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箱入り姫は樽の中  作者: 葵・悠陽
第一幕 箱入り姫は樽の中
4/4

樽姫様は家庭教師に協力を求める

春の日差しもうららかな、惰眠を貪るのには最高の朝。


暑くもなく、それでいて寒くもなく。

涼しいというにはまだ若干の冷たさが残る朝の空気。


そんな爽やかな空気と共に

街は、村は、そして王城も、みな等しく朝を迎えます。



この世界の人々の朝は早い。

日が昇る前には目を覚まし、陽が沈む少し前に仕事を終え、

夜が更ける前には眠りにつくというのが一日のサイクルです。


王族の暮らしも例外ではなく、朝早くから目を覚まし朝食を済ませ、

それぞれの抱える執務なりにあたります。


王城東側のとある一室。

ふかふかの天蓋付きベットに、沈むように樽が一つ転がっていました。

標準サイズのワイン樽にしか見えないそれ。

ベットは明らかに高貴な人が使うような高級品です。


薄暗がりの中、ピクリとも動かない樽。


朝の陽ざしが部屋を、樽を照らした瞬間…

突然ゆらりと動きを見せました。


「……(もぞもぞ)」


転がってた樽から手足が飛び出ます。


言わずと知れたルミナリア姫です。


何故か寝ている間は手足が樽の中に引っ込んでいます。

継ぎ目があるわけでもなく、まるで液体の様にするするっと染み込むかの如く

銀色の手足は樽の中に収納されているのです。


ベットの上でもぞもぞと樽が蠢いたのち、


「……んっ」


可愛らしい声でぴょこんと起き上がります。


「おはようございます姫様、今日もいいお天気ですよ~」


にこやかに微笑みながら、ルミナリア姫がベットから降りるのを

何時の間にやら控えていたマーガレットが支えます。


「……あり、…が、と」


こうして今日も姫様の一日が始まります。





               ◆


「ひ~めっさまっ!

本日の朝食はグランデリカのブルーチーズが手に入りましたのでっ!

ちょっと気合い入れて作ったっス!

朝からちょっと重たいかもしれませんが、ザーマス婦人との対決ですよねっ?

パワフルに行きましょーっ!」


「グランデリカですか。

またよくそんな高級チーズが…まさか、料理長のアイマンさんに

また何か良からぬ事でもしたんじゃないでしょうね?

あと対決ではなく協力要請ですよ?」


朝からテンション高めのメルファをマーガレットが嗜めます。

今日の朝食は彼女メルファが当番だったのですが、どうやらブランド物の高級チーズを

厨房からせしめてきた様子です。

元気系美少女でカティアの双子の姉でもある彼女は

以前色仕掛けで王宮料理人の料理長、アイマン氏に貢がせていた前科があります。

そんなメルファに皆の視線は若干温度低めです。


「ち、違うっスよ!?

今回はガチでアイマン氏の好意ですって!

普通にゴーダチーズを食材庫に取りに行ったら

『大量に仕入れたから姫様に』って分けてくれたんっス!

アイマン氏がロリコンなのをいいことに貢がせてた件は

心から反省してるっスからあああああ!」


「信用なりませんね~?」「メルが色目も使わずに、ですか~?」


「…いえ、流石に今回は無実です、誠に残念ですが。

珍しく姉は何の手管も使わずにアイマンさんからいただいてました」


「妹よぉ~~!!」


「…姉の最近のターゲットは城下の雑貨屋のイシュルマイ…」


「待ていっ!何で知って…って、みんな?

そ、そんな目で私を見るなっスよぉっ!」


「「「……」」」


「…(くすっ)」


朝から元気に騒ぐメイド達を、ルミナリア姫は温かく見守ります。


彼女たちの元気が、姫の凍える心をいつも温めてくれるのです。


(わたしは、幸せだなぁ)


マーガレットが用意してくれたミルクを飲みながら、

姫様はほんわかとそんなことを考えるのでした。





さて、朝食を済ませたルミナリア姫はマーガレットを引き連れ、

ザーマス子爵婦人の授業を受けるために応接室へと向かいました。


姫様がお稽古事やお勉強を学ぶ部屋は、

姫様の自室から二部屋離れた応接室です。

間にはメイド達の部屋と姫様の工作室があります。

ちなみに工作室には廊下からは入れません。

実質的な隠し部屋なので。


え?何の工作かですか?

