1 入学式の空回り
新米一年生の俺が言うのも何だけど、開正館の実力は結構すごい。パンフレットを見ると、運動部にしろ文化部にしろ、どこも一度は全国レベルになっている。丸々一ページ、その紹介に費やされているのを見たときはさすがにびびった。学力も相当な奴らがそろっているらしく、有名大学に進学した卒業生の数がさらりと書かれていた。
でも、俺が一番すごいと思ったのは、パンフレットに堂々とこう書かれていたことだ。
『我が校の生徒は皆、天才です』
凡人は不要かよコノヤロウ。上等だぜ。
この刺激的なキャッチコピーにたじたじになった奴らもいれば、逆に俺みたいに「なにくそ」と思った奴もいたはずだ。ある意味、巧妙な謳い文句だったのかもしれない。
ま、どうせ『どんなに出来が悪くても、ひとりひとりには光る何かがある』みたいな感じの意味なんだろうから、本気に捉える必要なんてないんだけどな。
――と、高をくくっていた俺はやっぱり凡人だと言わざるを得ない。後から考えれば。
美術館のような玄関を通り、磨き抜かれた廊下を進んで教室に入る。事前に知らされていたクラス分けでは悪友、和敏も一緒だったから、二人して入学式の会場へ向かった。天井と両壁がガラス張りの渡り廊下なんかを目の当たりにすると、やっぱりこの学校は金がかかってるんだなと思う。
ふと、前を行く新入生たちがざわめいた。
入学式の会場となる記念講堂の入口に、生徒会の腕章を付けた役員が二人立っていた。これがまたすげえイケメンで、しかもどっかで見たことあると思ったらパンフレットで笑顔を振りまいていた御仁だとわかって二度驚いた。
どうやら入学式は生徒会が主催するらしい。ステージ脇に控えるのは皆制服姿の先輩たちで、誰も彼も美男美女揃い。選ばれた精鋭って感じだ。普通に教師が仕切るよりも緊張してくる。
浮ついた空気の中で入学式は始まり、学校長、生徒会長の挨拶とお題目通りに進んで行く。パンフレットで見た通り会長って美人だなあ、とか、遠目だけど胸でけぇ、とか馬鹿なことを考えていると、司会がこうアナウンスした。
『ここで、生徒会長は公務のため途中退席します。皆様、大変申し訳ありません』
「あ、帰っちゃうんだ」
お偉いさんが堂々とサボるための常套句だという知識しか持っていない俺は、笑顔で手を振る生徒会長に少しだけがっかりする。
「何でもこの後市長と面会するらしいぜ」
「え!? マジで用事があんの? しかも市長と!?」
「何か新聞の取材もあるとかないとか。これが終わったら早速ウラを取らなければ」
「へぇぇ……というか何でお前が知ってんだよ、和敏」
「会長は超・絶・美人だからな」
忘れてた。こいつ美人のこととなると元々高いスペックをフルに発揮するんだった。大方、何かしらのコネで情報を収集していたのだろう。
ま、美人はいいものだという意見には大いに賛成。おかげで本来退屈な入学式も目の保養になって悪い気がしない。会場内に響き始めた音楽も、何だかポップなノリでテンション上がる。ステージ上で黒子たちが凄まじい速さで機材を整えていくのは圧巻の一言だったし、いつの間にかステージ衣装に着替えてた生徒会役員は妙に似合っているし、満面の笑みとマイクパフォーマンスとダンスのキレなんてそこらのアイドルユニットを凌駕しているってなんじゃこりゃ!?
