二章 三 正義
チッスクロです。お疲れ様です。
物理って得意ですか?私は理科と距離を置いて生きてきました。
しかし今回はエセ物理の話が出てくるので、「俺得意なんだよね〜、物理とか化学とかよくわかんねえけど全員抱いたわ〜」って方は間違いを見つけても魔法云々で自分をごまかしてフワッと雰囲気で読んでいただけると幸いです。「俺理科とは反りが合わなくてさ……、あいつそういうとこあるじゃん……」みたいな同志はやはりフワッと雰囲気で読んで下さいませ。
船は最下層が一番揺れないものである。だからここは一番揺れないし、接敵においてはこの部屋をぬけた先の下層ホールが一番おあつらえ向きだ。出来ればそこまで追い込んで、ホールで爆弾を固定してしまえば盗難物はぶんどれる。のだけれど、参ったことにこの考えは多分既に読まれている。
ううん、私の思考はぶっちゃけ短絡で、サイキック系が無くても周りに読まれるのが常だから、実はそんなに気にしていない。なんてったって理屈派じゃなく行動派なので、読まれて困るほど複雑な考えはきっぱりと、無い。それにメインエンジンはここまで狭い狭い一本道。壁はバリア済みだから、子ども一人のあれそれで崩れるものでもないと思う。勝算は大いにある。
そんな目論見の通りに、ただの片道一本のエンジンルームから抜け出した先の下層ホールに、爆弾を持ったままの子どもが子どもらしい真ん丸な目でこちらを見ている。やれやれこちとら田舎の泥にまみれて育ったパワフルな女子高生だ。ここまで来たら小学生なんぞに負けることもさしてない。
『お姉ちゃん』
「あえ?」
『お姉ちゃんは、正義?』
「へぇっ?」
今までほぼ沈黙の少年からの一言に間抜けな声を出し、口からとび出た一言に更に不甲斐なく上擦った声が漏れる。挙句、難しい言葉をご存知だなあという感想しか出ない。
『ぼくたちは正義のてろりすと!お姉ちゃんは正義?ヒーロー?』
「お姉ちゃんは、」
一応自分の気持ちに素直に生きているので信念的なものには忠実なんだけれど、正義といわれると大袈裟なので、多分、ノー?
『そっかあ』
ぎょっ
まだ何も言っていないのだけれど、ああ、そういえば読める子なのか。……忘れていた。まあ言葉の整理をする手間はなくて良いと解釈しよう。それに、よくわからない問答は一旦ここらでおわりになるだろうし。
肺いっぱい酸素を入れ込んで、腹にぐっと力を入れて、準備完了。あとは止めたい対象に私の指が、爪先一ミリでもかすめれば完璧。目指すはあの黒い箱。固定してしまえばとても持ち運べないので、あの子自体には傷一つ作らず安全に奪取できる。……本当ならあの子、私に背を向けて逃げるだろうと思っての爆弾だけ固定作戦なのだけれど、まあ細かいこと考えてても仕方ない。地面を右足から勢いよく蹴って、ひたすらに猪突猛進で大事そうに抱えられたそれに触りに行く。いや、触れなくても、近くの空気を掴めば最悪それでいい。近隣原子を手当り次第に繋ぎ合わせる力だから、箱の端っこの原子が範囲内なら、それでも正直差し支えない。
そのはずで飛び込んだ先の爆発物が、なんと消失。
元々人対人の衝突がないような軌道で走っていたのでぶつかったり押し倒したり、とにかく悲惨なことにはならなかったけれど、待って、どこいった?
