名もない二人の終り
「……」
「……どうした?」
「…………っせーよ、どーせあんたなんか」
俺のことなんて何とも思ってないくせに。
あいつは、今目の前で起こっていることを、俺があいつを拒否した事実を、理解出来ていないようだった。
「俺なんか……なんだよ?」
「もういい。帰ってくれよ。……もとから俺はそんな気分じゃねんだわ」
「……さっきは誘ってきたくせに」
「黙れよ」
わざとに決まってる。俺がいつもそんなことしないってわかってるなら、気づくだろ?
それは罠だよ。
「黙れって……なんだよ急に、俺がなんかしたか?俺がわるいんなら、謝るからさ」
だから、続きを、と。
あいつの言おうとしていることなんざ、今更言わなくてもわかる。
でも、それももう今日で断ち切る。
お互いのことをお互いが一番理解していた(いや、俺が一方的にそう考えてただけかもしれないけど)関係を、断ち切るんだ。
「……あんたのことだから」
「うん?」
そうでもしないと、俺がこわれちゃいそうだから。
「俺じゃない人間のことも、そうやって誑かして、手ェ出してんだろ、どうせ」
「……は?」
「見てりゃわかるっつの…………あんた、やたらスキンシップ多いもんなァ……?俺以外ともしてんだろ、相手がセフレなのか、それ以上の関係の奴なのかはしらねーけどよ」
「何言って……!」
あいつの必死な顔。
笑えねー……。
あー、なんで泣いてんだよ、俺。今の顔ぐっちゃぐちゃなんだろうなー。見られたくねーな……だからよ、こっち見んなよ。なんなんだよあんたのそのアホヅラは、言い訳の一つもできねえとかよ。
つまりは。
そういうこと、なんだろ。
……ふざけんなよ、と罵声を浴びせるように怒鳴ってやりたい。
怒鳴って、暴れて、大好きな……大好きだった、その顔をぶん殴ってやりたい。
でも、それじゃかわいそうだから。
結局愛した奴の顔だから。
冷静に、あくまで、別れを告げるために。あいつが犯した罪を、俺の気持ちを踏みにじってビリビリに破き裂いた罰を、わからせてやるために。
俺はあんたを拒絶する。
「……こっち見んな」
あいつは手を伸ばす。俺は思い切りその手をはじく。ばちん、と音が響いて、俺の頭に虚無感という言葉が浮かんだ。あいつは驚いた顔をする。そんなのすらお構いなしに、俺はやつを眼力だけで殺す勢いで睨みつける。
「帰れよ、俺はあんたの性処理係なんざ、もうごめんだ」
「……っ……」
「他を、あたれ」
顔を背ける。枕を引き寄せ、あいつから俺の顔が見えないようにする。
だって。
もう。
「あんたの顔なんかっ……見たくない……!」
これ以上は無理だと思った。
言葉が、続かない。続けられない。
どんどん哀しみに歪んでゆくその顔を、何も言わずに何度も目でアイシテルと言って笑った、何度も俺にアイシテルと言葉を紡ぎ、俺もだと言うように沢山のキスを降らせてやったその顔を。
もう、見てられなかった。
最初の頃こそ、「俺ってめっちゃ愛されてんなウヘヘ」とか気持ち悪いって言われそうなくらい自惚れる程には、あいつの思ってることがわかってた。視線が交われば互いに言葉なんて必要なかった。それがいつからだろうか。視線すらも交わらなくなって、あいつが俺以外の奴と寝たらしいという噂が流れはじめて。俺は信じてなかったのに、信じたくなかったのに。
あいつが悪い。
俺の期待を裏切るように、例の店から、知らない人間と仲睦まじげにでてきて。
用事があるから、とデートを断られて、ならばと友達数人と遊びに行った帰りに、俺は見てしまったのだ。
もう見せつけられたとしか思えなかった。だって、あんな……いつも俺のことを見るような目で知らない人を見ているあいつがそこにいたから。
写真を撮って証拠を残して、それをあいつに突きつけてやろうともしたけど、そんなことをしても俺は満たされないからやめた。
はぁ、もういいや、とでもいうように、あいつが息を吐くのを聞いた。そしてあいつは観念したように、
「……お前が、そう望むなら」
と言い残し、部屋から出ていった。
あいつは、俺があいつを拒否した理由を分かっているのだろうか。あの人のこともいずれそうやって2番目にするのだろうか。繰り返されるのなら、全然関係ないけど、あの人もかわいそうなのかもしれない。
でもやっぱ関係ないから、いいや。
むくりと体を起こし一人になった部屋を見回して、あとで掃除して必要最低限の物以外は捨てようと思った。
もう、この部屋に、あいつはこないんだから。
目を乱暴にこすって、シャワーをあびに部屋をあとにした。