113 《地の実りに感謝せよ》 (9)
「うん(笑)、大丈夫、気にしないで。話が横道に逸れていくのは、僕らのいつものルーティンさ(笑)。
ええと、…。《蛇の目》や鏡を怖がっている夏美のためになるといいなって思うんだけど。
僕が美津姫のいた部屋で、砕け散った宝珠のかけらを拾い集めていた時に、不思議なことが起こった話をしたかったんだ。
その時は《蛇の目》に、どうやら僕は助けられているらしい思いがしたんだよ。
そう感じたんだ。
まず、最初に言わせてもらうよ。
僕が宝珠のかけらを拾い集めようとしていた時には、怖ろしいことなどは全く起こらなかったんだ。
だけどね、実は何か怖ろしいことが起こっても仕方ない状況だったんだよ。その時の僕は、その危険に気づいてはいなくてね、後で冷静に考えたら、うかつだと言うほかは無いんだ(笑)」
「ライさん、それって笑いごとですか?」
「ああ、まぁ、笑いごとじゃないよね、だけど、結果オーライだったって話だよ。
まぁ、一度ヒヤッとした後からは、十分気をつけているから、安心して、」
「はい、わかります。私もおっちょこちょいだから、他人のことをとやかくは言えないんですけど。
ライさんの話を聞いていると、ずいぶん何度も危ない目にあっていそうで、心配だわ」
「うん、ありがとう。気をつける(笑)。
美津姫の亡くなった後、彼女の部屋には従者である人間も含めて、誰一人として入れなくなってしまったらしい。部屋は、…たぶん、僕を待っていてくれたんだ。
瀕死の重傷を負った時に、彼女が僕に宝珠を受け取ってと言ってくれたと思う、そういう声が聞こえたって話したと思うんだけど…」
「ええ、」
「実際は距離的に離れていたから、僕のそばに美津姫はいなかったんだよね。
僕は、意識朦朧としていたから、夢なのか幻想なのか現実なのかわからない部分もあるんだけど。
彼女はまるで、自分の胸の中の一番大切な心臓を取り出して、そこにある煌めく宝珠を外して、僕の胸の中に埋め込もうとしているみたいに思えてたんだ」
夏美の胸がトクンとする。
「…はい」
「では、きちんとその時に宝珠を受け取ったのかと言えば…。僕はほとんど身体を動かせなかったし。
僕は、一度美津姫に拒絶している。大切な心臓の中にある宝珠を受け取ってしまったら、美津姫の方が死んでしまうと思って必死だったんだ。
僕の心の中に残っていた最後のイメージは、宝珠が砕け散ってしまうものだった…。
重傷の床の中で、傷よりももっと、その砕け散っていくイメージが僕を苛んだ。僕は、呻きながら記憶を反芻し、考え直してばかりいた。医者には止められたけれどもね、寝ている以外やることが無いのだから、思考が堂々巡りしていたよ。最終的にイメージが固まった。
《白蛇竜の宝珠》も、最後は僕を拒絶していたのでは?、そう思いつつ意識を失ったんだっけ。その記憶が最も真相に近いな、と。
―――ああ、《白蛇竜の宝珠》は、今どこにあるのか?
と、僕は青くなった。
あの大切な宝物をきちんと見て認識できる人間は、…、うん、数が限られていてね、とにかく、誰かに頼るよりも僕が責任を取らねばならない。
だから、何とかしなくてはね。
上手く説明できないけれど、その責任感が優先されたから、美津姫の死に対する悲しみと絶望の気持ちを後回しにして起き上がる決心が出来たのかもしれない。
―――ああ、以前お聞きした《劔》と同様に、失われてしまっていたらどうしよう、よそ者の僕が余計なことをしでかしてしまった。
責任なんて取り切れない。たとえ失われていなかったとしても、砕けているのかもしれない。いや、きっとそうだ。最後のイメージがそうだったんだから。では、どこにあるんだ?
