147 《地に平和をもたらしめよ》 (20)
「あら、それでしたらライさんは除外しておきましょうよ。
…たぶん武器を使う時に、《鏡》なんて出せないでしょう?
それに、ライさんが《鏡》を持ってるイメージが全然無くって…。
今までお聞きしている限りでは。
《鏡》は、日本側の人達の管理に任せていたのでしょう?」
「ええ、全くそうでした。
《鏡》の入った木箱に触れたりすることもなく、私どもに任せてくださっていたんです。たぶん、美津姫様や私どもの気持ちを尊重してのお振る舞いだったのでしょうね。
早急に自分のものにしようとしている感じは見せませんでした。
ただ、申し訳ないことに。
私ども…特に私などは、あの頃疑心暗鬼になっておりました。
最初から、宝物の最上位の《劔》を求めていらっしゃった訳でしたし。すでに失われていると聞いて、ずいぶんとがっかりなさっていましたし。
わざわざ中原まで赴いて、青龍王のお使いから許可までいただいてから龍ヶ崎神社においでになったのに。結局のところ《鏡》だけ確認できる状態でして、聞いてきた話とずいぶん違っていたわけで。
淡々となさっておられましたが、全く諦めておられないのを強く感じました。
最近では、少しぼやいてみたりとか…くだけた所もお見せになりますが、その頃は隙が無い感じでして。
お行儀が良く愛想が良く、そして完璧に振る舞おうとしていて、でも絶対に誰も心には踏み込ませたくないような…。へだてを感じてました。
ですから、ラインハルト様が私どもの在所に宝物庫を作り、私どもに管理を任せようとも、本心なのかわかりませんでした。いずれはこの方が宝物をすべて手に入れるだろう、勝手に使われるのだろうと思っておりました。
実際に。
あっという間にほとんどの物事が、ラインハルト様の都合の良い方に進んでいっておりましたから。
私は怖くてなりませんでした。
もともと魔法を使う人ですからね。自分の思い通りに物事が進むように、物や人をあやつるのに長けているのだろうと思いました。
宮司様や美津姫様がラインハルト様を信頼すればするほど、私がバランスを取らねばいけない気がしていました。
その後ご縁があって、私などは思いのほか長いお付き合いとなりまして…今は感謝もしておりますが、その反面、最初の頃はずっと眉唾もの、な気持でおりました(笑)」
「うふふ、眉唾って、あの、きつねとかに化かされまいとするおまじないね?」
「そうです、そうです。
いやぁ、嬉しいですな。今の若い方は古いおとぎ話のことなんて知らない方が多くて。
『眉毛に唾なんかつけてどうするんですか?』
とか、あしらわれてしまいますからね」
「でも…、やっぱり。
当時は、美津姫様以外の神社の神職の方が、回復術を使えたって話ですよね?
すごいですよね。
ですから、私、その方が術を使うためには《鏡》を持って行かなくてはいけないのかな、って思ったんです」
「なるほど、ああ、先ほどの質問はそういう意味で…。
すみません、そちらの方の説明が足りなかったのですね。
確かに…。
もちろん、…龍ヶ崎神社の者が、お供をしましたのです。
巫女姫様だけでなく、神職の私どもも術の基本を学ばせていただいております。
宝物庫をお掃除したり、宝物を運んだりすることも全員が当たり前に行いますのでね。
ごく初歩の心得を学びます。
ただ、もちろん、術には適性ということがありまして。
当たり前の話ですが、知識を得て教わった通りに致しましても…術が発動しないということが多いのです。
それが普通ですよ。
私などもそうですが、まれに初歩の範囲なら、しかも、最初の一つ二つなら出来そうだ、みたいな人間も出てきます。宮司様や巫女姫様レベルには至りませんが(笑)。
それから、術を使おうとする場合のことなんですが。
もともと、神社に伝わっている術は、龍神様におすがりして祈念しますのが基本でして。
必ずしも、お札や護符などを持たねばならない、とはされていませんでした。
巫女姫様なども、宝物をつねに宝物庫から持ち出さねばならないというものでもないそうです。
ただ…儀式などでは、巫女姫様が宝物を捧げて術を使うという形を披露しています。
たぶん、それはつまり、龍神様から術の源であり、最高峰の術が使えるように賜った宝物であるのを伝えるためなのでしょう。宝物が貴重だということがわかりやすいように。
美津姫様などはまるで寝ぼけたかのように、お寝間着姿で湖の湖面に浮いているみたいに立っていたりしましたよ。それこそ何も持たず、です。目をつぶったまま唇がかすかに動いているんですよ。
術の呪文みたいな…言葉があるので、それを呟いて、ええ、唱えているご様子でした。
自然体で、不思議な感じがしないんですよ。
力の抜けた寝姿を縦にしたように立っているだけ、みたいでした。
一般の方々がこんな情景を見たら、それこそ腰を抜かしかねませんし、今思い返してみても、自分でも本当のことだったかどうかわからないと思う位ですけれども。
ボートをそうっと出して宮司様と自分が美津姫様をお助けしようとしたことを何となく覚えているのです。
