五章-三 朱に交われば
お疲れ様です。クロです。春ですね。春が近くなると、花粉の記者会見の動画が見たくなります。
ところで今投稿している私の地域はつい先日吹雪き、今現在豪雨に見舞われています。すげえ外うるさい。
息も絶え絶えにして第二邸の正面の扉を突き破るように押し開け、玄関にようやく足を落ち着けた。気息奄奄とした自分が目に浮かぶようである。
勢いに任せてきたはいいが、今のところの私の中での容疑者は、未だここに留まっているのかと問われると怪しかった。
それでも、一刻も早く動かなければいけないことも、どこか感覚で理解していた。
生憎私はヒョウのように何にでもとりあえず突っ込んでいけるタイプではない。かといって、ヒゼンさんのように頭の中に無数の回路が張り巡らされ、その中から最適解をすぐに見つけ出せるようなタイプでもない。
中途半端だ。
永遠に突っ走れもしないのに走り始め、言い訳のように何かを考え始める。
こんな時。私にはどうしようもなく手詰まりだった時。人は他人を頼る。
私はその通りにした。
上がった息を少しずつ整える。吸って、吐く。腹が膨れるのを意識して吸うと、次は逆を想像して吐く。落ち着いて、他人ならこういう時に何をするか、考える。考える。考える───
「……外………………!」
脳で処理するより先に言葉に出した。
外だ。何ということもなく、ただ、さもそれが正しいように押し開けられたままの扉を再び越えて外に出る。
煉瓦の敷かれた道以外は全て、雪の白で覆われている。臨時用に炊かれた青い火のランプに照らされて、キラキラと輝いている。星空がそのまま降ってきたかのような光具合に思わず瞬きをした。今日は一際寒い。停電だって、全てが復旧した訳では無いのだ。空調設備が万全でないのだろう。
全身を突き刺すような寒さが襲う。背筋から凍っていきそうなその空気に身を震わした。言う通り。丁度、柄にもない行動を起こして高騰した頭を冷やすにはもってこいの気温だった。
深く空気を吸い込む。脳を換気するように、深く。冷たい外気が体の内を這い、熱い空気が冷却されながら外に放出されていく。
冷たい空気が生き物のように体を巡っていくのだった。深く息を繰り返し、この感覚に集中しようと目を閉じる。
肺が内側から冷えていくのと同時に、目の前が鮮明に見え始めた。いや、目は閉じているのだが、瞼の奥のその暗闇に、何かが映っているような気がしてならなかった。
私は瞼の中で目を凝らす。身体が冷まされるのと同時に、脳も醒される。冷たいというのはまさに不思議な感覚だった。冷めた身体で、静かに、出来事を繋ぎ合わせる。回路を繋ぐように。パズルを解くように。
ヒョウの口振りからするに、鍵は勿論複数個渡っている。家を探索したいからと言われて渡すのだから、ひとつなわけが無い。
しかし、エチゼンさんの部屋はカードキーだ。そんな特殊な鍵をヒョウが易々と渡すなんてことは流石にない。ヒゼンさんの部屋は鍵があったところで入れない。
そしてあの人にとって、組織にとって、入ることで利得のある場所といえば、きっと資料室か物品庫───
目を開けた。眩しくて少し開けるを躊躇ってしまったが、うっすらと白銀の中に煉瓦が線を引いてるのが見えた。
繋がったのだった。まるで私の中に回路が組み込まれているみたいに、スラスラと。私の中でそれが、機械的に処理された瞬間だった。爽快感のような、優越のような、そんな何かが頭の中を駆け抜ける。
ともすればと再び私は踵を返して屋内へと走り出した。
ヒョウは考える暇があったら全部屋を回るだろう。ヒゼンさんは、一瞬で選択肢をたった一つに絞る。私は行動派でもなく、頭脳派でもないのだ。どちらも並にしか出来ないなら、組み合わせて使う他なかった。できる限り選択肢を狭め、残ったもので総当りする。非効率だが、私の最善策はここが限界だった。
