二章 四 下船
お疲れ様です。2章完結です。
今回は2章のエピローグ的なあれそれでして、だいぶ短いですが、お楽しみ頂けたらなと思います。
2章まで閲覧ありがとうございます。拙い文章、脆弱な語彙、フワッとした魔法と物理ですが、あなたの暇潰しや気分転換のお供になれたら幸いです。
「『今日は挨拶に来たんだ。だからさして君を殺す気はないけれど、次は殺すかもね。それだから、君は覚えておくといい。いいや、覚えておくべきだ。我々は貴族撲滅テロ組織ドクユウレイ。あらゆる非道の手を使い、貴様らの大半を必ず殺す』……だそうだ」
霧の晴れない頭を立ち上げて、ビゼンちゃんの言うこと一つ一つを認識しながら、意識が飛ぶ前の記憶を復元する。俺の頭はコンピューターかっての、一度に何でもやらせやがって。そんなやり場のない怒りなんてのは殊更自分の内側に積もるだけだった。
「放送でも言ってたね、今日は挨拶。で、その感じを見るに、あの緑髪の男にはうち負けた感じだね」
「あ、ああ。……すまない」
「別に俺は謝られる筋合いないけど。今後どうしようか」
もはや誰も乗っていないであろう船の一室で足を崩して座り直す。もう酔いも覚めて気分は陰鬱、少し寝て落ち着いたけれど、今日はもう活動したくない。
俺もガキを逃がした。爆弾は取った。が、ビゼンちゃんにそれをいうべきとは今は思えないので黙っておいた。然るべきタイミングが何事にもある。情報は尚のことそうだ。情報は持つべき者のもとに集まる流動的で変態的な生き物だから、放すタイミング次第で毒にも薬にも変貌する。そういうものだ。
「俺と対峙した男の容姿だけ、伝えようか。緑髪、焦げ茶……枯葉っぽい色のインナーカラーが入ってて、髪の毛はヒョウちゃんよりちょっと長いくらい。目も同じ色で、童顔で、身長が凄い高くて目の前に立たれると威圧感が……」
「うん、もういいよ。名前は?」
適当にぶった切る。なんといってもビゼンちゃんの視覚情報は八割が主観で、正確性と客観性をとにかく所望している俺からしたら正直聞くに耐えないのである。とはいえビゼンちゃんは俺に話をぶつ切りにされたという自覚が特にないようで眉一つ変えずに素直に受け答える。
「名乗らなかったぞ。言動で気になったのはさっき言った自己紹介と、あとは、『僕には風の声が聞こえるから』とかなんとか言っていたな」
思わずハッと失笑した。
「なわけねえじゃん。ね」
「俺も同意見だ。が、 確かに俺の攻撃は一度たりとも掠めなくてな」
ビゼンちゃんは指先にポフンと青い炎を点した。能力による攻撃をしかけたらしい。俺も同系統の能力だから何となく見ればわかるが、特にビゼンちゃんの炎の方に異常はなさそうなので、運動神経で負けていると考えても差し支えないだろう。風の声というからには風の能力であるはず。もちろん、風の能力者が風の声を聞くなどという馬鹿げた現象は先に事例がない。ただのハッタリなら話が早いが、気に留めるだけ留めておく。
「あとは?なんか話したの」
「いや。……ああ、話したな。久しぶりといわれた」
「なるほどね、知り合い?」
「いいや。全く覚えていないんだ。何かわかるか?」
「わかったっつーか、推測の域だけど。……まあ、一旦降りよ。込み入った話はそれから」
不思議そうな顔で、それでもやはり素直に一言で承諾した。まだ少し喉の奥が痛むが、心因性で片付いているうちは黙秘を貫くと決めている。人に嫌な顔をされるくらいで十分、俺なんて同情や心配を買うほどの価値もない。
その話をするならさっきのあの子、ミツキって子。初見だったし気分も悪くなかったから適当に嫌われておいたはずだけど、ヒョウの友人で挙句このザマを見られたとなれば……しくじった。
無駄に質のいいベッドから降りてローファーに足を突っ込みながらバレない程度に悪態をつく。ああ、なんだか全部だっるい。早く帰りてえ。自分を呪い殺してやりたい、腕から足からズタズタに切り殺してしまいたいくらい、自分の一つ一つのミスが許せない。元々そういうタチなのだ、いてもたってもいられなくなると仕方ないので夜風に当たりたい。
『ずっと、今夜この夜が明けなけりゃいい。そう思うんだな』
そうだとも。全部億劫でだるいんだ。貴族の相手も仕事も面倒くさい。今日が終わらなきゃいい。誰でも思ったことがあるはずだ。
だからどうした。そう、ただ、それだけなのだ。
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月が沈んでいる。
水面にはぼんやりと黄色い月が映っている。それが、私には沈んでいるように見える。海の底で、月がなりを潜めているように見える。満丸い影が風に拐われる波と一緒にぼやぼやして、左右にふらふら揺れている。波に飲まれて揺蕩う丸い月。兎の模様がぽやんと浮き出ているようないないような。その様はまるで水面に傘だけ浮かせて波に漂うクラゲの如しで、海の月とはよく言ったものだなと思ったのを覚えている。
私もそう。揺れる船の底でなりを潜めて、人間と人間に流され雰囲気に呑まれて、自分自身はといえば白黒はっきりしないでぼやぼやしながら揺蕩っている。邪魔だと、逃げろと、ともかく背中を押される方向へ、ふらふらと走り回ってガラスにうつるのは水母海月という人間の形をした、「無個性」。すなわち私もクラゲの如しで、海月という名前はある意味お似合いだ。
正義と正解は違うもの。私は、正解の意で正しさを取って、逃亡癖を直す気があるのかないのかといわれると、ないらしい。厄介事を忌む性質はある意味で出来を疑うフレッケやイルと互換性のあるもので、すなわちそれはそういうことである。
ヒョウの正義はきっと私と対極のもの。正義の意で正しさを取って、危険も何も省みないで逃げも隠れもせずに臆せず進む。ヒョウの性質が嫌いなわけではない。だけれど辞書を引くくらいでは理解しえない、一種の怪異的なものに見えるのだ。
逃げ帰って無傷で生還する私は凡人として大正解。
堂々戦って負傷し生還するヒョウやヒゼンさんは、何か。
愚か、いいや、違うだろうか。あえてそれを題するならば、大正義。だろうか。
「海月!」
「……ヒョウ」
ヒョウが駆け寄ってきた。エチゼンさんは見つかっただろうか。
「あのね、海月を見ていたの」
「クラゲ?」
本当に好きだね、それ系といって、ヒョウは私の隣にしゃがみこんで、沈んだ月と湖をじっと見た。「どこ?」と聞くので、私は立ち上がって「もういないよ」と答えた。ヒョウはキョトンとしている。
「今は月とヒョウが見えるかな。クラゲはいないよ」
「なんだ。私なんか見てもどうしようもないじゃん」
大袈裟に肩を落とすヒョウに、私は肯定の声をかけようとして、やはりやめた。そして一言。
「現実はともあれ、水面にうつるヒョウは、ちょっとカッコイイかもしれないじゃん」
ヒョウをうつしている水面は。いや、ただ、それだけなのだ。
ご精読ありがとうございました。
結構章が多いので、まだ序盤ではありますが、お暇がありましたらどうぞ三章もお付き合い下さいませ。
前書きを真面目に書いてしまった手前、後書きをどうしていいのかわかりません。ううん、あ、そうだ。ここでひとつミズクラゲの紹介でも……おっと、誰か来たようだ。