115 《地の実りに感謝せよ》 (11)
一瞬、ラインハルトの顔が疲れて青ざめて見え、夏美はわざと軽い口調で言った。
「もう、ライさんてば。
これからが本番なんでしょう?」
「うん、そうだよ。僕のお勧めの話がいよいよ始まるのさ。
主人公夏美が勇者として登場してからが本番なんだけどね。いよいよスタートってところだ」
「あら、勇者ライさんで、軍師夏美がいいわ♪
『婚約パーティから始まる、冒険物語』ってとこね?」
「ああ、気の利いた人なら、パーティ開始時点から話を始めてくれるだろうな」
「そうね、その方が華やかで面白くて楽しい話になるでしょうね。
ああ、いよいよパーティ本番なんですね、ドキドキしてきた」
「うん。頑張ろうね!
ああ、ほら、あとちょっとで夏美の家に着くな。最後にもう一つ話していい?
先日夏美が《劔》の漢字の謂れを教えてくれたでしょう?」
「ええ」
「僕は、漢字の意味って奥深いなと今更ながらに感銘を受けて、他の漢字の謂れなんかを調べてみたんだ。
鏡の意味とか、《蛇の目》の蛇の意味とか、ね」
「はい、私もなんとなく考えていたんです。
白蛇竜が白ですから、やはり一対の相反する意味があるとしたら、鏡とか蛇とかに”黒”という意味がありそうに思えてきて。
まだきちんと調べていないんですけどね。
実際、そうでしたか?」
「ああ、夏美も考えてくれていたんだね。
でもね、先にそもそも論で遮って悪いけれど。
なぜ、今白と黒の一対、みたいに言ったの?
宝物は元々3つあったでしょう?
なぜ、一対の相反する意味って表現したの?」
「あ!あれ、そうですね。
そうか、一対じゃないんですよね、元々は。
今、私の頭の中で一対、っていうイメージが出てきたんです、どうしても《劔》は無しで考えてしまうからかしら。う~~ん」
そうよ、私は心のどこかでまだ、善と悪とか、白と黒とか、光と闇とかの対比・相克みたいなイメージのこだわりから抜け切れていないのかもしれない。
「あ、ちょっと待って、ライさん、ありがとう。
今度は、三角っぽくて丸っぽいイメージが浮かんできました」
「三角っぽくて丸っぽい?ええと、それって…あれかな?、円と三角が、」
夏美は、目を閉じるようにして、イメージを一生懸命に言葉に変えようとしている。
「待って、待って。ええと…。
う~~ん、とにかく、弟の高校の教科書の、数学の三角と円を組み合わせた図形問題を連想しそうになるけど、それはやめておいて、」
「やめておくんだ(笑)」
「ええ、だって、そう…。もう少しぴたっとはまるイメージよ。
あのね、ちょうど釣り合いの取れるように三点に立ってくるくると巫女姫さまが舞っているようなイメージなんです。
ああ、円の中に釣り合いのとれた三角形、みたいな。そこが似ているだけなのよ…とてもバランスがいいんです。あ、これは立てて見てもいいわね。
ライさんのご一族の方のお話でも、似たような話、三角な話があったでしょう?
白と黒の上に、なにかそれを従わせるような、上位に立つ何かみたいなイメージの話をしてたじゃないですか」
「うん、そう、そうだよ。…すごいね、夏美。
そうなんだよ。確かに良く絵などでは三角形で表されている、良く覚えてくれていたね。
頂点には(天上には)創造主がおられて、その下に光も闇も共にあるというのが、うちの一族の創始者から受け継ぐ教えだからね。
とりあえず、ただの二者択一{良い方を選び取り、悪い方を排除する}ではなくて、両方の要素があって、バランスが大切っていうことになっている。
個人個人の中でも、光と闇を備えていてもいい、いや、むしろ備えていておいて、ただコントロールをしっかりする、両者のバランスをきちんと取るってことだね。
で、え?何?」
夏美がラインハルトの袖を引っ張りつつ、小さく頭を下げている。
「ごめんなさいごめんなさい、またライさんの話を逸らしちゃったわ」
「ううん、全然(笑)。僕もつい演説しちゃうところだったよ(笑)。
まぁ…それでね、ええと、漢字の意味などを色々と調べてたんだ。
当て字というのかな。美津姫は、水を司る[水津姫]という風に、それから多津子様は[田津姫]とも書くのだとは聞いてはいたんだけど、それで鏡を担当すべきだったはずの[里津姫]様の名前のもう一つの漢字に注目したんだ。
里津姫様が難産のせいで無事に生まれなかった時に、亡くなった娘を惜しんでお母上様が黎明の《黎》を[り]と読ませる当て字を書いた話は悲しいエピソードだけど。
その《黎》という漢字には暗いとか闇とか、黒という意味があるんだ。確かに黒なんだよ、まぁ、そこだけ見たら白の反対語だと言えるね」
「やはり、そうなんですね…」
夏美は、ドレスの白か黒かという夢を思い出して、心が少しチクンとした。
光に対する陰、自分も美津姫さまも里津姫さまも、本当は闇よりも光が良いんだもの。好きなんだもの。だからこそ、劣等感に苛まれると、自分がネガティブな方を担っている、ダメなものような気持がしてしまうのよ。
自分が、この世界から消えればいいのでは?くらいの気分に落ちていってしまう。
でも、素直な気持ちを掘り起こしたら、本当は勇気を出してもう少しこの世界にいたい、自分も必要な要素として生まれ出てきたんだ、そう思いたいのよ。
でも、気分が沈むとその素直な気持ちが追いつめられて心の底に沈んで、澱みがおおいかぶさって見えなくなりそうになっちゃうのよ。
ライさんは、それでも希望の光を見出して立ち直ることが出来たんだわ。
「ま、いいさ。ここからとても良い二字熟語を見つけた話がしたいのさ。
もっと調べていくと、黎明という言葉を見つけた。
日本語では夜明け前を指すっていうことがわかったんだ。夜明け前こそがいちばん真っ暗な気がするっていう意味の黎なんだからさって」
「ちょっと待って、ということは、黎明って…漢字的には、闇と光が一緒にくっついているってこと?」
「うん、そう、そうなんだ!
