103 《万物を愛し》 (7)
「夏美!、集中して、あと少しだから!」
と、真剣な表情のラインハルトに注意される。
「はい!」
と、すぐに返事するだけにとどめ、言い訳をするのはやめておくことにした。注意する時の声音がいつもより少し厳しく感じたからだ。
それと…。
そうね、今は集中しなければ!
あと何回かしか練習できないのだから!
「はい、フィニッシュ!
ありがとう、夏美。今の、完璧だよ!
マルセル、どうだい?
保存版にしておきたかったくらいの出来だろう?」
マルセルと、それからワゴンやテーブルを片付けていた小間使いさんたちが小さく拍手してくれていた。ラインハルトが夏美にハイタッチをする。飛び切りの笑顔に夏美は、ジーンとした。
確かに、今ノーミスでしかもきれいに出来たかも!
頑張ろう、私。
出番の多い私のために練習してくれている人がいて。またその代わりに曜日が合わず、来られない人もいるのに。
やはり、ライさんも本当は忙しいのに。そして、疲れてもいるはずなのに。
自分の不安感だけで足を引っ張ろうとするなんて…。
たまに余計なことを考えてしまうけれど、ちゃんと集中して私も良いパートナーになりたい…。
マルセルも、夏美が初めて見るような飛び切りの笑顔だった。
「ええ、本当に。先ほどよりもずっと良くなりましたよ。一体となって踊れているというのがモダンの良さですから。今の状態で本番に持っていけますね。
夏美様は、他に気になる点などございますか?」
と言いかけた時だった。
一度退出して別の用事をしていたらしい姫野が、足早にラインハルトを呼びに来た。いつもよりもさらに大真面目な表情を浮かべ、困惑を隠しているような様子で真っすぐに部屋を突っ切ってくる。
「緊急のご連絡でございます。誠に申し訳ございません・・・。今、よろしかったでしょうか?
お仕事のご連絡なのですが、いかがいたしましょうか」
夏美は、あわてて横から言った。
「出てさしあげて。私は大丈夫だから。
私はお客さんじゃないわ、ただ練習に来ただけですもの」
ラインハルトはうなづき、
「うん、ありがとう。あとでちゃんと時間を取って話すよ、待っていてね!」
と言い残すと、姫野と共にリハーサルルームを足早に出て行ってしまった。
マルセルが、残された夏美に頭を下げる。
「夏美様、誠に申し訳ございません」
「いえ、本当に大丈夫です。お仕事ですもの。
ライさんが悪いわけではないとわかっていますから。
それに長くかかるようでしたら、私の用事は後回しにしてくれてもいいんです。
私はもうお客さんじゃなくて、皆様と暮らしていきたい人間ですし。さっき久々にライさんとは雑談できましたし、急ぎの用事は特にないんです。
帰りも大丈夫だと思います。
私は真凛さんと帰れますし、お気遣いなく。
とにかく私、ライさんの足を引っ張りたくないんです」
マルセルは、優しく微笑んだ。
「ああ、そうお聞きしますと、私も安心できます。
今後は、我々と一緒に夏美様がラインハルト様を支えていっていただけるというのは、本当に心強いです」
「はい、まだよくわからないので、マルセルさんにも色々と教えていただきたいです。
私、元気なのが取り柄なので、ただエスコートされるのじゃなくて役に立っていると思った方が嬉しいのです」
「こちらこそ、夏美様に頼り過ぎないようにとは思いますが、それでもありがたいです、夏美様。どうぞ今後ともよろしくお願いします。
真凛もそのうち戻って参りますから。ご一緒に待たせていただきましょう。
真凛が忙しい場合でも、他の者もおりますのでお送り致しますことも出来ますから。
さて、いかが致しましょうか。
また休憩を致しましょうか?」
「いえ、先ほど休憩をしたところですし。
ちょうどよかった。と言ってもいいですか?
私、一番苦手なルンバをマルセルさんと踊る予定だとは思っていなかったので、よろしかったら今、練習していただきたいです」
マルセルが笑顔でうなづく。
「ぜひ、こちらこそお願いします。
私は、夏美様のルンバはとても好きですけれど、いつもご謙遜されていますよね。しなやかにリズムをとらえていて美しい踊り方だと思いますけれどもね。ですから、本当に光栄ですし、私は、パーティが楽しみで仕方がないのですよ。
それに設定の役柄上なんと言っても私達は、味方同士。
そして私達は、ラインハルト様の共通の敵役ですからね(笑)。ここが、とても重要です♪
自分に与えられた役柄が、非常に気に入っていて、遥様に心から感謝でいます。
実のところ、夏美様が王子をぶっ飛ばしてくださるところを練習している時には、つい本音でガッツポーズしてしまいそうになります(笑)」
「え?そうなんですか?(笑)」
と、夏美もつい笑顔になり、声を立てて笑ってしまった。
静かな神官みたいなイメージは相変わらずなのに、こんなお茶目な話をしてくれるなんて。
曲をかけて、ゆったりとルンバを踊る。本来は途中でパートナーチェンジを挟むことになっているけれども、同じ振り付けなのでそのまま踊っていく。マルセルは踊りながら、そのまま雑談を続けてくれるようだ。
「ええ、復習ですから気楽にいきましょう。あまり真剣に踊っておりますと、ルンバは何と言ってもロマンチックな”愛の踊り”ですからね。ラインハルト様にやきもちを焼かれてしまっては困ります(笑)」
「やきもちなんて、焼きますか?」
「ええ、それはもう。夏美様にぞっこんですからね!