たぶん、開けられなくなってしまった美津姫の部屋にあるのだろうと僕は考えた。部屋が僕を待っている、僕を呼んでいる、そんな気がしていたからね。
それで歩けるようになって真っ先に、美津姫の部屋に行った。
その時の僕は、《蛇の目》がどこにあるか、なんていうことは全く考えていなかったし、先にそちらを確認することもしていなかったんだ」
「え?…もしかして?」
「うん、そうなんだよ。
美津姫の部屋には、実は…すでに《蛇の目》が移動してきていたんだ。つまり、僕が美津姫の部屋に入った時は《白蛇竜の宝珠》と《蛇の目》が共に存在していたんだ」
「そんな…」
「ああ、そうだ。
『一緒に保管してはならない』という宮司の善之助様の一番大切な訓示を、破るような行為をしていたことになる。とても危ないことだよね。
美津姫の部屋は、とても静かでいつも通りだった。ただ、床には、宝珠のかけらが散らばっていたんだ。
僕は、慌ててそのかけらを拾い始めた。
だけど、もともと権利者でもない僕が、かけらとはいえ《白蛇竜の宝珠》に触れているのを《蛇の目》はそばで見ていたんだよね」
「そうね、私は宝物のことも、2つを一緒に保管してはならないという決まりもほとんど知らないんですけれども、なんだか少しヒヤッとします。
ああ、きっとそういうことなんですね、」
「ん?」
「私ね、ライさんが両方、そして水晶玉も持っているということを聞いて、ちょっとムッとする反面、逆にとても心配な、複雑な気持ちを持ったのは、そういうことを怖れていたのかもしれないと思います」
「うん、わかる。龍神様の宝物を司り、守ってくれている巫女姫様が、美津姫を最後に、不在になってしまったんだ。神社も無くなってしまっていたからね。それ以来、そう今現在も、その不安定さが続いているとも言える」
「そうなのね、やはり何とかしなくてはね」
「うん、本当にそうだ。
でも、とにかくね。事実なんだよ。
僕のようなうかつな外国人のよそ者に対して、天罰もなかった。《破鏡の嘆》のように命を落とすような目にも遭わされずに、何も怖ろしいことなど起こらなかったんだ」
「ライさんが、そもそもすごい魔力を持っているからかしら?」
「いや、逆だね、きっと。…足りなかったんだと思う。
僕は、東洋の巫女姫の能力を持っていないからね、つまりそれで、魔法か何かを発動させる力はないわけで。ただの能力不足だっただけだろうと僕は思ったんだ」
「そうなのかしら…?」
「うん、まぁ、確信は持てなかったけれど。
とにかく、僕は両方の宝物のそばに同時にいたのに、大丈夫だったんだ。美津姫のいない時に、部屋に入った事なんてなかったからね。多少の影響を感応したような気はするけれど、とにかく霊力や龍力の暴走みたいな、危険な兆しがあるかどうかは感じなかったんだよね。
部屋の空気というか雰囲気は、いつも通り、清涼な感じだった。…いや、いつもよりも清涼な感じだったかな。
まるで澄み切った冬の朝の冷たい湖に面しているような気配だったように思う。とても静かだった。
まぁ、宮司様みたいな方などは、両方の宝を日常出し入れしたりの補佐的な役割を務め、管理が出来ておられた訳だから。それと似たように判定してもらえていたのかもしれない」
「そうかもしれませんね。善之助様はなんておっしゃってたんですか?」
「ああ、そうだった。
宮司の善之助様は、わざわざ日本から僕の城まで来てくださったんだ。その時におっしゃったのは、僕が青龍王のお札を持っていて、ある意味お札に守られていたのでは、ということだったけど」
「ああ、そうかもしれませんね」
と、夏美はホッとしたように言った。
「うん、僕をそうやって慰めてくださったんだ。
善之助様は、ある程度覚悟をなさっていて、美津姫が亡くなった場合の、ご一族の皆様の意見をすでに集約しておられたみたいでね。
ああ、話が前後しちゃうから、後で説明するよ」
「そうね、お願いします」
「とにかく、僕が宝珠のかけらを夢中で拾い集めていた時の話なんだけど。
全部拾い集めた時に、部屋で光ったものがあった。それで、僕はようやく初めて鏡の存在に気がついたんだよ。
本当に《蛇の目》の気配には気づいていなかった。静かだったし、正直最初は目に入っていなかったのかもしれない。どちらかというと、ふだんは僕には、ただの金属の灰色の事物にしか見えていないんだ。僕には何も映して見せてはくれない鏡だったんだからね。