『Hallo Recruit! 開正館へッ、ようこそぉぉッ! ワォ!』
「自由過ぎんだろ!?」
俺の心からのツッコミは当然のように届かない。それどころか周囲の熱にあっさり飲み込まれる。
ボーカル役の男子役員は場の空気を盛り上げるのが得意なのか、会長退席でざわついていた新入生たちの大半をうまい喋りですっかり『その気』にさせてしまっていた。
入学式が突如としてライブ会場へと変貌した様子を、俺は唖然として眺める。ボーカルの声量がハンパなくて、皮膚がびりびりと震えた。額に汗がにじむ。握り拳を作ってしまう。
気がつけば俺の顔は勝手に満面の笑みを浮かべていた。
アップテンポの曲が終わった。次の曲は新入生からリクエストを受けるというアナウンスを聞くやいなや、血気盛んな奴らはめいめい好き勝手に曲名を叫ぶ。俺はちょっと歯がゆかった。俺の聞く音楽は偏っていて、こういう場で堂々と披露できるものじゃなかったのだ。馬鹿みたいにムキになった俺は、目を閉じて必死に記憶を探る。確か、妹が好きな曲に良さそげなものがあったような。曲名は何だったっけ。確か。確か――
「ずいぶんと必死に考えているのだな」
最初、それが俺にかけられた声だとは思わなかった。なおも曲名を思い出す作業に没頭していると、横から肘でつつかれる。
「お、おい走夜。隣、隣!」
「ああ?」
不機嫌さ丸出しで悪友を見た俺は、悪友に言われた通り隣を見た。
そのまま固まる。
「お調子者の副会長のために、一曲リクエストしてやってくれ」
向けられたマイクと淡い笑み。俺の思考はその瞬間に沸騰して、まさにバグった。
優しく細められた目、なだらかな曲線を描く眉、完璧な位置にある口、それらを俺の視界から浮かび上がらせる卵形の輪郭と肌、小首を傾げた仕草に従って水が滴り落ちるように伸びる髪、首から下は――もう限界。認識と思考の処理が追いつかない。
「風紀委員長の悠久嶺花先輩だ。リクエストしてもらう生徒を探して、お前をご指名したんだ。何か答えろって」
和敏が耳打ちしてくる。だが目の前の存在に完全に呑まれていた俺は、返事をすることもうなずくこともできなかった。
やばすぎるほど、綺麗だ、この人。
悠久先輩がマイクを少しだけ近づける。途端、俺の思考は一気に走り出した。正確には、湯気を上げながら空回りし始めた。
「そんなに緊張する必要はない。君が思いついたままを言ってくれればいいよ」
言葉遣いは古風だが、声の調子はあくまでも優しい先輩に、俺の理性は白旗を揚げて叫んでいた。『ダメっす。俺は今、まともじゃないですから!』と。
「どうしても駄目なら、別の人にしようか?」
「………………す」
「ん?」
「す、好きです!」
口走っていた。
ここのマイクはやはり金がかかったものなのか、俺の声は鮮明に、はっきりと、取り返しがつかないほど完璧に皆の耳に入った。
会場内がどよめきを上げる、その一瞬前――
『オッケイ、そのリクエストもらったよ。やっぱり男の子は胸を張らなきゃな! 俺もそう思うぜ同志よ! んじゃあ、次の曲は『好きです』、行ってみようか!』
壇上のボーカルがそう言ってくれて初めて、自分の台詞が有名アイドルユニットの曲名と同じであることに気づいた。同時に思い出す。妹が好きな曲が、まさにこの『好きです』であったことを。
救われたのか、そうでないのか。再び盛り上がる会場の中、脱力のあまりぶっ倒れそうになった俺に、悠久先輩は笑いかけた。
「お疲れ様」
「は、はは……」
「新しい生活は大変だと思うが、頑張れよ。田原君」
社交辞令の見本のように小さく手を振って去って行く悠久先輩。
軽くあしらわれてしまったでござる。まあ仕方ないか。はぁ……。
「おい走夜」
「あんだよ。俺の暴走をそんなにいじりたいか。悪いが俺のライフはとっくにゼロだ」
「そんな当たり前のことに興味はなくて」
傷口に塩を塗り込む悪友を恨めしげに見上げる。和敏はまっすぐに俺を見て言った。
「悠久先輩は、何でお前の名字を知ってるんだ?」