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陸海月  作者: クロ
2/22

第一章 雨上がり

お疲れ様です。クロです。序章のつもりだったけど一章になりました。

皆さんは雨の日はどうお過ごしですか?私は天気は悪ければ悪いほどテンションが上がります。窓から入る微かな光でできた水滴の影を見ながら、雨音を聞きつつお絵描きも一興ですよね。

でも気圧変化に弱いので片頭痛にも殺されます。つまり、お昼寝日和ですね。

さめざめと泣くような雨が降っている。

ここは一年中寒い場所。一年中星が見える場所。なぜならここは一年中太陽が昇らない場所だから。ただし今日はいつもの凍てつく寒さが背に刺さらなかった。

ここ最近続いていた雪は今だけ珍しく溶けて降り注ぐので、俺はとうとうこういう運命だったのだなと悟るのみ。

聞き慣れたジャズバンドをワイヤレスの補聴器から垂れ流して雨音と嫌に擦れた機械音を遮断しつつ関所の奥を見た。特段好きでもない音楽に乗っかることも無く、ただ一人の門出を見知らぬ感情と共に見守った。

女が一人、この区画から逃げていった。

ここらは三つの区画に分かれていた。ここはオルラ区画。彼女はここをつい先程、稀有な雨と濡れたコンクリートの香りに輪郭をぼかされながら去っていった。スナイロ区画にある大きな町に行くらしい。関所のすぐ向こうの町だ。クヴァレという名前だった。煌びやかなネオンライトが毎日毎日目に痛く、どいつもこいつも下劣なほど華やかで機能性に欠けるフォーマルなんだかゴージャスなんだか曖昧な服装をしている町だ。舞うように金が飛び、滝のように金が湧く町だ。あまりにも色々なものに目を奪われるので、身を隠すにはある意味では最適な貴族街に、女が一人消えていったのだった。

「ラック」

脳髄を酷く刺激する電子音に、ぱっと振り返る。白と黒の、なんだかオセロみたいな色合いをした少女型のアンドロイドが、その体躯に似合わぬ鋭いブルーライトの目でこちらを見ていた。コレが発する独特の電磁波が俺の体には合わない。体がビリッと痺れる感覚がして、自分自身の周波を乱された気がして堪らないが、そんなことはどうでもいい。

女を探しているに違いない。随分と目の敵にしていたのを、人間のそれすら感じ取れない俺でも知っていた。アンドロイドにそんな人間みたいな感情の動きがあるのかは知らないが、実際こうなっているんだからあるんだろう。

「見ていませんね。俺は」

「そうですか。もう持ち場を離れてもよいです」

「了解。おやすみなさい、イウアナ」

「ええ、おやすみ」

一礼をして、その場を離れる。

やれやれ、イウアナがこちらに来るまで俺は持ち場を離れられなかった。俺はオルラの関所前の管理をしていた故に、俺が一言見ていないと証言しておきたかったためである。それによって、彼女が区画の外に出たと考えるのを少しでも遅らせておけるのだそうだ。俺は機械的な人間らしい。でも俺は女を応援したかった。だからあえてここに留まったのだ。

「あとは頑張って下さい」

胸からせり上がる謎の高揚感が鼓動を早くして、雨ざらしの体はやけに熱くなっているような心持ちだった。それゆえじりじりと上がってきた言葉は、飲み込むには大き過ぎて、熱を持ち過ぎた。

