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5 先輩の役目


 俺は見ていることしかできなかった。

 和敏はうめき声ひとつあげない。まばたきもしていない。

 悠久先輩は手にした日本刀をぐっと押し込んだ後、一気に引き抜いた。宙を舞うその切っ先から、黒い霧のようなものが糸を引いていた。俺は口元を押さえ、絶叫を飲み込んだ。


 震えが、止まらない。


 木製の鞘に刀身が収まる。同時に和敏の体が前のめりに落ちていく。毛の深い絨毯の上に鼻先からダイブし、ごとんと重い音がして、

「あふん」

 と言ったきり奴は動かなくなった。


 ――不謹慎なことはよっくわかっているが、その気の抜けた声と尻を掲げた「へ」の字姿勢で突っ伏す姿を見て俺は正気を保つことができた。


 悠久先輩が再び刀を季城院さんに預け、和敏を引っ張り上げる。「どっこいしょ」と妙に年寄りじみたかけ声だった。

「田原君、足持って。あっちのソファーまで運んで寝かせよう」

「え? は、はあ。えと、こう?」

「そうそう。せぇので持ち上げるぞ。せぇの、どっこら!」

「嶺花様。もう少しかけ声には注意された方が」

 季城院さんが控えめに忠告する。しかし悠久先輩は気にした様子がまったくなかった。ため息をついて、季城院さんはローテーブルの傍らにしゃがむ。絨毯の上を細く白い指でなぞっていた。


 筋肉質で、しかも完全に脱力した男の体は見た目以上に重い。和敏の奴を隣のソファーまで無事に運び終え、横向きに寝かせた。あの細腕にどれほどの力があるのか、先輩は息も切らさず言った。

「いい汗かいたね」

「そうですねではなく」

 先輩のイイ笑顔に危うく釣られそうになる。頬を叩き、気絶した和敏の背中を恐る恐るなでる。俺の疑問を先取りするように悠久先輩は言った。

「大丈夫。あの刀は特別製だから、人体を傷つけるような事故は起きないよ」

 その説明にうなずけと言われてもムリだ。俺は和敏に呼びかける。

「おい。和敏、大丈夫か。おい」

「うぅ……ん……俺、天才……」

「はは。寝言も変わっているな彼は。しかしそのとおりだぞ」

 俺は先輩を見た。こんな状況になってもまったく変わらない優しげな表情、落ち着いた声音、そしてぶっとんだ台詞の内容。それらに心ときめくことは確かだけど、今はそれと同じくらいに恐怖を感じる。

 ただアレは――無事とは言えダチの体に刃物をぶっ刺したことは見過ごすことができない。うやむやにはしておけない。


 大きく深呼吸をしながら再びソファーに座る俺。和敏が座っていた場所からは少し距離を置いた。悠久先輩もまた黙って空いているソファーに腰かけた。

 騒がしい和敏が眠っているためか、応接間の静けさが重くのしかかってくる。何も喋っていないのに、俺はひとりで混乱し始めた。

 あの刀ってなんなんだ? どうして和敏は生きてる? 先輩って何者? なんでメイドさんが? 和敏の足元にあった黒い影って何だ? トイレ行きてえけど入口どこ? 授業ってもう終わり? 生徒会って一体何なんだ?

「田原さん」

 季城院さんが近づいてきた。手には日本刀――ではなく、紅茶のカップ。

「お砂糖多めに入れておきました。混乱するのはわかりますが、どうか落ち着いてください」

「そんなこと言われても……」

「私も初めて『現場』を目の当たりにしたときには震えが止まりませんでした。私はそのまま泣いてしまいましたが田原さんは泣きませんでしたよね。すごいです。さあ、どうぞこれを。ぬるめにしていますので、気分が落ち着くはずで――あわ?」


 こけん。ぱしゃ。


「うっ()ぁっちぃぃぃぃぃっ!?」

「あああ!? す、すみませんっ。あの、でも、田原さんのは熱くないはずなのですがっ、えとえとっ!」

「ひろな。ぬるい。私のが」

「あああっ!? わ、私としたことが嶺花様のカップを間違えて……何と言うことを!」

「気にしなくていいよ。お前はそういう星の下にあるんだから」

「本当に申し訳ありません! 田原さんっ」

 ……悠久先輩の発言はスルーでいいんですか、季城院さん……。

 熱による痛みでツッコミを入れる気力もない俺を、季城院さんは甲斐甲斐しく手当してくれた。ハンカチで紅茶を拭う合間合間に、彼女は顔を近づけて「ふー、ふー」と息を吹きかけてくる。どうやら熱で火照った肌を冷やそうとしているらしい。そんな間が抜けていながら可愛らしい仕草を前に、「濡れタオルの方が助かります」とは口が裂けても言えない。男として言えない。たとえそれで症状が悪化し、見るに堪えない顔になったとしてもだ。


