昇天の隣人「ヴァンパイア」①
━━中二階街ネーレン
バンブリオ領土北西に位置するネーレンは細く伸びた鉄塔が幾つも森林を真似て地面から生え伸びている。
その鉄塔を丸々一つ根城にして、人知れず日々を送る女性が存在した。
賢者と称される三賢人が一人。
不死なる賢人「ヴァンプ・ブギア・スカーレット」だ。
もっとも三賢人の一角を担っていた「モルトローゼ・ナノケリア」は半年前の〈変革〉時にこの世を去っていた。
白く透き通った肌、暗めな緋色の瞳と頭髪には目を見張る美しさがある。
前髪が束となって眉間を隠しており、耳元を分けて伸びる髪先は肩に触れるか否かの長さで途切れている。
後頭部は短く結ばれ、陰影がくっきりと絵画の如く鮮やかに際立っていた。
沈んだ色合いをしたシャツの襟元から覗く地肌は色っぽく、大人びた魅力を秘めている。
類稀な美貌を兼ね備えていながら「人嫌い」と噂され、他者を近付けない賢人もとい変人。
中二階街ネーレンでもその人避けスキルは健在であり、周囲の人物から敬遠されていた。
しかし、〈変革〉から幾月かの時を経て、そんな彼女を心底困らせている件がある。
どういう経緯で彼女の居場所を突き止めたのか定かではないが、一カ月ほど前から頻繁に彼女の元を訪れる人物がいたのだ。
「三顧の礼とかいう故事を彼から聞かされた事があるが、私にはとても理解できないな。まるで心に響かない……それもそうか、あれは目上の人物が訪れるからこそ意味があるのだったな」
その日もまた、彼女は鉄塔の根元から甲高く響いている声に悩まされ深く溜め息をこぼしていた。
「たのもー!!」
幼さを残す声色。変人の元を訪れては声を張り上げる人物の姿は、付近の街人にとっても日常的、見慣れた光景であり、「今日もまたやってるよ」とか「いい加減答えてあげればいいのに」とか街の人々にも好き放題言われ、彼女の憂鬱は増すばかりだ。
鉄塔の上の方で窓際の椅子に背を預けて、書物へ視線を落としていたヴァンプだが、どう足掻いても階下から届く声で読書に没頭できず、やがて諦め本を閉じた。
「まったく、困ったものだ」
立ち上がり窓を覗く。視線の先に小柄な人物を確認する。
「ヴァンプ殿!!お願いがあるでござる!!どうか招き入れてはくれぬか!!」
不自然な言葉遣いで、なおも懇願し続けている少女。
「何卒、お話だけでもー!!」
脇に少女自身と同じぐらいの大きさをした戦鎚を置き、膝を曲げて地に額を擦らせている。
明るめな紺色の髪はヴァンプとは色合いも髪質も対照的で、留処なく伸びた毛先が所々跳ね上がっているのが遠目にも見て取れる。
「拒むのも面倒だが、いつまで続けるつもりなのだろうな」
彼女にとっても見慣れた光景である少女の土下座には然したる心境の変化も起きず、飽きた面持ちでその様を眺めていた。
「ん、あれは……」
不意に少女へ歩み寄る人影を見つけ、傍観に徹していた彼女が微かな驚きを声に洩らす。
「久しぶりだな」
人嫌いである筈のヴァンプが「彼」と別離して後、唯一対面を許した人間。
彼女の事を「スカーレット」と呼ぶたった一人の友人であった。
黎明の騎士団元第三部隊隊長であり、旧ナノケリアにて移人から「白黒の灰塵」と怖れられた箱庭の小人「グレイ(白黒)」の姿を瞳に映すヴァンプ。
━━そして、彼女は静かに席を立った。
「おい、何してる?」
友の住処をおよそ数ヶ月振りに訪れた白黒は、彼女の住む鉄塔の扉を前にして、すりすりと地面へ額を擦る少女を見つけ足を止めた。
背後からの呼び掛けに「はぅあぁ!!」と甲高い悲鳴を上げ、飛び跳ねる様に立ち上がる少女。
白黒の右目……瞳孔の輪郭線だけが細く黒く浮かぶ眼球に驚いた様子で目を見開いていたが、自身に向けられた不審な眼差しを察し、慌てて素性を名乗り出した。
「せ、拙者は浅井長政でござる。この鉄塔に住まう賢人ヴァンプ殿のお目に掛かりたくこうして頭を下げていた次第でござる」
「あれは、頭を下げていたのか」
「拙者の国では土下座と呼ぶ。最上級の敬礼でござる」
紺色の髪は長く膨らんでおり、毛先が跳ね上がっている。
丸っこい黒目は大きく、幼さを強調していた。
ネットゲームだった頃のNew Ageにて実装されていた課金衣装の一種である忍び装束を着衣しているが、防具と身体の大きさが釣り合っていない為、着らされている感が否めない。
足元には少女の等身程の巨大さを誇る戦鎚が寝かされている。
浅井長政を名乗る少女は、一向に名を明かす気配の無い白黒を神妙な面持ちで見つめていた。
「ん、なんだ?」
「お主、礼節を弁えているでござるか?名乗られたら、名乗り返すのが筋でござる」
「そうなのか、悪かったよ」
感情の希薄な謝罪を述べ、白黒は長政の横を通り過ぎて行く。
「ちょっと待つでござるっ……!!」
袖を引張られ、白黒は不機嫌そうな声を上げた。
「なんだよ、まだ何かあるのか?」
「お主っ!!拙者の話を聞いておったか?その耳は飾りなのか?それとも、その白い頭が鳥頭なのか?」
「随分な言われ様だ」
きぃきぃと捲くし立てている長政を無視し、白黒は彼女の住処である鉄塔の扉を控えめに数回、拳で叩いた。
「名乗れでござる!!なのれーでごーざーるー!!」
徹底した無視を決め込む白黒と、袖を引っ張って怒りを露わにさせている長政。
「もー怒ったでござるよ!!」
白黒は油断していた。
不意に視界が縦に揺れたかと思うと、足が地面を離れており猛烈な浮遊感に襲われていた。
「……なっ!?」
遅れて自身が投げ飛ばされたのだと悟り、着地の姿勢を求め四肢が宙を泳ぐ。
かろうじて両足から着地する事に成功した白黒は、遠くに長政の姿を確認して、その距離に一驚した。
なんだ、この馬鹿力は!?