まださほど持ち場とイウアナから離れていたわけでもないけれど、さして重要なことではなかっただろう。

だって機械人間のぼやきなんかは、あの精密機械からしたら雨音に掻き消えるノイズに過ぎないだろうから。


───────────────────────


「うげ、水溜まり」

ぱしゃっと水が飛ぶ。

うっかり水を蹴り飛ばしたヒョウは苦虫を噛み潰したように顔を歪めて笑った。せっかくのムートンを濡らして複雑そうだ。

「もう先週だと思ったけど、まあ酷い雨やったからねぇ」

「うん。びしょ濡れで引越ししたのも懐かしくなってきたよ」

「あー、そっか。海月が来てから一週間なのか」

一週間前。静かに、だけど強かに地面を打ち降る雨と共に、私は逃げるように湿気と雨音を纏ってここに引っ越してきた。勿論常に夜のこの街だから、雪対策はしても雨対策なんかしてなくて、だから物価の高いクヴァレにきて初めての買い物がビニール傘だったのも、新しい家に着く時にはコートの肩の部分も髪の毛もスーツケースも何もかもシャワーを浴びたように濡らされていたことも、何もかもが今は懐かしい笑い話になりかけていた。実際、今一緒に大通りまで下校しているヒョウとベニには大層笑って貰った。

「何回聞いても、引越し早々不運やったねえ。幸先悪か」

いたずらっぽく目を細めて、縁起でもないことを言うベニ。私と同じく、クヴァレの出身ではない。どこの方言だろうか、不思議な話し方が目立つ。それとは別に、少し前のめりになって私を覗き込むようにする、その一つ一つの仕草に後ろを外にはねさせた薄紅色の髪がふわりとついてくるのが、同じ人間の女子なのか訝しくなるくらいかわいらしかった。

「シャレにならないこと言わないの!大丈夫、幸先悪くても私が守ったげるから!」

そこを叱るような口調と共に私とベニの間に割って入ったのは言わずもがなヒョウで、私よりもベニよりも背が高いためにベニがすっぽり見えなくなってしまった。柔らかい栗皮色の毛色と瞳が、ベニとは違って色味として強く主張してこないのでいつでも逆に印象的だ。

「ありがたいけど、結局フォローになってるのそれ」

幸先が悪い前提で話を進められたのをどう飲み込むべきなのか、果たしてよくわからなかったものなので少し茶化してみる。

こんな具合でいつも特にやり場のない会話をしながら、大通りまで三人で歩いて下校する。特筆することもなく、行き当たりばったりの言葉を交えながら、残雪を溶かす雨のせいで劣悪になった緩い坂道を執拗なまでにグズグズとして歩いている。一日中真夜中の土地、ナイトシティ。なんの捻りもない名前のここには、いつも見上げれば星の海がある。そしていつも俯けばコンクリートと三人分の、バラバラな色と種類の靴があり、少し右を見るとコートの中に同じ制服を着た友人が二人、不思議そうにこちらを見ている。これが私の新しい日常として定着し始めていた。


やがて大通りに出た。

「じゃ、また明日。今日はバイトだから通話は出られんよ」

「おっけー、またね」

「また明日」

ベニは大通りに出たらそのまま道を行く人達の流れに乗って私たちとは逆方向に歩いていく。なんてことない顔して、手を二、三回横に振って消えていく。ベニは、関所を毎日くぐって別の区画にある家に帰っていく。私が引っ越す前にいた区画ともまた違った、一般的な住宅の立ち並ぶ和洋折衷の区画であった。

私とヒョウはというと、道行く人々の大半に逆らって貴族街へと帰っていく。私は純粋に、借りている家が貴族の管轄なので、その家がある貴族街に行く必要があった。とはいえ住宅自体は一般的な明るい色の木造の家であり、何ら変わった点はない。それに引き換えヒョウは、本当に貴族の住宅へ帰る。最初に知った時は言葉を失ったが、ヒョウ自身は別に貴族でもないらしく、貴族のメイドをしているのでそこに帰らざるを得ないだけなのだとか。高校生が貴族のメイドなんか出来るものなのかと思わず尋ねたが、割とそんなもんらしい。それにしてもその家は余程人手不足なようでなりふり構わず、言ってしまえば適当に募集をかけていたという話だ。とんでもない家だなと私は思うが、ヒョウがいいならいいのだろう。

