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トヤマ兄弟2/接骨膏

作者: 湯乃屋

 痛、という小さな声よりもむしろ、血相を変えて飛んで行った凪に何事かと思って、私はそちらに目を向けた。見ると、先ほどまで凪が居た場所はもぬけのからで、当事者であろう嵐の足元にはかなづちが転がっていて。そして二人は手を取り合っていて・・・


 どうかしたのですか、と一瞬ためらった後に声を掛けると、嵐の開きかけた口を押さえて凪が、何でも無いです!と不自然に必死に見える。それきりまた、こちらに背中を向けて顔を寄せ合っている様子を見ると、どう考えても「何でも無い」事は無いだろうと思い私は持っていた煙管を傍らに置いて、鉄格子の鍵を開けて様子をうかがう事にした。


 「この感じは・・・折れたかな」


 「嘘だろ?だって何ともなってないじゃないか」


 「見た目には分からないだろう、多分ひびだ・・・痛!何するんだ」


 「ちょっと触っただけなのに、本当なんだ」


 「嵐先生、本当なんですか」


 うわぁ、と大げさに驚いては勢い余って飛びついて、嵐に苦い顔をされている。驚かせるつもりなど毛頭無かったのだが、どうにも私の、熊と言う名前そのままの容貌は無駄に驚かせてしまうらしい。だから私のほうは困ってしまって、行き場の無い手で頬の髭をばりばりと掻いて誤魔化す。


 もう一度繰り返すと嵐は済まなさそうな顔を作るでもなく、かと言って凪のように大騒ぎするでもなくあっさりと、肯定しては早々に処置に取り掛かっている。


 「大丈夫なんですか、お医者様に診てもらった方が」


 「そんな大した事じゃないですよ、こうして木を添えて、動かさないようにしていれば自然にくっつくでしょう」


 「何だ、大した事無いなら」


 「おれが言ってるのは処置が、大した事無いのであって、症状はおまえが思ってるより深刻なんだぞ」


 と言って、包帯を巻き終えた左手の小指を凪に突きつける。が、医者に診せるほどでない、という言葉に安心してしまった凪は、すっかり調子を取り戻しては気抜けした様子でふらふらと、元居た場所の座布団目指して背中を向けてしまったので、嵐は再び苦い顔を作って機嫌が悪そう。


ここ数日でようやく分かってきたが、嵐は口数こそ少ないものの意外に気性が激しい。ほとんど顔に出ないものだからはじめの内は戸惑ったりもしたが、声色や話し口調で感じ取れる。だが、気に入らないからといって拗ねるのはいい大人としてどうかと思う。


対して、凪は見た目から浮付いて見えるし、そういう噂も絶えないと自ら自慢してはいるものの、意外と真面目な面を持っている。堪えるべきところはじっと耐えて、不本意でも頭を下げる事も出来る。何より、この扱いにくい嵐と付き合って行けるのだから、大したものだ。


私はと言うと、丁度一ヶ月前だったか。峠越えの小休憩を取っていた二人に刃物を突きつけて、縄で縛ってこの土牢にぶち込んだ事がもう、随分昔の事に思える。と言うのも、我ら山賊団の頭が突然苦しみ出して、本当は医者を探していたのだが。学の無い我々のこと、医者と薬売りの区別も付かず連れて来てしまって。しかしこの二人、都でも高名な調薬師と分かれば、殺すには勿体無い。そんないきさつで今は牢番として、二人から昼も夜も奪ってしまったせめてもの報いとして時々薬草調達を手伝ったりしながら、交流を深めていた訳だが。


 「嵐先生それで・・・薬のほうはどうなるんです」


 「どうもこうも、左の小指だぜ?問題ないよな」


 「それがですね、熊さん。たとえ左の小指一本とは言え自由が利かないとなると調薬に狂いが生じてくるのですよ。わずかなさじ加減が命取りですから、処方者にも危険が及んでしまいます」