それはそのうち語る機会があるでしょう、姫様の趣味ですし。


「……(びくびく)」


「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ、姫様。

夫人も言い過ぎたって、伝言していくくらいですし

今回のエスケープは姫様には責はありませんよ」


「……(ふるふる)」


「あー、エスケープしたこと自体が申し訳ない、と?

ふふっ、ですが、昨日の夫人は確かに興奮しすぎて怖かったですから。

アレは逃げても仕方ないですよ。

僭越ながら私が姫様の立場だったとしても裸足で逃げだす興奮っぷりでしたし」


「……(ぶるぶる)」


「あはは、鼻息荒かったですものねぇ」


「……(こくこく)」


相変わらず何故会話が成立するのか。

この主従の絆は言葉で表現できるものではないのかもしれません。

応接室はすぐそこなので、短いやり取りの間にすぐ到着してしまいました。

マーガレットが先に立ち、扉を叩きます。


「ルミナリア姫がご到着されました」


そう言ってゆっくりと扉を開きます。


応接室というには若干小さな部屋。

中央に大きめのテーブルと椅子が4脚。

いつでも授業ができる様にと既に設置済みの移動式黒板。

テーブルの横には細身の、栗色の髪を丁寧に結い上げた空色の瞳の

若干神経質そうな中年の女性の姿がありました。


サリヴァン・フォン・ザーマス子爵婦人です。


「おはようございますルミナリア姫殿下。

先日は臣下の身ながら不用意に失礼な発言をし、

御身をご不快にさせた事をお許しくださいませ」


そう言って深々と頭を下げる夫人。


「!?……だ、じょ…ぶ、…か、ら」


「…姫様のご恩情に感謝いたします」


泡を喰ったようにわたわたとしつつも、気にしていないと

一生懸命に伝えようとする姫様に、ほっとしたようにうっすらと笑みを浮かべ

頭を上げるザーマス婦人。


彼女は姫様付きの家庭教師で、他国からも礼儀作法を学びに来る者もいるくらい

著名な人物だったりします。

決して悪い人物ではなく、仲良くなると意外に面白い人なのですが

いかんせん見た目の通りの根が真面目で厳しい性格、

かつちょっぴり直情的で口調がキツいため

姫様が怖がってよく逃げ出してしまうという事が多々。


その度に城内を鬼のような顔で姫を探して走り回る彼女の姿は

この王宮の名物の一つだったりもします。

……もちろん本人は知りませんが。


そんな彼女を頼りなさい、と先日クリスティン王太子は言いました。


王族に礼法を教える家庭教師に市井の一般常識を教えてくれと頼むのは

中々に勇気がいる事でしたがここで臆していては目的は果たせません。


(ううっ…こわいよぅ…、で、でもがんばらなきゃ)


早速授業の準備に入る夫人に、姫様は勇気を出して声をかけました。


「……あ、の、……せ、…せ、」


「……どうかなさいましたか?姫様」


不思議そうな顔でこちらを見る夫人に、姫様は意を決して用件を伝えます。

後ろにはこっそりと拳を握って内心で姫様を応援するマーガレット。


(頑張ってくださいませ!姫様~!)

(が、がんばるっ!)


『実は…』


そうして姫様は先日兄王子に相談した件を夫人にも相談しました。

兄王子から夫人を頼りなさいと言われたことも含めて、です。


話の内容に目を丸くしていた夫人でしたが、兄王子から云々のくだりを聞いて

何故か天を仰いで頭を抱えていました。


「……やはりクリスティン王太子にはバレていたのですね。

流石は、と言ったところでしょうか」


バレる?なにが?

意味の分からない夫人の独白に姫様とマーガレットはつい顔を見合わせます。


「マーガレットさん、これから聞く話は他言無用で」


「は、はい」


「……姫様、姫様は私がジークハルト王子の家庭教師も

務めていたのはご存知ですね?」


「……(こくこく)」


ジークハルト王子というのは、7年前に出奔して冒険者になった

姫様の兄の一人で第2王子です。


ジークハルト・イル・ブロッサムベル。


赤い髪の元気な兄で、姫が樽に引きこもる前はよく遊んでもらった覚えもあります。

「イル」という名は側室の子であるという意味で、

王位継承権は正妃の子である「エル」の名を持つ者より低くなります。

腹違いとはいえ、彼が出奔した事件は姫様にとってもショックでした。

そんなジークハルト王子の名がなぜここで出てくるのか?