「それじゃ、私こっちだから」

程なくして分かれ道。ヒョウは大きな通りを真っ直ぐ突き進んで、大きな青い屋根の屋敷のある場所に帰っていく。

「ん、相変わらずでかい家だね」

「はは、一応名家だからね。カルキア家、この辺のボスみたいな?そのうち嫌でも聞くと思うな」

「ふうん、かるきあ、ね」

明日には忘れそうだが、ヒョウの口ぶりとこの距離でも思わず息を飲むその家の大きさから察するに、私が毎日忘れたって毎日適当なタイミングで耳からそれを覚え直す羽目になるのだろう。そしてそのうち嫌でも覚えるのだろうな。

「ま、私のいる所は分家扱いだからさ。ハードワークの割にはあんまり目立たないんだけどね」

「大変だね」

「うちの主人はね。私はそうでも」

ヒョウは肩を竦めた。

ともかく話がそこで一区切り着いたので、また自然に二人別れる流れになった。ベニの時のように、また明日も互いの変わらぬ顔を見る約束をして、ヒョウを見送った私は分かれた小道を進んでいった。

終わらぬ夜が今日もゆっくりと深くなってきて、流石に少し冷え込み始めた。今日は冷えるぞとテレビが言ったので、バカ正直に黒い厚手のコートに袖を通してきたが、成程正解だったらしい。人からの借り物、それも男性のものなので少し丈や袖が長いのは否めないが、それさえむしろいい働きをしている気がする。しかし寒さはいいのだが想定外なのは、雪もチラチラと降ってきた。街灯に照らされてキラリと星屑のように反射するのが見える。確か予報では少しだけ酷くなった後、すぐ止むと言っていたような気もするが、果たしてこんなに降り始める時間が早かったか。これは怪しいな、何かの手違いで数時間くらい前倒しになっているかもしれない。全く信じても信じすぎるものではないなとほうっと息をついた。

早足で湿っぽいシャーベット状の雪を踏みしめて歩いていた。極力早くに家に着けば問題ないと思ったのが、やはり風が強くなってきた。それに先程まで踏む度シャリシャリといっていた雪がいつの間にかギュッ、ギュッ、と重たくなってきたので、私はとうとう諦めて近くの公園の小屋で急遽雪を凌いだ。

予報が前倒しになっただけなら、そうかからずに止むはずだ。小屋は古臭くてさも襤褸小屋ですという様相だったが、内装はそうでもない。本来は公園で遊ぶ子どもを小屋で暖をとりながら見守る若い親御さんのための小屋なのだろう。木の机や丸太の椅子が配置され、簡易的なストーブまでついている。ストーブは既に赤くなっていて、小屋に似つかぬ装いの綺麗な女の子が先客として丸太に腰掛けてそれにあたっていた。私がきいっとドアを軋ませて入ったので、女の子はこちらをはっと見て感じよく「ご機嫌よう!」と笑いかけてきた。私ときたら「どうも」と会釈するのみだったが、よくよく考えれば彼女はいわゆる貴族なのだろう。となると、「どうも」は些か失礼だったろうか。

とはいえ今更どうなることでもない。そのまま涼しい顔をして彼女とは離れた、しかしストーブの熱は充分にあたる場所に腰掛けた。革製のスクールバッグから暇潰し用にと特に考えもなしに買った本を取り出して適当な場所から開く。別に時間潰しに買っただけで、内容には関心がなかった。私が活字中毒ならもっと違ったのかもしれない。しかし最初の五ページ分を読んで、やけに目が滑るのを自覚してしまってから、全く全ての言葉から意味が抜け落ちて記号の羅列になったかのようだった。正義だの、悪だの、パッと見立派な顔立ちをしているが、その実安っぽい評論文みたいにみんな中身がないのだ。まるでアンドロイドのように、見て呉れだけ綺麗で中身には情緒もクソもなく、そうなるとやけに整いすぎた外見にいい気持ちがしないまである。

「難しそうな本ですね」

「え」

突然の声掛けに必要以上にぎょっとし咄嗟に顔を上げると、先程の女の子がいた。呂色の髪を二つに分けて三つ編みをした、幼い顔立ちをした子だ。グレーのコートの下から、香りがしそうな花浅葱の風船状のスカートがふわりと伸びている。このくらいの丈はミモレ丈と言ったか。何となくドレスっぽいデザインだったのでやはり貴族の令嬢なのだろう。

