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8 俺的ファインプレーの先


 ICレコーダーから響く日暮先輩の声。結界を強化するためだというそれを聞いていると、俺はくらくらしてきた。気のせいか、空気の匂いも変わってきた感じがする。


 植物の芽が出てくるときのように、地面がひび割れて盛り上がっていく。日暮先輩がささやいた。

「せめて向こう向いてろ田原。嶺花サンはああ言ってはいるが、お前にはキツイ」

 親切から、なのだろう。けど俺はまったく動くことができなかった。

 地面はゆっくりゆっくり壊れていく。当然、怖い。めっちゃ怖い。何が出てくるかわからない。いや、たぶんシャレにならないバケモノが出てくるんだろう。日暮先輩の言うことは百パー正しい。

 けど目を背けられないのは、きっと俺は心のどこかで期待しているからだ。鬼ってどんな奴なのだろう。悠久先輩はどうやってソイツに立ち向かっていくのだろう。

 非現実って、どんな感じなのだろう――


「……(たぎ)ってきた。やりすぎたら止めてくれ。副会長」

「頼んますから生徒会の基本戦略を思い出してくださいよ」

「努力はする。けど」

 ちら、と悠久先輩が俺を見た。その目は心なしか血走っているように見えた。

「今日の私は、入れ込みすぎているかもしれない」


 ――地面が弾けた。

 そこから出てきたのは真っ赤な腕。でかい。片腕だけで二メートルはある。太さも丸太みたいだった。これが、鬼の腕。

 片腕を地面に突いた鬼は、やがて全身を現わした。

 高さ三メートル強。筋肉の模型みたいに全身に白い筋が走り、それ以外のところはすべて赤い。腕も足も胸も厚く、筋骨隆々を通り越してグロテスクだ。

 コイツは、マジの、バケモノだ。

 俺の体がそう認識し、勝手に悲鳴を上げた瞬間、悠久先輩が飛んだ。

 鬼よりもさらに高い位置に助走なしで飛び上がり、刀を振りかぶる。スカートが翻って黒の下着が見えるのもまったく構わず、先輩は鬼の首筋に刀を叩き込んだ。

 鈍器で肉を潰したような音。

 だが鬼の動きは止まらない。長い腕と大きな手で先輩をつかまえにかかる。先輩はそれを見越したようにひらりとかわし、なおもしつこく鬼の頭を攻撃した。

 刀を打ち付け、鬼の手をかわし、また打ち付ける。戦いが単調な動作の繰り返しになってきて、俺は動揺から少しずつ覚めはじめた。ゆっくりと立ち上がる。

「悠久先輩……もしかして刃を逆にしてる?」

「向こう向いてろっつっただろ、田原!」

 日暮先輩の叱責が飛んだ。それからすぐに声のトーンを落とす。

「トラウマになったらどうすんだ」

 そんなの、もう遅いですよ――と、俺は言えなかった。


 漫画や小説の主人公なら、ここで憎まれ口とか発想の転換とかいろいろやるんだろうな。それが特別な、イケてる奴らのやることなんだろうよ。

 俺はそういう奴らみたいになりたいんだ。今は絶好のチャンスなんだって。

 なのに、なんで俺の口も体も動かないんだ!

 一般人と同じように目つぶって耳塞ぐこともしなければ、特別な奴らみたく何かの行動を取ることもしない。俺っていったい何なんだよ。中途半端だなちくしょう!