とはいえ第二邸は良くも悪くも広くない。探索はしやすいが、探し物を見つけやすいのはこちらも同じだ。
玄関をぬけると、廊下を転がるように走り抜け、階段を駆け上がり、資料室の前で立ち止まる。成程、覚えるつもりで歩けば、覚えるのは決して苦ではないマップである。
とはいえ相変わらず息は絶え絶えだ。たった今冷やしたものも全て熱に変換されている。情けない話である。
呼吸を整えながら、恐る恐るノブに手をかける。そしてグッと力を込めてみると、ノブはあっさりと下に降りた。解錠されているのだった。まだ中にいる可能性がある。思えば、何も考えずにここまで猪の如く突っ走ってきてしまったが、接敵した場合を考えていなかった。とはいえ、ここに来れるはずの相手は女性だ。シフォリーという女性。更に私の仮説が正しいのなら、彼女の能力は変化だ。たまに能力を二刀流している化け物もいるが、彼女がそうとは思えないので、能力自体にはさして殺傷能力があるようには思われない。
「………………よし」
気合いを入れ直して。いざ、ノブを引いた。
「御機嫌よう。よかった。もう少ししても来なかったら、こちらから出向くつもりだったので」
窓から月の灯りだけが差し込む資料室で、月の色が反射しているような、黄色混じりの緑の目が私を待ち構えていたように見据えていた。
思わず息が詰まった。
そこにライラックは咲いていなかった。代わりに生い茂るような緑と枯葉のような焦げた色がさらりと肩につかない辺りまで伸びていた。
「な、んで、ここに」
「そりゃあ、お返事を聞きに。お引越しされるなんて、言って下されば良かったのに」
なんの悪びれもせず、吃りもせず、親玉さんがさらりと受け答えた。何でここにこの人がいるんだ。
この人の正式な名前はあまり覚えていないが、カピ……までは覚えている。名前は呼ばない方針で話そう。とりあえず時間を稼いで誰かが来るのを待つのが賢明か。
「とりあえず、答えだけ。今日は戦う気でここにはいないので、ご心配なく」
貴族なんかより綺麗に笑っていた。それは、ビゼンさんのもののように人を安心させるものでは無いが。それでも、この人の声は脳に来た。脳を縛り付けるような痛烈さが、耳を突き抜けるんだ。
「……貴方、親玉さんじゃないでしょ」
「は?」
私は、頭を動かすのは得意ではない。でもこれは絶対にそうだと思った。あの日、私の家に押しかけて勧誘してきたあの男は、なんというか、そういう感じじゃなかったとしか言えないのだが。
あの人の声は、脳というか、全身に来た。
耳触りがいいとかそういうことじゃなくて、なんとなく、抱かれているような感覚だった。脳ごと縛り付ける話し方をする人じゃない。逃げられないという点ではそりゃあ似てるが、なんだか、思考を放棄して身を委ねてしまいたくなる声を、今目の前にいる親玉さんはしていない。
逆に、人の脳を直接縛る話し方をするのも、決まっている。
「……シフォリー、さん、ですよね」
はあ、と、溜息を吐かれた。
次の瞬間、目の前にある緑緑しい風景が、みるみるライラックに変わった。枯葉もそのまま薄紫色に染まる。流れるようにさらさらと、肩につかないような髪が伸び、頬を包むようにした男性的な節のある手は、爪の方から丸みを帯びはじめた。背は少しずつ縮み、月の色が混じった木の色の目は、色褪せるようにくすんでいく。
想像していた通りといえばそうなのだが、ここまであっさりと別人になってしまえる能力が存在すると思うと、どこか神秘だった。
「んんッ、あー、あー、戻ってる……わね?聞いてる?」
「あっ、え?私?」
「誰がほかにいるのよ……。今日は四役もやったのよ?戻れてる?来た時の私と違和感ない?」
「えー………………、たぶん、ないです」
「そう。ならいいわ」
あまりにも自然に会話を交わされて少し困ってしまう。
