139 《地に平和をもたらしめよ》 (12)
神社を訪ねてこられた青年は、どこか貴人のような、とても品の良い方でした。
偉ぶった感じは全く出してもいないのですが、こちらが自然とへりくだりたくなる雰囲気をまとっていたのです。
しかも、なかなかの二枚目さんでした。今ですと、イケメンさんというのですね?
姫野のような、派手な顔立ちというのとはまた違いますが、整ったお顔立ちでした。
そして、着ていらっしゃる服も”お召し物”と表現したくなるような、とても質の良い仕立てのものでした。
これは、最終的な、正式なお答えをするために奈良のご本家の方が遣わした人なのだろうと思いました。
とりあえず、宮司様と連絡を取ろうと、あわてて先方の神社に電話をかけたのですが、タイミングが悪く、ちょうど先方の宮司様と山の上のお社に出かけられた後でした。先方では、神社が山の上と、山の下とありまして、山の上は神聖なるお社となっていますから社務所がないんですね。
青年は緊張したような顔で待っていました。
みな、どうしてよいかわからなかったので、お茶だけ出してお一人にしてバタバタしてしまっていたものですから。
申し訳なく思い、正直に宮司様が不在で電話連絡も出来なかったという事情を申し上げたところ、整った顔をふっと崩し、柔らかく微笑みました。
そして、お帰りをお待ちすると丁寧に言ってくれたのです。
自分が予告なしに来てしまったものですから、どうぞお気遣いなく、と。
もし、皆様のご都合が悪ければ、一度地元の村かどこかで宿をとって滞在し、出直しましょうかと言いながら、実は、と照れくさそうに言い訳を始めたのです。
実は、皆様が喜ばれるようなお話になりましたものですからね、そんな良い話の使者だと思って、つい気がはやり、連絡することをすっかり忘れて出かけてきてしまったんですよ、と。
少し頬を紅潮させたさまが、なんとも初々しいご様子でした。
善之助様のご都合を、ちゃんと確認してから僕が来れば良かったんですけれども…。
こちらの神社がダムに沈むという話を聞いて残念に思っていましたから、少しでも早く元のお姿のままで眺めたいと慌ててましたので…。
いや、本当に素晴らしい神社ですね、森も素敵で、これが無くなるなんて。
ひどい話ですよ。
本当に惜しいと、僕は心から思います。
彼の言葉に、私どもは、すっかり舞い上がってしまいました。
ずっと今後の方針が気になっておりましたからね、話が良い方向に傾いたということも嬉しかったですし、何よりも私たちの神社を褒めて、ダムになってしまうことを一緒に残念がってくれるなんて、と。
しかも、気品のある青年が、
『ああ、ごめんなさい。本当は、宮司様に申し上げるべきことなんですよね。
ああ、つい言い訳しようとして、また失敗をしてしまった。すみません、』
と、まるで仲間に対する打ち明け話のように話してくれたので、とても嬉しかったですよ。
それで。
5日ほど待っていただければ、宮司の善之助は帰ってくるはずです、と伝えました。
彼は、まだ旅館などを決めていなかったですし、ホテルとなるとまた少し遠くなりますので、神社にお泊めすることにしました。
姉やさんなど女性陣は、さっそく新鮮な野菜などを仕入れたいとふもとの村にはりきって出かけて行きましたとも。
私たち男どもも同じです。仕事をしながら、ちらりちらりと彼のきれいな様子を目にとどめようとしていました(笑)。まぁ、こんな田舎では滅多にお目にかかれないような理知的な美男子で、それでいて親しみやすいお兄さんという感じでしたからね。
その後、美津姫様にお引き合わせしたところ、ふだんは美津姫様も人見知りなさるのに、とても楽しそうに会話なさっておられました。
はい、ほっとしました。
それで、私たちは。
このような良い知らせをもたらしてくれた彼こそが、きっと吉夢のお告げの人だろうとすっかり思い込んだのです。
多くのことを神様のために学びましたそうで、奈良のご本家の方々よりもずっと私どもの神社のことを良くご存じでした。
一番良い客間にお通しして、奈良のご本家への報告のためと思いますから、神社の中をご案内して、《宝珠》や《鏡》も確認してもらったりしていたのです。
彼は、神社の様子のみならず、宝物の保管状態をとても褒めてくれました。