夏美様と交際してから、本当に明るくなりましたし、隠しきれない喜びがにじんでしまうように(笑)。
かっこつけていてもスタッフにバレバレです。先日は、花梨の息子さんにまでやきもちを焼いていたようですから(笑)。
『僕は、負けてふくれているわけじゃないよ。総大将じゃなくて、僕も夏美のチームに入りたいんだ!ってごねたかった』らしいですよ、本音を言えば」
「ライさん、子供みたいなところもありますから」
「本当に、その通りですよ。
さっきの話ですが、夏美様とのバトルシーンでもね、私が夏美様の方を応援しているのがラインハルト様もわかっていて、たまに私に向かってアカンベェしそうな顔になってやっていますよ」
「あの練習の時は、姫野さんとおふたりで、とてもはらはらなさって見ているのだと思っていました。たまにあの作り物の長剣で本気でやりそうに……うふふ、すみません(笑)」
「一応、彼は武術の訓練は十分に積んでおりますので、ある程度の攻撃はちゃんとかわせますから安心してください。
むしろ、ふわっと手加減するよりもここ!と決めて打ち込んでくださる方が、気配が伝わってやりやすいかもしれません」
「そんなものなんですか?」
「ええ、強い相手よりも、逆に子供とか弱い人と対峙しますとね、こちらも必要以上傷つけないように手加減してあげようと余計なことを考えていたりしますし、ふだんの乱取りとは違うんですね。
それで、いきなりやみくもに来られると、想定外で意外と難しいんです。
素人の動きの方が、読めないことが多いです。ですから、夏美様もどうぞご遠慮なさらずに。楽しく打ち込んであげてください♪
もともと私は、彼の家庭教師でもありますから。彼がうまくかわせないようであれば、私にお説教されるのはラインハルト様でして、決して夏美様ではございません。
他にも何か失礼なことをして、私に言いつけたいことなどあったら、いつでもお聞きしますよ」
と、マルセルは笑った。
「ありがとうございます。叱ってくださいますか?」
「ええ、どうぞお任せください。彼が何かしでかしたらぜひ。
もちろん、彼のために弁護することもあるでしょうし、しつけと教育の怠慢を私がお詫びするしかないという時もあると思いますが。
故郷の城にいても、ほとんど私が{ラインハルト様への苦情専用窓口}を担っているような時もありましたから」
「大変なんですね(笑)」
「ええ、それはもう。
ラインハルト様は、子供の頃から素直で、基本の性格はとても良いのです。それは皆、わかっておりますが。頭も良いですしね。指導していても楽しみでしたよ。でも、逆に天才肌と申しますか、いきなり何かを思いつき、やりたがって始めてしまうようなところがありまして。
子供の頃は、怒られたり、怪我をしてから『やっちゃいけなかったのか…』ということを考えるというありさまでした。まず、頭の中に成功イメージばかりが100%広がってしまうんでしょうかね」
「危ないこともありましたか?」
「ええ、それはもう。とにかくそのまま突進していくようなことが続いていましたし。皆、才能を潰してしまうのもいけないと、見守りつつハラハラしていたというのが多かったと思います。
それでも、やはり我らの希望でもありましたね。例えば…。まだほんの子供だったんですよ、弟のハインリヒ様の生まれる時でしたから、4歳か5歳かの頃の時のお話です。
一度、大好きなお祖父様に、宝物庫のある塔に連れていってもらってからは、侵入者排除の仕掛けのあるらせん階段が、たぶん遊具にしか思えなかったのでしょう。それにチャレンジすることに夢中になってしまったんですね。
飛ぶ魔法の理論みたいなものをようやく少し教えたばかりでしてね、高い所に一人で行かせるのは心配だったのです。それでも見ておりましたら、もちろんほとんど仕掛けに阻まれて2,3段も登れなかったものですから、ちょっと安心して放っておいたのです。ちょっとずつ痛い思いもして、覚えていけばいいと。
それがどうしたわけか、一足飛びに飛ぶ魔法を上達させていたんですね。
ある日見かけたら、走りながら仕掛けをかわして一番高い所に登り切ったり、仕掛けに捕まって真ん中の空間に放り出されても、得意そうに飛んでいるんですよ。
私は基礎を教えただけですし、観察してみたら私の教えたことと違う飛び方を効率よく混ぜて、やりこなしていたのです。そんなことが他にもあって、驚かされることばかりでした」
マルセルが嬉しそうに自慢エピソードを語るのを、夏美もにこにこと相槌を打つようにして踊りながら聞く。
「すごいですね、どうして勝手に出来てしまったんでしょう?」
「ええ、私もついびっくりしたものですから、きちんとした答えが返るとは思わないまま、本気で尋ねてしまったのですが。あの頃は本当に素直でしたから、目をきらきらさせながら一生懸命に説明してくれてました。