四役、というのは、「私」、「ヒョウ」「親玉さん」、の他にあと一人いることになる。本来の自分も役として認識しているということだろうか。あるいは。
「ねえ、どこでわかったのよ?カピィは身内だし、結構自信あったのに。これでもちょっとショックよ」
完全にシフォリーという人間に戻ったシフォリーさんは、自分の髪をどこから取り出したのかも知れない櫛で撫で梳いている。「私」も「ヒョウ」も、おそらく「親玉さん」でもやらない、彼女の仕草だ。
「……声でわかりました」
「カピィの声だったはずよ?ちゃんと抑揚も揃えたわ」
髪を梳くのをやめて、不思議そうにこちらを見据えている。その目は、専ら私を見ていたが、殺意とか訝しいとか、そういう敵対心をあまり感じなかった。
らしくないことを自覚しつつ、そっと瞳の奥を見つめてみる。目は口ほどに物を言うのだった。それは、どちらにも言えたこと。だけど、この人にならある程度は話してもいい気がして。
「なんか、あるんです。なんとなく。言葉の聞かせ方が違ったというか」
「ふうん」
やけに訳知り顔で、息で返事をされた。だけど本当にわかっているのだろう。この人の本職は歌手で、言うならば声を武器にしている人だ。
「確かにね。カピィの声は耳で聞くもんじゃないわ。素人にわかる事じゃないと思うけれど……まあ、今はどうでもいいことね。それより私、貴方が組織入りするかどうか聞いてきてって言われたのよね。サイアクよ」
何が最悪なのだろうか。私の台詞だ。
とはいえ、この人には本当に声の話が伝わっていたらしい。どうも、直後に含みのある悪態をつかれたのは少しばかり心に来るものがあるが。
「ねえ、聞く必要もないって思ってはいるけど。入らないでしょ?」
「えっ」
確かに組織入りは何も考えていなかった。それは、入るつもりがなかったという意味でだ。だが、この人が何故それを言うのか。
どういうつもりなのだろう。理解が出来ない。この人は組織側の人だ。なのに勧誘された人に対して、組織に否定的にものを言うのか。
「えって何よ。入る気だった?」
「まさか、入る気は無いです。でも、なんで……」
これは、私を逃がしているのと同義と言って過言じゃなかった。不思議に思っても仕方がないだろう。罠じゃないかとまで考えてしまう。
「なんでって、貴方、周りの人間が濃すぎて面倒事に巻き込まれてるような感じだったし。違う?」
「……」
驚く程に、的を射ていた。
目を見張って、シフォリーさんの目の奥の方をじっとみていた。シフォリーさんが瞬きをする度に、気が狂れそうになる。
「わかるわよ。私もそうだもの。私、組織に加担しているわ。でも組織の人間じゃないのも本当よ。ただ、巻き込まれ体質なの」
その言葉が、胸の奥に、深深と刺さった。貫通していた。心に穴があきそうだった。滔々と、立て板に水を流すかのように言葉を連ねるシフォリーさん。それが今この瞬間、有刺鉄線で締めあげられるような激痛を伴った。
巻き込まれ体質だと。私もそうだ。私だって巻き込まれ体質なのだ。本来はここにいる人間じゃないのだ、私は。
「あのね、ミツキ。組織には断っておく。だからもう、首突っ込まない方がいいわ」
息が詰まった。広くて暗い宇宙空間に一人、投げ出されたような気分だった。何もわからないまま、何も出来ないまま、運命に流されるままに死ぬような感覚だった。
「これは、私を見破った報酬で、先輩としての助言だけど。巻き込まれ続けていると、そここそが居場所な気がして仕方なくなるもんよ。綺麗な言葉でいえば、愛着が湧くってことかしらね」
その言葉の羅列は、ひたすらに私を縛った。頭がキリキリと痛んだ。何も出来ないまま、何も言い返せないまま、その言葉をただ真に受けていた。
「でも、朱に交わればどうしたって赤くなるの。戻ろうとした頃には、元の色だって思い出せなくなる。私は、組織の人間じゃないからってだけで、もう中立じゃないわ。貴方もなあなあで巻き込まれていればそうなってしまう。自分が面倒な人間になるのよ」
