6 彼らの『特別』さ
その後、どうやって一日を過ごしたかよく覚えていない。人をあれだけ心配させといて、いざ目覚めてみたらあっけらかんとしていた和敏の奴にムカついたくらいだ。
和敏は生徒会室でのことを覚えていなかった。
どうやら奴の感覚では、悠久先輩から勉強を教えてもらっているうちに寝落ちしたということになっているようだ。すごい悔しがっていて、それがまたうっとうしかった。
「ただいま……」
学校が終わり、自宅のアパートに戻った俺は、手にしたカバンを放り投げて玄関にへたりこんだ。壁によりかかって頭をぶつけた音がやけにでかく聞こえる。
俺はこのアパートの一室に一人で暮らしている。家族はちゃんといるのだが、高校進学に合わせて実家を出たのだ。ホームシックなんてありえねー、とか思っていたけれど、いざこうしてひとりになってみると、家族の騒がしさがどれだけ体に染みついていたかよくわかった。
「まさか、天才ってそういう意味だったなんて」
悠久先輩の笑顔が頭に浮かぶ。
先輩の話は、正直言って半分も理解できなかった。ただ、あの人たちと自分は『違う』ということははっきりとわかる。悠久先輩はマイペースな人で、季城院さんはすごいドジっ娘、それがあの人たちの素の姿なんだろう。けど、妖魔なんてものを刀で退治した後も素の姿でいられるってことは、それだけあの状況が『いつも通りのこと』なんじゃないか。
あの人たちは『特別』だ。
俺は、あの人たちみたいになりたいのだろうか。
はあ、とため息が出る。入学して早々、自分の決意がへし折られたような気がしてブルーになった。
「……ハラ減った」
立ち上がる。コンビニに行くのもめんどうくさい。パンかカップ麺でも腹に入れて、さっさと寝てしまおうとリビングに向かう。
そのとき電話が鳴った。かけてきた相手を見て、俺は不機嫌さ丸出しでスマホを耳に当てる。
「……あんだよ」
『うっわ、暗。さては高校デビューに失敗したな?』
やたら明るい声でそう言ってきたのは妹の明香音だった。
『だから言ったのに。だいたい走兄はユメ見過ぎなんだよー。高校行ったくらいで走兄がそんな変われるわけないじゃん。まああたしは半分予想してたけどねー。テキトーにやっとけばいいんだよう』
「おいこら不良妹。キサマはわざわざ俺にケンカ売るためにケータイかけたのか」
『違うってば。心配してんだよ、これでも。お母さんなんかいつ連絡とろうか、なんてそわそわしてたんだから。走兄が邪険にするからお母さんガマンしてんだよ。それに走兄のことだから、どーせそっちから連絡する気なんてゼロだったんでしょ? だからあたしが連絡してあげたの』
しばらく俺は何も言えなかった。いつもだったら「やかましい。大きなお世話だ」くらい言い返すのだが、いろいろ疲れていた俺に妹の底抜けに明るい声は正直、染みた。
和敏兄はどうしてる? とか、学校にカッコイイ先輩いた? とかしょうもないことを聞いてきたが、俺の反応が薄かったことに何かを察したのか、急に声をひそめた。
『ね。本当に大丈夫?』
「ああ、悪ぃ。大丈夫。ちょっと疲れただけだ」
『ホント?』
「本当だって」
『じゃあしゃんとしてよね。ネクラ兄の妹なんて言われたら、もう走兄の仕送りストップしてもらうようお父さんに頼むしかなくなるから』
「それはやめて」
わりと切実に言うと明香音は大爆笑しやがった。
『んじゃ、もう切るね。歯、磨けよ苦労人』
「お前は何様のつもりだ」
『妹様です』
「どアホ。……母さんによろしく伝えといてくれ。それと、心配かけて悪かったって」
『んなもん自分で言えば?』
「恥ずかしいだろ」
『やーい純情少年』
「うっさいわ! とにかく切るぞ!」
ういーす、と言い残して電話は切れた。俺はちょっとだけ笑った。妹の声を聞いて気が軽くなった感じがしたのだ。
けれど。
それでもこの日の夜はなかなか寝付けなかった。
翌日。
寝不足のせいか体がだるく、俺はいつもより支度に時間がかかってしまった。ちょうど制服に着替え終わったところでチャイムが鳴る。
「走夜、起きてるか。学校行こうぜ」
和敏だった。時間を見れば約束の時間ぴったりである。勉強を教えてもらっていたころから思ってたけど、こいつはけっこうな世話好きだ。
あくびをしながら玄関に向かう。食べかけのパンを口にくわえ、どんなに頑張っても消えてくれない後ろ髪の寝癖をがりがりとかきむしりながら、俺は扉を開けた。
「ふぉはぁよう和と――」
固まる。
爽やかなスマイルを浮かべる悪友の隣に、昨日も見たメイドさんが立っていた。
