142 《地に平和をもたらしめよ》 (15)
善之助がお見舞いの言葉を申し上げるそばから、美津姫様がはらはらと涙をこぼし、善之助の顔をひたと見つめられました。
なにか覚悟を持っておられるのだと思いました。
それほど美津姫様の表情は凛としていました。私は、歴史ドラマが好きなのですが、高貴な女性が懐剣を取り出す仕草、”際”の瞬間を思い出し、緊張しました。
「善之助、そして…皆を心配させてしまうけれど、落ち着いて聞いてくださいね。
龍神様のバチが、…私に当たったと思います」
「?、姫様っ…!、」
と善之助がなにか勢い込んで言おうとするのを、美津姫様は手をそっとあげてとどめ、微かに首を横に振りました。
「ごめんなさい。
どうぞ、最後まで言わせてください。
自分でも、悲しくて信じたくはないのだけれど…。
《宝珠》が見当たらないでしょう?ね?
木箱だけになってしまっているかと思います。
あの…突風が起ったあとに…。
《宝珠》は、…私の中に入ってしまったのです。感じるのです。
目で見ることは無理なのですが…。
上手く説明できないのだけれど、自分の心臓の鼓動と別に、たまに思い出したかのようにトクンと鼓動を打つのです。探索する術が使えなくなってしまいましたが、逆に《宝珠》をずっと探索しているかのように感じているのです…。
龍神様に宝物をお返し申し上げるどころか、このようなことになりまして、どうしましょう…。
私はどうするのが良いのかしら、」
善之助は、慌てて美津姫様のお側で《宝珠》を探索する術を試しました。
信じがたいことですが、善之助のみならず側に控えていた私も、ほぼ美津姫様のお身体に《宝珠》の存在を感じたのです。心臓のそばというよりは、胸かお腹の奥のほうに。
姉やさんは、”視る”ことは出来ない普通の人でして、善之助に促されて口を開きました。
「ええと、私は、お寝間着などのお着替えのお手伝いもしておりますが、とくに身体に傷口などございませんし、瘤やできものが出来ているようにも見えませんし、いつもと変わらないと思うのですが…」
《宝珠》がなぜか美津姫様のお身体の中にある、しかもそれは竜巻災害が起きて以降のことだという事実は、美津姫様のみならず、私たちにも相当なショックでありました。
竜巻災害後、美津姫様は一昼夜ほど寝続けて以来、薄く目覚めたり起きたりを繰り返しておられたのですが、その後ようやくはっきりと意識を取り戻した後に、違和感に気づいたそうです。
「それで、まずは…姫様のお加減はいかがなのでしょう?
違和感がひどくてどこか痛いとか、吐き気がするとか、なにか…」
と、善之助は聞きました。
「今は、少し熱が高いのですが。それだけです。たまに、トクンと鼓動を打って、反応して私が緊張して身体に力がキュッと入り、そうするとまた静かになり、何も起こらない…という感じです。
痛みも特にはなくて、気分がずっと悪くて吐き気がするなんてことはないのです。
お医者様のお薬は、いつもよりも強いのでしょうか…。飲んで寝てしまうと…力が入らず、でもおかげで水に抱かれて漂っているようになって、いつもより深く眠れてしまいます。
何かもう少ししゃんとして、きちんと考えたり、反省しようとするのだけれど、そうすると熱が出てしまうので、布団からなかなか起き上がれなくなりました…」
と、美津姫様はか細い声で答えました。
姉やさんが手を挙げ、善之助に促されて説明を補足しました。
「あの、私が出しゃばるのは申し訳ないことなのですが、美津姫様は、ええと、ふだんよりお顔の色が良くて、そのう、美しさが増したようにも思います。たぶん、お熱が高いせいもあるのかもしれませんが、」
「…」
美津姫様はとんでもないとでも言うように首を横に振りましたが、私から見ても顔色が良いというか、熱のせいで上気しておられるのか、潤んだ瞳の下にほわっと桜色が浮かぶ頬という取り合わせがなんとも美しく見えました。
善之助は、一度ため息をついてから、ゆっくりと話し始めました。
「ふむ。
宝物が巫女姫様の身体に入ってしまうということは聞いたことがありませんで、なんと申し上げていいかわかりませんが。そうですね、後でもう一度前例がなかったかどうか調べてみましょう。
それから。
後藤さんの言うことも、その通りですね。お顔の色はいつもより良いように見えますが、ただ姫様ご自身がご健康になられたというよりは、《宝珠》自体が、…その、状態が良いのかもしれません。
いずれにしても、痛みも吐き気も無いと言うのなら、それはこの状況では喜ばしいことですね。
ただ、この後またなにか起きるかもしれませんですしね、用心しないといけませんね。
姫様も、他に何かお気づきのことが起きましたら、すぐにお知らせくださいませ。姉やさんも、忙しいのに申し訳ないが、なお一層気をつけてみてあげてね。良いことも悪いことも、日頃と違うところがあったら、とりあえず考えてみる手立てにしましょうよ」