違うと言えなかった。自分は巻き込まれているだけだと豪語することもままならず。ここを半ば居るべき場所だと認識している自分がいることを、否認できなかった。
「だからね、私みたいになっちゃダメよ、ミツキ」
どこか物憂げな緑色の星が、じいっと私を見ていた。
私みたいになっちゃダメ。
その文字の遠くの方で、カチリと何かのスイッチの音が一瞬だけして、後に一気に掻き消えた。
──────────────────
手紙を書く手を止めた。轟音だった。何かがどこかで爆発四散する音がした。
顔を上げると、そこかしこから煙が立ち込めている。
ここらはいわば貴族の住宅地帯だが、一体どの家がどうなったのかはまるで分からなかった。ただ、爆発だったことだけは瞬時に頭に叩き込まれた情報で、爆発といえばもう、あれしか浮かばなかった。
「ヒゼンさあああん!」
続けてメイド寮方面から大声がした。今の爆発音と引けを取らなかったので、まあヒョウの声だろう。案の定、声のした方に目を向けると、メイド寮の三階にあるバルコニーから慌てた様子でこちらと現場の方面を交互に見ては騒いでいた。うるっせえ。
「どこら辺燃えてんのー!?」
こちらもありったけの大声で聞き返す。携帯を使って話した方が絶対に効率的だが、焦った時のヒョウは自分の目の前の情報しか入ってこない。そのため、携帯に目を向けさせるよりも俺がでかい声で叫ぶ方が早いのだ。こう見えて呼吸器官人並みより弱いのに、俺。
「全部です!!協カルキアの!住宅地!ぜ!ん!ぶ!ゼンショー!」
この短時間で全焼するわけねえだろうが。どこまでヒョウを信じていいのかは全く分からないが、「全部です」と言われてしまった以上放っておくのは悪手だろう。爆発に何人が巻き込まれているとも知らない。もしあそこら辺一帯が爆発したのなら、現地の人間のほとんどは動けなくなるはずだ。
「俺!行ってくるから!!エチゼンによろしく言っといて!!」
「私も行きます!!」
「来んな!!これ命令!!」
「わかりました!来たけりゃエチゼンさんに命令上書きして貰えってことですねー!!」
「よくわかってんじゃん!」
喉が痛い。息苦しい。なんであいつあんなに元気でいられるんだ。
ヒョウが屋内に消えたのを見計らって、深く息を吸う。冷たい空気が焼き切れそうな喉元を触るのが気持ちよかった。呼吸器官が弱いとは言ったが、例外を除いて人並みより少しばかり、だ。ビゼンちゃんほどじゃあない。少し息を整えれば全然動けた。それが救いだ。
間もなく息も整って、意識しなくてもまともに吸って吐けるようになった。
まだ多少は厳しいが、あの辺にはクラム家もあったはずだ。贅沢も言っていられない。急いで向かってやらなくては。
──────────────────
現場に近づくにつれて、砂塵や硝煙が酷くなっていった。肺に悪い。何かあれば医者よりも弟に怒られる案件だろうが、何も無ければまあいいだろう。
「ひっでえ有様」
そっと独りごちた。大体の家は無事じゃなかった。そもそも一軒一軒にしっかり爆弾が仕掛けられていたのだろうが、ここらは家が密集していて、庭も俺の家ほど広くない。きっと隣接する家同士の爆弾にも巻き込まれたんだろう。家によっては二階以上が吹き飛んでいたり、明らかに抉れて絶妙なバランスで立っていたり。来たはいいが、生きている人は少なそうだ。
ふと、何か柔らかいものを蹴った。砂塵がまだ落ち着いていなかったためか視界不良なのだ。にしても嫌な予感である。"この状況"で"地面にころがっていそう"な"柔らかくて""蹴ることが出来るサイズ"のものなんて、絶対にろくな物じゃない。
ゆっくりとしゃがんでみる。それこそ深呼吸のひとつ、してからでも良かったのだが、ここまでゴミが舞っていると息も吸えない。
