144 《地に平和をもたらしめよ》 (17)
巫女姫姿になっている私は、神様のような存在に必死で弁明をしておりました。
あの青年が悪いんです、たぶん嘘をついて私達を騙したのです…。
私は震える指で、青年とおぼしき人物を指さしていました。
青年は後ろ姿でした。あの美しい顔は全く見えませんでしたが、スタイルの良さ、着ている服は彼そのものです。
夢の中の私は青年の後頭部を見つめつつ、振り返ってもらいたいと考えていました。
振り返って、いっそ言い訳でも言って欲しいと。
夢から醒めた後でも、夢と…とらえどころのない現実のことを考えていたようです、ぼんやりと…。
考えて、良い選択肢を探し回る、自分の脳みそが興奮しているのを自分で抑えられない。
とりとめのない考えばかりで疲れてきて、私はもう何も考えたくないといらいらしてきました。それでいて、考え続けてしまうのです。
疑問みたいなものが泡のようにぶつぶつ浮かんで弾けているような状態で。
例えば、、、
どうして、自分が美津姫様の代わりのように巫女姫様の姿をしていたのか。
この夢は、神様が見せてくださったのか。
夢の中の青年の表情はどうだったのか。
彼は、笑っていたのか、それとも泣いていたのか。
悪いのはこの人だと私に申し立てられたことに対して、どう思っていたのか。
次から次へと疑問のようなものは湧くのに、答えは何も出てきません。
疑問といっても大したことじゃないことばかり。
自分の悪い癖、なんだろうなと思いました。
ほぼ無駄かもしれないこと、そして解決策すら思いつかないことを堂々巡りに考えてしまうのです。
失敗が確定するのも怖くて、とてもこれが答えだと言えないくせに…。
疲れたのと、怖く苦しくなったのもありました。
考えるのをやめよう、心を動かさないようにしよう、そう思いました。
自分だけが知っている、{竜巻被害が起きた時に《鏡》がどこにあったのか}という記憶すら無くしてしまいたい、そうだ、それが名案だと思いました。
どうしても、美津姫様に繋がってしまうのですから。
美津姫様の嘆きようがあまりにも気の毒でした。でも、自分は善之助のように踏み込んで会話してまで安心させられる気がしませんでした。
むしろ、うっかりして追い詰めてしまうかもしれないのです。自分なら弱い時に心の中を打ち明けるなんてことは出来ません。たとえ親切であっても聞き出そうとしてくる人を攻撃しかねない性格です。
美津姫様があそこまで嘆くのはやはり、…。
やはりあの瞬間、美津姫様は禁忌の呪文を唱えてしまったのだろう、と思いました。
そんなことを想像したくないと思う気持ちの方が大きかったです。
考えていると美津姫様のことを疑い始めかけている、それがとても辛かったのです。
夢の中の自分を突き詰めてみると。
青年に対して弁明をしてもらいたいというような、公平な真っ白な気持ちではなかったのです。洗いざらい青年にも主張してもらった上で、改めて徹底的に自分の公平さを完璧にし、自分の正当さを認めてもらいたいという保身の気持ちが強かったのです。
それと同じように。
もしかしたら、美津姫様もまた、自分と同じ保身の気持ちばかりなんじゃないかと。
やはり我が身可愛い、我が身が潔白であれという気持が強いのでは、と。
つまり、善之助や周囲の人間に
「あなたは悪くない」と言って欲しがっているのだろう、涙は女性の武器だからな、みたいな思考までが自分の頭の中でぐるぐるし始めて…。
…正直に申し上げましょう。
たぶん私は、美津姫様を偶像崇拝し続けていたかったのです。
成人することが危ぶまれる位の儚く美しい姫様でしたから。
龍ヶ崎神社の神職にならなければ、このような人に会えなかったと思う位幸運でした。
公平や正義も、本来なら真実をしっかり見据えて判断すべきなんでしょう。
ですが。この私のような真実をねじ曲げている人間が一人でも混ざれば、それらの言葉すなわち、真実、公平、正義は空しくなるのです。
そうであれば、真実なんかよりも良く分からないまま、理解できないままの崇拝の心地よさに浸っていた方が良いです。もはや他に何も望みません。
私は、それで…。
自分の頭で考えることをすっぱりやめてみることにしました。
嫌なことを考え続けるのはやめよう。
心を殺せ。
もしも心を殺すということがすぐに出来なくても、だ。
心を動かさず、心が死んだつもりで振る舞えばいい。
思考の無い優秀なロボットみたいな従者であれば、自分も楽じゃないか、周囲にも迷惑をかけないじゃないかと。
実行してみると、それは意外と心地よいものでした。
最初は、同僚に
「お前、最近性格とか…、変わったよな?」
などと心配されたらどうしようなんて思っていたんです。
でもね、案ずるよりも産むがやすしとか言うでしょう?