 ふつふつと積もる自分への苛立ちが、俺の顔に表れていた。それを日暮先輩に見られた。

「嶺花サン! やっぱり田原を連れていったん離脱します。コイツ、様子が変だ!」

 日暮先輩の声に、悠久先輩は大きく反応した。フィギュアスケートの選手みたいに軽やかな動きをしていたのに、急に立ち止まって俺を見た。心配そうな顔が俺の目に焼き付く。


 その瞬間、鬼の手が先輩の細い腰をとらえた。


 悠久先輩は表情を一変させた。まるで大嫌いな男に体を触られたときのように、苛立ちと怒りを露わにした。

「私に、触るなっ!」

 怒声とともに振り上げた刀を、悠久先輩は振り下ろさなかった。自分をつかむ鬼の腕を斬り落とすことをためらっているように見えた。

 鬼はその口を大きく開ける。先輩を丸呑みにする気だ。

 開けられた口から、鬼の声がもれる。

『どうして だれも みとめてくれないんだ』

「それが君が鬼になった理由か。鬼に食われ、さぞ苦しかっただろう」

 苦しげに、悠久先輩が言う。だが次の瞬間には、両目を見開いて鬼のような顔をした。

「君ごと鬼を両断できれば、どんなに気持ちが良いかっ!」

「田原! お前はこのまま回れ右して走れ。いいか絶対振り返るなよ! ……嶺花サン!」

 日暮先輩が俺を置いて走る。よくわからない呪文めいたものを叫び、片手を鬼に突きつける。

「止まれ、デカブツ!」

 プラスチックが割れるような音が響き、鬼が動きを止める。あれが日暮先輩の力なのだ。


 回れ右して走れ――日暮先輩の言葉が頭の中で何度も響く。俺の右足が一歩下がる。

 が。

 言われた通りに逃げ出す寸前で、俺は深呼吸した。変な空気が肺の中に入ってくるのもかまわずもう一度大きく吸う。吐く。そんでもって両頬を叩いた。

 両足に力が戻ってきた。気合を入れて、その場に踏みとどまる。

 これ、自分的にはファインプレーだった。ささやかだろうがバカだろうが、とにかく、俺は踏みとどまった。目の前の『特別』に向き合えたんだ。

「悠久先輩! 日暮先輩!」

 しかも大声まで出せた。

「頑張って!」


 ――その効果は、俺が思っていた以上に劇的だった。


 悠久先輩の髪がふわりとふくらんだかと思うと、何と鬼の拘束を片手で引き剥がした。そのまま器用に鬼の腕に乗り移ると、先輩は一瞬だけ刀を真横に構えた。


「任せなさい」


 その力強い宣言を、はっきりと耳にする。

 不安定な足場にもかかわらず一気に鬼の頭までたどりつくと、雄叫びを上げながら後頭部に刀を打ち付ける。どすんという衝撃が俺の腹にも届く。

 そして悠久先輩は、自分の二倍以上の巨体を、その細腕で、文字通り、『叩き伏せた』。

 一撃で、鬼を無理矢理地面に這いつくばらせたのだ。

 顔面からモロに地面に激突した鬼は動かなくなり、しばらくして湯気を上げながら縮んでいった。やがて細っこい全裸の男子生徒の姿になる。


「ウソだろ……打撃だけで調伏しちまったよ……。こんなのアリか」

 呆然とつぶやく日暮先輩。一方の悠久先輩は刀をしまうと、髪を払って埃を落とす。

「何を呆けている副会長。ちゃんとお勤めを果たすんだ」

 悠久先輩の叱責を受け、日暮先輩が慌ただしく動く。気絶した男子生徒を運ぶ副会長を尻目に、悠久先輩はゆっくりとこちらに歩いてきた。


 その視線が、その微笑みが、やばいくらいに突き刺さってくる。


「田原君。ありがとう。君の声があったおかげで、私はいつも以上の力を発揮することができたよ」

「は……え……あの、はあ」

「ふふっ。そうやってうろたえるところは、本当に普通の子なんだね」

 悠久先輩の細い指が俺の頬と髪の砂を払い、服の汚れを優しく落とす。

「なあ田原君。君のことはこれから走夜君と呼んでもいいかい?」

「は?」

「私のことも嶺花と呼んでもらって構わないから」

「え?」

「ダメかな」

 まさに花が咲くような笑みを前に、俺は数秒の沈黙の後、言った。


「はい?」


 うん、とりあえず死ねや俺。




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