「あっ、ごめんなさい、邪魔するつもりはありませんの。ただ、雪を凌ぐのにずっと一人だったものだから!」

随分と饒舌なお嬢様だな。

私はあまり人とコミュニケーションを取るのが得意では無いのでこういう時にどういう返事をするのが適切なのかはよくわからないけれど、とりあえず当たり障りなく、できるだけ自分の話から遠ざかるように返しておいた。

「雪、酷いですもんね。えーっと、貴方は」

「は!名前!すみません名乗りもせず!」

──どこからいらっしゃいましたか、と聞きたかったんだが。私も名乗る羽目になってしまう。

「私、イル・カルキアと申します!貴方は」

「は、かる……っ」

「あっ、はい!カルキアですよ」

「カルキアってその、あれ?あの大きい家に住んでる人?ですか?」

「ええ、はい!そうですね!」

お嬢様の目も憚らず私は無遠慮に頭を抱えた。

さっき聞いたばっかりの名前である。さすがに覚えている。カルキア、この辺のボスみたいなやつ……。自分の行動や発言を一挙に反芻する。何か嫌に見られることをしていなければよいのだが。今のところの彼女を見るに、何か私に対して酷く悪い印象を持っていそうな色はないので、とりあえずはよいとしよう。ああもう、早く月に顔を出して欲しくてたまらない。

「あのう、お名前聞いてもいいですか?」

「あ、私……。私は水母海月です、ミツキが名前です」

「あら、姓を先に名乗るんですね。じゃあこの区画の出身ではないのですね」

「ええ、まあ。最近越して来ました」

「ああ!そうですの!」

元より笑顔で、アメジストと琥珀を混ぜたような不思議な目の色をきらきらとさせていた彼女……イルだったが、私のなんてことのない告白に一層顔を明るくしたのが見て取れた。

「じゃあ、あんまりここら辺のことはご存知ないんでしょうか。私お教えしましょうか」

ススッと自然といえば自然に私の隣を陣取るので、私は黙って本を閉じた。やはり座る時の所作なんかも上品で、衣服の布の擦れる音や、スカートの皺を伸ばすようにして裾を払う動作がやけに繊細で濃厚に思われた。色白で丸みのある細い指には、貴族の豪勢さを思わせるような指輪や執拗なほどいかつい腕輪なんかがあってもよさそうなのに、一切それもない。それがかえって肌の柔らかさを演出するのである意味のファッションなのかもしれないけれど。ただ一つだけ纏わりついている腕時計は飾り気のない革のものに見えるが、縁がローズクォーツになっているようで、白い肌に映える唯一の差し色としてこれまた存在感を放っている。これはオシャレでというよりは、腕時計がおおよそ携帯電話の役割を果たしているからつけているのだろう。フレームの横のスイッチを押すと目の前にディスプレイが出てくるタイプの、ちょっと前からナイトシティで普及し始めているものだ。

それにしても小柄だ。こんな女の子が一人、悪天候の予報が出ている中出歩いているのも不思議なくらいなのに、それがお偉方の令嬢なんて、どのような教育をなさっているのだろうか。

「イル……さま?は、御家族とか、従者みたいなのとかとここに?」

というのは姿が見えない以上どう考えたって来ていないだろうが、一応。私が不審者に見られては困る。

「ああ、海月ちゃん!"様"なんてそんな!私、お友達探しに御屋敷を抜け出てきた身でして。ですからお友達のように接してくださいまし!イルで構いませんの」

「いっ、いやいや!私貴族でもなんでもないので!一般人なんですよ私、それがそんな、カルキアのご令嬢に……」

そこまで言ってふとイルの顔を見ると、なんだか悲しいやら口惜しいやら、複雑そうな面持ちで目を潤ませてこちらを見ている。カルキアのご令嬢の、ご機嫌を、何としても損ねるわけにはいかない。それにこの子の負の面持ちを見たのが初めてで普通に拍子抜けし、言いようのない罪悪感も浮いてくる。私にはまるで模範解答がわからない。貴族に対して謙遜の限りを尽くすことが美徳なのだろうか、それとも一種の命令と解釈して折れるべきなのか。ただし、正直反応を見るに後者の方がこの場は丸く収まるきもする。それに純粋に罪悪感も湧いて出て止まらない。