小柄な少女の一体全体何処に、白黒を放り投げる程の巨腕があるのか。
あれ程の腕力の持ち主ならば、その戦槌の巨大さにも納得がいく。
「まだまだ未熟だな」
洞察力、反射神経など。己の力量不足を実感し、その事実を深く受け止める白黒。
長政の近くまで戻ると彼は敬意を表し名を告げた。
「俺は白黒だ」
「しろくろ?ふーん、妙な名前でござるなぁ」
ほえーと白黒を見上げる長政。
「それよりもスカーレットはお前に会ってくれないのか」
「ヴァンプ殿は人嫌いで有名。拙者もこうして毎日訪ねては頭を下げる日々だが、未だにお顔も拝めぬ次第でござる」
「そりゃあ……気の毒だな」
白黒からすると、それはヴァンプの心情を察した一言だったが、勘違いしたのか長政が謙遜した素振りを見せた。
「いやいや、これぐらいへっちゃらでござる」
訂正も面倒に感じて、白黒は長政に構わず再び扉を叩いた。
「スカーレット。居ないのか?」
「白黒殿は、ヴァンプ殿と面識があるのか?」
「口癖、抜けてるぞ」
「ござる」
やや沈黙を挟んで、白黒が口を開いた。
「まぁ、そうなるな」
「おぉ、遂に拙者にも好機が!!是非、この浅井長政を紹介して戴きたく!!」
激しく服の裾を引っ張られる。
灰色の衣服に縫われた白と黒の細紐がぶつりと切れ、留め具が吹き飛んだ。
「おい」
「すまぬ」
弾け飛んだ留め具を拾い上げ、しょんぼりと差し出す長政。
「長政。お前はどうしてスカーレットに会いたいんだ?」
とりあえず留め具を受け取りながら、長政へ問い掛ける。
「拙者、もっと強くならねばならぬ。いつも拙者を子供扱いして留守番させる元親と半兵衛を見返したいのでござる!!」
「で、なんでスカーレットなんだ?」
「ヴァンプ殿は昇天の隣人に到達した事で有名。拙者も昇天の隣人を目指したく……」
「その協力をして欲しいって事か?」
長政の言葉を遮り、白黒は冷たく言い放つ。
「もし本当に強くなりたいなら、誰かを頼らずに独りでも昇天の隣人を目指せばいいだろ。それが不安なら、別の手段を考えろ。強くなる方法は一つじゃないからな」
誤魔化してきた部分を鋭く突かれ、押し黙る長政。
━━まぁ、なんだかんだで見た目通りの子供なんだな。こいつも。
色褪せてしまった少女の残想を長政の姿に重ねてしまい、白黒は優しげな眼差しを長政に向け頭を撫でた。
「な、なんでござるかっ!?」
「一応は頼んでやるよ」
その時、二人の成り行きを様子見していたのかと疑うぐらい完璧なタイミングで扉が開いた。
「ロリコンめ」
扉の奥から怪訝そうな瞳を覗かせ、ヴァンプがぼそりと洩らした。
「なっ、誤解だ」
「ヴァンプ殿!!お初にお目に掛かるでござる!!拙者はっ」
「知ってるよ。とにかく二人とも、早く中に入ってくれ」
とだけ言い残し、室内へ戻るヴァンプ。
不服そうな白黒と連れ立って鉄塔へ踏み込む長政が突然、思い出した様にはっと声を上げた。
「あっ!!鬼奇怪々(ききかいかい)!!」
すっかり忘れていた戦鎚を取りに戻り、ひょいと担ぎ上げる。
そして意気揚々と再び扉を抜けていく長政。
白黒の来訪により、ヴァンプ・ブギア・スカーレットと浅井長政の根比べは終わりを告げた。
悩まされていた苦渋からの解放を素直に喜ぶべきなのか、それとも更なる災厄の兆しを憂い嘆くべきなのか。
ヴァンプ・ブギア・スカーレットはどちらにせよ先行きが思いやられるな。とその日、二度目となる深い溜め息を吐いたのだった。