『あっち』
そういって元々私のいた方を指差すので、格好つかないほどバッとそちらを振り返ると、確かにあった。さっきまでと同じ高度に、そう、浮いている形である。一瞬数学でもやっている時みたいな感覚だったけれど、さてはこの能力、「サイキック系」と呼ばれるだけあって心を読むだけじゃないらしい。そして私、さてはバカにされているらしい。
ちくしょう!舐められてたまるかい!の一心でそちらに踵を返して走るけれど、もちろん掴めない。そして爆弾は当然、さっきまで私がいた場所に、ほぼ同じ高度で瞬間移動している。
『お姉ちゃんはヒーローじゃないから、ぼくのことは倒せなくてもいいんだよ』
あんなに小さい子どもに、アニメのヴィランみたいなセリフを吐かれてしまった。まだあどけないその顔でする精一杯の悪そうな顔はいたずらっぽくて、なんだか逆にタチが悪い。
私はひとまず諦めてその子の目の前まで歩いてきた。そして一言二言、言葉を交わしてみることにする……と見せかけてやっぱり爆弾を取りに猛ダッシュ!……したのだけれど、やはりすんでで消失。さあ、次はどこに消えた?その先は、子どもの目の前、さっきの私がいたところそのまんまである。その子は面白そうにくすくす笑い、まだ小さい手を、指先をめいっぱいまで広げて叩いて笑う。なるほど、想像の先を行くようなヴィランらしい。舐めていたのは私なような気がしてした。
とはいえあの子を意図して傷つける手法は、なんというか私のポリシー?に反する。なので次は、単に走ると危ない。それに……、いいやまだ早い。やめておこう。浅く、早く、呼吸法を変えて整えたら準備はオッケー。
ともかく下層ホールには飲食できるように机があるので、一度は逆方向だけれどそれに向かって走って、触れて、机を固定!走った勢いのまま手のスナップで飛び乗り、体を捻ったら机を両手で押すようにして身をガラス張りの壁に投げる!と、ぶつかる直前で周辺空気ごとガラスを念の為固定しておいて、それを蹴る!と!我ながら完璧な計算であの子の頭上それなりな高さまで来た。ここからが賭けだ。目の前の空気を全固定すると、本当に一瞬、空気をさながら個体レベルまで固めることが出来る。その一瞬の空気に体を衝突させて、下の爆弾まで急降下できるはず。
両手の指先の神経を全部使って空気を完全に固める。天井まで巻き込めたら完璧だけれど、流石に高さが足りなかった。しかし十分な硬さで、勢いづいている私の体は、固定特有の硬さと空気特有のクッション性にぶつかって、概ね想定通りに落ちることが出来た。けれど、残念、爆弾は手に入れられなかった。
「ふぅ〜〜〜〜〜……」
長く溜息のような深呼吸をする。空気にぶつけた体は、痛むわけではないけれど、それでもゆっくり起き上がって、男の子に怪我のないことを目視でちらりと確認すると、読まれていたようでいっそ皮肉なほどニッコリ笑われた。もはや笑えた。よろりと少し歩き、上を見る。想像通り。
あの子の頭上遥か、私がさっきまでいた場所に、アイツがある。
『大丈夫?』
上辺の心配をニッと口角を上げて返した。
さらに距離をとった。さっき来たエンジン側でなく、海月を逃がした階段側だ。もう十分離れた場所で、私は言った。
「私はヒーローじゃないから、正攻法はダメみたい」
声を張らなくても、誰もいないふたりぼっちの空間には事足りた。逆も然りだった。はじめてまともに見るその子の姿。綺麗で不思議な目の男の子。燃えるような赤と茂るような緑の共存する……ああいうのなんていうんだっけな。エチゼンさんの好きそうなやつ。バイカラートルマリンだったろうか、そんなかんじの色。短パンを履いているのは上のシャツとパーカーが大きすぎて見えなかったな。