「…………………………イル」

ぱっと花が咲いたように明るくはいと返事をされる。食い気味である、余程お気に召したのだろう。うむ、この選択は間違いではなかったのではないだろうか。

その時、入口の方からギッと音がした。成程、さてはこの小屋、余程らしい。入った時は気が付かなかったが、入口の扉は錆びて劣化した金具の稼働音が酷く大きくて、開いた瞬間すぐさまそちらに目がいってしまう。

入ってきたのはこれまた女の人だった。露草色の髪を腰まで伸ばした女性で、毛先は曇天のような灰色をしている。寒さを凌げるのか正直疑わしいダウンジャケットを羽織っていて、釣り上げた細く切れ長の目の奥で丸みのある青い目玉が凛とこちらを見ている。

「フレッケちゃん!」

イルが声を上げたので知り合いらしい。やれやれ、怪しまれないといいのだけれど。いっそ空気になりたい勢いである。

「ああ、いたいた。なんでまたこんな日に出かけたの」

「気分ですわ!いい出会いがありそうでしたの。ちゃんと読みは当たりましたから、御容赦下さいまし」

「理由になってないんだけど」

フレッケとかいう女の人は私とイルの方に寄ってきて、立ったままこちらに向き合った。

「初めまして、ごめんね。大変じゃなかった?」

「あ、いや、そんな」

無論、大変でしたと言ったら殺されるので。までが本音である。彼女こそがメイドさんかなにかなのだろうかと思索したが、それであればある程度敬語を使うべき局面だろう。私のように半強制的に友達認定された方だろうか。

「ほら。帰るよ。……あなたも、帰れるうちに帰りなね」

どうも、と一言添えて素直に礼をした。

窓から外を見ると、未だに雲は空にのしかかっているが、それでも雪は止んでいて、時たまに雲の間から月の光がさらりと漏れて街頭と混じり合い、白い雪の道の上に黒く影を落とすのが見えた。

これから天気が荒れることは多分ないと思うので、何も今すぐに帰るよりはもう少し晴れ間が見えるまで待ってもいいだろう。ぱっと腕時計を見ても、時間の流れは思いのほか緩やかであったようだ。ひんやりと顔色悪く光る月が降り切る前には帰れるはず。

時計を見るついでに起動したディスプレイには、申し訳程度のニュースの通知が数件溜まっている。やれ、ドラマの主演に有名歌手が抜擢されたとか、空き巣が捕まったとか、明日はイベントがあるだとか、何となく腑抜けで平和ボケした弱小ニュースのコラムがこちらを覗き込んでいる。ディスプレイ越しに人差し指ではたいて追い払う。

平凡を求めてこの街にやってきた。

平和を求めてこの街にやってきた。

だけど退屈を求めてきたかというとそれも違う話だ。

この歳の人間の女の子って何をするんだろうか。何も考えていなかったゆえに、せっかく引っ越してきたのが思っていたのとちょっと違うような気もしてしまう。

「海月ちゃん、海月ちゃん」

「ぉあっ」

頭上からイルの声。まだいたのかこの子。

「今日のお礼に、お渡ししたいものがあるんですけれど」

「ああ……じゃあせっかくなので」

別にいいのに、が本音だし、別に断っても良かったが、カルキアとかいう偉い貴族とこうして対等に話すことももうないだろう。最後くらい、貰えるもんは貰っといて、貴族からこんなもん貰ったぞという優越感を手土産に引っ提げておくのも悪い話ではない。