「き、季城院さん!?」
絶句した俺の口からパンがぽろりと落ちる。それを見た季城院さんが機敏な動きで手を伸ばし、地面に触れる寸前でパンをキャッチした。
その拍子に持っていた手さげカバンの中身がぶちまけられる。お弁当箱らしきものも見事にひっくり返っていた。
「……おはようございます、田原さん」
ひきつった笑顔でパンを返してくれる季城院さん。なんかすみません。
涙目になった彼女がカバンの中身を拾うのを手伝いながら、俺は疑問を口にした。
「あの、どうして季城院さんが俺の家に? しかもよりによってこいつと一緒なんて。何かされませんでした?」
「失礼な。ご趣味や出身地や好きなものや昨日見たテレビくらいしか聞いてないぞ」
「和敏。おまえちょっと、そこになおれ」
「ま、まあまあ」
季城院さんがなだめる。それから彼女は、ここに来たのは生徒会としてのアフターケアみたいなものだと言った。俺のウチに来る前には和敏の家にも寄ったらしい。
「田原さんもそうですが、高崎さんの様子も気になると嶺花様がおっしゃっておられましたので。幸い、今のところ妖魔の活動は収まっているようです」
そっと俺に耳打ちしてくる季城院さん。俺は納得し、同時に昨日のことを思い出して気が重くなった。そんな俺に気づいたのか、季城院さんは明るい声を出した。
「さあお二人とも。今日も元気に学校に行きましょう」
にっこり笑って俺たちの先を歩く季城院さんを見て、和敏がしみじみと言う。
「ひろなさんは可愛いよなあ」
「同感」
深くうなずく。するとアパートの敷地から出たところで、季城院さんがコケた。
カバンが道路に投げ出される。
大型バイクがその上を通過する。
ずたぼろになるカバン。
半泣きの季城院さん。
バーストする大型バイクのタイヤ。
ほとばしるブレーキ音。
「ちょっ……!?」
植え込みに乗り上げ、回転しながら宙を舞うバイク。
そしてキレイに着地。
なぜかはしゃいだ様子の運転手と、絶句する俺。
「ああ……私がドジなばっかりに、またこんなことに」
「ドジ!? あれ全部ドジ!?」
「そうじゃなかったら荷物をひいたくらいでタイヤは爆発しませんよう」
合ってるような、違うような。
ぼろぼろになったカバンを拾い上げバイクのあんちゃんのところへ走る季城院さんを見て、和敏がしみじみと言う。
「ひろなさんは可愛いなあ。しかも面白い」
「お前長生きするよ。マジで」
こいつの動じなさはむしろ見習いたい。俺はといえば、季城院さんと登校するのは初めてだけど、早くも嫌な予感がしているってのに。
とりあえずミラクルな着地を決めたバイクの様子を見に行こうと道路に出ると、相手の方からこっちに近づいてきた。一緒に歩いてくる季城院さんがひたすら頭を下げているのはわかるとして、バイクのあんちゃんがやけに親しげに季城院さんに話しかけているのは気になった。
俺たちの前にバイクのあんちゃんが立つ。でけぇ人だった。和敏よりさらにでかい。フルフェイスのメットを外すと、まあこれまた絵に描いたようなイケメンさんだった。目元や鼻の彫りが深い。もしかしたら外人の血も混じってるのかもしれない。手足もモデルみたいに長かった。
というか、この人どっかで見たことあるような。
「あっはっは。いやあまいったな。遅れて来てみればひろなちゃんのドジっ娘ぶりに見事にはまっちゃったぜ。はっはっは。でも俺無事! すごいよね」
「は、はあ」
「あら、つれない反応だな。清々しい朝なんだからもっと俺の生還を喜ぼうぜ」
いえーいとハイタッチを求められる。けど身長差の関係でハイタッチがハイタッチにならないのが俺としては非常にむかつく。
「というか、あんた一体誰だ? いきなり馴れ馴れしく」
「あれ? わかんないかな。まあ自己紹介をしたわけじゃないけどさ」
「田原さん。この方は日暮さん。生徒会の副会長ですよ」
「ええっ!?」
マジですかと目を丸くする。だが言われてみれば、入学式のときに曲をリクエストしてきたあの人と同じ顔だった。
和敏を見るが奴は素知らぬ顔をしていた。こいつ絶対気づいてる。俺に教えなかったのはこの先輩が男だからか。
日暮先輩が自己紹介した。
「日暮陽一。二年。人呼んで『不死身のムードメーカー』だ。よろしくな後輩」
俺は道路を見た。路肩に寄せた大型バイクはタイヤが吹っ飛びミラーも割れ、何か車体が変な方向に傾いている。そしてもう一度日暮先輩を見ると、そこには傷ひとつない俳優スマイルがあった。
「なんで無事なんだ」
