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暗黒流星と十字の満月  作者: 尾岡れき
第1部 暗黒流星と十字の満月
7/12

7 伝心



 銀は断る間もなく、彼女に手を引かれた。


 ざわめく場内を無視して、楓はニッコリと笑う。それが合図だった。音楽にあわせて、彼女は華麗なステップで滑るように踊る。銀は吸いついたかのように、彼女についていく。


 踊ったことのない銀が、何の失敗なく彼女にピッタリと寄り添った。


 【暗黒流星】達は、不満げな表情を隠さない。だが、それを口にする者はいない。彼女はそれほど、奴らにとっては重要な存在という事か?


 玄のふてくされた顔。その顔色にはイライラがはっきりと見える。銀、今がチャンスだろ? その目がはっきりとそう言っているのを銀は読み取った。殺せ。殺すんだよ、今すぐ。それで混乱は必至だ。彼女は【暗黒流星】なんだぜ? これは罠だ。それにみすみすはまって、消されるのか? 目を覚ませよ、相棒。彼女の演技に。彼女の存在は闇だ。彼女の微笑は演技だ。彼女の魅力は毒だ。たいした女なんかじゃないだろ? さっさと殺せ、それでお終いだ。さぁ、銀! さあ────。


 だが、銀はそんな玄の問いかけを無視した。


 理屈は分かっている。銀は【十字の満月】九条楓は【暗黒流星】


 相反する者、受け入れる存在ではない。お互い。


 それでも、銀は彼女と一緒にいると、落ち着いた。彼女の微笑は痛々しく、演技である事を看破するのはた易い。だが、それは銀を騙すためじゃない。彼女は笑えない、直感でそれを感じた。


 今までに感じる事のなかったぬくもりにも似た安らぎ。踊りながら、銀はそれにひたっていた。


 日常に感じる空虚。【暗黒流星】駆逐の時だけに感じる破壊的な安心感。だが、それは霧のようにあっという間に消えていく。そして空虚な現実に、銀は戻るしかない。


 もしも【十字の満月】の力がなければ、銀は普通の生活をできたのだろうか?


 もっと笑えて、

 つまらない事にも涙できて、


 恋という感情を知って、

 誰かを怒って、


 夢とやらに疾走できて、

 家族を失う事もなかったんだろうか。分からない────。


 と…背中に嫌悪な貫きを感じて、銀はビクンとさせた。銀の視界に九条栄が、楽しげに、可笑しげに酒を飲み干している。銀と楓を肴にして、なんとも美味そうに。体が震える。九条栄は危険だ。本能がそう警戒する。あの笑顔はあの人を連想させた。【十字の満月】との契約の時の、さも楽しげなあの人の笑顔。恐怖に震えた銀。あの人は言った。それは強い証拠なんだよ、銀。【十字の満月】の本当の力を知っているからこそ、心は正直だ。


 別に強くなんかなくても良かった。無意識に思う。


 いつも銀はあの時の記憶に脅えていた。【十字の満月】として力を振るえば振るうほど、自分の無力を実感できた。【十字の満月】も【暗黒流星】もどうでもよかった。強すぎる力もいらなかった。ただ普通に生きてみたいと思っていた。強大な【十字の満月】に比べれば、銀の力なんてお遊びにも等しい。中途半端な力は、無いも同然。


 そんな自分の力が怖かった。いつか暴走してしまいそうで。


 そんな現実に脅えていた。

 いつまでも色褪せない記憶に、震えが止まらなかった。


 (怖がらなくてもいいのよ)


 心に溶け込むような楓の言葉。目をパチクリさせた。彼女はただ、微笑んでいる。


 (怖がらないで)


 (怖がってなんか)


 銀も同じように彼女に言葉を投げかけた。以心伝心とか、そういうレベルのものではない。言葉にする前に、その言葉を想う前に、お互いの心に溶け込んでいく。銀は────そして楓も、それに戸惑っていた。二人をとりまく温もりは、現実直面している問題さえ忘れさせる。


 (怖がってる)


 (………)


 (力を振るえば振るうほど、貴方は傷ついている)


 (傷つく?)


 (あの記憶、力を振るうほど鮮明になっているんじゃなくて?)


 (何でその事を…?)


 (耳をすましてみればいいわ。全てを感じれるから)


 (感じる?)