全く何も起こりませんでした。
なあんだ、他人様は意外と自分のこととか見てないんだな。内面なんて覚られたりしないんだ、って思いました。今までの葛藤は何だったんだろうってね。よほど自己愛が強いのか、お前、と自嘲を始めてしまったくらいでした。
ああ、自分なんかの話で横道にそれて申し訳ないです。
結果的に、この作戦は功を奏しました。
青年のことが判明した時も、平常心を保てましたから。
素の自分でいたら、動揺し過ぎて、変な勘繰りを引き起こしかねなかったかと思います。
その後しばらくして、私が休み明けに出勤した日です。すぐ、同僚が耳打ちしに来ました。
「お前、昨日休みだったから伝えておくな。
この話は、聞いたらすぐ絶対に忘れてくれ、『今後は決して話題にしないように』というのが、宮司様からのお達しなんだが、」
それからいっそう声を潜めて、彼は言ったのです。
「昨日、水死体が見つかって大騒ぎだったんだぞ、誰だと思う?」と。
一瞬、誰のことかわかりませんでした。同僚も全く心当たりもなかったそうで。
あの、青年のことだったのです。
本当に申し訳ないことに、神社はますます片付けの最終段階で忙しく、青年のことも災害のこともあっという間に忘れ去られていた頃でした。
青年は、湖の中で亡くなっていたというのです。
ちょうどその頃、ダム工事関係者も湖の予備調査を始めた所でした。
暴風被害で湖に流れ込んだ多くの木材のため調査が出来なくて、予定外の木材撤去作業からになってしまってなどと、工事前にお祓いに来ていた関係者の方が口々にぼやいていたのは、私も知っておりました。
木の枝が大量に重なっているもつれを最後に引き上げたそうです。もつれをそのままトラックに載せられないとほぐしかけたら、その中からまるで閉じ込められていたかのような青年のご遺体が発見されたそうです。
お気の毒なことで…。私はそれしか言えませんでした。
同僚も、そして消防や警察関係者も、そう言ったそうです。ご本人だけでなく、作業に立ち会った人も怖ろしい目にあったのですから。
湖に誰かが沈んでいるなんてまったく予想外で。
竜巻被害後、村人全員すぐに無事が確かめられていたので、それが仇となって発見が遅れたのだそうですが、村の駐在さんはとても優しい人で目を真っ赤にしておられたようです。
安否確認から漏れていただなんて申し訳ない。何かしてやれなかったか、と。
それでも。
「…まぁ、あんな状態で底に沈んでしまっていたのだから、あの時すぐに救出作戦が開始されたとて、重機も入れられず、たぶん全く間に合わなかっただろうな、かわいそうに」
というような話に落ち着いたそうですが。
湖で、彼はすでに亡くなっていたのか…。
私の背中を冷たい汗が落ちていきました。
話の内容が理解できていくうちに、もちろん、考えまいと気をつけ始めたのですが、やはりショックでした。
たぶん…、あの時に彼は…。
あの竜巻によって湖に弾き飛ばされてしまったのでしょう。
それでも数日前の自分ではなかったので、冷静に振る舞うことは出来たと思います。
同僚も、ほぼ終わったこととして伝えてくれただけでした。
皆、彼が好青年だと褒めそやしていたのに、意外とあっけない終わり方でした。
まぁ、宮司様のお言いつけと忙しさのせいでしょう。
ただ、美津姫様にとっては、大きなショックとなられたかと思います。
善之助が皆に、水死体のことなどはお耳に入れるなと申し渡した、そう同僚にも聞いたはずですが。
千里眼かと思う位、もともと聡い方でしたからね。
快方に向かっていたはずなのに、とても高い熱を出し、また臥せってしまわれたのです。
果汁やお粥さえ受け付けないとかで、ご病状は相当重いようでした。