善之助は、ひと呼吸置いて続けました。
「それから、姫様。
姫様はもともとお身体がお弱いのですから、ご覚悟なさるのは良いです。
姫様だけではありませんが、人間は、いずれ死ぬのが定め。
思い残すことがないように、毎日毎日を大切にして、なさりたいことをなさるのが良いと、じいは思います。
ただ、嘆きすぎてはいけませんね。
もしかしたらバチが当たったのではなくて、姫様を災害から守ろうとして龍神様がなさったことの結果、《宝珠》がお身体の中に入ったのかもしれませんから、あまりに嘆きすぎるのも良くはないと思いますが」
「でも、…。
ごめんなさい、お優しい言葉は、とてもありがたいのですけれど。
私には…。
私には、バチが当たってしまうほどの…悪い行いについて、思い当たることがあるのです」
?!
善之助は、とても驚いたようです。
たまにわがままをおっしゃる美津姫様ですが、バチが当たってしまうほどの悪い行いをするイメージがありませんから。
姉やさんと私は、ここからは席を外した方が良いのではないかと目くばせして、立ち上がりかけましたが、美津姫様の方から、そのまま私たちも残って一緒に聞いて欲しいと言ってくれたのです。
私は、ぼんやりとうつむいて話を聞こうと決めました。
自分がうっかり変な反応をしたら、いけないと感じたからです。
美津姫様は、感情的にならないように淡々と話し始めました。
本殿に青年とふたりで残っていて、《宝珠》を見ながら会話を続けていたそうです。
ふと青年が、どうしても夕焼け前に湖を観たいと言ったので、一緒に出かけていったそうです。
不思議なことですが、出ていく時にはちょうど神職の誰とも会わず、そばに見当たらなかったそうです。
それは、全く不思議なことです。
私は社務所内や外の物置、倉庫に行ったり来たりしていましたし、ふだん通り数人の神職ともすれ違いました。
ただ、私もおふたりとすれ違わなかったわけですし、黙って聞いておりました。
青年には、とても親しみを感じたそうです。まれに小学校の資料などを届けてくれる、ふもとの村の若い女先生のように物知りで、ずっと昔からの知り合いのように思えたそうです。
湖に向かう途中は、たくさんの話をしてもらい、楽しかったのだそうですが。
湖のそばで急に青年に倒されて、帯や帯締めに手をかけられ、声も出ないほど驚いたそうです。
ずっとにこにこしている笑顔には、悪意は表れてもいないのに、どこかちぐはぐな感じがしたそうです。
ふわふわと、でも地面に身体を横たえさせようと押し倒す際にも
「安心して。怖がらなくていいんだよ」
と優しい声と表情だったので、悲鳴をあげていいのかどうかと考えてしまうくらい、とまどっていたようでした。
美津姫様はやはり、彼の行動の意図は全くわからなかったようでして。
どうやらこの後、自分は殺されるかもとは思われたようです。それで帯紐を奪おうとしているのかなと感じたようでした。
大人の我々は変な想像が出来てしまいますが、宮司様も黙って聞いておられましたので、私と後藤さんもそのままお聞きしていました。
それからずっと目を閉じて龍神様に祈るようにと告げられたとおっしゃっていました。
青年にです。
良くわからないまま、従わなくてはという思いでいっぱいだったそうです。
どうやら、美津姫様も我らと同じように、青年にどこか神さまのお使いのような幻想を抱いていたのかもしれません。
それで、深く考えることなく、青年の言葉に従って行動していたようです。
そもそもふたりで湖に出かける時に青年が、
「《宝珠》の巫女姫様なのだから、きちんと《宝珠》を持っていくのが良いですね」
と言われて、その通りにしたのだそうですからね。
どういうわけか、自分が何かしたいことを思いつく前に、まるで心が読めているかのように青年が促してくれたのですって。
美津姫様はとても聡い、カンのするどいお子様でして、その分自分が伝えたいことを我らが上手く汲み取れないと、いらいらした気持ちを抑えているようなことが幾度かありました。
ですから、青年がちょうど良い塩梅でお膳だてなどして導いてくれているかのように感じたのでしたら、それは心が通じ合う、頼もしい相手と感じられるのも無理はありませんね。
ですから、青年の言葉も行動も、疑うことなど考えなかったそうです。
そして、殺される、怖いと思いつつも、もしかしたら自分が死んでしまうことが神さまの定めかご指示かのように思えてしまい、抗うよりは、悲しいけれど従った方がいいようにも思えたそうです。
ふだんの自分の行いが悪いせいで殺されるのならば、どうぞ龍神様のお心のままに。
と思ったそうです。最初は。
ですが、どう言ってよいのか…うまく説明できないけど、と美津姫様は続けました。
私には、反抗心みたいなものが強いのかもしれません。
善之助や皆を困らせる、嫌なところが私にはあるじゃない…そうでしょう?