「王子の出奔の手引きや、市井での生活知識の教育を行ったのは…私なのです」


「「!!」」


「あの頃、他国はルミナリア姫様の件でこの国の継承権が荒れると踏んで

ジークハルト王子を次期王に擁立させる企てが水面下で動いていました。

それを察した王子は、出奔することでそれを避けようとなさったのですよ」


「そ、その為にジークハルト様は夫人を?」


「そうです。

王子の策を聞き、私達はもちろん反対したのですが意志は固く。

最後はこちらが折れる形で様々な事をご教授しました。

元々勝手に城下町に抜け出してらっしゃる方でしたので吸収も早く、

ごく短期間で外の世界の知識を得た殿下は、冒険者になられたのですよ」


「……(びっくり)」


当時は実は誘拐ではないかなどとかなりの大騒ぎになった出来事です。

姫様にしても、せっかく部屋から出られるようになった矢先に

兄王子の一人が居なくなってしまったと随分しょんぼりしたものですが

そんな裏事情があったなんて……と、驚きを隠せませんでした。


そして、クリスティン王太子が何故夫人を頼れと言ったのか。

それがようやく二人にも理解できたのでした。


『先生、それでしたら尚の事、市井の暮らしについて教えていただきたく思います。

私は外の世界を知りません。

何から学ぶべきかすら、分からずにいるのです』


「……姫様、まず最初に釘を刺させていただきますが、

知識を得たところで実践できなければ意味がありません。

また、市井の知識を得る事と、姫様の王族としての立場はまた別です。

通常の学ぶべきことと合わせて並行して学んでいただくことになりますので

相応の苦労を強いられるかと思われますが、よろしいですね?」


「よろしいですか?」という確認ではなく、「よろしいですね?」という問い。

こちらの想いを重ねて言わずとも汲んでくれた夫人に姫様は心から感謝しました。


「……は、い……!」




               ◆



「姫様がまず最初に学ばれるべきは……

そうですね、経済といったところでしょうか」


『経済、ですか?』


民の暮らしを知るにあたって、何故経済なんだろう?

首をかしげる姫様に、夫人は尋ねます。


「では姫様、いまここにある紅茶。

先ほどマーガレットさんが入れてくれたものになりますが、

これはどうやって作られましたか?」


『?

ティーポットに紅茶の葉を入れて、お湯を注いで、でしょうか?』


「ではその紅茶の葉はどうやって手に入れたのでしょう?」


『食材庫から?』


「では食材庫にはどうやって手に入れたのでしょう?」


『えっと、市場からでしょうか…いえ、農家から?』


「姫様、質問の内容は『どうやって?』です」


『うーん……皆様のご厚意、ではないですよね』


「そういう事例もあるかもしれませんが、毎日は無理でしょうね」


ザーマス夫人は「紅茶」を例に出しましたが、

これは紅茶に限らず全てにおいて言える事だと姫様は気づきます。

ください、と言ってもらえるものだったら誰も苦労はしないでしょう。

そんなことを考える姫様の脳裏に、嫌な思い出が一つ浮かび上がりました。


『……御用、商人。

お母さまを騙そうとした悪い人。

偽物の首飾りで、あの人は何を欲しがった?』


「!?姫様っ!?」「…う、迂闊でしたっ…!」


マーガレットとザーマス夫人の慌てたような声。

ですがそんな二人をそっと手で制して、姫様は続けます。


『あの悪い人は、「おかね」を欲しがっていました。

……先生、答えは「おかね」というものなんですね?』


思い出すのも嫌な、かつての事件。

トラウマの元になった詐欺事件の犯人。

御用商人は王妃様に偽物の首飾りを売りつけることで、

たくさんの「おかね」というものを欲していたことを姫様は覚えていました。


どうやって紅茶の葉を手に入れるのか?