『えへへ。ぼくたちはヒーローだから、お姉ちゃんもヒーローじゃないと勝てないもんね』
そして、両手にぬいぐるみ。腹話術に使う動物の形をしたやつだ。なるほど、腹話術。道理で話していても口の形が変わらない。今も無邪気に歯を見せて笑っている。
「でもね、私は君のこと、倒さなきゃいけないんだよ」
はじめて心の読めるこの子に、目を丸くされた。もともとまんまるい目だから、もはや正円の丸さではないだろうか。
『逃げないの?』
「うん!お姉ちゃんは絶対なにからも逃げないよ」
精一杯の「うん」だった。肺いっぱい酸素を入れ込んで、腹にぐっと力を入れて、準備完了。
難解な顔で考える、その腹から出たのは『怒られちゃうから?』の一言だ。「あはー……、それもあるね」否定しかねる。主人兄弟はきっと怒ると怖い。目をそらすわけにはいかない事実だ。しかし私の煮え切らない回答にさらにかわいい顔をクシャクシャにしている。そんな彼に私はだいぶ調子に乗って、かなりヒーロー気取りで、あえてくどいほどカッコつけて言う。
「ふふん、君にだけ教えてあげよう」
人差し指を手のひらの内側に丸めこんで親指で押さえ、引き伸ばす力を溜め込む。余計な計算や憶測や杞憂からくる長考、今だけ彼のために全部後に回そう。
「ヒーローみたいなすごいことができなくても、人のできないことをあっさりとやってのける私!何気ちょっとカッコいいじゃない?」
ぽかんとしたかわいいあの子の顔を見て、私は勝ち誇ったように精一杯力を込めた指を解き放ち空気を弾く。
私に弾かれた空気は、弾かれながら凝固する。それに弾かれた空気が次の空気を巻き込みながら凝固する。ドミノ倒しみたいに空気ごとの空間固定が、あの時の爆発に引けを取らぬ轟音がするほどの勢いで連鎖して、衝撃波のように広がっていく。目指す先はもちろんあの黒い箱。ほぼ槍状に縦に伸びる衝撃波が、子どもを巻き込まずに爆弾だけ撃ち抜き巻き込み固定できる、私がさっきまでいたあの高い所。
『あっ……!』
……あの子のサイキックを見て、一瞬だけ諦めたのが事実だった。けれど、諦めきれなかったおかげでわかってしまった。爆弾の瞬間移動の先は、絶対に大きなアクションを起こす前の私のいる場所。もしかしてバカにされているわけではなく、それしかできないのではないか。そう思い立った。私の能力が生き物を固定できないように、能力には本人の魔力値に相当する制限があるものなのだ。だからあえてあの子の目の前に立ってから箱を取りに行ってみた。爆発する箱はあの子の目の前に移動した。もし人をバカにしてるだけの愉快犯が、自分の好きなところに物体を瞬間移動できる超能力者なら、子どもとはいえわざわざ事故が起きたら自分が巻き込まれかねない目の前に持ってくるわけがないんじゃないか。そして無い頭を搾って辿り着いた結論は、位置エネルギー。
私は頭が弱いのでザックリ解釈なのだが、いつぞや主人が言っていた。人間が歩いたり走ったりするなら、一番位置エネルギーが高いのは直立、静止している時なのだとか。そしてあの瞬間移動の正体は、位置エネルギー同士の置換。私が動き出した瞬間、私が静止していた場所に残存する位置エネルギーに、爆弾をそれのもつ位置エネルギーごと置き換えてしまうという寸法だ。その証拠に、空中にいた私は移動中だったのにも関わらず爆弾は空中に移動した。きっとこれも当然だ。位置エネルギーは要するに高さがあれば強い。これはまんまと逆手に取らせてもらった。
多分、百点は貰えないけど、部分点は貰える粋な答えだと思う。
ヤバい。私、超、カッコいい!
