見る。
「助手席が良い?それとも後ろが良い?」
「?、うーん、助手席が嬉しいかな」
わざわざドアを開けてくれる。
「ありがとうございます、あら?」
乗ろうとしたら、助手席に可愛いマスコットが置いてある。冷んやりクール素材と言われるような布で作られたイルカだった。
「ああ、それ、後部座席に投げて置いてくれていいよ、君が後ろに乗りたいって言うかもな、と思って前にどけて置いただけだから」
運転をし始めたライさんが、こともなげに言う。
「可愛いわ、抱っこしててもいい?おー、気持ちいい♪
それよりどうして私が後ろを希望するって思うの?」
「この間、君が、休日は昼まで寝てるって言ってたから。
今日も博物館まで1時間くらいかかるからさ、本当は寝ていきたいかなと思ってね、それなら後ろの方が楽でしょう?」
「えー、そんなに気をつかわなくてもいいですってば。あ、これ本当に冷んやり気持ちいいし、柔らかくていいですねーって、私の腕の汗をつけちゃってるかもですけど」
「良かったら、そいつを持って帰ってくれる?
会社のメンバーでたくさん取ってきちゃうのがいて、今うちの会社では、里親募集中のぬいぐるみみたいなのが増えて、収拾つかないんだ」
「こんなに可愛いのにいらないんですか?じゃ、遠慮なく帰りに貰って帰りますね」
「ありがとう、助かる。まだまだいっぱいあるんだよ。これでも今日この車から3匹くらい下ろして置いてきたんだから。
あ、冷房が効き過ぎとかだったら遠慮なく言ってね。ごつい車だと可愛くないから、会社の車を借りて来たんだ。
女性が好む空調とか、よくわからなくて。遠慮しないで言ってよ?」
車はスムーズに駅前を通過していく。
もしかしたら、世の中にいる私以外の人は全員みんな運転が上手なのかもしれないと、夏美は思った。
「はい、今はちょうど快適ですよ。ありがとうございます。
また困ったら、言いますね」
「夏美は…最近は良く眠れてる?怖い夢とか見てない?」
「大丈夫ですよ。おかげさまであれから怖いよりも、可愛らしい夢を見たりとかしています。夢の話を聞いてもらったのが良かったのかな、天使みたいな人が湖の側で穏やかにフルートを吹いていたりとか、きれいな夢ばかり見ています」
「そうなんだ、良かった。悪い魔法使いの僕の出番はもうなかったのか(笑)」
夏美は笑った。
「はい、魔法使いもお守りの宝珠も出番無しです。
ライさんは、今日もあのお守りを持っているんですか?」
「あ、いや、今日は忘れて来たかも。しまった、あれがあったらまた…夏美と良い雰囲気になれたのに(笑)」
「え?あー(赤面)もう忘れてください、ごめんなさい、そんなことはもうしませんって…でも」
夏美は動揺しながらも、少し驚いている。
どうしてだろう、私は今日、ライさんと会った時から、またあの宝珠の存在を感じている気がするのに。
最初に会った時、それから先日の『Azurite』で宝珠のそばにいた時、私もドキドキしているけど、宝珠も私に反応してドキドキしている気がするのに。
私を呼んでくれているわけではないけど、妖精の羽ばたく音がかすかに鳴るように、まるで宝珠のかすかな声が聞こえてくるみたいに。
それはとても微かな感覚で、そばに近づかないとわからない感じで。
そばにいても上手く心を遠ざけたら、そんなかすかな声なんかシャットアウト出来そうに思えたから、今日はライさんの持っている宝珠に惑わされないくらいに心の鎧を完璧に頑張ろうかと思ってきているのに…。
ライさんは、嘘をついているのかな?
ライさんは、あのお守りの宝珠を持ってきているのに、持ってきていないふりをしている…?
それとも…?
ライさんは…あの宝珠の存在を忘れようとしているの…?
