6 邂逅
前回:暗黒流星の巣窟に潜入した2人です。そして楓お嬢様登場。しかし作者的にも第一部は読み返してしんどいや(え?
銀も玄も目を丸くしていた。
パーティそのものが社交界のトップが集まっているだけに、壮麗で美麗で贅沢である。会場は九条家側の席と来賓の立食スペース、そして楽隊のひかえるダンスフロアーの三つに別れている。まだ余興のダンスの時間ではないのだ、楽隊はBGMとして穏やかな曲を紡ぎだしている。客達もそれに合せて、のんびりと談笑している。
【暗黒流星】の巣窟と身構えていた銀と玄は拍子抜けした気分である。演技でしかないだろうが、誰と誰が【暗黒流星】か、なんてまるで区別がつかない。この屋敷の空気もあるのかもしれない。銀はひしひしと感じる。臭気にもよく似たまとわりつく漆黒の霧を。
全てを隠してしまうような悪臭。そんな表現がぴったりかもしれない。
この屋敷の空気は、全てを覆いつくし隠してしまう。その臭気のすごさに銀は頭痛すらしていた。
「玄」
銀は小声で言った。
「玄は大丈夫か?」
「何が?」
すでに大皿にローストビーフやらサラダやらケーキを山盛りに乗せて、玄は聞き返す。
「お前なぁ……。こんな時に何、考えているんだ」
と銀は山盛りの料理を見て呆れる。
「バカ、せっかくのご馳走だ。これを食わずして何を食えという」
「食ってる場合じゃないだろ?」
「そうは言ってもどうしようもないだろ。この状況、誰が【暗黒流星】なのかまるで分からないし。下手に動くのは得策とは思えないし」
「全員、消してやればいい」
「銀、何を焦っているんだ?」
玄は不思議そうな顔をした。銀がこまでイライラするのは珍しい。普段はどんな状況でも顔色変えずに対処するくせに。今日に限って、なんでイライラしている? この屋敷にくる前までは余裕の表情だったのに、今ではすっかり青ざめてさえいる。
「怖くなったのか?」
「…玄は、感じないのか?」
「だから、何が?」
「いや、いい」
と銀は壁にもたれかかって、ふっとため息をつく。玄の力が弱いわけじゃない。銀の力が強すぎるのだ。銀はほとんど確信さえしていた。誰が【暗黒流星】で誰が普通の人間分からない、か。間違いなく、ここにいるほぼ全員が、【暗黒流星】だよ、玄。この臭気に当たらないだけ、玄は幸せかもしれない。銀はもう、頭痛と吐き気で耐えられそうに無かった。
ぐっ、と拳を握る。今すぐ暴れる事ができたら、どんなに楽だろうか。全てを破壊いしてやりたい。そんな衝動が、銀を取り巻いた。なぜこんな茶番を演じなくちゃいけない? ここまで想定して、あの人は伝令をよこしたのだろうか。分からない。だけど、完膚無きまで駆逐してやりたい。正直、誰が【暗黒流星】で誰が【人間】でも、どうでも良い。敵なら消す。それだけだ。
と、いきなり会場に静かさが支配した。
扉が開く。質素な漆黒のドレスに身を包んだ少女が、入場してくる。ささやかな、囁き。その声の一つ一つが、興奮を隠しきれないでいる。【暗黒流星】にとって特別な少女、か。
銀は鼻で冷笑して、少女を観察した。
肩まであるかないかの、黒曜石を思わせる柔らかい髪。折れそうなほどハカナゲなその体。白い素肌。黒のドレスは、それを極出たせている。小さな唇は愛らしく微笑む。その瞳は黒く、深い海のように引き込まれそうだ。不覚にも、銀は見とれてしまった。
と、少女は一瞬、銀の方を見て立ち止まった。いや、銀がそんな気がしただけなのかもしれない。それならそれでもいいが、たしかに少女は銀の目を見て立ち止まった。
時間が凍った気がした。
長かった。見つめ合った瞬間が。
お互いの瞳がお互いの瞳を引きつけ合い、引き込み合い、深く吸い込んでいくような、そんな錯覚。
銀はその一瞬で理解した。彼女の微笑みは、単なる演技であると。彼女はこの場所にいたくない。今すぐ立ち去りたいと思っている。どんな人間とも関りたくない、そんな思いの渦が銀に押し寄せる。そして銀の破壊衝動もまた彼女に押し寄せているのが分かる。不思議な感覚だ。今まで経験した事のない共有。だが、嫌じゃない。むしろ心地良い。彼女の事をもっと理解したいと思った。彼女と瞳だけでなく言葉を交わしたいと思った。もっと彼女のソバに行ってみたいと思った。その綺麗な白い手に触れてみたいと思った。もっともっと彼女の事を────。
「おい、銀、銀」
と玄に声をかけられ銀は、はっと我にかえる。気付けば、もう少女は足を進め九条家の席についていた。その目はもう銀を見ていない。
「何だよ、玄?」
「何だよ、じゃないだろう。お前ココに来てから変だぞ。体調でも悪いのか?」
「いや…」
と首を振り
「考え事をしていただけだよ。それより何?」
「あの子が────」
「ん?」
「【暗黒流星】にとって重要な人物だと思うか?」
玄の言葉に銀はうなずいた。
「多分ね。ここの来賓どもの顔を見たかい? あの子が来ただけで恍惚とした表情だよ。あの子が何かしら重要な人物なのか、力の強い存在なのか、そのどちらかだと思うよ」
「同感だ。あの子はタダ者じゃない。力もそうだろうけど、この連中の活力源である事も間違いない。まず、あの子を潰すぞ、銀」
「な?」
何故だかは分からないが、銀は困惑した。あの子を駆逐するだって?
