忘れられない想い
セーラはホテルの一室に案内された。
部屋の中には数名の男がいた。
「セーラ。久しぶりだね」
上品な身なりの整った顔立ちの紳士がセーラに微笑んだ。
セーラは驚きで目を見開いたが、すぐにはっとして視線を落とした。
「会いたかった……」
ささやきかけるような優しい声にセーラの心はかき乱される。
懐かしい声。
優しい響き。
忘れたと思ってた。
でも、忘れてなかった。
忘れられなかった。
セーラの心の奥底に沈んでいた想いが浮き上がってくる。
「セーラ。きみのことを思い出さない日はなかったよ」
セーラの視線が引き寄せられるようにゆっくりと上がる。
男の優しいまなざしに、セーラは釘づけになった。
そう、この優しい瞳。
あの頃、ずっと優しく笑いかけてくれていた……。
忘れかけていた、あの日々がよみがえってくる。
「ずっと探していたんだ。もう一度、きみに逢いたくて……」
セーラの瞳が潤む。
逢いたかった。
ずっと、ずっと逢いたくてたまらなかった。
逢って、もう一度言ってほしかった。
きみが必要だと……。
「セーラ。苦労をさせてしまったね。あの子。ジョンといったね。ぼくの子だろ? ありがとう。育ててくれて」
セーラはうっとりと男を見つめていた。
優しい言葉。
優しい微笑み。
あの日々が還ってきたんだ、と思った。
「もう、きみひとりに苦労はさせないよ。僕がジョンを引き取る。ジョンは僕が育てる。いいね、セーラ」
セーラはうっとりと聞いていた。
もう何も考えられなかった。
男はセーラの前に、札束を置いた。
「これは今までの謝礼だ。これできみも身軽になれるだろ?」
男の言葉に、セーラは目を見開く。
「どういうこと?」
「ジョンは未来のアルテーン子爵だ」
セーラは首をかしげた。
男――アルテーン子爵が何を言っているのかわからなかった。
「妻は子供ができない身体になってしまってね」
セーラは呆然とアルテーンの口元を眺めていた。
アルテーンの口から飛び出す言葉が信じられなかった。
「妻も楽しみに待っているのだよ」
アルテーンはにっこりと微笑んだ。
「イヤよ。ジョンは渡さない」
セーラはアルテーンを睨みつけた。
「セーラ。よく考えてごらん。これはジョンのためなんだよ。僕の元に来れば、ジョンは何不自由ない生活ができる。子爵になれる」
アルテーンはまるで幼児を諭すような口振りで続けた。
「このままきみの元にいても、一生、ただの平民のままだ。わかるかい? 僕の元にくれば貴族になれる。子爵になれるんだ」
セーラは吐き気をおぼえた。
こんな人だったのだろうか。
自分の愛した男は、こんな男だったのだろうか。
変わってしまったのだろうか。
そうじゃない。
昔からそうだった。
分かっていた。
本当は知っていたのに、気がつかないフリをしていた。
自分の間違いを認めたくなかった。
認めてしまえば、それまでの自分を全て否定してしまうことになる。
怖かった。
自分の全てが崩れてしまうのが、怖くて怖くてたまらなかった。
だから、気がつかないフリをした。
真実から目を逸らし、逃げていた。