 結果。一分後には熱も痛みも赤みもきれいに消えた。


「ウソだろ」

「ああ、良かったです。治療がちゃんと効いたみたいで。貴方には効果があるかどうか、正直不安だったので」

「治療? あのふーふーが?」

「はい」

 おっとりと微笑む季城院さん。

「美人の看護は百薬に勝る。そういうことだね。とてもよく効く一種の暗示だと思えばいいよ」

 うんうんとうなずく悠久先輩。

 もうわけがわからん。

 が、逆にこれで開き直れた。

 俺は背筋を伸ばし、問い詰めるように悠久先輩を見た。

「先輩。ちゃんと教えてください。これっていったい、どういうことなのか」

 先輩もまた口元から笑みを消し、張り詰めた様子で告げる。

「これが我が校の生徒会の姿なのだ」

「……」

「……」

「え? 以上?」

「これ以上の裏はないぞ」

「え? ウラ?」

「嶺花様。たぶん田原さんは、まだ何も理解されていないと思います」

「そうなのか?」

 まさに『きょとん』とした表情をする悠久先輩。季城院さんはうなずいた。

「嶺花様の表情、声の調子、現場の状況、私とのやり取りから推測できるものは多くありますが、田原さんは普通の生徒さんです。一を聞き百を知る生徒会の方々と同じように扱うのは酷ではないかと」

「そう、か。酷か。なるほど」

 興味深そうに先輩は俺を見た。


 うん。そろそろ怒鳴ってもいいかもしれない。いくら相手が憧れの先輩であっても、ちょっと俺、ナメられすぎじゃね? 生徒会の人って、俺たち一般人の理解力なんざ想像もできないってか?


 キレつつあるのが自分でもわかる。にもかかわらず、悠久先輩は目をそらすどころかまっすぐに俺を見て言った。

「なあ田原君。私に君を守らせてくれないか」

「………………。はぁっ!?」

「君にますます興味が湧いた」

「ええっ!?」

 さっきの怒りはどこかへと消え失せ、俺はひたすらうろたえた。愛の告白のようにも思える台詞だと気づいたらもうダメで、高そうなソファーの上でみっともなく体をのけぞらせた。

 季城院さんが首を左右に振る。

「嶺花様……わざとではないにしろ、さすがにひどいと思いますよ? 田原さん、可哀相なぐらいうろたえています」

「何を言うかひろな。これは本心だぞ。彼のような普通の人間を守るのは我々の大事な役目だ。田原君はその中でも特に希少価値の高い『普通』だぞ。お前も見ただろう。あのとき――」

「ちょ、ちょ、ちょぉっとストップ! 先輩、それ以上俺を置いて行かないでください。マジで! 今いっぱいいっぱいなんですからっ」

「ああ、ごめん。少し浮かれていたね。肝心の説明もしないと。大丈夫、今度はひとつずつ説明させてもらうから安心してくれ。な?」

 ああもう、この先輩は。どうしてこうイイ顔をするんだろうね、こんなタイミングで。まったく!

