樽の中のお姫様
本編まったりスタートです
さぁてお立合い、御用とお急ぎでない方は
ゆっくりのんびり聞いとくれ!
これから語りし物語は昔々その昔、剣と魔法の時代の話。
夢か現か幻か?
神代の時代、神秘の時代、世界がおとぎ話で満ちていた時代のお話しさ!
愛の形は様々あれど、娘に過保護は世の理だ!
蝶よ花よと愛され育ち、世間を知らずに幾年月。
富豪の娘、貴族の令嬢、王家皇族のお姫様。
悪い虫などつかせぬと囲い護って育てし華は
美しいかはいざ知らず、純粋無垢な箱入り娘。
白き花咲く王国に、ある日生まれた花一輪。
何の因果かこの花は、数奇なさだめで樽の中。
箱入りならぬ樽入りの姫、その尊き御名はルミナリア。
ルミナリア・エル・ブロッサムベルこと『樽姫』様の、
波乱万丈奇々怪々、七難八苦千荊万棘の物語……。
(吟遊詩人の語り「樽姫」の冒頭)
◆
エルガイア大陸の東部に一つの小さな王国がある。
ブロッサムベル魔法王国。
周囲をいくつもの大国に囲まれながらも300年もの間独立を維持し続け
小さいながらも強力な武力を誇る、それでいて非侵略を国是とする強国である。
大陸の東西をつなぐ大街道「金馬車の街道」、その東側の末を押さえるこの国に
様々な意味で有名な一人の姫君がいた。
名をルミナリア・エル・ブロッサムベルという。
ヴァフムート8世の第5子、第3王女として生まれた彼女は
人々からはこう呼ばれている。
樽の中に引きこもって出てこない「樽姫」様、と。
◆
神奉歴723年、花の月15日。
ブロッサムベル魔法王国建国300年をあと5日後に控えるこの日、
王都ヴァイスフリューゲルはどこかそわそわした、
祭りの前の高揚といったものを漂わせている。
街行く人々はどこか楽し気で落ち着きなく活気に満ち溢れ
来るべき祝いの日を待ち望み、各所で昼だというのに酒を酌み
乾杯の音頭と王家を讃える声が上がる。
それを咎める衛兵たちの声もどこか笑いがこもっていて、
祝いの日が待ち遠しいのが決して民だけではないことを感じさせる。
東の列強国の中でなお独立を維持し続ける偉大なる魔法王国。
弱者の救済、戦の道具として扱われる魔法使いの救済を掲げ
不当な罪で死罪を命じられた者たちが集って建国された王国、
それがこの「ブロッサムベル魔法王国」である。
国民のほぼすべてが屈強な魔法使いであり、
他国では異端、異物として排斥を受ける亜人たちも差別なく受け入れ、
西のロンガルド帝国、東のストラウト皇国、北のベルヘニア王国といった
何倍、何十倍もの戦力差を誇る強国をあの手この手で撃退。
決して自国民に対する無益な虐待を許さず、親愛と信頼を以て統治する王家を
この国の国民は揃って愛し、信じ、支え続けてきた。
そうして重ねてきた日々も、はや300年。
人の子の短い命なれば既に7~8代ほどの代替わりを重ねている年月であるが
それでもなお国の、王家と国民の間の信頼関係は揺るがない。
その奇跡の様な鋼の信頼を、他国は「絆の魔法」と羨み揶揄し、また恐怖した。
そう言った事情もあり節目となるこの300年記念祭は
まさに国を挙げての一大イベント、大祭である。
当代の国王ヴァフムート8世の誕生日が花の月22日という事もあり
昨今の建国記念日は王の生誕祭も兼ねる。
更に時代の節目を鑑みて今回の建国祭当日には次代へと王位継承も行われるという。
これでもかとばかりにめでたいイベントが詰め込まれ、
国民も興奮しないわけがない。
あまり騒ぎ過ぎないように、と事前に出された沙汰もろくに効果がないのは
ある意味で仕方がないともいえよう。
