5 宴
前回:高校生の憂鬱
彼女はただ、窓の外を見つめていた。
朝日が灯り、強烈な光線で大地を照らす昼。優しげに沈む夕方。冷たい闇の夜。そしてまた朝が灯り、強烈な光線で大地を焼く昼に、それに疲れた頃優しげな夕日で、冷たい夜は月と共に訪れ、そしてまた朝日が灯り……。
「エンドレス」
と彼女は微笑んだ。屋敷から出る事を許されない彼女は、ただ窓からそんな日常の変らない現象を見続ける事が、唯一の憩いになっていた。
彼女の力をもってすれば、こんな部屋を破壊して外に飛び出すのは容易だった。
でも、しなかった。する意味もないと思った。世界は広い、と言ったのは誰なんだろう。彼女は世界が広いとはとても思えない。濁りきった人間で氾濫して、偏見で固まりきった社会に、この星の帝王であるが如く生産を続け、無意味とも思える権力に酔いしれ、紙の金に踊らされて、何て物悲しくて狭い世界なんだろう、って思う。
それだったら、この星の息吹を感じている方が、心は休まる。
たまに訪れる小鳥達との会話の方が、何て有意義なんだと思う。人間はもういい。
例え、同族でも関りたくない。
「楓様」
彼女は答えない。それも承知しているのか、老婆はうやうやしく入ってきた。
楓は老婆を見ない。老婆は楓の視界に顔を向けるが、楓は老婆を見ていない。ただ、窓から星の息吹を感じている。その行動も了承して、老婆は言葉を機械的に紡ぎだす。
「楓様、今夜にございます。旦那様のお誕生日は」
「そう……」
「素敵な余興も用意してあるので、楽しみにしておいでとの事でございましたよ」
「そう…」
寒気。素敵な余興……この家での素敵は、決して和める余興ではない。黒と血の宴。悪趣味な事を好む父親は健在か。できれば、この部屋からは一歩もでたくない────。
「今夜のお召し物にございます」
と差し出したのは、漆黒なドレス。楓は確信した。今日の誕生パーティには嫌で嫌で仕方ない、同胞達が押し寄せるわけか。楓は隠す事なくため息をついた。
「純血がそのような態度をとっては、同胞が嘆きますよ。楓様」
老婆は窘めるように、機械的な口調で言った。その目は非難でたたえられている。
楓は肩をすくめる。
別にどうでも良かった。同胞が自分の事をどう思おうが、どう感じていようが、興味ない。
父親に幽閉されている時点で、他への興味は消えた。別に望むものはないし、欲しいものもない。あるとすれば、静寂と平穏。かき乱されなければ、他の人間がどうしようが興味ない。
あるいは、脱け出す事も容易ではあるのだ。楓の力をもってすれば。だが、楓は自分の力を振るおうは思わなかった。あの人は私の力を利用しようとしている。それならそれでもいい。あの人は私の力にすがっている。それならそれでもいい。あの人は私の力を恐れている。それならそれで────。
楓は自嘲気味な笑みをもらす。
「パーティは何時から?」
「夜の七時からにございます。その時間の前に着付けをよこしますので」
「いらない」
楓は、窓に目を向けて言った。一秒でも、この屋敷の人間には関りたくない。楓のこの態度はもう出て行け、を意味している。老婆はそれを知っていたるので、また機械的に一礼をして退室した。
楓は漆黒のドレスを放り投げた。
この屋敷の人間は、父を始め、乳母であるあの老婆、同胞、そして一般の人間にいたるまで機械的に楓に接する。楓が特別だから…楓が特殊だから…楓が恐ろしいから…その力を封じようと必至の努力をし、その力にすがろうとする。
だが楓は、自分からは力をふるわない。
自分の力が憎らしい。
その力にすがろうとする回りの人間が憎らしい。
でも憎めば心の中の《流星》が膨張し、暗黒を爆発させる。
だから楓は、心を一枚一枚捨てていった。喜びも悲しみも嘆きも絶望も希望も。それでいいと思った。それで良かった。
「人間なんか消えてしまえばいいのに」
心の中で、流星が暗黒色を強めた。
「何だ? その格好は」
玄の第一声に銀はきょとん、とした。
「ん? 何が?」
「何がじゃねーよ、自分の格好と俺の格好を見比べてみろよ」
「……玄、キザだなぁ」
「お前が変なんだよ、前から思ったけどおかしいぞ、お前のセンス」
と玄が言うのも無理はない。玄は黒の礼服で正装しているのに対して、銀は黒のズボンによれよれのYシャツで、ネクタイもしていない。玄は頭痛がする思いである。仮にも財界のトップに立つ九条家の当主の誕生パーティであるのだから、政財社交界から数々の偉人気どりのでくの坊が集まってくる。高級のスーツやドレスに実を包む事が上流階級のたしなみとでも思っている奴らには、銀の服装は浮浪者のように見えるかもしれない。
あの人からもらった招待状も、これでは門前払いの可能性が強い。玄はため息をついた。
「まぁ、いいや。今さら言っても遅いしな」
と玄は恨めしげに銀を見る。
「門前払いになったら、強行進入だな」
「僕はもともと、そのつもりだったんだけど?」
「お前ってヤツは……」
ニコニコ笑顔の銀に、玄は頭痛がした。
歩く事、二十分。街のやや外れに位置する場所に、日本にしてはやや大きい屋敷が見えてきた。作りは洋風で、白く高い壁が屋敷を取り囲んでいる。はたから見れば、金持ちなだけの屋敷だが銀も玄も異様な違和感を感じた。
銀はそっと壁に触れてみる。
光がぱちっ、と明滅し銀の手を押し返す。銀はすぐ手を引っ込めた。