耳に響く轟音。目を開けていられないほどの衝撃、空気の群れ。ぐらりと揺らぐ人の影。そして突風にはっとする。
しまった。自分に浸っている場合ではなかった。空気の固定はかなり不安定な繋げ方になりやすい分、本当に一瞬しか続かないのだった。それが今、巻き込み式で固定を使ったおかげで結合と乖離を瞬時に何度も繰り返した原子が存在してしまうはず。それがいくつもの連続体となって、ようやく爆弾という個体を絡めとった時、空気の結合が一気に弾けて、私の今即興の拙い拙い計算が狂っていなければ。
空気が「爆」散して「弾」けるのでは。
やば!と叫んだはずなのに、もはや爆風さながらの空気の轟音で聞こえもしない。しまった、しまった。あの子、爆弾の下にいたはず。爆発源は最初に固めた私のところになるからという理由で距離をとったのだが、トリガーの爆弾はあそこで、あの子は下で、いや、半端に固まった空気自体にはクッション性があるので大事にはならない、はず。ああ、もう、思考がまとまらない!早く行こうにも、爆発源自体はここだから私が一番動けない。最悪!柄にもなくカッコいいことしたらすぐプラスマイナスゼロになる。
数十秒後にようやく目が開けられるほどに衝撃が弱くなった。最後の、爆弾と空気の連結がようやく切れたらしい。
私ときたら意気消沈。というか、目を開けるのが怖かった。机や設備がどうなったって正直この際いいけれど、私の不完全な計算と見栄を張って見たい軽い気持ちが人に怪我をさせたかもしれない現実が正直堪える。
空中での固定が切れた爆弾が、遠い空気の奥でトッ、とやけに静かに落ちた。
「ヒョウ」
今度はやけに耳内で響く鋭い声。質として鋭いけれど、調べとしてトゲトゲしくはなかった。それに、聞き慣れた懐かしい声だった。
それを根拠もなく頼みにして、やっと決心の着いた私はおずおずと顔を上げた。左にあの子どもを抱えて、右手に黒い例の箱を上向きに持った、いつも通りやけに美人な男がそこにいた。あの子の方はやはり、たいそう驚かせてしまったらしくて目をぱちくりさせている。ヒゼンさんはそのまま私に向かって「お前もテロリストかよ」と小言を言った。流石の洞察力で一部始終、察しがついているらしい。
「すみません……。あの、怪我は」
「俺もこの子も別に。よかったじゃん。俺のおかげで人殺しは回避したね」
「一言余計なんですよ。私が悪いのは否めませんけど」
「冗談。お前程度の空気連結じゃ人は死なないよ」
本当に一言余計。そんな顔をしてやると、ふんと鼻で笑われたので、なんだか少し肩の力が抜けた。
「聞きたいことは山ほどありますけれど」
「居場所はお友達に聞いた。エチは知らないから、お前のこと回収してからでいいかなと思って」
「……海月に変な態度とってないでしょうね」
「さあ?」
さあではない、と叱りつけてやりたかったけれど、色々助けて貰ったあとだし、言ったところでどうにもだろう。私より断然比べるまでもなく頭の切れる人だから、考えがあるものと思って一旦流した。そうでなくても、海月には私から後で謝っておこう。エチゼンさんと合流していないのも意外だったが、今はその子どもと爆弾が先決だった。
私がその件の子に目をやると、ヒゼンさんは私に爆弾を、驚く程無造作に投げ渡してからそちらを見て「この子ね」と無感情に言った。
──まあ、然るべき場所に出すべきなのだろうけれど。俺はむしろカルキアで一旦預かった方がいいだろうと思うね、子どもなんて別に法で裁けるもんじゃないだろうし。イルちゃんなんか精神年齢近いだろうから仲良くやれるでしょ。その間にちまちま話が聞ければ万々歳だけど、まあそこまで望まないかな。少なくとも、第三の勢力に引き渡すなんて馬鹿な真似だけは避けたいってのが俺の気持ちなんだけどさ。