『奈良のご本家も、これなら安心なさるでしょうね。
あちらでは、いろいろとご存じないことが多いので、話もこじれかけてしまわれたんでしょうね』
と、とりなすように言われて、私たちはほっとしました。
ああ、良かった。まさに、そこに原因があったのかと気づきを与えられた気がしました。
誰が悪いというわけではない、誰かを責めるという問題ではないと改めて感じさせてくれたのです。
そうだ、私どもが奈良のご本家の皆さまの人となりを知らないように、あちらもこちらのことを知らなくいまま想像だけするわけですから、疑心暗鬼になっても仕方なかったのかもしれない。
こうやって、話が進み、お互いにわかりあえて、ご本家との問題が解決してくれたら、もうあとは淡々とこなしていくだけです。
ついつい悪い想像をして、陰口などがヒートアップしていたことを各々が反省し、心が落ち着きましたように思います。ここ半年位、神社統合のことでふだんと違う業務に追われていたので、本当に重荷を下ろしたような気持ちになりました。
その後も美津姫様との話が弾んでおられたので私は退出させていただき、別の用事を済ませておりました。
それが終わる頃、ようやく余裕が出来て青年に
『湖をご案内しましょうか?』
とお尋ねし忘れたことを思い出しました。
夕刻より前に湖をご覧に入れた方が良いのですから。
陽が沈めば暗くなり、道を知らない人には、危ない所もありますので。
翌日から天気が崩れて雨になるような予報が出ていた記憶もあります。
雨だと、湖の濁りが著しいのです。
きれいな状態でお見せして、湖も褒めて欲しい、もちろん彼にも見て良かったと喜んで欲しいと考えました。
それで、客間に青年を訪ねてみたのですが、おられませんでした。
まさか美津姫様の、屋敷部分にあるプライベートなお部屋の方へ、おふたり共に移動なさったのかとも思ったのですが、それはありませんでした。
と申しますか、美津姫様までお部屋にいらっしゃらないのです。
あれ?と思いました。ずいぶんと時間が経っていたので。
が、もしかしたら湖のご案内を他の者が先に思いついたのだろう、と考えました。
他の神職の者も浮き浮きしていて、どうおもてなししようかと言っていましたからね。それで美津姫様もご一緒に出掛けてしまったに違いないと思いました。
一つ申し上げておきますと、美津姫様はお身体が弱いので学校も行かなかったのですが、神社や屋敷の外に全く出ないわけではありません。お身体の調子にもよりますが、湖に行くくらいは全く大丈夫です。と申しますか、湖に関しては別の話しになるのです。
湖にお出かけになると逆に体調が良くなったり、しゃきっとなさいます。巫女姫様となられた方は湖と共にあるということになっていますのでね、なにかご利益があるのかもしれません。
ああ、私こそがご案内しようと思っていたのに。
私が社務所にいる間に、誰かが出し抜いたな(笑)と思いました。
それで、手の空いた自分も遅ればせながら行こうと思い、誰かに留守を頼もうと本殿に行ったのです。
神職の者は見渡したところ、ほとんどいつもの通り仕事をしておりました。
ふと何気なく見ると、《宝珠》が木箱ごとありませんでした。いつもは、ご神体のそばに飾られていますのでね。
慌てて宝物庫も見に行きましたら、《鏡》もないことがわかりました。
これは困ったな、と思いました。
ただ、最初は大騒ぎしないつもりでした。
ですから、そこにいた同僚たちに留守を頼み、湖に行くことにしました。
先ほど申しましたように、巫女姫様も湖と共にあるのですが、宝物も湖と共にあるのです。
だからまぁ、美津姫様が《宝珠》をお持ち出しになるのでしたら、悪い事ではありませんし、実際に今までもありましたことです。
でも、《鏡》は、私が代理を仰せつかってお供をすることが多かったので、ちょっと面白くはありませんでした。
青年か同僚の誰かが運ぶにしても、私に声をかけてくれればいいのに、と。
そう、この時までは違和感だけで、ほぼ疑ってなどはいなかったのです。
社務所を通り過ぎて門を出ていく時から、だんだん胸騒ぎがしてきました。
結局、他の者も残っていたようでした。それで、美津姫様と青年がふたりだけで抜け出したようだと推察したからです。それでも、私は他の者に黙っていくことにしました。