「あ、それがですね。今ここにないんです」

「うん?」

「お渡ししたいのはやまやまなんですけれど、今切らしていますの。なので、一旦私のお家まで一緒に来て下さいませんか?」

「え?」

私は今何を言われているのだろう。私の理解力の乏しさなのか、彼女が貴族ゆえの度を過ぎた他者への思いやりなのか。

「あ、いや、ここにないなら別にそんな、そこまでしなくても」

「私が渡したいので!」

食い縛った歯の隙間からスーッと空気が排出される。なるほど、イルは貴族特有の我儘が完全に善意に振り切れたタイプのお嬢様らしい。いや、悪意に振り切れてないだけマシなんだろうが……いや、マシなのだろうか。しかもなんだか一回は貰う姿勢を見せてしまっただけに、上手い断り方も見つからない。それに、言ってしまえばそこまでいくと迷惑一歩手前なんだが、ありがたい一面もあるゆえに断りにくい。確かこういうのを世間一般にはありがた迷惑と呼ぶ。

「雪、酷くなったりするかも」

「大丈夫ですわ!さっきフレッケちゃんと確認しておきました!もうこれ以降は徐々に晴れていくはずです」

知ってんだよそんなことは。

「う……、じゃあ、わかりました」

ぱっと目を一段と輝かせ、私の手をぱっと取って、半ば強引に小屋から連れ去る。その目の紫がかる群青がキラキラとする様はさながら満天の星空だった。


───────────────────────


カルキアのお屋敷に来るまでに、些細なことながらわかったことがある。

カルキアはここら一帯、貴族の都クヴァレを統治する、ヒエラルキーの頂点に数代にわたって君臨する家系である。その働きは最早貴族と言うより一種の簡易的な政府のようで、税を取り、公共施設を回し、民を動かし、クヴァレを発展都市として機能させ続けている。カルキアは第一勢力と第二勢力に別れていて、第一は表立った演説や会見などを担当し、第二は裏方で方針をまとめあげ、他の有力貴族などと細々取引をする。一応みんな親類で、第一が本家、第二が分家の扱いらしい。そしてイルは、そんなカルキアの第一勢力の長女。初耳なので唖然としてしまったが、よくよく聞けばイルは長女ではあるが二番目の子で、仕事をするのはイルの兄らしい。

イルを迎えに来たフレッケという女の人に聞いた。最初はそんなことも知らないのかという顔をされたが、越してきたばかりと伝えたら納得してもらえた。

「フレッケさんは、やっぱり貴族なんですか」

「あたしは別に。ってか、どちらかと言えば下賤の民。色々あって身寄りもなかったんだけど、イルに気に入られちゃってさ」

「はあ……、そうなんですね」

思ったより重い話だったかもしれない。イルの強情なまでの奔放さは、人を救う場合もあるらしい。いや、フレッケがその事をどう思っているかは私の知るところではないが。

それに、私の記憶では、クヴァレでは執拗で悪質なまでの奴隷制度が蔓延して猛威を振るっていた。それも最近では劇的なまでに解消され、古い歴史として葬り去られようとしている。現に、フレッケの言うことを鵜呑みにするなら、貴族と平凡人以下が友人として手を取り渡り歩くのだから。まだ、そんなに時間も経っていないはずなのにこの有様。まるで流行病だな、と終わりのない問の譜面に終止符を打っておいた。

「着きましたわ!さあ、入って下さいまし!」

きゃっきゃとはしゃぐ子どものように、クルクル舞ったり、ぴょこんと跳ねたり、とにかくご機嫌で大きな鳥籠のような正門をイルは潜っていった。

ヒョウとの帰り道でも勿論察していたが、実際目の当たりにするとその屋敷の広さたるや。正門の先はもはや一つの街のようで、正面には赤い屋根の立派な屋敷がある。その少し右手には青い屋根の比較的少し小さめの屋敷があり、間には人工の川が流れていた。その上に橋のように渡り廊下を敷いてふたつの屋敷は繋がっているようで、奥にもまだ建物が確認できる。