思いっきりそこなんだよ、僕が言いたいのは。
黎明はね、夜明け前のね、闇と光が共にあるその時間、特別な時間なんだよ。闇の暗さと光の明るさが共に在って、共に際立っている、際立たせ合っている時間を示す言葉なんじゃないかって。
ね、夏美もそう思うでしょう?
両方ともが繋がっているって思えるんだ。
本当は、際立ちすぎて相容れず、相克相反するような光と闇なんだけど。どちらもが、{共に天を戴かず}とかじゃなくてね、だから両方とも互いを滅ぼしあっているわけじゃなくてね。
両方ともが在っていいし、両方ともが無くてはならないんだ。ある意味、それらが2つで押し合い引っ張り合い、競い合ってバランスを取ってくれている、みたいな」
「そうね、闇と光は繋がって、呼び合っているんだわ、私が夢の中で教えてもらえたのは、そんなヒントだったのかもしれないわね?」
「うん、そうだよ、それが大切なこと、伝わってくるべきだったことなのかもしれない。
僕はそこから発想が飛んでね。ご先祖様の錬金術師の話を思い出して夏美に話したくなったんだよ。ユング博士が、本の中で評して書いてくださっているんだ。
『錬金術師たちは、物質同士の結合を行う際に自分たちの心の中の相対する要素の統合をも重ね合わせて見ていたのである。』 と。
相反する要素を統合させて、物質同士を結合させて、最高価値を持つと言われる金を工夫して創ろうとしていたのが、錬金術師たちの本来の目的なんだけどね。
それだから、元々ある要素を否定したり、無くしてしまおうという発想ではなかったはずなんだ。まして、二者択一とか、何かを選別するということよりは、相反する要素の統合というか、組み合わせを探り、それらのバランスを大切にし、より良い価値、新しい価値を見出し、創り出すことを目指していたのだと思う。
例えば、究極の最高の価値が『平和』だとしたらね、やはり競い合って羨んだり妬んだりすることはあっても、互いに滅ぼしあうのではなくて、互いに無くてはならない存在であることを認め合うべきだと思わない?」
「ええ、思うわ。
不幸にして行き違いがあったり、自分の利害に対立しかかっている相手でも滅ぼしあう以外の方法で乗り切れる道を探すべきよね、」
2人は、うなづきあった。
「それから、さらにどんどん勢いづいてしまって。
似ているものを思い出そうとしたことも話したかったんだ。二者択一じゃなくて、創造主の下で共に存在するような何かの要素はないかなって。
東洋の陰陽思想もどうだろう。白い勾玉と黒い勾玉が合わさって一つの珠になっている模様もあるよね、僕はそういうのを見たことがある」
「あ、そうね。きれいな円の中にきちんと二つ組み合わさってあるわよね。
それから、それならばタロットカードもそうじゃない。
『Ⅱ THE HIGH PRIESTESS 女教皇』のカードに白い柱と黒い柱があったわ」
「ああ、そうだよ、それで僕も思ったんだ。文化がさ、東洋と西洋に分かれていても、似たような思想があちこちで伝わっているみたいなんだよね。
もちろん、あの柱同士は離れて建っている表現なんだ。でも1セットになっている。真ん中に神の摂理の秘密を知っていて守っている女教皇様が座っているんだけどね。女教皇様を頂点とした三角形と思っても良いかもな」
「女教皇様は、秘密を守っているのよね?」
「ああ、そうだ、本当は、その三角形の摂理は、ただの入口で。
それよりも先にもっと大切な神の摂理があるらしい。でも、誰にでも簡単にその摂理の秘密を見せてしまってはいけないらしいんだ。この世界の始まりと終わり、滅びや再生の摂理が関わっているんじゃないかと思うんだ。でも、かなりシビアな課題も多く入っているんじゃないかなぁ。
神話での教訓としてアポロン神は、人間は生物の中で文明を持つほどの知能は認めてはいたものの、全てを明かすと…、たぶん神の許さざる領域に踏み込んだり悪さをするって思われたという説もあるしねぇ。
見るということ、思考すること、覚醒することは、大いなる覚悟を必要とすることだからね。覚悟のない者は、のたうち回り、滅び去る。
さっきの僕達の話にも繋がっていくね」
「そういえば私、ライさんの家で、白と黒の2つの柱を見たと思うわ」