「…?夏美? 冗談だから、笑ってよ。もしかして、怒った?」
「あ、いえ、怒ってはいないんですけど。ライさんが冗談を言ってるのはわかりましたし。そうじゃなくて。
ライさんが、この間、大切なお守りだと言っていたので、いつも持ち歩いているのかなと思ってたので…意外だなと思っただけです」
「ああ、そう思うよね?でも僕は気まぐれだからね、たまに首からロザリオ掛けてる時もあるし。いろいろなお守りがあるからね」
「そうなんですねー」
でも今、やはり何かを、私は感じているのに。
宝珠にようやく気づいた時の、あの最初の悲しいドキドキではなくて。
衝動につき動かされて、現在の持ち主のライさんに飛びかかってしまう焦燥感のドキドキでもなくて。
今日は、とても穏やかな性質のドキドキが、とても心地よくて。
心の鎧なんていらないくらい、穏やかなBGMみたいな感覚で。
湖を吹き渡る風にのって聞こえてくる柔らかな清らかな笛の音に自然と心臓の鼓動が呼応してシンクロするかのような。
もしかしたら、あの悲しい夢は、私が見ないうちにもう終わっていたのかもしれない。
私が夢で見た、役に立たない勇者じゃなく、誰かがちゃんとハッピーエンドにしてくれたのかもしれない。
私、疲れて爆睡した日に、ハッピーエンドな最終回の夢を見逃してしまったのかも。残念。
きっと、悪い魔法使いも退治されてしまったに違いない。
運転の合間にラインハルトが、ちらっと夏美の方を見た。その優しい瞳に夏美はドキッとする。
「あ、あの、何か?」
「いや、ごめん、さっきから黙っているから、そろそろ眠いのかなぁと勝手に思っただけだよ。遠慮なく寝てもいいんだからね」
妄想してたなんて、とても言えない(笑)。
「あ、いえいえ、大丈夫です。
そういえば、今日はライさん、少しハスキーボイスですね?」
「うん、ちょっと最近、遠吠えし過ぎてて」
「遠吠えですか、狼みたいですね」
「あ、良かった、狼みたいって言ってくれて。犬みたいって言われる方が多いけど、狼の方が、断然カッコいいものね」
「狼って、なんで遠吠えするんですかね?」
「一番多いのは仲間を呼んでる時だって。
『自分はここにいるよ』って知らせて、お互いに呼びあってると合流出来るんだって。賢いよね。すごく強いわけじゃないんだろうから、集団で狩をしたりする必要があるしね」
「本当は…ライさん、ただの夏風邪なんじゃないですか?
大丈夫なんですか?」
「あー、風邪はひいてないよ。ただ、…歌い過ぎたんだと思う。
この間、遥のロックバンドの練習を見せてもらったんだ。それがすごく良くてね、遥の歌も上手いし、オリジナルもコピーも素晴らしくて。で、僕のパーティにも来てくれる予定になっているんだけど、つい影響受け過ぎちゃってね。
そのあと僕も何かメッセージを伝えられるような歌を歌おうとして、家でムキになって練習してたら、声が枯れちゃった」
「ライさん、結構のめり込むタイプですか?」
「うん、そう。気まぐれのくせに、バカみたいに突進していくんだよなぁ。
遥の歌は、とても伝わってくるものがあってね。メッセージ性がある歌詞を表現して歌えるってすごいなぁって。感動したよ。オリジナル曲のサビの部分に英語で
『Call my name!』(私の名前を呼んで)
って言う繰り返しがあったんだけど、確かに大好きな人が自分の名前を呼んでくれたら、凄い魔法がかかるのかもしれない」
「遥はとても歌が上手いんですよ。そうか、ロックバンドの活動をまだやってたんですねー。最近では、私はコンサートとか呼ばれてないから、今から聴くのが楽しみです。
ところで、魔法はかかるんじゃなくて、解ける方が多いんじゃないですか?
『眠り姫』とか『白雪姫』とか物語はたいていそうだし」
「なるほど〜!最初、悪い魔法使いが出てきて、呪いや悪い魔法を主人公たちに先にかけておくんだね(笑)」
と、ラインハルトが切れ長の瞳でいたずらっぽく、ちらっと夏美を見る。
「そう、ライさんに似た顔をした悪い魔法使いがね(笑)。そして物語が始まって、勇者か正義の味方が現れて魔法を解くんですよ、そしてハッピーエンドで終わるんです」
「あー、でもさ、ハッピーエンドの前に、ネタバレというか、主人公の真の姿が明らかになるのも多いんだよね。もちろんお話だから、真の姿の方が素晴らしくてって話になる。
バケモノだと思っていたら、実はナイーブな王子様が本当の姿だったり」
「そうそう、みすぼらしいアヒルの子が実は白鳥だったり」
「他にも何か良い例がありそうだな、でもそれ、絶対嘘だよ。出来過ぎ。
ほんとは逆だったりして。
うん、正直に言えば、真の姿の方がダメダメなんだ。
例えばね、魔法で強制的に眠らされていた時は、暴れることも出来ずにおとなしく美しい寝姿のお姫様だったんだけど、結婚して普通に王子様の隣で寝てると、寝相は悪く、いびきと歯ぎしりで、王子様は眠ることが出来ないとか(笑)」
「ひどいなー、ライさん。ハッピーエンドを台無しにするスタイル。
で、いびきと歯ぎしりするお姫様の結婚はダメになっちゃうんですか?」
「いや、広いお城に住んでるんだから、差し障りがない程度に、王子様とお姫様の寝室を別々にすればいいんじゃないか?