「銀! お前ってヤツは軽はずみすぎるぞ」
「結界だね、玄。でも、興味深いよ」
「あ?」
「外からは、そんなに強いものじゃない。玄でも、十秒で破れる」
「でも、は余計だ。でも、は!」
と苦笑して
「外からは弱いって、どういう事だ?」
「この結界は外からの侵入を防ぐためのものじゃないよ。中からの脱出を防ぐためのものだね。流れが中に向いてるし、多分一般人は外から反応しないはずたよ。僕に反応したのは、【十字の満月】の力が強すぎるんだ」
「ご丁寧な解説、どうも。という事は逃がしたくない何かを飼っていると?」
「それは【暗黒流星】の方々に聞いてよ」
と銀はつまらなそうに言う。
「それより、受け付けだよ」
巨大な鉄柵の門の前で、二人の黒服の男が来賓をチェックしていた。たった今、チェックを受けたベンツがのろのろと、屋敷内へと入っていった。
黒服二人は、銀と玄をジトリと勘定するように見る。玄は銀の脇腹を指でつっついた。ほれ見ろ、この非常識。と、その表情は言っている。銀は肩をすくめた。何も言わず、無言であの人からもらった紹介状を出す。無論、偽造の品だがそもそも【暗黒流星】と【十字の満月】の争いは、イタチゴッコの騙し合いだ。銀としてはここで騒ぎになっても別に構わない。そのいい加減な服装の理由がそこにある。別にファッションセンスが無いわけじゃない。ただ、無用な茶番を演じてあげるよりもさっさと【暗黒流星】を駆逐したいだけだ。何なら今ここで力をふるってもいい。
男は紹介状から顔を上げるなり、爽やかな笑みで応えた。
「お待ちしていました、三浦銀様。橋本玄様。まっすぐあるアーチ状の柱を通っていきますと、本館になります。本館玄関に係りのものがいますので、その者に詳しい事をお聞きください」
銀も玄もタヌキに化かされたような表情になる。とりあえず、うなずいて中へ歩みでる。と、後ろで柵の閉まる音がした。
銀と玄で最後の客と言うことか。それとも……すでに罠は始まっているのか?
銀は不敵に微笑む。だが、振り返ろうとはしなかった。振り返った所で、何が変るわけでもない。ま、むこうが罠を仕掛けようというのであれば、それに乗るのも面倒だが一興か。だいたいこんな見え透いた侵入、どんなバカでも疑うに違いない。しばらく、茶番に付き合うのも来賓の優しさか。
と、ずんずんと進んでいく銀と玄の後ろ姿をただ見つめ、黒服の男たちは目を濁らせた。
「【十字の満月】が侵入した……」
虚ろな口調で、言葉を吐き出し、繰り返す。何回も何回も何回も何回も何回も。
カラスが飛び去り、屋敷の上空を黒く染めた。屋敷中の時計の針が回転しだし、狂いだす。
六時---公園の時計が正確な時間を告げた。まもなく、夕日も夜に沈む。
「楓様、ご準備はよろしいですか?」
うやうやしく、老婆は入室する。黒のドレスに身をまとった楓は振り向きもせずにうなずいた。老婆はいつものように機械的な台詞を呟く。
「お美しい、楓様」
「ありがとう」
と嫌悪をこめて、楓は言った。この黒のドレスが似合うなんて思いたくもない。この服は汚れている。この屋敷と同じ数だけ。そしてまた、汚れていくのだ。今度は、何を余興に弄ぶさもりなのか、楓は想像したくもなかった。
「お父様は?」
聞いたのに何の意味もなかった。一年のうちで一回でも会えば運が良いという、そんな希薄な親子関係。とうの昔に親子の愛は消えたし、父が親子である事を認識しているのかも疑問だ。それに心を一枚一枚捨てた彼女にとって、家族のなれ合いなど無駄にも等しい。それでも楓は父の様子を聞いた。あの人がどんな無茶をしようとしているのか、それだけが疑問だ。別に他の人間がどうなろうが構わない。他の人間なんて生きているも死んでいるも対して変らない。だが、それが楓に関る事であれば────平穏を乱されるような事であれば、容赦なく反発する。
だが……そう強気な態度をとっていても、あの人には逆らえない。あの人は特に命令をするわけでもない。あの人は私の力を利用しているが、得に私が何かをしているわけではない。あの人は私に愛を注いでくれないかわり、害も与えない。私は、あの人から逃げれない────。
結局はその考えに行き着く。結局は首を押さえられた小鳥…とは、ちょっと可愛すぎる表現か。
「楓様をお待ちですよ。お客様もお揃いになりました」
「そう。わかったわ」
と楓は部屋を出る。老婆もその後に続く。一歩、廊下に出た瞬間、いつもの臭気が楓の心を包み込んだ。吐き気に似た嫌悪と、同時に違う物が混じっているような感触を感じた。
楓は足を止める。
「どうなさいました、楓様」
老婆のその目は、意味を隠すかのように黒く濁っている。
「何でもない」
と歩きだす。この漆黒だけの屋敷に、いるはずのない【十字の満月】の気配を感じた。お父様の余興とはそういう事? 【十字の満月】を消滅させる事? それだけ? それだけなの?
それだけのはずがなかった。あの父が、それだけで満足するはずがない。あの人の欲望は日に日に、年々、膨れ上がっている。お父様は、何をしようとしているの?
彼女は足を止めた。
会場である広間は、にぎやかな笑い声が飛び出ている。それは偽りの談笑だ────。
楓は唾を飲み込んだ。これからおきる父のやらんとする事に対して。
「さあ、楓様」
楓は静かに、広間の扉を開けた。
パーティー等は正装が鉄則ですよ? 玄の苦労が偲ばれます。南無。