自分でも、本当は自分の我が強いのがとても嫌なのに、我慢できていないところとか。
それと似ているみたいに、このままじゃ嫌だっていう気持ちがあって、抑えきれなかったのです。
ごめんなさい、とてもぐちゃぐちゃの感情がぶつかりあっていたのだと思ってください。
この方のなさることにお任せしてしまおうというあきらめの気持ちと、そしてそれと同じくらいの大きさで、でも、納得なんてしていないから嫌という反抗的な気持ちが私の中にあって、ぐちゃぐちゃで泣きたくなりました。
祈ろう、心を鎮めようとしても、集中できなかったのです。
それは、あの方が、…。
あの方の言葉が、美しい響きの陰に嫌な感じを持っていると感じ始めたから、なのかも…。
「僕は、そう…君を楽にしてあげようと思っているだけ。
そのために僕は来たんだよ
そのまま目を閉じて。そう、力を抜いていていいんだよ(笑)」
と囁く声は優しかったのに。
目を閉じて聞いていると、目を開いて青年を見ていた時にわからなかったことがわかったような気がしたのです。
最後の少し笑った感じの中に、今まで見えていなかった、悪意みたいなものが渦巻くのを感じ始めてからは…。
ああ、私のためになんて、この人は少しも考えていないように思えてしまう。
私の感覚が狂っているのかしら…?
目を閉じたから?
目を開けてみたら、また信頼できる人に見えるのかしら?
良い人のように思えていたのに、欠点など見たくなかったのに。
どうせなら、気づくのではなかった…知らない方が幸せな気分のまま逝けたかもしれない。
と、とても悲しくなったそうです。
この方は、本当に宝物のためのお使いで来た人なの?
どうしよう、この方は嘘をついているみたいだ…。
本当に悪いのは、私ではなくて、彼じゃないの?
私は、その悪い人、悪い心根に押し切られてしまっていいのだろうか?
そう思ったそうです。
そして…少し迷っていたのだそうですが…。
やはり、祈ることにしたそうです。
衿元に青年の手が伸びてきた途端、嫌悪感がいっぱいになり…。
どうぞ、本当に悪い人にばちを当てて欲しいと。
私が悪くないのであれば、龍神様、どうぞ私をお救いください。
思わず一心に祈ったそうです。声も出せぬまま。
それから、ああ…。
美津姫様は、こう続けられたのでした。
《宝珠》がトクンとまるで返事をしたように思えたそうです。
その時は、まだ美津姫様ご自身が木箱を抱えていたので、そこから手や腕に《宝珠》の鼓動が伝わって響いたのかも、と思ったのも束の間。
風、そして湖の水がうなっている…?と感じたそこからは、ぶつんと自分の精神の糸が切れたみたいに意識を失ったそうでして、そのまま何も覚えておられないまま助けられたそうです。
私がおふたりの後を追っていたことにも気づいておられなかったようです。
次に目を開けた時は、いつもの自分の寝室でお医者様が脈をとってくれていたことにほっとして、そのまま意識を失ったということでした。
善之助が美津姫様に聞き返さなかったので、事実は不明ですが。
以上の、美津姫様の説明通りだとすると、美津姫様は竜巻が発生する前から地面に倒されていたので、ありがたいことに突風の直撃を免れたということになりますね。
それで、お身体のお怪我が軽く済んだのだと思われました。