「何だよ?」
銀のリアクションに玄の方が困惑した。
「だってあの子は【暗黒流星】だろ?」
「いや、そうかもしれないけど……」
自分でも何でこんな事を言っているか分からない。
「そうかもじゃなくて、そうなんだよ。もしかして奴ら得意の術にはまったか? 頼むぜ、銀。しっかりしてくれよ。これからが肝心なんだからさ」
「ん…ああ」
「隙ができたら、まずあの子を狙う。それで混乱は必至だろう。そこをできるだけ拡散させて、一人でも多く殲滅させる。ま、それは銀にかかってるけどな。徹底的に破壊してやれば、奴らもしばらくはおとなしいだろう。とりあえず、あの子の命は絶対だ」
「【暗黒流星】より【暗黒流星】らしい台詞だね」
と銀はクスリと笑った。やっといつものペースを取り戻せた気がする。玄もそれに安心した表情半分、苦笑半分の表情で応じる。
「綺麗な事を言ってる場合じゃないだろ。俺達の目的は【暗黒流星】の駆逐。そのためになら手段も目的も選ばない。選んでいたら状況は変えれない。奴らにそんな心配は無用だ。そうだろ?」
銀は、うなずいた。たしかに玄に言われるまでもなく、それが【十字の満月】としての銀の今までの信念だった。【暗黒流星】は人の心に巣食う闇である。闇を駆逐するのが、【十字の満月】の使命である。今までそう信じていた。
なんだろう? 突然、それが疑問として湧いてきた。
【暗黒流星】を憎む感情に変わりはない。銀は彼らを駆逐したい。破壊しつくして、滅ぼしてやりたい。だが、今はその感情の中にためらいと戸惑いが生れている。
何なんだ? 自分でも把握できない。ただあの子と目を交わした時、誰よりも自分の事を理解してくれている気がした。そして自分もあの子を誰よりも理解できる気がする。あの一瞬で、隙間のあった心にブロックが敷き詰められたように、カチリと噛み合うものを感じた。
何なんだ、いったい────。
会場を静寂が包んだ。黒スーツの長髪の男がマイクを持ち、中央に歩みでる。銀は玄のくれたループエレクトロニクスの資料について思い出してみた。当主九条栄の右腕、上山だ。若干33歳で巨大企業の専務。栄が社の方針に口を出さず、科学に関心を示し博士号を取り、研究に没頭しているので事実上、社長代行をしている。有名すぎるエピソードである。
(よく潰れないな、そんなので)
銀は一人、呟く。声には出さず。
声を出せる状況じゃない。誰も酔ったような眼差しで、上山────と言うよりも、九条家の席の方を見つめている。まるで新興宗教の一場面のようですらある。銀は玄を見た。玄は困った顔をして肩をすくめる。銀もうなずいて、肩をすくめた。
「本日は皆様、お忙しいなか誠に有り難うございます。我がループエレクトロニクスの社長、九条栄の60回目の誕生日です。それでは社長、一言お願いします」
のっそりと、九条栄はまん中に歩みでる。上山はマイクを差し出したが、それを押し止める。少し痩せ気味気味で、背だけが少し高い。だがひょろりとしている訳ではなく、圧するほどの存在感を感じた。その白髪と刻まれた皺とは相対して、その目は燃え盛る焔のようにギラギラしていた。
正直、銀は冷や汗が流れるのを感じた。この男は危険だ。そう直感が、警告する。
あの目が、銀と玄を直視していた気がした。射られるような、一瞬の感触。が、すぐに消えて微笑をたたえる。その微笑が銀と目がまたあった瞬間、ニッといやらしい笑みに変貌する。そしてまた、紳士的なスマイルで、来賓達に愛想をふりまいた。
(弱気になっているな)
いつもの銀なら、軽く冷笑していたはずだ。【暗黒流星】のパフォーマンスなどに動じる銀ではない。その前に駆逐して消す。それが銀のやり方だった。【暗黒流星】も【十字の満月】の同胞も、そして人間も極端に言えばどうでもよかった。ただ敵を駆逐できればそれでいい。その時、銀は満たされる。その時、銀は安らぎを感じれるのだ。
だが、今じゃどうだ?
