7 特別に普通な子
季城院さんを何とかなだめて、俺たちは学校へと向かう。なぜか日暮先輩まで付いてきていた。スクラップ同然となったバイクを押して歩いているのだが、タイヤが回転するたびにきぃきぃと変な音が鳴って痛々しい。
もっとも、先輩本人はあまり気にした様子はなかったが。いいのかよそれで。
余計な時間を食ってしまったせいか、校門に続く桜並木を歩く生徒の数はすでにまばらになっている。俺はちょっとほっとした。
ドジっ娘メイドに俳優風イケメンにスクラップバイクなんぞと一緒にいれば目立って仕方がない。好奇の視線にさらされるのはやっぱり嫌だ。
まあ、『特別になりたい』っていう最初の目的には合ってるだろうけど……肝心の俺自身が一般人のままじゃあんまり意味がないことに最近気づいた。特別になるってのは何も運動ができるとか勉強がわかるとかじゃなくて、度胸というか覚悟みたいなモンがまず必要なんだなって。そう思うと少しヘコむ。
校門まであと少しになったとき、日暮先輩の電話が鳴った。
「あいあい、まいど」
へらへら笑いながらテキトーな返事をする先輩。真面目な季城院さんは「目上の方だったらどうするんですか」とぼやいている。
だが突然、先輩の顔付きが変わった。
「わかりました。すぐ行くっす。……は? ええ、そうですが、構わないんで? ……了解。頼んます」
眉間にシワができ、口調に敬語が混じっている。まるで急展開した事件のことを話す刑事みたいな感じだった。
「何かあったんですね、先輩」
いつの間に取り出したのか、和敏は手帳を開いて興味津々な様子だった。だが日暮先輩は和敏の頭を軽く叩くと、まったく別のことを言った。
「高崎。悪いがこのバイクを二年の駐輪場まで運んどいてくれ。ひろなちゃんは彼に付いて、場所を教えてやって。もし授業に遅れても心配すんな。俺が後できちんと説明してやるから」
「いや、でもですね」
「高崎さん、行きましょう。その間、いろいろお話できますし」
季城院さんの一言が効いたのか、和敏はそれ以上食い下がることなくバイクを受け取る。メイドさんと連れだって歩いて行く和敏の足取りはどことなく弾んで見えた。
「脳天気な奴。先輩、すみません。あんなので」
和敏の代わりに謝るが、日暮先輩は取り合わなかった。スマホを手早く操作し、「ちっ」と舌打ちをする。俺は何だか嫌な予感がした。
じゃ、俺も行きますんで――と言って和敏の後を追いかけようとした俺の襟を、日暮先輩はむんずとつかんだ。すごい力で引き寄せ、俺の首を腕で抱え込む。
「俺たちはこのまま現場に向かうぞ。田原」
「は? 現場? なに?」
当然のように状況の理解ができていない俺を、日暮先輩は容赦なく引っ張っていく。校門を抜け、一年生の玄関とは反対の方向に小走りに進む。小走り、と言っても先輩の歩幅だから俺にとっちゃ全力疾走も一緒だった。肩をつかまれているから逃げることもできず、されるがまま引っ張られる。
「ちょ、先輩。先輩ってば! やめてください、俺も教室に行かなきゃっつーか、何なんです、いきなり!?」
「生徒会の仕事だよ。ちょっと厄介な事件が起こったみたいでな。俺とお前にヘルプがかかった」
「先輩はわかりますけど、なんで俺まで呼ばれるんですか!?」
「委員長の指示でな。田原には見ておいてもらいたいんだそうだ」
「だから、何をです!?」
「鬼退治」
息が止まるかと思った。
ぐっと唇を噛んだ俺は、全力で日暮先輩の拘束をふりほどこうとした。
「俺はいいですっ。放してくださいっ」
「そうはいかねえ。これは嶺花サンの『お願い』でもあるからな」
俺は握りかけていた拳を緩める。日暮先輩の真剣な表情にそれ以上何も言えなくなった。だけど心の中じゃそうはいかない。
なんだよ。なんなんだよ。悠久先輩は考える時間をくれたんじゃなかったのかよ。昨日の今日じゃんか。それなのに――
「鬼って」
悠久先輩の笑顔とともに、日本刀の冷たい輝きが脳裏に蘇る。
ぞわりと鳥肌が立った。
校舎の外壁に沿って走ること一分ほど。植え込みがちょっとしたガーデニングみたいになっている場所に、さっきまで俺が思い描いていた人の姿があった。