首飾りと「おかね」を交換するように、

紅茶の葉と「おかね」を交換することが答えに違いない。

確信をもって姫様は答えました。


「……正解です。

驚きました、これまであえて経済についての指導は避けていましたのに。

その根本たる概念については理解されていたのですね。

そうです、生活に必要な物を生産・分配・消費する行為についての

諸々の社会的関係こそが経済であり、今の社会は姫様が言うところの

『お金』を軸にそれらを行っています。

すなわち貨幣経済、というものですね」


『貨幣、経済……』


「先ほどの例で言いますと、紅茶の葉を手に入れるためにそれと等価の価値を持つ

貨幣、お金を対価として支払います。

それによって紅茶を得る……仕入れるわけですね」


『物の価値は誰が決めるのでしょうか?』


「基本的には売り手側がその価値を決めます。

指標となる広く一般的なそのものの価値…『相場』というものを軸に、

手に入りやすいか、どの程度の利益を出したいか、諸々を加味して

『値段』という形で価値を設定するのです。

そうして手に入れた金銭でまた商品となるものを仕入れたり、

別の必要なものを手に入れたり、貯蓄したりすることで

経済が回るのです」


『おぉ……』


「王族として城で生活している分には中々触れることの無い概念ですので、

これまでは姫様が政治経済に関わる年になるまではとあえて教育内容としては

避けていた分野になります。

ですが、市井の暮らしを知るうえで『経済』の在り方を知らなければ、

貨幣というものの存在を知らなければ、生きていくことは出来ません。

それ故に今回お話ししてみたわけですが……。

流石姫様でいらっしゃいます。

実に理解がお早い」


そう言って笑うザーマス子爵婦人ですが、姫様には何となく伝わるものがありました。

自分のトラウマとなっている事件には、御用商人との取引内容…

すなわち「おかね」が絡んでいます。

その事を知る夫人であるがゆえに、不必要に姫様のトラウマを刺激しないよう

あえて政治経済を教育指導内容に織り交ぜなかったのでしょう。


そんなさり気ない、不器用な夫人の思いやりに姫様は何となく嬉しくなるのでした。


『先生、お金というのはどのようにして手に入れるんでしょうか?』


「良い質問です」


そう言うと夫人は黒板に何やら書き始めます。


「まず、売り手と買い手、というものが存在する事、

その間にある『商品』を『貨幣おかね』のやり取りで取引する事は

理解していただけたかと思います。

姫様の疑問である『貨幣をどこから仕入れるのか?』という問いですが、

これは買い手、すなわち消費者の立場に立ったもの全てにおける命題です。

欲しいものを手に入れるために貨幣が必要、貨幣を手に入れるためには

相応の価値を持つものを用意することが必要。

ここで姫様に質問を返します。

『価値』が付けられるもの、とははたしてどんなものでしょうか?」


それは不思議な問いでした。


価値とはどれくらい大切か、またどれくらい役に立つかという程度を指します。

人によって違うでしょうし、また、どんなものと言われても

形があるものばかりとも限りません。

いつも一緒にいてくれるマーガレットやメイド隊のみんな、

大事なお父様やお母様をはじめとした家族、

こうして知らないことを丁寧に教えてくれる先生、

単に「価値」というなら存在そのもの以上に関係性や想いも

かけがえのない価値を…


「……あ」


そこまで考えて、姫様は一つの可能性に突き当たります。

物に値段を、価値を与えられるという事は同時に、

物でないものにも価値を与えられることでもあるのではないだろうか?

形のないものにも価値あるものはたくさんあります。


例えば時間。

例えば想い。

例えば知識。


今こうして学んでいる事にだって、姫様にとっては価値の在る事です。

そういった無形の「価値」を売り物にすることで、

貨幣を得られるのではないだろうか?


『えっと、先生?うまく説明できないんですけど…』


そう言って姫様は考えていることを一生懸命に夫人に伝えます。

夫人は我慢強く、姫様のたどたどしい説明を聞いてくれました。

何度か聞き返しては伝えたいことを少しづつ汲み取り。


「……素晴らしい。

『無形の物にも価値をつけられる』、その事をよく理解できましたね。

そう、そうです。

『価値』を設定できるのは何も形あるものばかりではないのです。

今姫様がおっしゃっていたように、こうして姫様に説明する行為も

立派に値段をつけられる『価値』を持つのです。

それを求める人が居れば、ですけれどね」


夫人はそう言って、黒板に書かれた「消費者」の次の近くに

今度は「雇い主」という字を書き、

消費者の文字の間に矢印を結んでいきました。


「『雇い主』は自身だけでは足りない人手を『労働力』という形で値付けします。

消費者は自身の時間、能力を駆使して『雇い主』の求める『労働力』となることで

対価を得ることができます。

こうした関係を『雇用』と言います。

例えば私やマーガレットは王家から

家庭教師やメイドとして『雇用』されている、と言えるわけですね」


このような感じで、ルミナリア姫は外の世界について様々な事を学んでいくのでした。





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