「うん、だってご先祖様のおかげで、そのモチーフが好きだもの、タロットカードには、意外と三角形の構図のものが多くあるんだよね。あちこちに寓意性のある造形物を造ってあるんだよ。今度きちんと案内して見せるね。
まずは、大切なヤキンとボアズの柱からだね」
「ええと、白と黒の柱にも、やはり名前と…意味まであるのね?」
「ああ、白い柱のヤキンが神の愛を、黒い柱のボアズが神の試練を表しているんだ」
「神の試練って、なんだか怖いわね。それでも、両方が必要なのね?」
「ああ、そうだよ。神様からくださるのは愛だけでも嬉しいけれど、やはり試練をいただくことも大切なんだと思う。
試練と言うと、なんか辛いことばかりみたいだけれど、試練がないと成長もないだろう?」
「さっきの話ね。やっぱり、のたうち回ってからがスタートなのね?」
「ああ、そうだと思う。
生と死もそうだよね。生だけじゃ、いくら楽園に生きている幸せを享受出来ていても世界がいっぱいになってきてしまう。古いものはなくならず、新しいものは生まれてこない。それでは、世界が澱んでしまう。
生きて死んで、生きて死んで、僕らは連綿と一生懸命に《運命の輪》として繋がっていってるんだ。
神が定めた元型を写し取った子孫が生まれ、脳内で共通した認識、思考も承継されて、生きて死んで、生きて死んで、繋がっていき、成長していき、それが《運命の輪》が回るエネルギーというような。
つまり、神の愛、神の試練、なんらかの昇華、なんらかの結合、なんらかの分離、ただの繰り返しだけではなくて、だから、ただの一定の円ではなくて、らせんのように上がったり、下がったり、はるか遠く、その先へと、それはむしろ…永遠ってやつかもしれない。僕らがいなくなった後も、さ。
世界だけは滅びないで欲しいでしょう、永遠に」
「永遠…。
そうね、円のように閉じているのではなく、ずっとぐるぐる、くるくると続いていって欲しいわね。私とライさんがいる現在、だけじゃなくて。私とライさんがもういなくなってしまった後も。私とライさんが昔いなかった時に、この世界が確かに在ってくれたように。
神の試練…?
あ!私、夢の中で似たようなことを言ってしまったのよ。愛は嬉しいけど、試練はいらない、みたいに失礼なことを言った気がする…。
でもね、神さまの愛と神さまの試練が両方必要なことをどなたかに聞いたわ、ええと、ええと…天使さまの、…大天使さまの、」
夏美は、慌てて取り出したメモの中を目で探した。ラインハルトは、さらに機嫌の良さそうな笑い声をたてた。
「うふふふ(笑)。
って、僕が先に答えを言ったら、君が怒るから言わないけれど、一応先に言っておくと、僕の自慢になるから言わせてもらうよ(笑)、僕はそのことを、今でもきちんと覚えていて、すぐに言えるんだからね!」
「もう(笑)、悔しいなあ(笑)、ライさんの頭の良さには降参しますが、…。
はい、見つけました♪
大天使ガブリエルさまかな?と思われる方に、私が夢の中で会った時に、そんな会話をしていたように思います」
「良かった、そうだよね。うちに来てくれて夏美が夢を見ていた時に、きっとたくさんの助けや、ヒントがあったんだね」
「ライさん、ライさんはやはり…あの時。
私、全然わからなかったわ。
…そのために私を家に呼んでくれていたのね。大切な夢を見て、何か大切なことに、私が気づけるように」
ラインハルトは、照れくさそうに笑った。
「うん、まぁ、夏美のためだけじゃないよ、自分のミッションのためにね。余計なことをしたかもしれないこともあるけれどね、役に立ったならいいんだけれど、」
夏美は、もう一度ラインハルトの手を握り返した。
「ライさん、ありがとう。
私、きっと自分の中にいる方のことを思い出すというか、ええと一つまた理解が進んだ気がする」
「僕の話って、良いヒントになった?」
「ええ、とても。
ライさんと同じように、私の中にお札さんが在ってくれて、私は守られているって私が言ったことも。
今は、素直にそう思えて、確信みたいになってるわ」
「良かった♪」
「ようやく、私も安心したわ。
ライさんが、私の知らないところから私の知らない時に、私を探そうと決めて日本にやってきたなんて、最初はすごくうさんくさい話をしていると思っていたけど、」