「……げっ」
そして案の定の死体だった。思い切り腿の部分を蹴ってしまったようだ。蹴って悪いね、と心の中で唱えてみる。本当はもう少し感じるべきなのだろうが、昔貴族同士での武力抗争があってからは、死体を見ても冷や汗ひとつかかなくなってしまった。戻らない人を思っても自分が守れるわけじゃない。危険が去るわけでもない。
それが非情だと罵られても、なんとも。
しかしこの男、会ったこともあるのだろうか。ここら辺はカルキアに捏ねている貴族の溜まり場のような場所だし、顔を見ればわかることだろう。顔を見ればわかることだったのだが。
「うひ……っ」
顔がねえ。
正確には、首より上が紛失していた。爆発で弾け飛んだ、とかそういうことでは無いだろう。首から上が吹き飛ぶレベルなら、もっと外傷があっていいはずだ。それが、比較的見た目は綺麗でいる。少しばかり切ったような傷と火傷があるが。
それに、なによりも、首の切り口がだいぶ綺麗に見えた。なんかこう、デカめの刃物でスパーンと切られたような感じだ。
いや、こんな死体鑑定みたいなこと、俺はしたくないんだけど。致し方ない。
もし俺の即興推理が正しければ、そこそこの大きさの刃物でこいつは首を切られた。他の傷が浅く、致命傷でないので、これが死因とみても無理はないだろう。
問題は、そんな化け物じみた殺し方をできるようなゴリラがいるのかという話だ。即興推理が概ね正しいならだ。そこそこの大きさの刃物を勢いよく振り回せる力も必要だし、そんな武器を持ち歩くのは大変目立つはずだ。この爆発が起こるまでにちょっと通報があるのが妥当である。
俺一人で太刀打ちできるだろうか。なんとなく今だけは、ビゼンちゃんに助けを要請するのが癪な気がしたのもあって、一人で突っ走って来てしまった。そもそも、ここら一帯はクラム家の所有だったはずだし、ミノの安否を確認して合流してからでも良かった。
なんてったってこういう時に限って理性的に動けないのか。心底自分を殴りたい。
はあ、と溜息をつく。
首はどっちに刎ねたのだろう。俺が来た方向に向かおうとしていて、無抵抗に死んだ、という感じだ。それなら、後ろから不意を打たれたと考えるのが妥当だろうか。それで俺がそいつとすれ違っていないなら、犯人はまだここらをうろついている可能性も高い。最悪だ。
不意に、後ろに何かの気配を感じた。
「……ッ!」
咄嗟に腰を落として勢いよく身を翻した。
俺が振り返るのとほぼ同時に、今さっきまで俺の首があったはずの高さを大きな刃物が真っ直ぐに横切っていった。あと一拍遅ければ首が飛んでいたところだ。
アタリだ。相手からしたらハズレだろうが。
薙ぐように振られた大きな、斧のような刃物は、そのままゆっくりと下ろされた。これが、あれの首を持っていった。合点がいく大きさだ。しかし柄に対して、刃の部分がアンバランスなくらい大きい。刃は勿論人の血で真っ赤だ。一人や二人なんてもんじゃないだろう。それに、刃自体も赤く、鈍く、光っているように思われる。とにかくやべえ。流石に死ぬ。
「あれぇ!ヒゼンちゃんだ!」
「あっ?」
つい凶器に釘付けになっていた俺は、不意に口を開いた男に呆気に取られた。
「探してたんだよ?いるならいるって言ってよ、殺しちゃうところだった!」
目を痛めるほどに鮮やかで諄い髪のソルフェリノと、同じく鮮烈なアザレアピンクの眼光だ。
女性的な顔立ちと、ふっくらとした頬。へにゃりと緩やかな笑顔。右腕には全くそれに似合わない赤い刃の斧。そして、あの日に見た花火と全く同じ、カラフルに彩られた奴隷印が左頬に。
「なんとか言ってよ、おれ悲しいな」
「うるせえな、話してわかるやつじゃないだろ」
「酷いこと言う」
まあいいや、と、吐き捨てるように呟いて、そいつは俺に向き直った。それはそれは笑顔だ。船であった時と同一人物だと記憶しているが、雰囲気は一風違った。