なんて、また私のような頭の弱い相手を壁打ち相手にしてペラペラと何か言っている。この人ときたら、自分の感情を文章にしないと落ち着かないんだろうか、と半ば呆れながら聞き流している。ヒゼンさん自身、私に「らしい返答」などハナから求めていないと思うので(──というかむしろ、自身の理論に半端にらしいことを言われると気分を害するタイプであるので)、たぶんこちらは模範解答だろう。私はただ爆弾をちょっと見てからかなり変わったデザインのメイド服の、隠しポケットに一旦突っ込んで相槌に徹した。
しかしそれも、「まあとりあえず」というよくわからないところで途切れ、代わりにひゅ、と脆い呼吸の音をさせてから膝をついてうずくまってしまった。
「どえっ!?ひ、ヒゼンさん……?」
大慌てで駆け寄るも、こればかりはおどけでもなんでもないらしかった。ケホケホと乾いた咳を繰り返して、何やら突然苦しそうなのはわかった。子どももいない。きっと膝をついた時に拘束が緩んで、隙をついていなくなってしまった。注意力散漫のために気が付かなかったのか、周囲を見返してもそれらしい影はもう無い。ただ階段を駆け上がる音が、遠くでするくらい。全速力で追えば今度こそ間に合いそうなものだがしかし。……私の本分はメイドだ。主人の体調が優先なのは言うまでもない。
「とりあえず上まで行きますよ。運びましょうか」
首を横に振る。どうやら意地でも歩くらしい。
「じゃあ肩貸しますから、悪化する前に」
何故こうなったのかは、体が丈夫な私にはわからない。不規則でやけに早い肺の膨れるのと心臓の音とが、回した腕越しに伝わって、こちらも脅威が一旦は去ったことが嘘のようにただ不安になる。
結局最初に望んだものただ一つしか手に入らなかったこの空間から、ほのかな桃の香りがかすかに鼻腔を突いた。
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再びノックが三度なったのは、あれからかなり長い少しの時間が経ってからだった。あの後暫く、イルの寝息とフレッケが弾いたベッドライトの安定器が半壊して鳴らすジーという音がただ沈黙の中を流れていた。それが、下で再び突然爆音が鳴ったので、フレッケが音と揺れが爆弾のそれじゃないと困惑していたり、イルは全く起きなかったりして、私はずっと、ヒョウになにかあったのではと思ってはいるくせに部屋を飛び出す勇気も特になく、なんだか微妙で不毛で気まずい空気だった。
「フレッケさんいる?ヒョウです」
「開いてる」とフレッケが後ろで言っているのをよそに、私は突き動かされたように突如立ち上がってドアを開けるなり叫んだ。
「あ!海月!よかった、無事そうだね」
「ヒョウは」
「私は平気、この通り!……なんだけど主人がちょっとね」
ヒョウに気を取られていたがよく見ると、ヒョウは人を連れていた。肩を貸していて、いかにもグッタリして肩で息をしているので、慌ててドアの前を退き空いているベッドを指差す。爽やかにありがとうとお礼を言って、ヒョウはその人を寝かした。フレッケとの会話内容の限りでは、心因性咳嗽の類で突如咳が止まらなくなったが、ひとまず人のいるところで寝かせておくのが彼の場合は経験上最良らしい。正直この人がヒゼンの方なのかエチゼンの方なのか見分けがまだつかないのだけれど、二人の話している感じは兄方のようだ。にしてはあの饒舌でいやらしい性格から想像もつかぬ衰弱ぶりで、おもしろいというよりは軽く同情しそうになる。
「海月、この人、さっき来た時も失礼だったらごめんね」
ヒョウがベッドに腰かけて男の背中をさすりながら苦く笑うので、「ううん」と誠心誠意返した。ヒョウはもちろん、こんな状態の人間を責める気には流石にならない。何も出来ない私を笑わないこと、更にこの上を求める気は無いし、無事ならそれで良い。本音である。
