129 《地に平和をもたらしめよ》 (2)
瑞季は、感心する。
大きな円形テーブルの、ほぼ自分の正面に座っている夏美は、すでに架空の国のお姫様ではなく、いつもの夏美に戻っていた。
スポットライトを浴びていたオーラなど、すでに消えている。
それでも。
以前よりも柔らかい、女性らしい雰囲気をまとっているのがわかる。
ストロベリーシャーベットのような色合いの上質なワンピースは、いかにも婚約披露パーティの主役としてふさわしいし、それがとても良く似合っている。
耳元で揺れる、ピンクローズ色のバラの花と蕾を象ったイヤリングも愛らしい。
いかにも{お嫁さん}になる女性のお手本のように思えた。
以前は、ジーンズとトレーナーが多めの、どちらかと言えば服装には無頓着だった夏美だったのに。
似合っているから良いのだけれど、{これまでの夏美}からずいぶん変わってしまったようにも思える。
ああ、やはりこうやって、結婚して相手のお好みに染められていくのね。夏美の魅力を引き出してくれたのだと思うし、本人たちにはなかなか言えないことだけど、やはり少し寂しい気持ちがする。
そんなセンチメンタルな気持ちになりかけるが、美味しそうにどんどんお皿を空っぽにしていく様子は変わらなくて、それはやっぱり自分の友達の、夏美だとほっとする。
隣にいる彼も見ていたようで、
「夏美さんは、相変わらず気持ち良いくらい、楽しそうに食べるなぁ」
瑞季は笑顔で応じる。
「そうでしょ? 大学時代とあまり変わらないでしょ」
「ああ、食べているところとか、君たちとしゃべっているところとか見ていると、時間が経過していないみたいだよ。
だけど、こんなに早く結婚するなんて思わなかったな。いつも元気に走っている感じだったし。
どちらかといえば、遥さんの方が早く結婚とかしちゃいそうに思ってたんだけどね」
「そうね、確かに♪
本人も、実感があるんだかないんだかって言っていたし。
じゃ、私は?
私はどんなイメージ?」
「え?、瑞季の、、結婚とか?」
と、不意を突かれて、考えあぐねた顔になった。
「う~~ん。
僕とつるんでいると、まぁ、もうちょっと後かなww」
「何それ(笑)」
「え?
何それ(笑)はないじゃん(笑)。
ああ、瑞季はどう思っているかわからないけれど。
僕はさ、まだまだまともに仕事で稼いでいる感じが全然していないわけ。
自分なりに出来ているなっていう実感が、そっちの方が先に欲しいかな。
なんかさ、もうちょっとまともにならないと、責任取れるような人間になれない気がしない?」
「あ、それは何となくわかる~、」
結婚していく夏美がとても羨ましくてたまらない、というのではない。
どちらかといえば、可愛げがないかもしれないけれど、まだまだなんとなく結婚したくない。
素敵な旦那さん、その隣のお嫁さんぽくなった自分、そして世間が目を細めてくれる可愛い子供?
全く想像できないし、仕事の満足度についても同じように考えている。
「だろ?
こういうこと、職場で言うと、”意識高い系”とかからかう人もいるけどさ。
恋愛とか結婚とかも大事だけど、自分なりの生き方とかさ、自分の時間を充実させるとかさ、いろいろとやりたいことあるんだよね、」
「うんうん」
私たちは本当に色気のない話をしている。そして、し続けていける気がする。
「僕達もせっかくだから踊ろうか。
ていうか。ええと。
踊ってくれますか?初心者の僕で良かったら」
と、少し照れたように誘ってくれる。
「うん、よろしく。
お互いに練習会に出て頑張った仲じゃない♪」
「ジルバとかなら、まぁ、ごまかせている気がするから楽しいよな、四拍子、バンザイ」
「そうね、でも私はタンゴが、一番好き」
「ああ、タンゴ。あれはなぁ。かっこいいけどさ。
やはりモダンダンスは男がリードしてくださいとか言われて、なかなかそこまではさ、」
「そんなことないよ、上手くなったよ♪」
チャイムが鳴ったので、席に戻ることにした。
夏美が、いない。確か踊ってはいなかったはずだけど。
「あれ?夏美は?」
「え?トイレかなあ?
僕達が踊っている時に、なんか話しかけてきた女の子と出て行ったけど?」
ごちそうの方はきちんと食べ終わっていて、お皿も片付けられていた。
夏美って、かくし芸大会出るんだったっけ?