その他とは明らかに異様な敷地の広さと豊さに呆然と立ち尽くす私を、フレッケは懐かしむような、柔らかくて優しい目で見ていることに気がついたので、ハッとした。

フレッケは何も言わなかった。その代わり、へにゃりとはにかんで見せた。語彙もへったくれもない小学生児童のようなことで許されるのであれば一言、「良い人なんだろうな」と思った。

さて、実はただぼーっといつまでも突っ立っているわけにもいかない。引越しをする時に色々と餞別を貰ったのだが、ありえないことにその中に生き物がいたのだ。私の名前がいかにもクラゲって感じなのでという意味のわからない理由で小ぶりな水槽ごとタコクラゲを貰った。別に半日食事を与えないだけで死ぬような生き物には見えないが、それでも一応生き物を飼っている分際なので早く帰らないとならない。

イルを追って門の内側に意を決して踏み出してみる。

途端、頭上から耳を劈くような大音量のサイレンに怒鳴られた。

肩をビクッと跳ね上げて、女子力全て捨てましたみたいな短い悲鳴と主に思わず二、三歩早足に後退る。

「あっ!ごめんなさいわたくし───」

「誰だ!そこで何してる!」

館の奥からイルの声をかき消すほどの怒号に近い不信の声が飛んできた。その圧力感と言ったらまるで地面が叩き割れそうないきおいである。声に遅れて目に飛び込んだのはただ只管な赤。真っ赤な気持ち丈長な厚手のコートに、黒地に赤い紐の編み上げブーツの……青年?がイルを追い抜かして私とフレッケの前に立っている。わかりやすく息切れをしながら、それでも私たちの前に凛として地面に薄く膜を張る雪を踏みしめて立っている。

男はばっとこちらに手を翳した。と、次の瞬間、その手の先からぶわっと熱気と焦げるような香りが込み上げて炎が燃え盛った。

彼の能力は炎の力らしい。しかし他に比べてあまりにも特異だったので、私は恐怖心も悲嘆も憤怒も特に何もなく、呆然とその炎に魅入られていた。

青かった。真っ青な炎が火の粉を散らしている。炎の能力は、デフォルトが真っ赤なはずだ。青い炎の能力なんぞは見たことがない。一応、前にいた区画では能力や魔法についての学を要されていたので、例があれば知っているはずだが。

ハアと息を吐いて、フレッケが私の前に出てきた。溜息に合わせて白い息がほくほくと出ている。

「落ち着いてビゼンちゃん。この子、あたしとイルの友達。イルがまた警報機切り忘れて」

「あ、ああ……なんだ……」

それを聞いてビゼンという人は手をギュッと握って青いそれを一気に消火し、あっさり手を下ろしてこちらを見た。相変わらず、息は荒い。警報機と言っていたから、多分私が余所者判定のまま門をくぐったせいで警報機が作動して、警報の爆音に体を弾かれて急ぎここまで来たんだろう。

そこまで好きな訳でもなかったはずが今までそういうものを学んできたおかげで、私はもうあの青い炎が気になって仕方がないが。

男は私に向き直って言った。

「すまなかった。怪我……火傷とかしてないか?」

「はあ……、大丈夫です」

イルが駆け寄ってきて、こちらも「ごめんなさい……」と心底申し訳なさそうに謝ってきた。大袈裟なくらい手を横に振って、ひたすらに大丈夫だからやめてくれと告げた。イルも切実なんだろうが、私も切実である。フレッケは私のそれを察してくれたのか、「イル、あれ先に取っておいで」とイルを屋敷の中に促し、そのまま赤い男の人と話し始めた。

「お隣さんは出払ってんのね。不幸中の幸いって感じ。あー、思い出しただけで鳥肌立ってきた……」

フレッケのそれに苦く笑って、男は私に打って変わった柔らかで軽い口調をして言った。

「フレッケのときも、イルが警報鳴らしたんだぞ。従兄弟たちが騒いで騒いで。ま、イルがうっかりなのが悪いんだけどな」

「マジ怖かった。気をつけて、うっかりなのは兄妹揃ってだから」

害悪極まりないな。

このレベルのうっかりをうっかりで済ませて連発されるなど、フレッケも、お隣の従兄弟さんも不憫でならない。いや、従兄弟は血が繋がっているので、もしかしたらフレッケがうっかりの集中砲火を受けている可能性もある。

