出会い、そしてそんなのなかったことにした
「どうしてこうなった……」
ボクは誰から見ても(こいつ、何をやらかしたんだ?)と心配されるくらいにガックリと項垂れた。
ここは街の外れにある変哲もない酒場。メインストリートからは外れているせいか、外から来る人よりはこの街にもともと住んでいる人たちの憩いの場になっている。
落ち込んでいるボクを見かねて、隣のおじいちゃんが心配そうに覗きこんできた。
「何じゃ坊っちゃん、何か失敗でもしよったんか?」
「いえね、自分の意思を相手に伝えるのはままならないものだと思いまして……」
「おうおう、さては家族と喧嘩でもしたんじゃろ?」
家族ね。まぁ、家族と言えなくもないか。
「そうですね。言いたいことが伝わらないってのはこんなにも辛いことだったんだなって。」
ボクは目の前の本を一瞥しつつ、また溜め息を吐く。
「そうじゃったか。じゃがな、そんなことは当たり前のことじゃ。世の中にはいろんな人が暮らしておる。言葉も違えば食べ物も違う。しかし、儂が飲んどるエールも外の国の物じゃ。こんなぶくぶく泡立ったもの、最初は飲み物とすら思っとらんかった。」
「そんな儂にここの女将が『あんたと酒の趣味が合うアタイが太鼓判を押すよ!』ってな?それはもう半月近くも毎日毎日勧めてきての。『死ぬわけじゃないし、それこそ老い先短いんだから今のうちに出来ることは一通りやっときなっ!』と言われて飲んでみたらのぅ……絶品での。女将が諦めないでいたおかげじゃ。いまや儂はエール無しでは生きておれん。」
「じゃから坊ちゃんものぅ。諦めんことが重要じゃ。行き違いであれば、ただ話し合えばいいだけの事じゃろ。」
……いいこと言うねこのお爺ちゃん。
「でも、これで“2回目”なんだ。前の時はボクが心配している事に全く気付いてもらえなかった。」
「ほぅ、ならば今回の悩みはこれで1回目じゃな。今回は気付いてもらえたんじゃろ?」
ボクはハッと顔を上げお爺さんを見つめる。
「大いに悩め若人よ。その悩みも苦しみも、無限の可能性として神から与えられたもの。我らはただ、その中で自らの意志を皆と共に共有し、分かち合いそして高め合っていくのみよ!」
お爺ちゃんの話を聞いて、ボクの目にはウルウルと涙が溜まっていく。ようやく見つけた!ボクの“意志”を継ぐ人がここにいた!!お爺ちゃん……いえ、お爺様…………
よく見てみると、お爺ちゃんの顔は大樹の年輪を思わせる皺を刻み、風にたゆたうヤナギのような立派なお鬚を蓄え目は永遠を生きるドラゴンの双眸にも似、お鼻は天を割る地の果ての山脈のような……なんで気づかなかったんだろう。
イケメンだ……ボクの意志を継ぎ、思慮も深く常に前向きな姿勢……さらにイケメン。
……
……心臓の鼓動が鳴りやまない。胸を締め付ける動悸は脳を揺らし、視界をぼやけさせる。
これって何だっけ……恋?
そう、これは紛れもなく……恋。Likeを超えたLOVE!まだ愛ではないけど、これから育んでいけば恋は愛に成長する!相手にされない?本人が言ったじゃないか!世界には無限の可能性がある!時間も“無限に”あるんだ!!
しかし、ふと考える。目の前の愛しの方が“お爺さま”である以上、これまで時間を重ねてきたはず。この固定概念ばかりの世界で、このお顔になるには相当の年月を重ねたはず。ならば寿命もまだ克服できてはいない……まずい。“ボクと”結ばれるため固定概念を崩すには時間がない。
ならば告白するか?それとも説得?いやいや、世界の真理を教え強引にでも枷を解き放つか?……だめだ、下手をすれば人格が崩壊してしまう。愛しの方を愛しいままでいさせる為には、悪手でしかない。
ならば、手段は1つしかない。心より先に体を慣れさせる!ボクはお爺ちゃんのシモを攻める!!そして今夜、早速婚姻の契りを……
しかし、お爺ちゃんの話はまだ終わっていなかった。
「しかしな坊ちゃん。そんな世界にも邪魔がある。神が作った完璧なような世界にも“亜人”や“魔の者”という、神の意志に反した紛い物共がおる。」
その言葉を聞き、ボクのドキドキは遥か彼方へ飛んでいった。それはもう、光よりもとてつもないスピードで。
「邪魔者を排斥してこそ、我らの未来は……これ!坊ちゃんどこへ行く!!」
ボクは駆け出しながら大声で叫ぶ。
「ありがとうお爺ちゃん!目が覚めたよ!!」
悪い意味でね。
少年の立ち去ったカウンターには1冊の書物が残されていた。
アポリトの書
神はこの世をお創りになった。
神は人類に無限の可能性を与え、我らの意思のもとに全ては存在する。
神はこの世に塵を残された。
塵はやがて澱みとなり、世界にいきわたる。
純白の世界を汚すかのように……
さあ皆よ。崇高な我らの意思によって澱みのない純白の世界を……
お爺さま、もといお爺ちゃん。いや、あえてこう呼ぼう。
くそ爺は脱兎のように立ち去った少年をポカンと見つめていたが、やれやれと首を横に振るとカウンターにあった“聖書”を懐にしまった。
少年は年齢は気にしないたちです。