 「・・・そうですか。それでは、いつ頃に治るのですか」


「一ヶ月は」


「一ヶ月!しかしそれでは」


 「何だよ、無視するなよ。どうするんだよ嵐、頭を助ける薬の調薬期限は今週一杯なんだぜ」


 「本当は一日でも早く、せめて今週中に仕上げてもらわなければ。それを過ぎれば命の保障は出来ない、そう言いましたよね?それに、そうなった時にはあなた方のお命も」


 「冗談じゃない!おれはこんなむさっ苦しい所で死ぬなんて真っ平ごめんだ。何としても今週中に薬を完成させないと・・・何か無いのかよ~」


 とたんにそわそわと、牢の中を右往左往し始める凪、そうすることで状況が改善される筈は無いのだが、居ても立っても居られないのだろう、頭の倒れた今だからこそ、その気持は痛いほど分かる。だが、当の嵐は至ってマイペース。何を言われた所で慌てるでもなく、はぁ、と息を吐いては所蔵のぶ厚い調剤書を引っ張り出し、もしかしたら当てがあるのだろうか。


 「このおれに、調合できない薬は無い。接骨膏、と言って骨折が瞬きの速さで直ってしまう薬ってのがあるが・・・指が治らん事にはな」


 「おれにも調薬出来るか」


 「無理だな」


 折角、張り切って調薬書をひったくった凪だが、にべも無い。だが、そこでへこたれる訳には行かないか、そんなにむさ苦しいのが嫌なのか。改めて眼を通そうとするのだ追い討ち、


 「蘭語、読めないだろう」


 「・・・教えてくれたら、おれにも」


 「お前みたいな半人前じゃ、読めても無理だ」


 「嵐先生、そこを何とか」


  割って入る形で、私が頭を下げると息をのむ音が聞こえるようだ。顔は見えないが長く考えあぐねいで居る空気が伝わって来る。


 「我々のやっていることは決して正しいことじゃぁありません、今だって先生方をこんな形で監禁して。頭にしても、断じて誉められる人柄ではないでしょう、でも、我々には、いや、私には頭が必要なんです。そのためにも、何とぞ」


 「・・・熊さんにそこまで言われたら。仕方ないな、その代わり、俺は師匠より厳しいぜ」


 嵐が悪い笑顔を向けると凪はぶるっと、喜びを分かち合おうと思ったのだが残念ながら、それ所ではないらしい。




 またしても、嵐の新たな一面を発見した。これはきっと、骨折と言うハプニングがなければ気付かなかっただろう。嵐は相当陰湿で、陰険でしつこく根に持つタイプらしい。厳しい宣言から、私はてっきりスパルタ的、暴力を想像したのだがとんでもない。嵐は事ある毎に嫌味、皮肉を凪にぶつけては、今まで見てきたどの顔よりも嬉しそうに微笑むのだ。しかも凪も、一応の反発はするのだが、少なからず非を認める部分があるらしく、おおむね従順に、それだから余計に嵐がつけ上がっている気もする。


 「違う。まったくお前は、何度言ったら分かるんだ?」


 「ごめん。えっと、この薬をひとさじ、こっちに入れる?」


 「ち~が~う。ひとさじなんて、大雑把な事をするな、きっちり一もんめ半!基礎の基礎だろう?師匠の所で何を学んだんだ、あ~お前はいつもさぼってたからなぁ・・って、おいおい、それじゃ多すぎるだろう」


 「ごめん、それで、ここは何て書いてあるだ」


 「なんでお前は、そんな先の所を読もうとする?今の行程だって満足に出来てないのに。昔からそうだ。いつだったか、おねしょをバレないようにする薬を作ってくれって、言ってきた事があったな。いいか、そんなことより先ず、寝る前に冷たい物を飲む事を・・・」


 「だぁ~!そ、そんなこと今さら持ち出すなよ」


 「今さらって、つい数年前までは」


 「十年近く前だ!」


 「十年と言うと、凪先生はおいくつになられます」


 私が指折り数えようとしているのを見てか、見る間に真っ赤になって、前掛けをかなぐり捨てては鍵を掛け忘れた扉から走って逃げてしまう。仕方ないので嵐に聞こうと顔を向けると肩をすくめて、前掛けを畳んでそっと脇に寄せている。


 「あまりしつこくは、聞かないであげてください」


 「凪先生の名誉のためですか」


 「はは、それもありますけど。私も、凪の口から聞いた訳では無いですが。つらい過去が、忘れられない時期があったのですよ」


 「ご兄弟でも、言えない事ですか」


 「私たちに血のつながりはありません。師匠の、富山の薬売りの同門です」


 「そうだったのですか。・・・それでも、兄弟なのでしょう」


 「兄弟なんです。だから、寂しいですよね、だから、苛めたくなっちゃうんです」


少し照れたように笑う顔に、つられるように私の頬もゆるんでしまう。だが嵐はすぐに顔を引き締めて


 「それより熊さん、凪は脱獄扱いになるのでは」


 そうだった!