「そういえば名前は?」

「あ、海月です。水母海月っていいます。先週引っ越してきました」

先に引っ越して来たのが最近なのであなたのことは全く知らなくても何らおかしくないということをアピールをしておく。フレッケやヒョウの話を聞く限りでは、この人たちのことをこの区画で知らないのはよもや非国民ならぬ非区画民の扱いであるからだ。貴族である以上、プライドを安易に傷つけでもしたら何をされるか分からない。

「ああ、そうなんだな。改めて、さっきはすまなかった。俺はビゼンという。一応、ちょっとだけすごい人だぞ!」

「ビゼンさん。よろしくお願いします」

色々と。

授業の挨拶よりも気持ち深めに礼をして、ふっとその面立ちを見上げると、パチッと目が合った。不可解な色をしていた。真紫の中に、ぴったりと地平線のような緩やかな光の線が表れていて、その中央で上に凸の半円球が真っ赤に照り映えている。

言ってしまえば変な色合いだった。自然界にありえない色だった。色白で滑やかで鼻頭と頬がピンポイントで赤らんでいる、細くて細やかな体躯のドールなんかには似合いそうだが、あれは幻想だから似合うのだ。そして、目がいっそ目眩のするほどくっきり丸々としているから似合うのだ。ビゼンさんは現実を生きる男で、ううん、目つきもまあ、三白眼が際立っていてとてもよろしいとは言い難い。それでもそうだ、何となくどこかしらで童話として語り継がれる朝焼けは、多分こんな色だった。鮮烈に赤いコートと、ひんやりと燃え盛る青い炎と、朝焼け色をした眼の男だ。特異な色に囲まれて、この街のどこにも無い色で世界を見ているのだ。このビゼン・カルキアという男は、永遠に朝日の昇らないこの街の未来のどこにもいない男なのかもしれない。

「お待たせしました」

イルが屋敷の奥からスカートをふわりふわりと蹴るように走ってこちらへやってくる。手には何か……紙のようなものが握られているが、検討もつかない。ビゼンさんやフレッケは中身を知っているのだろうか。

イルは私の目の前まで来て、ほっほっと単調に息を吐きながら、その長方形の紙をぴらっと私に向けた。

「これ、パーティーが近々あるんです。それの招待状をお渡ししたくて!」

咄嗟に顰蹙しかけたのを、何とか持ち直しす。

「すみませんドレス持ってないので」

「大丈夫ですわ!貸しますので!」

「礼儀とかあんまり詳しくないので」

「私も別に詳しくないよ」

「あの、普通に浮いちゃうので」

「俺もよく浮くぞ。演説前に転んじゃうし……」

何故こうもみんな揃って拒否をしているのがわからないのか。

イルはさておき、フレッケもビゼンさんも全く止めてくれる気配がない。暫く悩み、悩んで、悩んだ挙句、一度乗りかかった船だ、今回のみの付き合いだと自分を言いくるめて、鈍っちい返事をしてイルのもつ招待状とやらの入った包み紙を、それでもあまり気乗りはしていませんよという体は崩さずに受け取った。

フレッケやビゼンさんも何やらによによと嬉しそうなので、悪い気持ちはしないが決していい心地がしているわけでもなく、なんだか複雑怪奇な迷宮に囚われてしまった。

「……それで、これっていつなの?」

「明日です!」

「明日」

ベニの「幸先悪か」が心のどこかで反芻された。

お疲れ様でした。

主人公がただ可哀想なだけの回でした。今後もそうです。

まあご存知の方が多数だと思うのですが、この創作人がある日ヌルンと死にます。一応警告です。

ちなみに私は突然優しさ空回り系貴族にパーティーに誘われたらドタキャンすると思います。

ではでは、次回……の改稿がいつになるかはわかりませんが!その時はよろしくお願いします!

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