「悠久、先輩……」
つぶやくと彼女は振り返った。ひるがえった黒髪が朝の風を受けてダイナミックに広がる。その漆黒と、先輩が手にした刀の銀色が強烈なコントラストになった。
まるで、異世界に迷い込んだような、錯覚。
「やあ。おはよう田原君。いきなり呼び出してすまなかったね。副会長もご苦労様」
口調も、微笑みも、昨日見たままだった。
日暮先輩が緊張しながら応える。
「すんません。少し遅れました。他の連中は?」
「一年生の監視に付かせている。何人か兆候が出そうな子がいたからね。その分他の学年が手薄になったところを狙われた。あらかじめ目を付けていたとはいえ、変化が急すぎた。それだけショックなことがあったのだろう。可哀想に」
「俺からすりゃあ鬼になった時点で同情の余地はありません。で、そいつはどこへ?」
「あそこだ」
そう言って悠久先輩が指差したのは、敷地の片隅にある石の記念碑。その向こうは街並みが広がっている。学校が小高い丘の上にあるためか、金網フェンス越しでも見晴らしがよかった。
記念碑のそばの地面に小刀が一本、突き立てられている。他には人の姿はどこにもない。俺は少しだけ冷静になった。
考えてみればこんな朝っぱらから、しかも校舎裏とは言え人の目にも付きやすい屋外で、漫画やアニメに出てくるような鬼が暴れるわけがない。もしそうならとっくの昔に大騒ぎになっているはずだ。
俺のわずかな安心感を、先輩たちの台詞が吹き飛ばす。
「そりゃあシャレになりませんぜ、嶺花サン。大地に取り込まれたなんて言ったら、ガチのガチじゃないっすか。しかもここは妖魔が湧きやすいホットスポット。いくら封印の碑があるからって」
「妖魔は天才に惹きつけられるが、その逆もある。特に天才本人に何か大きな心理的ショックがあった場合はな。私が変化を感じてここにやってきたときには、もう既に取り込みがほぼ完了するところだった。小刀で楔を打ち込んで、影響を少しでも抑えるくらいしかできなかったよ。こうなればあとは、出てきたところを直接叩くしかない」
「……結界を強化します。そのために俺を呼んだんスよね?」
「うん。頼むよ」
悠久先輩に言われて、日暮先輩は何か呪文みたいな言葉を喋り始めた。さらに制服のポケットからICレコーダーを取り出し、再生ボタンを押す。そこから流れて来た声も先輩のものだった。ICレコーダーを地面に置き、日暮先輩が俺の方を向いた。とても心配そうな顔をしている。
「嶺花サンに言われた通りこいつを連れてきましたが、避難させた方がよくないっすか? 相手は大地と同化するほど強力に変化した鬼だ。田原みたいな一般人なら、気当たりだけで狂っちまうかもしれません」
「彼なら大丈夫。妖魔も鬼も、彼に繋がることはできない」
俺は何を言われたのかわからなかった。ただ、悠久先輩の優しげで、哀しげで、羨ましそうな笑みが強く印象に残った。
「私にはわかるんだよ。田原君には妖魔も鬼も手出しできない。それは彼が、こんな状況とは無縁な普通の子だから。私がどれだけ望んでも決して手に入らない、特別に普通な子なんだよ。だから私は彼を守りたいし、そばにいて欲しいと思うんだ。今みたいなときでも」
「悠久先輩……」
体が震えてくる。先輩の言葉で、はっきりと感じたことがふたつ。
俺は、先輩に求められていること。
そして先輩は、俺とはあらゆる意味でかけ離れた存在であるということ。
妖魔とか、鬼とか、はっきり言って理解の外だ。けどこのふたつのことは俺にとって、おそらく人生のうち最大級に重要な事実だった。
突っ立ったままの俺の横で、日暮先輩が声を落とす。
「ガチ戦闘になれば、たとえ鬼が手出しできなくても、スプラッタな光景をコイツに見せつけることになりますぜ?」
「それも心配いらない。私が終わらせるから」
「やっぱり最初からそのつもりってわけですかい。ああ、くそっ」
初めて聞くような日暮先輩の焦った声。だが悠久先輩は応えず、背中を向けた。彼女の視線の先にはあの記念碑。
――碑の前の地面が、不自然に隆起し始める。
「鬼が、来るぞ」