「ああ、うさんくさいよね(笑)、」
「でも、ずっと前から、私たちは関係者さん、だったのね。繋がっていたのかもしれないわね」
「ああ、そうだと思う。僕だって、夏美と会えてすごく助かったんだ。たまに、自分が根無し草のように心細かったけれど、夏美と話していると実感するよ。
僕は…美津姫だけに命を繋ぎとめてもらっただけではないんだなって。母や、父や祖父や偉大なるご先祖様や…血のつながりのない人にだって僕は命を繋ぎとめてもらっていたんだなって」
「そうね、この世界に、この地上に同じ時代に生きている、それだけでも素晴らしく、気がつかないうちに繋がって生きていっている気持ちがするわ」
「ああ、僕達の生きている時間って、きっと神様から見れば、ほんの一瞬の出来事かもしれないけれど、僕達は精一杯『運命の輪』のもとに一緒に繋がって生きているんだね、寿命の尽きる終わりまで」
「それはちょっと、壮大な…宇宙を感じるわね、azuriteの天井を見ていた時みたいに」
「やあ、そうかい?
azuriteは、天界と現実世界を繋ぐ霊性を持つ石だから、力を与えてくれるかもね。
またあの部屋に行って2人で見上げよう」
「いいわね!
まるであの部屋では、宇宙の星々を見ているみたいですもの。
あのね、ライさん…」
「ん?」
「私ね、わかったの。さっき、理解が進んだ気がするって言ったでしょう?
ずっと、私、自分がわからないみたいな気持ちでいたけれど。
私、ようやく答えを見つけた、と思うわ。
お札さんが、なんであったのかというか、本当に私の中の大切な根っこの部分というか、鼓動を刻んでくれているというか、」
「うん、」
とラインハルトは、邪魔しないように言葉を呑み込んでいる。
「ライさんが以前、『僕はアークトゥルスになりたい』と言ってくれていたのもすごく良いヒントになったの。
アークトゥルスって星の名前なのね。色々と調べて、関係するお星さまを見つけたわ。だから、私のお守りカードが何かということも、私は見つけることが出来たんだわ。
つまり、私のお守りカードって、ライさんのお守りカードの『XⅣ TEMPERANCE 節制』と対のカードなのね」
「!、すごいな」
ラインハルトは、嬉しそうな笑顔で夏美を見つめてほっとしたように言った。
「うん、すごいね、夏美。
僕も、ああ、そうだと思った。
きっと、夏美は自分で答えを見つけてくれるって。
僕も、ずっと考えていた。
僕は、だから、君が正解を出してくれたように思っている」
「今、私がその方の名前を言ってしまったら、私の中から…術か魔法が発動しちゃうかしら?
あのね、そのことを思うとね、胸の中がトクントクンとしているみたい」
「あはは、術が発動したらって?
今、この車の中でだと、それはさすがにちょっと困るな。
僕達には、3日後に大事なパーティがあるんだからね」
「そうね、その後にしようかな?」
「うん、今日だってずいぶん、疲れただろう?
それに、残念、窓の外をご覧よ。
ほら、もう夏美の家に到着するよ。
この答え合わせは、すごいお楽しみだよ。あのさ、パーティの後、僕の家に夏美が泊まりに来てくれた時にやらない?
その方が、絶対に安全だと思う」
「ええ、そうね。
あのね、お願いよ。こればかりは、くれぐれも私より先に正解を言わないでね」
「うん、わかった。もちろん、気をつける。僕の自制心を信じていて(笑)。
何てったって、僕のお守りは『XⅣ TEMPERANCE 節制』のカードなんだから。
だけど、パーティだからなぁ。僕がお酒で潰されていたら、やばいかもね。
『儀式を終えないと、僕は本当の成人じゃないって考えてよね』って言っておいてあるのに、みんなが僕にお酒を勧めにくるんだよ」
「うわぁ。もしかして、ライさん、お酒に弱い…?」
「いや、たぶん大丈夫。
まぁ、ちゃんとたしなむ程度には飲めるんだ。
いや、待てよ。今までも、良い感じに酔っぱらったこともある、白状するけれどね(笑)。
でも、限界まで飲んだことがないから、酒に強いか弱いかどうか自分でわからないんだ」
「そういう人が、一番危なそうね(笑)」
「うん(笑)」