そんな予定は全く言っていなかったのに、変ね。
探しに行こうかとそわそわする瑞季をよそに、彼は上機嫌だった。
お互いに下手同士だけど舞台で上手な人と踊るより、良く知っている同士で踊る方がただただ楽しいのは、自分もだった。
「でもさ、瑞季がタンゴが好きっていうの、なんとなくわかる。
スタッカートというか、アクセントのところがさ、良かったよ。
ほら、ラインハルトさんと踊っていた、劇の出だしのヤツ。
瑞季がタンゴ担当で似合っているなって思ったし。
ドレス姿もすごい良かった」
「そう?
ああいう正式なドレスで、ぐっと見栄えが良かったでしょ?
あ、わかった、『馬子にも衣裳』って言いたいんでしょ?」
「まぁ、それも一部あるかもだけど(笑)。
でもさ、ひまわりみたいなさ。イエローというか、あの黄金の色がね。
瑞季の良さが、その、きちんとアクセントつけている踊りとかに合っていたと思うんだよね。
たとえば、ブルー系のドレスを着た人が大人の女の人って感じでアルゼンチンタンゴを踊っているのもすごい良かったと思うけど。
僕の好みは断然!明るい暖色系のさ、…(いきなり照れる)」
「いや、色の好みの問題なんだとは思うけれど。
うん、ついその色のドレスの方ばかり見ていたかもなって」
「あ、そう?(笑)。ちょっと嬉しいな♪
今はどう?どちらかというと紺のパンツスーツだから。
色がお好みではないのかしら?」
「ううん! そんなことはないよ。
それはそれで、いつもの瑞季っぽくて安心する(笑)」
「安心と安定のふたりって感じ?」
「そうだよ。でも、少しずつ僕達も進歩している感じに思う。
えっとさ、海外のイケメンの知り合いとかどかっと増えてもさ。
安心と安定の僕を、これからもよろしく。
あと、また後でも踊ってくれる?」
「ええ、もちろん♪
でも、私にばっかり気を遣っていないで、色々な人と踊りなさいよね?」
「まぁ、そう教わったから。
練習会で知り合った人に順番にお願いしに行っていて、まぁそれはそれで楽しいけど」
「でしょう?」
「でもさ、緊張ばかりも大変だから。
パーティは楽しんだもん勝ちだよって言われたし。
僕は瑞季と踊るのが一番なんだよ、うん」
「そうね♪
お互いに安心成分ね♪」
(ナレーションが入る。)
斎藤:ただいまから、かくし芸大会を始めます。
有志の皆様からは、予約を承っておりますが、まだ若干の余裕もございますので、飛び入り参加の申し込みも大歓迎です。
また、引き続きバンドの皆様が伴奏をつとめてくださいます。
そして、最後のダンスタイムの間に、皆様の投票結果をもとに厳正なる審査をいたします。主賓のヴィルヘルム様から優秀賞などもいただけます。
生バンドの演奏をバックに歌を歌うのはなかなか経験出来ませんから、この機会にぜひふるってご参加ください。
では、どうぞよろしくお願いいたします。
(拍手)
トップバッターは、少しお腹の出始めた紳士だった。ラインハルトの日本支社の人だとアナウンスされる。練習会でもいつもにこにこしてくれる、朗らかな人だった。
オペラで有名な曲『誰も寝てはならぬ』を少し照れながら、朗々と歌った。
大きな拍手が起こる。
続いて、アメリカ支社の米国人女性が着物に袴を着けた和装で、扇子を持ってなんと『黒田節』を舞い踊ったので、会場の客は一斉に割れんばかりの拍手をした。日本舞踊は奥が深く、日本人でもなかなかこなせないのだが、いかにも経験者の踊りだった。明るい髪色を見なければ、まるで日本人が踊っているかのようで、大絶賛されていた。
その次には、舞台上にグランドピアノをセッティングするのに少々時間がかかっているようだった。
あら、もしかして花梨さんの出番かしら。
と、瑞季は推測する。
花梨が演奏会用のロングドレスに着替えていたのを、先ほど楽屋で見たのを思い出す。
女の子たちが、
『もう少しカルム侯爵でいてくださったら良いのに~』
と群がるようにして残念がっていたのだ。
ダンスフロアにカルム侯爵姿でいたら、たぶん花梨は座る間も無かったに違いない。