国民の多くが浮かれに浮かれ浮足立っている建国記念日間近のこの状況で、
それを運営する側はと言えば。
城内
「当日の警備の配置はどうなっているっ!」
「パレードの際の配置図、この位置だと問題があると伝えただろう!?」
「すみません~、うちの隊の備品なんすけど納品はどこっすか~?」
「届け出はどうなっている!?許可証が無ければ当日のこのエリアは…」
「あかん…もう4日も寝てない…眠い…」
「王太子!大変なのは皆一緒です、逃がしませんよっ!」
「後生だセレナッ!私にはやらねばなら……ぬああああああ!?」
と、各所で阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていた。
騎士団や衛兵たちは警備関係の下準備におわれ、文官たちは当日の流れや手配関係、
各国の要人たちも早い者たちは到着しているし、これからの方々への向かい入れもある。
まさに上に下にの大騒ぎ。
こればかりは事前にどれだけ準備を重ねていてもどうにかなるものではない為
皆疲弊した状況であっても相応に楽しんでいるのが窺われた。
儀礼官関係者や外交接待関係者はその限りではなかったが。
国中挙げての祭りの空気の中。
皆が皆、諸手を挙げて楽しめているのかと言えば
そんなことがあるわけもなく。
それぞれの抱える理由で祭りの空気を楽しめない者たちも存在する。
王城グロッセブルーメンの城内庭園。
美しい花々が咲き乱れる城付き庭師の努力の結晶ともいえるこの場所は
普段は王族や高級貴族、各国来賓たちが優雅な時間を過ごすために
訪れる場所であるのだが、ここ数日は祭りの用意に皆忙しく
ろくに訪れる者もないまま静けさに包まれていた。
そんな庭園の片隅、綺麗に刈り込まれた芝生の上にポツンと一つの影があった。
樽。
それも、手足が生えた樽、である。
手足と入っても明らかに生き物のそれではなく、銀色に輝くそれは
まるで機械人形の手足の様につややかで、そのくせ妙な生々しさがあった。
樽は器用にも三角座りで、ぼへ~~~、とでもいった様子でそこに佇んでいる。
樽の上には、ちょこんと小さな小冠が乗っていた。
樽は、じっと動かない。
知らない者が見ればただのオブジェか置物にしか見えないその樽であったが、
時折ピクリと動く。
……動くのだ。
動くのだから置物ではありえない。
そんな珍妙な樽に近づく者がいた。
「姫様、や~っと見つけましたよ。
こんなところで今日は何を悩んでいたんです?」
「樽」に声をかけたのは一人のメイドだった。
黒のヴィクトリアスタイルメイド服に頭上のホワイトプリムが眩しい、
肩の高さで切りそろえられた艶やかな黒髪に蒼の瞳。
整った顔立ちのわりに妙に地味な雰囲気の少女だ。
年のころは14か5と言ったところだろうか?
右上腕部に刺繍された「鈴蘭の紋章」が指し示すのは
彼女が王家付きメイドであるという事。
となれば必然「姫様」と呼ばれた「樽」は
「……(こくこく)」
メイドの問いに「樽」はその通りだと言わんばかりに頷いてみせた。
首が分からないからそう見えるだけだが。
そうして「樽」はよいしょっといった感じで立ち上がろうとする。
そんな「樽」にさり気なく手を差し出し、起き上がるのを助けるメイド。
「……」
「いえいえ、お気になさらずルミナリア様。
それよりもこの時間はドレス選びにザーマス子爵婦人と
ご相談されていた筈でございますよね?
夫人が鬼のような形相で城内を走り回っていたので
お逃げになられたんだろうと予想はしていましたが」
「……(じたばた)」
「あ~、婦人がまたエキサイトしたんですね?