でも、《蛇の目》の方は、冷静な{審判者}の形質を持っているとは聞かされていた。《蛇の目》には、僕はどういう風に見えていたのかしれないけれど。
…僕はただ、宝珠のかけらの煌めきに見とれ、拾い集める作業に集中していたんだ。何か考えようとすると、また悲しみの沼に沈んでしまいそうだしね。単純作業に没頭していた。
煌めきというにはささやかな光だったかもしれないけれど、トレイの上に拾い上げては置いていくのを繰り返していくうちに、その宝珠のかけらが少しずつ増えていって、太陽の光を受けてプリズムを通したみたいに、きれいに光るんだな、とは思っていたんだ。
ようやく宝珠のかけら全てを集め終わったかもと思ったら、その時突然かけらじゃなくて、《蛇の目》の方が光ったんだ。まるでサンキャッチャーのように虹の光を煌めかせたんだと思う。その一端が僕の目の端に飛び込んできてね。
あ、眩しいなって、一瞬瞳を閉じたんだ。光の煌めきだけじゃない、とても心が暖かくなった気がした。
さっきまでは、部屋の中で湖の冷たさや静けさのような雰囲気を感じていたというのにね。
ちゃぷん♪とね、まるで、一番初めの朝露が緑色の葉から零れ落ちたみたいな音がして。夜明けが来たみたいな気持がした。
朝陽の最初の一筋が僕の方に手を差し伸べてくれて届けられた、みたいなね。こんな表現で、伝わる?」
「ええ、とても。
私も、その音を聞いたことがあるみたいに思うわ」
「…そう?、それは良かった」
「本当よ、まるで…そうね、手を差し伸べているというか、なにかの贈り物をくださっているような、」
「うん、神様が『光を!』って言って、地上に最初の贈り物をくれるみたいな、ね」
「ええ、そうだわ」
「一瞬、光の煌めきに気を取られ、《蛇の目》にようやく気がつき、そして我に返ってトレイを見たら、不思議なことに、既にきちんとした宝珠の形に整えられていたんだ。そう、今の《白蛇竜の宝珠》の形そのままにね。
僕は、美津姫に見せてもらった時の形しか覚えていないけれど、宮司の善之助様にお見せしても、
『これは確かに元のままの形だと思う』
と、おっしゃっていた。
《蛇の目》は、なんと《白蛇竜の宝珠》を再生させてくれる力を元々持っていたかもしれないんだよ。僕はそう思っている。
僕は、その時自分のうかつさに気がついてひやひやし始めたわけなんだけど、それよりも厳しい中の癒しのような眼差しの下にいるように感じた」
「癒し…?」
「う~ん、癒し…?赦し…?
上手い表現が出来ないけれど、厳しい審判の目にさらされているけれど、怖いというよりも、僕の罪や、美津姫の罪やそれらを既にご存知の上で、赦しというかな、起こしてしまったこと、取り返しのつかないこと、すでに過去の事実となってしまったことは覆すことなどないけれども、ただただ責めるのではなく…、う~ん、完全に赦されたっては思えないけれども、…。
なんだろう、{それならば仕方がない}、ということと{それならば次は何をもって償うのか}みたいな感じがしたんだ」
「それは、ええと、癒しとか、赦しとか、なんでしょうか?」
「うん、僕はそう感じた。
本当はその時まで、僕は僕を諦めたかった。辛すぎたしね。美津姫を失った悲しみと責任を感じていた。
青龍王様のご使者から聞かされたミッションは、真珠竜(白蛇竜)の末裔をお助けすることだったというのに、僕は、絶望を抱いたままに、美津姫を死なせてしまった」
「でも、美津姫さまは最後、ライさんに《白蛇竜の宝珠》を託したのでしょう。美津姫さまだって、出来ることを精一杯にやりたかったし、やりきったのだと思います」
「うん、今の僕ならそのことを肯定することは出来るけれど。
ただ、その時は喪失感で、僕は頑張ることの辛さに打ちひしがれて、面倒くさくなったのもあって、本音を言えば、後を追って死にたいくらいだった。全てが虚しいと思った。他の誰かから見れば、世界の大きさからみれば、たった一人の命だけど、僕には大きいものだったし。
それでも、美津姫に命を繋ぎとめられていたと思ったから、また責任上、《蛇の目》と《白蛇竜の宝珠》をきちんと善之助様にお返ししなくてはいけないからぐずぐず出来ていただけで」
「…」
夏美は、ラインハルトの手を握る。
…お願い…。
…伝わって、…。
…うまく言葉にできないの…。