「おれ、柳一重。ちゃんと覚えてね?ヤナギ、ヒトエだよ」
「だからなんだよ」
「自己紹介だよ?おれ、君のこと大好きだから。憎くて、憎くて、君のことしか考えられないの。恋みたいだよね!」
やはり理解出来なかった。
ダメだ。コイツとはきっとわかり合えない。わかっていたつもりだが、話して手を取り合える相手じゃない。あまつさえ憎悪と恋情を掻き混ぜるなんて、理解できない。得体の知れない化け物に見える。
「大丈夫だよ、ヒゼンちゃん。おれ、君のことは大事に殺すって決めてるから!」
そう言って、そいつは斧の柄を少しばかり折ると、あっさりと右手に持っていた斧をそこに捨てた。大事に殺すだって?いいや、殺されてたまるか。
その男は今こちらを見ていなかった。それは、今後いくつ来るかわからないチャンスの一つである。呑気に鼻歌を歌いながら、木の枝のような細い柄をいじくっている。そのうちに一撃でも叩き込めば、向こうだって流石に言いたい放題言っていられない。
いくら致命傷を負わせたって、生きていればこの際なんでもいい。「和戦両様」だと?戦ったことも無い奴らばかりがそんなことをほざいて、笑わせやがって。
戦うしかないんだ。後に引けないところに今、クヴァレはあるんだ。
フッと息を吐いた。そして半ば転がり込むようにそいつの足元に移動し、捨てられた斧の柄を掴む。燃やすよりも早い。この方が一撃が大きいはずだ。
「わっ」
(重っ……!)
出来るだけ浅く息を吸い、素早く吐き出して、身体に力を巡らせる。重い。舐めていた。だが、これでこいつがパワー系の能力であることの説明もつく。
「うっ、らあああッ!!」
勢いだけでそれを持ち上げた。と言うよりも振り被った。勿論急所は外すつもりだ。しかし思ったよりもコントロールが利かない。
勢いだけで持ち上がった斧は、思い切り重力に引っ張られて、俺ごとヤナギヒトエの元に凄い勢いで落ちていった。そいつのアザレアのような目は、大きく見開かれてこっちを呆然と見ている。急所は、外せそうにないが、勝機は見えた。
「ヒゼンちゃん危ない」
次の瞬間、ガッと硬い音がした。骨を砕くどころか、肉を斬る感覚すらなかった。喩えるならばそう、鉄骨を殴った感覚。反動が手に、腕に、肩に伝わった。だが、身がぶるりと震えたのは、なにもそれだけのせいではなかった。
「……な、なん、どう、いう……」
攻撃したはずの俺は、硝煙も手伝って虫の息だ。なのにこいつときたら、傷一つすら。
焦燥感も漂わせず、愉悦に浸るわけでもなく。特段何も感じていないような、どうでもいいような顔で。さもこれが普通というような目で。
血すら出ていない。嘘だった。夢だった。有り得なかった。信じられなかった。死体を見ても何も感じないような俺でも、流石に怯えを認めざるを得なかった。血の気が引いていく感覚が、やけにリアルだ。末端から体温が失われていくと同時に、全身からぶわっと嫌に熱を持った汗が出た。
「ヒゼンちゃん、あのね。おれに物理攻撃はちょっとオススメしないかも」
その屈託のない幼稚な笑顔に、ますます恐怖が煽られた。固い息を、音を立てて呑む。今息を吐いたら、なにか良くないものが全て出てきそうだった。焦った。今日はなんて日なんだろう。何もかも上手くいかない。
そいつは、俺の渾身の力の乗った大斧の刃を、ただ素手で受け止めていた。
お疲れ様です。いつもありがとうございます。
次戦闘回です。苦手〜〜〜〜〜っ!
でも何事もやらないと出来るようにならないものですよね。つきあって頂けるなら泣いて喜びます。
因みに、Twitterから来て下さる方が大多数だと思います。この小説を読んで以来、ヒトエって名前が一番ピンと来たんじゃないでしょうか。そうですあの概念幼女ゴリラちゃんです。何卒宜しくお願いします。