流石にその樽のままでドレスは着れませんものねぇ。
で、無理やりそれを脱げとお説教モードで反射的に逃げ出した、と。
あはは……確かにそれでは逃げたくもなります」
「樽」の僅かな動きだけで、メイドは分かっていますよとばかりに受け応える。
しゃがんでいた部分に付いた土などを
どこからか取り出した布で綺麗にふき取りつつ、だ。
そういったやり取りを見るだけで、この主従?の信頼関係の深さが窺える。
この手足の生えた「樽」こそがブロッサムベル魔法王国第3王女
ルミナリア・エル・ブロッサムベル(12歳)。
傍らのメイドはルミナリア姫付きメイド隊メイド長である
マーガレット・ネメロス(16歳)。
二人の主従関係は今年でもう8年にもなる。
◆
「……夫人はもう帰られたようですねぇ。
ま、どうせ明日も来るんですけど。
姫、そんなに震えなくても夫人がおっかないのはいつもの事じゃありませんか。
リラックスですリラックス」
「……(こくこく)」
庭園で若干時間をつぶした後、姫の自室に戻る二人。
周囲を警戒しながら進むメイドと樽の二人の姿は
明らかに怪しいが皆も祭りの準備で忙しく、
二人のそんな様子も「何時もの事」でもあったために
皆苦笑いしながらスルーしていく。
中には「また夫人を怒らせたんですかい?姫さま」
「ザーマス婦人なら先ほど帰られましたよ」などと話しかけてくる者たちもいたが。
「……(ぱたぱた)」
樽中で感謝を必死に表現する姿がなんともほほえましい。
相手に伝わっているかは別として。
既に件のザーマス子爵婦人は帰ったようだと聞いてはいるものの
何となく逃げ出した手前ばつが悪くてこそこそしてしまうのも人の性。
そうと知って付き合うマーガレットも相応のお人好しである。
王城の東側の区画、他の王族の居住区画とは若干離れた場所に姫の部屋はある。
色々と込み入った理由で他の王族たちとは離れた場所に住んでいるのだが
それを姫は悲しむことはない。
二人が部屋に戻ると、他の姫付きのメイド達がすでに揃って出迎えてくれる。
「あ、姫様お帰りなさいませ!」
「ザーマス子爵婦人は先ほど帰られました。
……姫に、『少し強引過ぎました、怖がらせてごめんなさいね』との
言伝をお預かりしております。
流石にかのご婦人もテンション上げすぎの自覚があったようで」
「いやー、久々にあのご婦人のおろおろした姿を見たっッスよ!」
「……(こくこく)」
上からミリーシャ、カティア、メルファ、ローラという。
マーガレットを含めてこの5人で姫の身の回りの世話と護衛を行う形だ。
話ながらもてきぱきとお茶の用意を整え、姫の身体(樽)を拭き上げ、
くつろげる用意を済ませるあたりは流石にプロの仕事である。
流石に樽のまま座れる手すり付きの椅子はない。
よって姫の椅子はどちらかというと踏み台?と見る者が首を傾げそうな
頑丈さ重視、背もたれ手すり無し、屈めばすぐに座れる高さの椅子だ。
ちなみにこの椅子はマーガレットの日曜大工の作品。
姫は用意された椅子に腰かけ、テーブルに用意された紅茶を優雅にそっと一口。
口はないのに何故か飲んだり食べたりできる謎仕様である。
口のあたりっぽいかなという部分の樽の表面に触れると
不思議なことに触れたものが吸い込まれるように消えていくのだ。
仕組みは謎であるが、おかげで人間らしい生活が出来ている。
どこかの錬金術師の弟くんの様に、鎧に定着したまま飲まず食わず睡眠要らず、
という訳ではないのだ。
傍で見ているマーガレットたちにとっても実に不思議な現象で
何度見ても飽きないが、主の飲食の姿をじろじろ見つめるわけにもいかないので
流石に観察は自粛している。
優雅に紅茶を嗜む姫様であったが、どことなく心ここにあらずといった様子。
庭園でしていたように、物思いにふける様に動きを止める。
「………(ふう)」
「お悩みは、やはり例の件ですか?」