 踊り続ける二人。銀は目を閉じる。飛び込むイメージが津波のように、銀を襲った。


 狭すぎる個室で、ただ泣いている楓。【暗黒流星】が好む血の宴。時には首を切断し、時には死の寸前へと追い込み、時には人の心を弄ぶ。父はそれを酒の肴にして、今のような笑みを浮かべている。銀はぞっとした。戦慄さえ感じる。だが、彼女は表情を変えずそこに立っていた。血まみれになり、悲痛を浴び、狂気が奔走しているにも関らず、彼女はそこにいた。


 逃げることはできない。

 いや、逃げても意味はない。


 楓は自分の存在を理解していた。ドコにいても受け入れられる事はない。むしろ閉じ込められていた方が幸せなのかもしれない。幼い楓はそう悟っていた。


 父は、楓の力を利用する。家の者もそうだ。上山もだ。【暗黒流星】の同胞は楓を神像のように称え、敬う。どうでもよかった、どうでもいい。【暗黒流星】も【十字の満月】も【人間】もみんな消えてしまえばいいと思っていた。心の中の流星が黒く濁った。


 楓は屋敷を出て、狂気を放出していた。人という人の心を黒く染めて、狂わせ躍らせ舞わせて笑った。そして、目が覚めて消えた街のまん中で、ぽつんと立っている所を父と上山に発見される。


 臭気と漆黒の空気に、上山は蒼い顔で冷静さを演じる。小物。小馬鹿な目で楓は侮蔑する。だが父は……父は……父は……とても────嬉しそうだった。


『いい子だ』


 と九条栄は言った。その言葉の裏の言葉を感じた。自覚できたかい、その力を。楓、お前は私達がいなくては混乱して、消していくだけの存在。私達は君を導いてあげてるんだ。分かるな、楓?


 楓は何も言わない。生れてから、今の今まで分かっていた事ではある。


 父は私を利用している。私の力にすがりたい。あの笑いは、楓が九条栄に力を振るわない事を知っているから生れる余裕。それだけでないものも含まれているが、半分以上はそれが占めている。


 私は誰からも必要とされない。


 私は単なる道具。単なる神像。


 私は必要ない?


(そんな事ない────)


 耐え切れなくて、銀は思わず声をかけた。楓は弱々しく首を振る。イメージの津波は弱まるどころか、ますます強く銀を取り巻いた。


 九条楓は【暗黒流星】の統括のために、とことんまて楓を利用した。


 必要ならばたくさんの死で屋敷中を彩った。


 それ以上の悲哀で、楓の心をゆさぶった。


 そのたびに楓の心の中の流星は黒く濁り、そして何処かを暗黒色に彩った。それはつまり消滅。空虚なまでの空白。そしてこれ以上落ちる事のない失楽。


 だから楓は、一枚一枚、心を捨てた。感じるから傷つく。想うから嘆く。触れてしまうから染まる。ならいっそ、そんな心は捨ててしまえばいい。そうすれば【暗黒流星】も【十字の満月】も【父】も私に触れる事はできない。それは自由ではないかもしれないけど、それが平穏となるのなら。


 そして平穏は訪れた。


 九条栄は楓の心をかき乱そうと躍起になった。そうすればそうするほど、彼女は冷めた。やがて九条栄は諦め、今を利用する事を考えた。彼女が暴走しなくても【暗黒流星】の同胞達は楓を神聖なるものとして祭り上げた。それだけで、今は充分だ。今は。そう呟くのを楓は何度か聞いていた。宴は続く。血は流れ、絶望の叫びが、闇の帳で、悲痛の歌で、涙色の言霊で、屋敷中を染めていくが楓は無表情に立ちつづける。


 銀は、そこに泣いている楓を見た気がした。無表情のまま彼女は、色のない涙を流す。


(逃げて)


 彼女は弱々しい声で、銀に語りかける。    


(逃げる?)


(貴方が強いのは分かるけど、お父様は恐ろしい人よ。私は人の心を捨てたけど、お父様は人の心をかオモチャにできる人。それを楽しむ人だもの。あの笑いを見たでしょ?)


(見た。正直、ぞっとしたね)


(だったら────)


(君も一緒なら)


(え?)


(君も一緒なら逃げてもいい。プライドも同胞も全て捨てて)


 自分でも何を言っているのか、耳を疑った。でも、この子ともっと一緒にいたいと思った。この子の苦しみを僕は理解できた。そしてこの子も僕の苦しみを理解してくれていた。それだけで────たったそれだけで、銀の中の空虚が埋められていく。


 (それは……)


 彼女は言葉を濁す。その目にたたえられた深い悲しみ。


(無理よ)


(どうして?)


(だって貴方は貴方を救えてない。貴方は貴方を満たすために、その荒ぶる力で私の同胞を消してきたでしょ。きっとその選択は、いつかお互いの首をしめるし────私は、お父様からは逃げられない)


(僕は僕を救えない。でも、君は僕を救ってれる。そして僕は君を救ってあげれる気がするんだ。僕の前では笑っていいんだ。傷つく必要もない)


(笑い方なんてとうの昔に忘れた)


(僕が笑わせるからいいよ)


(貴方って人は……)


 踊りながら、ステップを踏みながら、二人は手と手を取り合いながら、彼女は始めて演技ではない微笑をたたえた。それが銀を幸せにする。


(おかしな人)


(かもね。そうかもしれない)


(気持ちだけ受け取るわ。でも、無理よ、私はお父様からは逃げれない)


 と、銀と楓の手が離れる。諦めに達していた楓の悲しげな微笑み。それが答え? 銀は首を振った。否定した。泣きそうなほどみじめになった。手を伸ばす。ここでまた【暗黒流星】と【十字の満月】に戻ってしまったら僕は彼女を殺さなくちゃいけない? 嫌だ。そんなの、嫌だ。心の底から絶叫する。やっとやっと────まやかしかもしれないけど────僕を満たしてくれる人に出会えたのに? この空虚を埋めてくれそうな初めての人なのに?