「じゃ、じゃあお願いしますよ。ホントに。俺、ちゃんと聞きますから」

「うん。まずは、君の友人のことからだ」

 そう言って悠久先輩は和敏を見る。日本刀でぶっ刺されたくせに幸せそうな寝顔をしている。よだれまで垂らしやがって、甘いマスクが台無しだった。


「田原君も見たと思う。足下に蠢く黒い影をね。あれは『妖魔』だよ。人間に寄生し、宿主の才能を糧に生きているものだ」

「ゲームの話は好きです」

「うん。私も昔やってた。でも今は現実の話だよ。妖魔は確かにここにいる。今も彼の中に巣くっている」

 淡々とした先輩の説明。話の重さ。幸せそうな和敏の寝顔。やっぱり俺の頭ではつなげられない。だから「これが全部ゲームだったら」って思って聞いてみた。

「じゃあ先輩はその妖魔を退治する退魔士で、生徒会の役員ってのは仮の姿なんですね」

「うん」

「……すんません。ウソだと言ってもらった方が気持ちは楽だったです。つか……マジの、マジですか?」

「うん。その理解でおおよそ間違いはないよ」

 さっきの日本刀を持ってくるように季城院さんに頼む悠久先輩。すらりと抜いた刀身はシャンデリアの光を受けて強く輝いた。


「君は不思議に思わなかったかい。学校の宣伝に『我が校の生徒は皆、天才です』なんてのせていることに。あれは八割方真実であると同時に、生徒会を含めた学校全体の『戒め』でもあるんだよ。他ならぬ『妖魔』のためにね」


 俺は黙っていた。


「妖魔は人間の才能を糧とする。逆に言えば、妖魔が取り憑く人間は何かしらの才能を秘めていることになる。そして妖魔はより美味い餌にありつくため、宿主の才能を伸ばすんだ。時に『天才』と呼ばれるレベルにまでね。この学校の周辺は特に妖魔の活動が活発になりやすい土地だから、そうした天才が生まれやすい。だから、『我が校の生徒は皆、天才』になるんだ」


 俺はがっしがっしと頭をかいた。


「だが『作られた天才』はやはり(いびつ)だ。世間一般に天才として振る舞えるうちはいいが、妖魔に染まりすぎると今度は才能が暴走する。本来その人物が持つ身の丈に合わなくなる。そうなると体や心を壊し、やがてその人物は――『鬼』となる」


 俺はのけぞった。先輩が日本刀の切っ先を俺の鼻先に突きつけてきたからだ。


「一度『鬼』になってしまえば、その者は我々にとって敵となる。行き過ぎた才能は狂気であり凶器だ。無関係の人間まであらぬ方向に染めてしまう。何より本人が不幸だ。だから我々は戦う。そう、仮に君が『鬼』になってしまったのなら、私がどんなに君を気に入っていても倒さなければならない相手になってしまうのだよ」


 先輩が刀を収める。俺はその間ずっと息を止めていた。


「そうなることを未然に防ぐため、我々生徒会の中には妖魔や鬼を専門に扱う者たちが存在する。それが私が属している風紀委員会だ。鬼を封じると書いて、『封鬼委員会』とも呼ぶ」


 季城院さんが淹れ直した紅茶を持ってくる。それに口をつけた先輩は「うん。良い感じに熱い」と言った。


「もともと生徒会の使命は、いわゆる『天才』たちを望ましい方向に導き、そうでない『普通』の生徒の生活を壊さないように手助けすること。妖魔と言っても、正しく共存、あるいは克服することができれば自分の能力を十二分に発揮できるからね。そのためにも妖魔の兆候はできるだけ早い段階で見つけるのが望ましい。入学式やその後のホームルームでは面食らったと思うけど、それらは皆、新入生に対して妖魔の影響が出ているかどうかを学校全体でチェックするためだったんだよ」


 天才は『育つもの』で、初めはやっぱり目立たないから――と悠久先輩は言った。


「その点、高崎君は特別だな。すでに妖魔の兆候が出ていた。目視できるまでざわつくのは妖魔の力が強力になっていた証拠だよ。院試をばりばり解いてたのもその影響だろう。今は落ち着かせたけれどね。まあ、私にとっては田原君、君の方が特別なんだけど」

 じっと見つめられ、俺はようやく我に返った。

「えっと。俺?」

「そう。君のような普通の子を見ているとね、落ち着くんだ。ぜひ生徒会に迎えたい」

「嶺花様、ですがそれは」

「ここまで説明しておいてそのまま帰すわけにはいかないだろう。それに大丈夫。彼に関して言えば、他の連中を説得する材料はあるよ」

 紅茶のカップに再度口をつけ、悠久先輩はふうと息を吐いた。

「まだ入学式も終わったばかりだ。回答は急がないよ。ただ、守るべきものがより近くにあれば私も張り合いが出る。だから前向きに考えてくれると私はうれしいな」

 そう言って先輩はにっこりと笑った。

 ずるいですよ、という言葉が出てしまうのを、俺は必死になって我慢しなきゃならなかった。




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