いよいよ、ピアノ演奏が始まった。
が、花梨ではなくて、まずはにこにこしたイタリア人の青年だった。練習会には来ていなかった気がする。
ディズニーソングを多めに散りばめたポピュラーソングメドレーで、しかも本人が客席にアピールして、歌を催促してくれる。みんながうろ覚えながら歌を歌い始め、歌詞が電光掲示板に急きょ表示されたこともあって最後は大合唱になり、大いに盛り上がった。
その後に、ふわりと可愛いオレンジ色のロングドレスの花梨と、ヴァイオリンを携えた姫野が相次いで登場してくる。
瑞季は、隣の彼をちらっと見る。
「ほらほら喜んで!、あなた好みの明るい暖色系ドレスを着ているわよ?」
隣から、もううざったいな、みたいな視線が飛んでくる。
「あのさ、闘牛士の赤い布とかに反応する牛じゃないんだよ、僕。
誰でもつい見とれちゃう、ってわけでもないし。
瑞季の、ドレスがさ。瑞季に似合っているって言っただけなんだから」
ほわっと心があったかくなったのが、自分でもわかる。
ううん、今日だけじゃない。
ケンカをしょっちゅうするけれど、いつもなんか疲れない温かさがある。うん。
瑞季は
「ありがとう♪」
と素直に言っておいた。
演目はメドレーだった。『リベルタンゴ』と『チャールダーシュ』というタイトルが電光掲示板に出された途端、大きな拍手が湧く。
リベルタンゴが静かに始まる。
花梨の正確なタッチはとても冷静に音を刻む。そこへまるで長いすすり泣きのようなヴァイオリンの音が重ねられていく。
やはり、タンゴは良いな。
真っ赤に燃え盛るだけが炎じゃない、とわからせてくれる仄暗い揺らめき。
そう、褒めてもらっておいてなんだけど、タンゴという曲はやはり、真凛のブルー系のしっとりしたドレスが似合う気がした。ネガティブなイメージではなく、太陽の光よりは月の光を添えた方が良いような。
ちょうどアクセントの所で、姫野がカツンと一度だけ足を踏み鳴らした。
ダンスを踊る姫野ならではの工夫みたいだ。タンゴの男性ステップの中でも、粋なアクションの一つなのだ。
曲の鑑賞を邪魔しないように、みな小さく音を立てないように拍手している。
ダンスでも劇でもそうだったが、イケメンの姫野さんは本当になんでもきれいにこなす。たぶん、ヴァイオリンを抱えているだけでも絵になりそうなのに、演奏まで上手い。
あんな人のお嫁さんというか、パートナーって、大変だろうなぁ(笑)。隣に立たれて、比較されたら太刀打ちできないじゃない。
と思いつつ、隣の彼をちらっと見る。
うん、私たち安定と安心の一般人モブカップルかも(笑)。
まぁ、それが本当に楽で、とてもありがたいと思うけれど。
リベルタンゴが印象的に終わる。
そしてヴァイオリンがまた長く音をドラマチックに引きずっている。
異国の荷車が重く動くようなイメージ。古ぼけた車輪がきしんで前に進まない、みたいな。
そういえば、ヘジテートステップというのを上級者たちが練習していたっけ。
何かが心に引っかかり、進もうか止まっていようか、足を進ませていく方向にも迷うような、躊躇する繰り返し。
だが、チャールダーシュという曲は、途中で何かが弾んでいるみたいな速さになるのだ。
吹っ切れたの?
それとも、悩んだり迷うのをやめたの?
それとも、それらを禁じられてしまい、明るい振りして忘れようとしてるの?
狂ったように、狂わせたように、荷馬車は走っていく。
馬だろうか、御者だろうか、いや、そこらじゅうのみんなが踊れ。
とばかりにヴァイオリンが挑発していく。
そして、そのそばからなだめすかして、懐柔していく。
みんなが、ハーメルンに住む子供たちのように、姫野のヴァイオリンに引きずられていく。
息を詰めて。声も立てられずに。音の進んでいくままに。
そう、もうそれでいいという気がする。
演奏が終わった途端に、みんながようやく息を吐いた。
と同時に、意識を取り戻して動けるようになっての嬉しさみたいに。客席が一体となった。
瑞季も、手が痛くなるほど拍手した。
(拍手大喝采)