 子供のように泣きたかった。そんなの嫌だ。そんなの僕は認めない。


 あるいは彼女なら【暗黒流星】と【十字の満月】の関係で対峙した時、何も言わず死を受け入れるだろう。彼女は平穏を望んでいた。彼女は平和を望んでいた。彼女は安らぎを望んでいた。でも? でも? それでいいのか? だって泣いてたろ。あんなに。こんなの嫌だって。嫌なんだろ? だったら僕と一緒に行こうよ? 僕は最初から大切なモノなんてないから。僕なら君の空白を埋めれる。君なら僕の空虚を埋めてくれる。僕と君だから────。


「銀! さっさと離れろ!」


 玄の怒声が響いた。振り向く。玄の指が、十字に宙を切る。生れる光。その光が渦を巻き、刃となって九条楓に飛んでいく。銀は無意識のうちに、十字をきった。生れる銀色の火炎。回転し、収束し、玄の光刃と衝突する。まばゆい光が煌めき、誰もの視界を奪う。


「な!?」


 玄は避ける間もなく吹き飛ばされる。銀は楓を抱きかかえ、軽く飛びその衝撃を避ける。完全に発動できなかったので、玄の力を消滅させれなかったのだ。


「銀!」


 玄がむくりと起き上がる。その目が憎悪で光った。


「裏切るのか?」


「裏切るつもりはない」


 銀の声は冷静だ。


「でも、この子を傷つけるのなら許さない」


「惑わされやがったな、この弱虫。忘れたのか、お前も俺も【十字の満月】だ。そしてその女は、【暗黒流星】なんだぞ! 【暗黒流星】は闇を生む存在。お前はそれに与するって言うんだな」


「玄、僕が与するのはこの子だ。【暗黒流星】にじゃない。そして僕も【十字の満月】なんて名前じゃない。僕は僕だ」


 と力が、そこに生れた。玄との会話に夢中になっていた銀はまるで気付いていなかった。


 地の底から吹き上げるような、黒い硝煙。そこにはらむ邪悪な臭気。そこに上山の存在を見た。


「仲間割れとは醜い。醜いまま死ね。楓様に手を出した事を後悔してな」


 銀は再び十字をきるが、その前に黒煙が触手となって銀の首を圧迫する。そこを漆黒に輝く流星が、触手を打ち砕き、かき消す。上山ははっ、と顔を上げた。


「楓様…?」

 

 信じられない表情で


「どういう事ですか────」


「その人を傷つける事は私が許しません」


 その手の平に浮かぶ、黒珠の恐怖を思い出して上山は顔を青くした。街一つ消すのも簡単な、破壊と消滅の宝珠。流星のように漂い、彼女の思うがままに破壊しつくし命を奪う。その恐怖を思い出して上山の理性は凍りついた。


「貴様! 楓様に何を吹き込んだ」


 無知な【暗黒流星】が、銀に飛び掛かる。銀の目が不敵に微笑んだ。


「僕は彼女以外には容赦はないからね」


 すでに十字は切ってある。銀色の火炎が、銀と楓を取り巻いていた全ての【暗黒流星】に喰い付いた。苦悶すら浮かべる時間も与えず、灰にする。その残り火に上山も焼かれて、悶える。


「うぁぁぁぁぁぁ! 熱い、熱い!」


 その火は相手の生命を灰にするまで消える事はない。


 銀は楓の手を引いた。楓はもう逆らおうとせず、銀に寄り添う。二人は見つめ合い、そして駆け出した。それをすぐに、玄が追う。


「銀、許さないぞ。俺はお前を許さないからな」


 吠える。その目は憎悪しか映していない。

 そして九条栄は、一人楽しげに笑っていた。


「面白い、実に面白い。ココに集中していた【暗黒流星】の大半が全滅だ。二人ともとても魅力な素体だ。実に興味深い。なぁ、上山?」


「栄様…?」


 息絶えた。銀色の火炎は、宿主の生命の薪を全て燃やしつくし、満足して消えた。


 そっと今は醜い上山の焼けちぢれた髪を撫で、優しく────残忍に笑みを浮かべた。


「素晴らしい宴だぞ、上山」


 狂気に等しい哄笑。その手が上山の首をつかみ、胴体から力任せに引き離した。


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