「……(こくこく)」
何となくアンニュイな雰囲気の主にマーガレットが問いかける。
姫の悩みの内容はメイド達は承知していた。
幾度となく相談を受けたのだ。
もちろん他言無用の内容なので彼女たちの秘密であったが。
「…わた、し……、や、…ぱ、り、……みな…の、……め、…わ、く」
たどたどしい言葉が、樽の中から発せられる。
鈴の鳴る様な、可憐な声。
だが、その声は必死に絞り出すような、無理に押し出しているような、
そんな印象もあった。
ルミナリア姫は話せないわけではない。
スイッチが入るとまるで別人のように普通に会話することもできる。
だが、普段はうまく人と話せない。
緊張、不安、恐怖、そんな感情が邪魔をして、親しい相手に対してもどもってしまう。
コミュニケーション障害とでもいうべき症状に陥っているのだ。
過去に起きたとある事件。
その事件で失った大切な命たち。
そのショックが幼い少女の心に深い傷をつけ、今なお苦しめている。
「姫様、大事なことだから自分の口で話したいってお気持ちは分かりますけど、
無理をなさってはお身体に障ります。
わたくし共相手ならば筆談でも字幕表示でも構いませんから」
マーガレットの言葉に姫は軽く頷くと、
『……ごめんなさいマギー、いつも気を使わせてしまって。
こんな不甲斐ない主でも、支えてくれる皆にいつも感謝しているわ』
突如樽の上に光の、可愛らしい文字が浮かび上がる。
姫としてはやはり言葉は自分の口で、という意識が強いため
普段はあまり使わない「字幕表示機能」である。
ちなみに顔文字なども表示可能らしい。
……何でもありだな、この樽。
『……何度も考えたのだけれど、私はやはり、兄上の即位に合わせて
王族としての地位を返上しようと考えています』
「……お気持ちは固いようですね」「マジっすかぁ…」
「残念です」「…(しょぼん)」
姫の言葉に、メイド達はそれぞれ遺憾の意を示す。
ルミナリア姫の悩みとは、すなわち自分が姫として
相応しくないのではという事だった。
『本来私くらいの年であれば、他国に嫁ぐなり婚約するなり、
国益の為にその身を捧げるのが普通です。
ですが悲しいかなこの身は樽に入ったまま。
出ようにも、やはり私は外界が怖くて出られません。
こんな身体では殿方の求めになど応えることは到底不可能。
一国の姫としての価値は無いに等しいでしょう。
ならば市井に下って縁の下から国の為に働きたい。
多くの命に生かされたこの身を、私は私を慈しんでくれた
この国の為に活かしたいのです』
強い決意に満ちた姫の言葉。
そんな姫の決意が報われればいいなと願いながらも、
マーガレットは世間がそんなに優しくないと知っている。
彼女の愛すべき幼馴染、使えるべき主君が「姫辞めます!」と言ったところで
簡単にやめられるわけがないのである。
その心意気やよし。
だからこそ、そんな姫の想いを可能な限り尊重しつつ彼女は言葉を選ぶ。
「姫様、それならばまず王太子様をお味方につける必要があります」
『クリスティンお兄様を?』
「そうです、姫が市井に下りたいと言っても王と王妃様は間違いなく
反対されるでしょう。
王妃様に至ってはまた倒れられる可能性が大です」
『あぅ…』
「そこで、王太子殿下をお味方に引き入れ、お知恵を借りるのです。
殿下は次期国王でございます。
その祝いに合わせ、何らかの形で市井へと降りる許可をもらえるのなら…」
『なるほど!流石はマギーね、素晴らしいアドバイスだわっ!』
姫様ちょっとテンション高めに喜んでらっしゃいます。
流石の姫様も父や母を悲しませるのは本意ではありませんから
兄王子の協力を仰ぐというアイディアはとても素晴らしいものに感じました。
一人で悩むにも限界はあります。
そして困った時に知恵を貸してくれるものの存在を、
ルミナリア姫は心からありがたく思ったのでした。