凪が他の誰かに見付かっては私もただではすまない、だが幸いに、凪もわきまえてくれていたのか少し離れた、岩場の影の見付かりにくい所で、私を待っていてくれた様子。今度は私が、気が抜けて歩を緩めると凪も私に気付いたのだろう、嬉しそうに、犬のように飛んで来ては瞳を輝かせて、


「熊さん、あそこの。熊さんの身の丈なら取れないかな?よく効く薬草なんだ。嵐、びっくりするぜ」


 そう指差す先を見ると岩壁の隙間から、見たことのあるような、無いような草が顔を出している。


 「あの、雑草みたいな奴ですか?へぇ、調剤は苦手でも目は利くのですね」


 「・・・いいよ、もう」


 「まぁ待って下さい、いま取りますから」


 子どものように頬を膨らませていたが、頭を撫でてやるとまた顔を赤くして、それでも嬉しそうだ。凪の腕の長さだとてんで届かない所にある草だが、私ならば何とか手が届く。それに、あそこまで出て行かれては誰に見付かるとも知れない、それは私も同じで、本当は牢の前で番をして居なければいけないのだから辺りを見回して、誰も居ない。


 ・・・・・


 「これは、何に効くのです」


 「何にでも。自然治癒力を高めて、薬の効能を底上げしてくれるんだ。嵐も時々、内服薬系に使ってる」


 「今、調薬してるのは軟膏ですよね」


 「だから上手く底上げできるかどうか分からないけど。おれも嵐も、ただでさえ薬の効きが薄いから」


 何で、と聞き返すと思い出すのも嫌とばかりに、見るからに苦々しい顔を作って、


 「おれたち薬売りの修行の一環に、薬への耐性を付けるってのがあって、それは効き目が強すぎる薬とか、危ない毒とかを扱えるようになる為なんだけど。それで色々・・・」


 「試しすぎて、ある程度は効かないくらいに慣れてしまった?」


 「嵐の視力、その所為もあるんだぜ、最も、本の読みすぎが一番だけど」


 杞憂ではないか。凪はこんなにも嵐を慕っている。でも、それなら余計に


 「・・・凪先生、辛い事を忘れたい気持ちはわかります。でも嵐先生をもっと頼りにしてもいいと思いますよ」


 「・・・何、藪から棒に」


 嵐にああ言われた手前、これ以上は余計な詮索になるかなと、返答に困っていたのだが丁度、扉の所まで迎えに来ていた嵐の、遅い!といういかにもいら付いた声で凪の気が逸れて。元通り、仲良く肩を並べて前を行く二人には、もう私の事など目にも入っていないのだろう。


この緩やかな日々がずっと続くなんてもちろん思っていない。だが、だからこそ余計に尊く、大切にしたいと思うのだろう。あの二人も・・・そうだろうか。私と同じに、少しは惜しんでいてくれているのだろうか。


土牢の、昼も夜も何もない世界に居ると時々忘れてしまう。でも今みたいに、沈みかけた日の光を浴びていると思い出す。二人の背中は私から随分離れてしまっていたが、長く伸びる影だけはいつまでも、私のすぐ側に居てくれた。私はそれが、無性に嬉しかった。




 あれから三日経った夜のこと。夜といっても、自然光の入らない土牢の中ではさしたる意味も無いのだが、外の世界の日が三回昇り、三回沈んでしばらくした頃だろうか。相も変わらず馴れない手つきで調薬する凪と、それを付きっ切りで監修している嵐。私はいつの間にかウトウトしていて今まさに船を漕ぎ出さんとする所だった。