やはり、騒ぎたてたくはなかったのです。
幼いとばかり思っていた美津姫様の、あの嬉しそうなお顔。
背の高い彼を見やる目線…。
もしかしたら、淡い恋心かも…。
そう思いました。
それと、騒ぎ立てて彼の機嫌をそこねてしまうのも嫌でした。
ようやく、奈良のご本家との話が、良い方向に収まっていく大事なところでしたからね。
ああ、そうか。
彼は術の心得が、少しはあると言っていたし。
謙遜ばかりしていたけれど、自分などよりもずっと神社でお勤めしている風格がありました。
ご存じかもしれませんが、神道を学ぶ方々の中には、お血筋の高貴な方があまたおられますので。青年ならば、そうなのかもしれない、いや、そうなのだろうと思いました。
美津姫様が、そんな彼を頼ったのかもしれない。
《鏡》をつかさどる巫女姫様の代理に見立て、湖で向き合ってみたかったのかもしれない。
そう、考えました。
美男美女ですからね、絵のような美しさだろうなと思い、微笑ましくも思いました。
あのような青年がいらしたのだから、自分たちには出番がないかもしれないな、と。
なんだかんだと、思い悩みながらも小走りしておりました。今と違って私の身体も元気でしたからね、少し坂になっている山道をぐいぐい登っていきました。
湖をぐるりと少し遠巻きに、小路が取り囲んでおりました。
ちょうどそれを、なにか手鏡のように表現すると、手鏡の持ち手のところと言えばいいんですかね、右に行っても左に行っても湖を一巡りできるたもと付近までたどり着きました時です。
ふと、傍らの草藪の中にナップザックが押し込んであるのが見えたのです。
ん?
これは、確か彼のものだ。
彼のナップザックがどうしてこんな所に?
嫌な感じがしました。
いえ、違いますね、それ以上です。
背中に冷や汗が伝わるのを感じました。
先ほどまで、胸騒ぎを覚えるたびに、必死に嫌なことを考えまい、考えまいとしていたのですが、いよいよ嫌なことに直面しなくてはならないと思わされました。
私などはたいした術は使えませんが、《鏡》や《宝珠》を探索する呪文は教わっていました。
善之助から教わっていたのです。
《鏡》をつかさどる巫女姫様の代理をするようになってから、習ったのです。
ですから、躊躇はありませんでした。
それで。
ナップザックの中にあった《鏡》を見つけて回収することは容易に出来ました。
在ると解って、探索してからも、ナップザックの中に木箱を見た時は、悲しく残念な気持ちでしたが。
最初、私は宝物の入っている木箱を抱きかかえて歩きかけたのですが、追いついてしまった時に、青年に見とがめられてしまうだろうと気づき、着物のたもとに入れ直しました。
こうなっては、覚悟を決めました。
これは、ほぼ泥棒行為です。
バタバタしたせいと、青年の様子から、うかつなことですが私どもは、彼が本当に奈良のご本家からのお使いかどうか確かめることをしていなかったのです。
彼は、どこの誰かか知らないけれども、宝物を奪うつもりで来ていたのだろう。
そして、宝物も大切ですが、一緒にいるかもしれない美津姫様が危険です。
青い顔をしたまま歩を進めますと、数分後ようやく、青年と美津姫様のお姿を目でとらえることが出来ました。
でも、ちょうど湖を隔てた対岸でしたから、一番遠い場所なのです。
青年に気づかれない好都合さはありますが、美津姫様を助けるには、かなり遠いと知り、もどかしく思いました。
それでもまだ、こちらが青年の悪事に気づかない振りをして近づけば、美津姫様と《宝珠》を助けるチャンスはあるように思い、足を速めました。
ひきつった顔を笑顔に変えて、朗らかに行けば…。
向こうの木立の中に木漏れ日の下、青年の美しい横顔が見えました。
藪の草でほぼ隠れてますが、なんとなく美津姫様の姿も確認できました。
怖ろしい想像をし始めていた私は、その時少し安心しました。
おふたりの雰囲気がとても和やかでしたし、おふたり共に輝きあうかのように見えたからです。
ああ、彼は、やはりとても優しそうな顔をしている。
一瞬、泥棒という疑いを持ったことを考え直して反省しようかと思った矢先、青年が、その優しそうな顔を崩すこともなく、美津姫様を突き倒したのです。
力を込めて倒したというよりも、ふっと弱い力に見えるくらい、優しく。