そこはお話し合いで一つ」
「お姫様はショックじゃないですか!
寝てる時のことなんて自分では知らなかっただろうし、良くわからないけど、好きな人にそんなことを指摘されて」
「うん、ショックだろうなぁ、自分でコントロール出来ない欠点だしね。
じゃ、王子様はお姫様にショックを与えたくはなかったので、ずっと痩せ我慢をして睡眠不足になりましたとさ、これでどう?
可哀想にお互いがお互いのことを思い過ぎていて、泥沼が長期化する」
ラインハルトのドヤ顔を横から見て、夏美は思わず笑った。
ライさんは、こういう話をする時が、一番生き生きして見えるんだから。
「ライさん、ひどいです(笑)。どんどん物語が悪化していますってば。
ずっと自分の欠点に気づいていながら、遠慮して打ち明けないで王子様が1人で我慢していたなんて、後で判明したらかえっていたたまれないと思いますよ?」
「今度、うちの社員の子供たちに会ったら、この話をしてやろうかな。子供たちにはさ、逆にこういうちょっとしたパロディ話、受けるんだよ。
『それ、違うもーん!』とか厳しいツッコミが入る」
「なんか楽しそうですね」
「とにかく、僕がまさに本当の姿の方がダメらしいから、他人事じゃないんだ。
僕が今日、博物館でデートするんだと言うと
『真の姿を見せたら即座に振られて、博物館に一緒に行ってもらえなくなりますからね、ねこを被っててくださいよ』
って送り出されてきたんだ。
というわけで、実は、僕は本当の姿の方がバケモノなんだけど、それを隠して普通にポロシャツとスラックスを着用して来たんだよ。家の中ではかなりひどい格好だけどね、楽だから気にしてない」
夏美は、おおいに共感してしまった。
「あー(笑)、わかります。それは私もそうですよ。
出勤する前にぐちゃぐちゃにドロドロに溶けている自分を人間の形に整えて、世間から見て驚かれない好感度の高そうな服らしいもの、を着て出かけるんです。それが本当の自分というより、世間から見ておかしくない松本夏美に化けているという。もちろん、今日もそうですよ。私の真の姿を見たら呪いがかかるのでお見せ出来ないんです。
今日は、一緒に行動するライさんにも恥をかかせてしまうと思ったから、一応可愛いトップスとスカートで」
「うん夏美、それ、凄く似合ってるよ」
「可愛いでしょう?、服がー。
良かったら、今度ライさんが女装する時に、お貸ししますよ?」
「わぁい、じゃ僕、次に赤信号で止まったら女装するから、今からさっそくそれ、全部脱いでくれる?」
「もうー(笑)、ライさんて、そう言うことを言う人だったんですか?」
「いや、ほんとはすごいシリアスな、かっこいいところもちゃんとある、はずなんだけど。
やばいな、調子に乗って話してると、僕の化けの皮がはがれるな、まだ博物館に着いてもいないのに。
こうなったら、返り討ちで夏美の化けの皮をはがしたいけど、どうだろう?」
「私はあざといので、絶対に鉄壁の防御で頑張りますもん」
「そうなのかー。ちょっと楽しみにしていよう」
「ひどいなー。それ、楽しみなんですか?」
「うん、誰だって、ちょっとずつネタバレしたい、白状したいってあるじゃないか。
夏美には、そういうの、無いの?」
「自分でも正視できない姿をバラしたいって気持ちですかー?
うーん、私には無いなぁ。それは怖いなぁ、怖過ぎですよ」
「例えばさ、すごい大きな悩みを抱えてるとして、友達に聞いてもらいたいとするじゃない。でも、出来れば相手に少し時間を取ってもらって、きちんと状況と背景を説明した上で、その悩みを聞いてもらいたいくらいの悩みなんだ。パパッと5分くらい聞いて表面的に口先だけで、
『それはそれは、本当に大変でしたねぇ』
って片付けて欲しくない悩みだとしたら、どう?
鉄壁の防御をしなくてはいけないというよりは、お医者さんの前でお腹を出すみたいに、自分の痛い所をさらけ出す必要が出てくるよね。
そういう風にしたい時ってない?
お医者さんみたいにプロフェッショナルじゃないけど、誰か味方になって欲しい人にさ、こうなったら勇気を振り絞って、このみっともない傷を見せて助けてくれるかどうか聞いてみよう、みたいな。
自分を全くさらけ出すことなく、上手く1人で悩みを解消できたり、厄介ごとを乗り切れたりするもんなのかな?」
夏美は困ってしまった。
それは、今の私にとって一番痛い話、かもしれない。