善之助は何も言わないのですが、お膳所などで交わされていた噂などで私どもにも伝わっていました。
そうでなくても、今までなかったことが起きておりました。
美津姫様にお仕えしていた姉やさんと善之助がご自宅に戻ることもなく、お屋敷に泊っていましたし、看護婦さんも交代で必ずお一人は詰めていてくれるというような、異例の措置でしたから。
下っ端の我々は心配でしたが、それこそ全員が心を抑えつけるように、引っ越しの準備や倉庫の片付けなどに専心しました。
やることに追われている方が、余計な物思いはないな、
心は動かない方が良いのだな、と私は改めて得心しました。
ちょうどそんな頃、ラインハルト様が神社に現れたのです。
美津姫様のご病状のこともあり、そしてただでさえ忙しい時でした。
正直、これ以上の面倒は嫌だと感じ、それはそれは嫌な態度でお迎えしたかと思いますが(笑)。そこは端折りましょう。
ラインハルト様は、普通では知り得ないことを色々とご存じの上で神社を訪問してこられたのでした。
宮司善之助が認め、美津姫様があっという間に打ち解けられました。
ラインハルト様のおかげで、後遺症の熱が下がったと感謝する人がどんどん増えていきました。宝物の力とはまた性質の異なる術をお使いになるのだと、私も薄々感じました。
『田舎の村では、こんな外人さん初めて見たわな、』などと警戒していた年寄りたちも、拝むように感謝するほどでした。
それからすぐのことでした。
本当においでになって半月もたたなかったかと思います。
善之助が、私ひとりだけを部屋に呼んだのです。大事な話があるということで、午前いっぱい時間を取って欲しいということでした。
何も考えまいと表情を固くしている私とは対照的に、柔和なお顔でした。確かにこの時は美津姫様がご回復なさっていたのでしたから。
聞かされたお話は、信じられないものでした。
なんと美津姫様を療養のために、ヨーロッパのラインハルト様のお城にお預けするということでした。
新しい村にお住まいへの引っ越しをご予定なさっていたのに、ですよ。
近くの町の病院に行ったことしかないというのに。
美津姫様のお身体の中の《宝珠》のせいなのです。
ラインハルト様の城には、強力な魔法を帯びた杖があり、《宝珠》を安全に取り出せる可能性があるのだと聞かされました。
そして、出来れば随行する者の一人となって、私にヨーロッパに行って欲しいという話でした。
さすがに呆然と話を飲み込みかけている私に、善之助は一気に話を進めます。
「済まぬな。美津姫様と私とで既に決定事項なのだ。
美津姫様が『最終的に、ラインハルト様に宝物すべてを託すのが青龍王さまのご意思だから』と言っておられるし」
《鏡》も祠に入れることを変更し、一緒に持っていくなどと聞きまして、とんでもないことだと思いました。
宝物のことだけではありません。美津姫様のヨーロッパ行きについても、私は反対したいと感じました。しかし、既に決まったことですし、私の意見などは求められていないようです。
「はぁ…、」
と溜息混じりに応答しかけたものの、すぐに態度を改めました。
「私は…親兄弟を早くなくしておりますから身軽なこともあります。
選んでいただけて良かったと思います」
とお答えしました。
神社合祀後に、宮司様からあちこちの神社に推挙するというのを断って村に残るつもりではいました。
やはり、美津姫様にお仕えし続けたい気持ちがあったからです。
それが叶うなら、そして…もしも美津姫様のご指名であったならば…この上なくありがたい話です。