 「熊さん、出来たよ」


 肩を前後に、首がもげる勢いで激しく揺さぶられ、ようやく収まってはふらつく頭を支えながら視線を結ぶと声の主、凪が満面の笑みを浮かべて袖を引っ張っている。私はいつも通りに牢の鍵を開けて中に入り奥の、嵐の居るろうそくの光の届く場所に移動すると、促されて腰を下ろす。


 「熊さんすみませんね、お休みの所を」


 「いえ私も、興味がありますから。どうです、出来栄えは」


 「まずまずですね、何しろ私が責任を持って監修しましたから」


 「うふふ、それでは!凪さんのお手並み拝見~」


 言うなり嵐の左手を取って、嵐は血相を変えてその手を力いっぱい振りほどく。


 「何をするんだ、お前は!全く・・・おれを殺す気か?先ずは効能を確かめる、だろうが、いきなり本番に臨む奴が何処にいる」


 言いながら、嵐は自身の調薬道具の中から使い込まれたヘラを取り出して、凪に渡す。凪はきょとんと、だがすぐに閃いたのか手を打つと、満を持して接骨膏の蓋を開ける。


 「嵐、自然由来の薬は金物を嫌うって、出来るだけこの象牙のヘラを使って切ったりしてたもんな」


 「小指を折った拍子に落としてしまって真っ二つ。凪先生、元に戻してくれますか」


 お安い御用!と張り切って予備に持っていたヘラで軟膏をすくった瞬間。


 突如として現れた乳白色の球体は凪の手から落ちて音を立てて、床にわずかなくぼみを作ると、そのままごろごろと、少し行ったところでようやく落ち着いてか、今は滑らかに、やわらかな蝋燭の光を映している・・・


 「な、なんでヘラがいきなり真ん丸くなるんだ!?」


 「・・・凪お前、何か混ぜたな。どうしてくれるんだ、新品のヘラなのに」


 「この間の薬草・・・だって、おれたち薬効かないから」


 「はぁ、道理で!葉先がちょん切れてた訳だ」


 「これは・・・失敗ですか」


 残念ながら、と嵐はいつもの調子で言うが、落ち着いていられる問題ではない。いち早く気付いた凪は早速そわそわと、かく言う私も態度には出さずとも、ここまで親しくなった二人の行く末を思うといよいよ落ち着きがないと言うのに、どうしてそこまで悠然としていられるのか。


 「全く、出来の悪い弟を持つと苦労する。骨折したのがあのタイミングで本当に良かったよ。実はもう出来てるんだ、あんたたちのお頭の薬」


 「え!でもそんな事一言も」


 「残りの行程は、三日三晩寝かせること。言ったりして誰か、せっかちな輩が持っていってしまえばそれでお釈迦、だからな」


 恐れ入る。そう言うと嵐は改めて、薬の入った瓶を渡してくれた。嵐の手が瓶から離れると、私と兄弟の繋がりも終わりの時間。名残は惜しいが、もう二度と会うことはないだろう。それならせめて、二人の旅の安全を願おう・・・


 これにて、トヤマ兄弟の出張興行はお終い。でも凪の作った失敗薬は?


 「ところで熊さん、この失敗薬ですが。これだけ協力な効能だ、もしかしたら象牙の削りかすでも集めたら、また判子が作れるくらい固まるかもしれませんよね・・・」


 


 「ほら凪、何してるんだ早くしろ」


 「何だよ、急に張り切っちゃって。急ぎの注文がある訳じゃないだろう」


 「今日は夜通し歩いて、明日の朝には国を出るぞ」


 「げ!本気かよ?やっとこさ、むさい盗賊団から解放されたんだぜ、おれの接骨膏も高く売れて、休んでいこうぜ~」


 だらしなくへたり込んでしまった凪に、嵐は小さな袋からさらさらと、粉を蒔いて見せた。


 「何だ、そりゃ」


 「さっきまで球体になっていた象牙のヘラだよ。いいか、効きすぎるってのはこう言う事にもなりうる、だから配分は間違えてはいけないし、混ぜ物をするなんてもっての外。明日には盗賊団の、おれたちを探して落とし前をつける壮大な山狩りがはじまるだろう」


 「・・・早く逃げないと!」


 一変、今度は凪が嵐を追い立てた事が功を奏して、二人は予定より随分早くに国を出る事が出来た。以来、二度と訪れることのなかった国ので、一儲けをしたお話。


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