驚かせてしまっては、湖に沈むかもしれないと注意されてましたので、無言で、そしてなるべく音を立てないようにオールを漕ぎました。
それでも、たまに…
…ちゃぷんという波の音を立ててしまい、ドキドキしました。
そうやって。
かすかな虫の音に紛れて少しずつ近づいていくのです。
本当は、最短距離を進めば良さそうなものですが、遠回りに円を描いてその円を狭めていくような近づき方をしなさいと言われておりましたので、夢中に漕ぎました。
宮司様の緊張したお顔を見ないように。心を殺して、言われたことだけを一生懸命に。
夜でした。
そう、夜なのに。
月明かりに照らされて美津姫様が良く見えました。
近づくとねぇ、不思議なことに湖面にお姿が映ってるのさえ見えたんですよ。
波が邪魔するので、鮮明に見えた、とは言いませんけれどね。
一瞬の目の錯覚かもしれない位おぼつかない印象ですが。
逆さまにね、湖の中にもう一人の美津姫様が立っているのが見えたのです、水鏡のように映って。
まるで、美津姫様がお二人になったかのようで…。
あ、すみません、また話が飛びました。どうぞご遠慮なく遮ってくださって良いので…。
ええと、とにかく…そう、術を使うのに何かを持たないといけないわけじゃないのです。
ただひたすら心の中でご神体をイメージして術を唱えることが出来れば良いのです」
「そういえば、先ほど木藤さんも宝物を捜しておられましたよね、」
「ああ、そうです、そうです。
何も持ってはいないのですよ、さっきのは宝物を探索する術なのです。
ただ龍神様のお心におすがりして祈っているだけなんです」
「では、美津姫様がもしもお元気でいて、ご本人が望んだ通りに回復役として出かけることが出来ていたとしたら…、その最高峰の術を使うために宝物をお持ちになろうとしたでしょうか?」
「まぁ、…、なるほど確かにそれならば最高峰の術が使えるように思いますね。
司っている《宝珠》をお持ち出しになれば…。
あ、いえ、あの時は違いますね。
当時は…お身体の中に《宝珠》がある状況でしたので…持ち出す必要はないわけです。
むしろ、逆に《鏡》は危ないので…持って出るなんてことは出来なかったでしょう。
…。
そうです、二つの宝物を同時にお側に持つなんて…ことは。危ないです。
やはり《鏡》は、城の保管庫の棚に置かれたままの状態だったはずですよ。
《鏡》を有効に使える者は他におりませんでしたし、」
と、そこで言葉を飲み込んだ。
《鏡》は、《宝珠》とは役目が違うのだから、あっても無くてもそれほど回復術には関係ないと言おうか。
そこまで細かく説明するべきだろうか。
自分の…立場のこともある。
巫女姫になるわけではない夏美様に、あまり深い説明をしても…。
「そうですよね、《鏡》を司る巫女姫様は元々おられないわけですものね。
でも、不思議ですよね、…?
私、美津姫様が亡くなられた時のお部屋に《鏡》があったみたいだと、ライさんに聞いたのです。
どうしてなのでしょう?
いつ、保管していた場所から美津姫様のお部屋へと《鏡》が移動したのでしょう?」
「ええと、確かそうでしたね。良くご存じですね。
ちょっとお待ちください、大事なことですからね、確かな記憶を呼び起こさないと、」
といったん言葉を切った。
ああ、そうだった。
自分も出立時には、慌ただしくて《鏡》のことなど考えていなかったのだ。
確かめてもいない。
亡くなられた当時の、美津姫様のお部屋に《鏡》があることなどは、知らなかったのだ。
ずいぶん後から、聞いた話だった。
その時は、移動させた者を捜そうとも、責めようとも、考えなかった。
たぶん、美津姫様のご意思がなければ…誰もそんなことはしないはずだから。
危ない、いや…危険では済まないことをご存じの上で《鏡》を持って来させた。
その意味を深く考えることから、ずっと逃げていたのだ。
ああ、考えることから逃げても無駄だったじゃないか…
自分の意識が、自分の罪を暴き立てるのをどう黙らせるんだ?
これが葛藤というやつなんだな、まるで自分が二人に分裂したかのように。
一方の自分が目に血涙を浮かべ…
一方の自分は…指をさされ、糾弾されて這いつくばる…
移動させた者は、事情を全く知らなかったのだった。
のちに自分のしたことの意味を知る…。
そうして、取り返しのつかないことに苦しんだことを思うと…。
紛れもなく、自分のせいだ。
あいつの心が、砕け散ったのは…、
苦すぎる思い出…。
声が震えそうになるが、お伝えしなければならない。
「そうですね、確かに美津姫様がご重態の時には、すでに《鏡》が美津姫様のお部屋にあったと思われます。
お聞き及びでしょう、美津姫様が亡くなられた時に、ラインハルト様もまた重傷を負われておりました」
「はい、」
ああ、重傷と一言で言い切れる日が来るとは。
血だまりの中に倒れていたラインハルト様。
…思い出したくない、トラウマになった光景。
忌まわしいのに、どこか美しい…
いつもの、あの…傲慢にも見える、意思の強い青い瞳が。
あらぬ方向を見て、そこに居ない人の名前を呼んだ。
僕の方が、君を守りたいのに…。
君の術が、宝物…たちが…僕を…。