白い雲のようなドラゴンが、塔の窓の外に来ていて見てくれていたそうです。落ちた時に助けてくれてから、飛び方を覚えたと言ってました。風を起こしてくれて、その風に乗るようにサポートをしてくれた、と。まるでドラゴンが訓練をしてくれたように言うんです。
塔の窓はずいぶん高い所にあって、しかも古い建築ですから小さな窓なんですけれどもね。とてもドラゴンが入ってくることが出来たり、風を起こしてくれるような場所ではないのです。それでも不思議なことは常にたくさんあるものですから、彼を信じることに努めました。おおいに褒めて『次に逢えたら、ドラゴンと意思疎通が出来るのは貴重だから、ぜひお願いして仲良くしてもらいなさい』と言ったんです」
「不思議ですね。それからどうなったんですか?」
「どうやら、それからはドラゴンに逢えなかったみたいです。『マルセルにも逢わせてあげるね♪』と張り切っていたので、しばらくは本気で落ち込んでいました。なかなか同年代の子供たちと遊ばせてあげられる状況になかったので、友達が欲しくてならなかったようです。
子供心に『あの時と同じように落ちたら、来てくれるかも?』という発想に繋がり、本気で飛ばずに落ちようとしたりするので、それは禁止したのですけれどもね」
「あ、あの、もしかしてその塔の一番下には、3人の女の人がセットになっているような彫像なんか飾ってありませんでした?」
「ええ、そうですね。あったかもしれません。その塔はかなり大きくて何層もあるのです。各階に色々な貴重な遺物が飾られておりますから。全てを私もきちんと覚えておりませんが。いずれそお披露目できるかと思います」
「はい、その塔をぜひ見てみたいです。
私、小さな頃から色々と不思議な夢を見るものですから、理解したいと願うことが未だにたくさんあって。夢の中で見た塔に近いといいなって思うんです」
「はい、夏美様にもご一族のことを考えてつとめなければならないことがあるように承っております。ラインハルト様もそれにご協力なさるとか伺いました。我らにも何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます。
そういえばマルセルさんは、苦情をきくだけでなくてマルセルさんご自身もライさんに困らせられたことも、ありましたか?」
「いえ、もうそれは、しょっちゅうですよ。最近もです(笑)。見守れる嬉しさ反面、驚かされることも多いです。
正直、力不足を痛感しております。この頃のラインハルト様には出し抜かれてしまうことも多く、心配ばかりしております。私を巻き込んじゃいけないと思っている時などは、優しい嘘もつかれてしまいます」
「あ、そうなんですか?
マルセル様にも、ですか?
私、そういうのがたぶん、とても腹を立てる要素になりそうです」
「はい、それは私もです。
あまりここで、2人で悪口を言っていてはいけませんが、彼の優しさが寂しい時もありますよね?」
「はい、本当です。どうすればいいのでしょうか?」
「そうですね、私も良さそうな答えを探している途上です。
まぁ、自分で何でもやりたいという本性は、変わらないでしょうし、変えなくてもいいとは思うのです。彼は、一族の中でも特殊な役割を果たさねばならないと厳しく育てられたので、いざとなったら一人で何でもできるようにと、自分でも努力していることもありますから。
それは、やはり尊重すべきと思うのです。でも何かあった時には、とても驚かせてくれますので、困ることも多いのですよ。
それでも夏美様のおかげで、良い変化がありました。『自分にも傲慢な所、決めつける所があるんだな、僕はただ正しいことを貫いているように思っていたし、頭から解っているつもりなので気がつかなかったのか…』とか対人関係についてもまた、考えるようになったようですよ。
今後は、少し慎重になってくれるはずと思います」
「そうでしょうか。
私、本当にライさんの力になりたいと思っているんです。まだ何も大して出来ないと思いますが。
何かあったら、と思うと、不安になるんです。
ですから、マルセルさんにも色々と教えていただきたいです」
「はい、もちろんです。
ラインハルト様のためにも、皆で協力し合いましょう」
「ありがとうございます」
「いえいえ、お礼を申し上げたいのは、我々の方ですよ。ずっと果たせない願いがあったのに夏美様のおかげで、ようやく進みます」
「はい…良い方向に進みますように」
練習を終わらせようとした頃に、ようやく真凛が合流することが出来、次に花梨も仕事場から来てくれて、さらににぎやかになって他の練習をしたり、花梨のピアノ演奏を聞かせてもらったけれど、ラインハルトと姫野はなかなか戻ってはこなかった。