すっかり心をかき乱している。いつもの平静さがまるでない。
この屋敷の空気?
九条栄?
【暗黒流星】?
三浦銀っていう、僕の存在?
(いや、違うね)
銀は小さく首を振った。あの子だ。目を向ける。九条栄の娘…資料によるとたしか、九条楓。あの見透かした目。感情を見せない表情。あまりに弱々しいその体。だが奥に潜めるその力。でもそれだけじゃない、銀を混乱させていたのは、あの一瞬の共有だ。
あれは錯覚だったんだろうか?
いや……たしかに銀は彼女の存在が、自分の中に吸い込まれていくのを感じた。あれは、錯覚なんかじゃない。銀はあの瞬間で彼女の事を一番理解した。そして彼女も銀の事を一番理解したはずだ。たった、あの瞬間で。それが銀をなおのこと混乱させていた。敵であるはずの【暗黒流星】を理解して、安堵している? この僕が? まさか? 冷静をつくろう表情が剥がれ落ちていきそうな気さえした。その彼女を殺せ。それがなおの事、銀の心をかき乱していた。
「本日はわざわざ、お越しいただき誠に感謝しています。知っての通り、私はループエレクトロニクスには何の口も手を出さず────」
九条栄が流暢な口調で言った。その言葉の一つ一つが嘘で、その表情の裏に残忍さを隠している。
「今の九条家の繁栄も上山君の、そして皆さんのご助力無しにはありえなかったでしょう────」
何の感情も感慨もない台詞。ただ、ちらちらと銀と玄に時々目を向ける。その時、目だけで九条栄はニタリと笑う。不快だ。
「ただ学問を追求し続けた私に協力してくれた娘の楓と上山君、そしてループエレクトロニクスの社員には感謝しても感謝したりない────」
虚ろな口調に時々はらむ殺意。飛んで火に入る夏の虫……そう可笑しげに銀に向けて呟いている気さえした。九条栄だけじゃない。銀は初めて気付いた。時々、憎悪にも良く似た視線で、銀と玄を睨むのを感じる。玄も不快な顔で、あたりを見回した。
だが、それでいて彼らは何食わぬ顔を演じている。
いつだっていいんだよ、皆さん? 銀は不敵に笑みを浮かべた。その目は好戦的な眼差しで人という人を見回す。じりり、と来賓の何人かが銀と玄に少しずつ歩み寄った。まるで囲むように。まるで追い詰める狩人のように。まるでゲームの開始を待つプレイヤーのように。
玄は露骨に不快な表情で彼らを一瞥する。銀は不敵な笑みを崩さず、九条栄のくだらない言葉を聞き逃している。それは臨戦態勢を意味していた。その銀の紅い瞳は、挑発を促していた。それにのるかのように、また一人また一人、銀と玄を囲んだ。
「今宵はたくさんの余興も容易しています」
余興ねぇ、銀は笑った。玄は唾を吐く。じりり、じりり、一人また一人。輪を作るように、銀と玄を囲み、
「この夜が皆様にとって素晴らしき時間である事を」
じりり、じりり。一歩一歩、近づく歩み。
じりり。じりり。じりり。
じりり。
「それでは皆様の健康と未来を祝して」
じりり。じりり。はらんだ殺意の視線を玄は、その倍の嫌悪で反射させる。銀は眼中にないかのように、ただ九条栄の言葉を馬鹿にして、聞いている。それが彼らの神経を逆なでさせる。
「乾杯!」
唱和。グラスの鳴る音。そして、楽隊は待っていました、と言わんばかりに音を炸裂させた。心の蔵を圧迫せんばかりの、イントロダクション。そして紡がれる音は悲しげに、ゆったりとヴァイオリンの調べを奏でる。
その演奏のハジマリが合図だった。【暗黒流星】の一人が、その力を振るおうとした。
「銀!」
玄が怒鳴る。言われるまでもなく、銀は指で十字を描こうとして────硬直した。
【暗黒流星】達も、凍りついたように立ち尽くした。
いつのまに移動したのか、銀の目の前には、九条家のご令嬢・九条楓が優しげな微笑みで立っていた。しん、と静まり返る場内。疑問符を浮かべる玄。そして銀は心臓がかつてないほど弾けては、波打ち、波紋を広げ、冷静さを失い、彼女をただ見つめていた。
「楓様!」
上山が声を張り上げた。
「勝手な事をなさっては────」
その言葉は九条栄の制止によってはばまれる。老人はニヤニヤと銀と、娘を見比べた。
楓は何も見えていないかのように、銀に手を差し伸べた。
銀は吸い込まれるように、その手を握った。
「一緒に踊りません?」
そう彼女は言った。
そして銀と楓は出会いを果たして…