「よく言われる。まあ、これが俺の才能だから。ところで高崎」
日暮先輩が和敏を呼び、リュックの中から取りだしたものを渡す。何の変哲もない大学ノートと、輪ゴムでまとめられたシールの束だ。
「聞けばお前、情報収集が得意らしいじゃん。しかも女の子については特にすごいと。その実力、俺にも見せてくれよ」
「と、いいますと?」
「近々、生徒会がメインで新入生対象にアンケートをとることになってんだ。このノートにはそのための質問案がいくつか書かれてる。高崎、これをお前に預けるから、何かいい案があったら書き加えておいてほしい」
「え、いいんですか。アンケート受ける側が質問作っちゃっても」
「正式なのはちゃんと別に委託してある。そいつは余興みたいなモンだ。笑えて和めて話のタネになるようなのを頼むぜ」
和敏がノートとシールの束を受け取る。あ、目の色が変わってる。やる気だなコイツ。
「じゃあこっちのシールは何なんです?」
和敏がシールの束をかかげる。十円玉くらいの大きさの肌色のシールがシートに三枚ついている。それが五シートほど。
日暮先輩は、「それは嶺花サンからだよ」と言った。
「昨日生徒会室に来たときに突然寝落ちしたんだろ、お前。嶺花サンが心配してたぞ。もしかしたら病気じゃないのかってな。そのシールは嶺花サンの実家で作ってる、まあなんかすごいシールだ。これから一日三回五日間、そのシールを腹に貼って過ごせ」
「なんで腹なんですか」
「なに言ってやがる。嶺花サンから授かったものに一切の疑問は不要だろ。あの人がやれと言ったらやるんだよ。たまんねえじゃねえか」
「失礼しました。その通りですね。いやあ、しかしあのときは本当に申し訳なかったです。あんな美しい人からご教授いただいてたのに落ちるなんて。いまだに後悔してます。こんなことなら前日にやった女の子の情報整理を早めに切り上げとくんでした」
「そうだな。たとえそれが何にも代えがたい重要な任務だとしても、その先にある幸福をつかみそこねてちゃ意味がないわな。わかるぞ」
「わかりますか先輩」
「お前とは気が合いそうだ」
やめてくれ、と俺は心の中でぼやいた。この二人が組んだらたぶん俺は死ぬ。
げんなりしていた俺に季城院さんが耳打ちする。
「日暮さんはああやって高崎さんの才能を伸ばそうとしているんです」
「そ、そうなの?」
「はい。私たちにとって妖魔や鬼を封じるのも大事なお仕事ですが、生徒さんが自ら才能を身につける機会を提供することも並行して行っています。特にあの方は妖魔が暴走しかけた経緯がありますから、皆さん気を遣っているようです」
「じゃあ、あのシールも?」
「あれは『護符』といって、妖魔の浸食を抑制するためのものです。嶺花様が使われた刀と同じ力を持っています。お腹に付けるのは、妖魔は足から頭に向かって浸食していくからです。私たちも体内の妖魔が再び暴走することのないようにいつも――ああっ!?」
突然声を上げる季城院さん。どういうわけかもじもじし始めた。
目ざとくその様子に気づいた日暮先輩が笑う。それも「にやーん」という感じで。
「おんやあ? もしかしてひろなちゃん、アレを張り忘れたのかなあ?」
「はう」
「はっは。まあ、こっちに来たときに盛大にドジに巻き込まれたから、そんなこったろうとは思ってたよ。どうだい、君専用のものじゃないけどシールは余ってるから、応急処置で貼っていくかい? ここで」
「こっ、こここ、ここで!? ですか!?」
「おう。なんなら俺っちが貼ってやろうか? バイクぶっ壊された代償ってことで」
「そそ、そんなああ。ううっ……そんなぁ」
「あの、いったいどういうこと?」
何となく想像しつつも聞く。日暮先輩は言った。
「シールには個人専用に作られたものもあってな、それってのは貼る部位が決まってるんだよ。んで、ひろなちゃんの場合はっていうと」
ちら、と先輩の視線を受けて季城院さんが反応する。両手でメイド服の後ろ、お尻の部分をしっかりと押さえた。
「……というわけだ」
「なるほど!」
「おっと高崎。これはトップシークレットだ。メモを取ることは許さん。脳内ハードディスクに保管し、墓まで持っていきたまえ」
「了解です隊長。ぬかりはありません」
「よろしい」
「うう……」
かああ、と音がしそうなほど顔を真っ赤にする季城院さん。俺は彼女をこれ以上まともに見ることができなかった。
いや。まあ。ね? だってそうじゃん。やっぱ行っちゃうだろ、視線が。ソコに。
「田原さんもあんまり見ないでくださいぃ」
すみません。