「下で爆音がしたから、心配だったんだけど……」
「あ、それ、私」
「は?」
「小さめなテロリストに出くわしてさ。空気をね、こう、ガーッと連結してガツッとものを固定しようとしたら、ドーッと連結してた空気が、バンッて破裂して。ゴアァアってなって、すごい音出ちゃった」
「ごめん、全然わかんない……」
暫くお互いに睨めっこのように「マジかコイツ」の顔で見つめあって、私が負けてぷっと吹き出すとヒョウもつられて笑った。全くこれでは、いまいち緊張感に欠けるとイルのことが言えなくなってしまう。
下船のアナウンスがなる頃には、イルは当然ぐっすりだが兄方の……ヒゼンさん、も、浅く寝息を立てていて私とヒョウは、フレッケも交えて場違いなほどの談笑をしていた。まるで船の上でテロにあったとは思えない緊張感のなさが、この部屋にだけあった。
コツンという音が三回、ドアの向こうからした。
「誰かいるか?」
「開いてるよー」
落ち着きのある男性の声に、フレッケが答えると、ドアはゆっくりと開いた。目に焼き付くほどの赤。黒の編み上げブーツに目を奪われる様な色の瞳をした男が、この部屋にかなり似つかわしい険しい顔で室内に入ってきた。
「ビゼンちゃんお疲れ様」
「ありがとう、フレッケ」
何気ない会話を交わしていた。ビゼンさんは笑っているが、その顔は険しいままである。なんとなく部屋にもはじめて引き締まった船全体の緊張感に近しいものが走る。
ビゼンさんは、私たちとは少し遠いヒゼンさんの寝ている方の椅子に座って、重たい溜息を吐いた。どうでもいいが、指し示したかのような濁音違いである。見た目も名前も似ているとなると私はいつか間違えてしまいそうで(──そもそも乗船時にヒゼンという男をビゼン呼ばわりしているのもあり)不安だ。
それはさておいてビゼンさんのこの感じ、そしてヒョウの話を聞く限り、テロリストに対してひょっとして全敗だろうか。
なにやら雲行きが怪しそうだと一人で悶々としはじめていると微かな汽笛の音がして、ついで頭上から放送の声が聞こえた。
─皆様、大変お疲れ様でした。
この件につきましては、後日改めて謝罪申し上げます。お降りの際は、船が揺れますので御気を付け下さい。
あれからずっと行方を晦ましていたエチゼンさんの声だったように思われる。それを裏付けるかのようにして、ヒョウが「私放送室行ってくる!」と言い残して駆け足で部屋を出ていった。
「俺が後でヒゼンも連れていくから。先降りてくれ。忘れ物しないようにするんだぞ」
ビゼンさんはなんだか冴えない顔のまま口元だけ笑ってくれた。妹は爆睡である。何度でも言わせてもらうが、よくこの状況で体調万全の乙女が眠れたな。
「イル」
「んふぇ?……もう起きる時間ですの?」
もぞもぞと仮眠用のタオルケットの中で軽く伸びをしつつ、無垢な眼差しで私を見つめている。
「まあ、降りられるよってだけ。テロリストもいるんだからさっさと降りて、下でみんなと落ち合う方がいいでしょ」
フレッケが私の代わりにイルに言った。イルは寝起きなのも相まってか、未だぽかんとしていてされるがままにベッドから半強制的に下ろされている。
もしかして貴族とやらは存外変で厄介な人しかいないのかもしれない。
いや。しかしこれ以上情の湧くことは考えるまい。
イルとは、彼らとは、今夜ぽっきり、船の上で終わりの関係なのだから。
ご精読ありがとうございます。クロです。ショタからショタとは思えん語彙が出てきましたね。最近の子どもって怖いわ。にしても改稿している間、新しい小説は確かに上げていないせいで私のサイトに「5ヶ月更新されてませんよ〜」の警告が永遠にいます。してるもん……仕事してるもん……
そして毎回後書きに〆感がないです。書かない方がマシまであります。書くけど