また、私はまだラインハルト様に慣れてはいませんでした。東洋のささやかな術の力とは比べ物にならない位の魔法の力を感じる時に、理解しがたい、薄気味悪いものを感じるのです。
くだんの青年とはまた異質な…、説明しがたいのですが。
今度こそ、命に代えても美津姫様をお守りするしかない、そう決心しました。
宮司善之助は、とても喜んでくれました。
「良かった、行ってくれるか。
大切なことだから返事を待たねばなと思ったのだが、すぐに決心してくれるとは。
お前が一番の候補なのだ。
済まぬ、本来ならばもっと大きな神社でも立派に務められるのに…。
いや、龍ヶ崎神社が無くなることがなければゆくゆくはお前に任せたかったのに。
後藤さんとお前だけが《宝珠》が姫様のお身体に入っていることを知っているのだからな、まずはお前だけでも決まってくれて。ああ、ありがたい…!」
膝を進めて、私の手を取って頼む、くれぐれも頼むとおっしゃるのです。
このような、目上の方に頼りにされることなど、後にも先にもないでしょう。
ただ、そこから小声で二つの内緒ごとを聞かされました。
一つ目は、美津姫様のご寿命のこと。
端的にいえば、もはや地元のお医者様には、もうこれ以上出来ることは無い、と言われたそうです。
お医者様の学んできたこと、知り得たことをかき集めても、理解できない症状があると…。
さすがに、《宝珠》が美津姫様のお身体に入っているなんていう説明などをお医者様にしていないらしかったので、仕方がないことでしょう。
二つ目は、これは私の勝手な想像だが、という前置きがついてましたが。
美津姫様がラインハルト様に恋をしているのでは、という話です。
「姫様は、お幸せそうでもあるんだ。
つまり…。そんな風なお気持ちなのではないかと…。
ラインハルト様にお会い出来て良かった、宝物を託すために私は生まれてきたのかもしれないというようなことを姫様はおっしゃているし。自分が何か世の中で役目を持っていると感じて、お気持がしゃんとしたようで、快復も目覚ましいのだよ。
青龍王のお使いの方から巫女姫様をお助けするように言いつかったと、ラインハルト様もおっしゃっているし。
おふたりだけで、すでに何か…その約束をなさったかのようで、話が進んでいるのだよ。
驚くばかりだが、こうなる運命だったのかと私も思う。
いつ神様に召されるかと心配して見守ってきた姫様が成長し、人を恋うるようになるとは…。
この…恋が…少しでも幸せな思い出に、…いや、少しでも長く幸せな気持ちでお過ごしくだされば。
神様が用意してくれた、一番良いことのように思えてな、どうだろう?」
宮司様は、お寂しそうでした。
一番良いこと、とおっしゃりつつ、です。
この時点では、私はまだまだ若く、宮司様のお気持が良くわかっておりませんでした。
美津姫様のお命も恋も、あっという間に儚くなるかもしれないとわかっておられたのでしょう。
ご本家から託されてからずっと育て、導いて…そして、自分をあっという間に超えるほどの術の上達ぶりを発揮しておられた美津姫様をどれほど心配しておられたことでしょう。
もちろん、宮司様ご自身もまたご高齢でもありました。
神社合祀の後のこと、村や村人のことも心配でありましたでしょうし、善之助は望んだとしても日本を離れられないのです。
もはや、二度と美津姫様と会えない覚悟をしてまで送り出そうとしていたのでした。
本当は、私や若い神職たちに任せたりせずにご自分で渡欧したかったことでしょう。
自分には…もはや、この先はない。
この先を進み、未来に希望をもたらす力はない。
自分の”時”は、すでに過ぎ去ってしまったのだ。
ようやく、そのような苦しみを理解できる年齢に…私は達してしまいましたなぁ…。