移人狩「対決。ハンプティ・ダンプティ」⑤
頭上の闘技場で起きている騒ぎなど露知らず、円錐階層都市バンブリオの第四層は平凡な日常風景を見せていた。
言い換えれば今日もまた無事に一日を終えようとしている。
無論、観戦する為に第三層へ足を運んでいる町人も少なくない。よって、ぼんやりと疎らさを感じる事もあるだろう。
茜色に染まる彼方の雲群は重なり合っていて、遥かなる空の海で綿菓子の様にふっくらとしていながら、時折、揺蕩って見える。
階層なる傘に覆われた第四層━━最下層は遠目に日没を眺めてはいるが、既に街中はどんよりと薄闇の中だ。
闘技場に最も近い支柱を見上げる青年。
上層を支えている岩柱の側面には螺旋階段が築かれている。
「……」
風化し散らばった石砂を踏み慣らし、支柱へ近寄っていく。
「なぜまた上に行く?」
不意に背後より呼びかけられ、青年の足がぴたりと止まる。
青年は縦に切れた瞳孔をより一層鋭くさせた。
薄暗さに映える金色の瞳。
布を幾重にも巻きつけた棒状の武器を背負っている。
「……メープルは?」
「あいつは置いてきた」
「ふぅん」
黙したまま睨み合う烏と竜太。
「なぁ烏」
やがて、ぽつりと口を開いたのは竜太の方だった。
「ん」
「お前が背負ってる得物。見せてくれないか?」
「……なんで?」
浅い風が竜太の頬を撫でた。
現実世界なら、もうすぐ初夏の頃合いだというのに、酷く肌寒く感じられる。
「俺は昔、〈変革〉よりも前に〈移人狩〉と対峙した経験がある。正義の味方だからな、必然の遭遇だった」
烏はぼんやりと、猫目を竜太に向け、彼の言葉に耳を傾けている。
「俺が対峙した〈移人狩〉は黒塗りの太刀を構えていた。鞘も持たず、抜き身で、刀にしては異常に長尺だった。……烏、ちょうどお前が背負ってるそれぐらいの長さだ」
「……そーなんだ」
「闘技場で確かめようと思っていたが、お前は一切戦おうとしなかったからな」
「やっぱり、疑ってたんだ」
「ばれていたのか」
「なんとなくだったけど……うん。それで、竜太の疑いは半分正解で半分間違い。って所かな」
「どういう意味だ?」
「俺は〈移人狩〉じゃない。けど、この太刀〈酒呑童子〉が数多くの移人……意識混濁性消失障害を殺してきたのは事実」
「俺は馬鹿だからな、さっぱり分らん。もっと分かりやすく説明しろ」
「……めんどくさい」
再び沈黙が流れる。
素直な烏を見据えながら、竜太は微かに口の端を緩めた。
「ははっ」
「……どうしたの?」
「烏、お前と知り合ったのはたった数日前だ。けれど、なぜだろうな。俺にはお前が悪い奴だとはとても思えん。いや、思いたくはない。が、それとこれとは話が別だ。もう一度聞くぞ、お前がなぜ〈移人狩〉に関与していたその〈酒呑童子〉を所持している?」
「……紫苑の命令だから」
「紫苑?まさか〈死霊師〉の紫苑か?」
「……うん」
「ゾディアーク教団はウェルズニールへ出兵中だろう?」
「そうだよ。俺は留守番。〈ハンプティ・ダンプティ〉の足止めと〈失敗作〉の処分の為にバンブリオに残ったんだ」
「失敗作?」
「そ、失敗作。前の〈移人狩〉も失敗作。今の所、紫苑の成功作は俺だけ」
「理解できん。成功とか失敗とか、どういう意味だ?」
「……人体改造。そんな感じ」
「何を言って……」
竜太の困惑を阻んで、烏は淡々と語り出す。
「死体や虚人に、小人や移人の精神を混成させてみたりして、擬似的な蘇生を試してる」
「そうか、紫苑は〈New Age〉の世界における唯一人の死霊師だったな」
〈死霊師〉と称される特異職にどんな秘密が隠されているのか。それは竜太に限らず〈死霊師〉本人以外、ほとんど誰も知らないのだ。
「なんとなく分かったんじゃない?俺も〈移人狩〉なる存在も、紫苑が人為的に生み出したもの」
「あぁ馬鹿でも分かった。しかし、その事実を俺に話してよかったのか?この正義の味方に」
「別に。もうバンブリオは用済みだって言ってたし、紫苑はウェルズニールで幻想剣を奪うつもりだから。バンブリオに残ってるほとんどは、スケープゴート代わりに見捨てられた奴らだよ」
「幻想剣?〈黎明の騎士団〉の象徴とやらの事か?」
「うん、幻想剣には〈データ復元〉の権限が込められているんだって、紫苑が言ってた」
「データ復元……だと?」
「だよ」
まぁ、それがすごいのか、俺にもよく分らないけど。と首を傾げ、支柱を見上げる烏。
「さ、そろそろ行かないと」
「行かせないに決まってるだろ」
「……竜太、やめておいた方がいいよ」
「なにがだ?」
「……俺と戦ったら、竜太、死んじゃうよ?」
フードを外す烏。尖っていた部分が人目に晒される。
後頭部の両脇より生え伸びているねじれた赤褐色の角。
鬼。その単語が竜太の脳裏を過った。
「烏、教えてやる。正義の味方はな、勝てないと分かっていても、それでも立ち向かわなきゃいけない宿命を負っているんだ」
「……馬鹿みたい」
「その通り馬鹿なんだよ」
背負っていた太刀の布を剥いでいく烏。
黒塗りの刃が薄闇に紛れて妖しげな光沢を放つ。
身長程はある太刀を片手に握るが、一向に構えらしい構えを見せない。
「……っ!?」
予備動作も挟まず、烏は独楽の如く全身を一度回転させて〈酒呑童子〉を豪快に真横へ薙ぎ払った。
寸で屈み込み、刃先から免れる竜太。
剣筋は躊躇いなく、首元を狙っていた。
道脇の住居の壁が深く抉れている。
切断された街灯が二人の間に倒れ込む。
砂煙が舞った。
視界を遮る砂埃を右腕で払う竜太。
直後、腕の先に違和感を抱いた。
現実世界で幼い頃、球児として汗を流してきた彼は、とある漫画の影響でグローブを掴む様にぎりぎりまで外し、僅かに捕球距離を伸ばす芸当を友達とおふざけ半分で練習した記憶があった。
脈絡もなく蘇る懐かしき光景。
失敗してグローブがそのまますっぽ抜けた感覚だった。
突然、手先の重量が減るようなあの瞬間だ。
遅れて視線が右腕を辿る。
手首から先が消えていた。
「うおぉぉぉぉ!!」
切断された右手が道脇の壁に衝突し、ぼとりとずり落ちる。
激痛に襲われ、右手首を押えつつ蹲る竜太。
「……ばいばい」
━━そして、更なる凶刃が竜太の腹部を両断した。
あの日、俺の目の前であいつは……真田幸村は確かに〈移人狩〉に殺されていた。
「元親、あかん、はよ逃げ!!」
召喚師としての見慣れない風貌で意識混濁性消失障害に陥っていた幸村。
とんがり帽子に真っ黒なローブと魔女を連想させる様な格好をしていた。
そんな彼女の腹部を貫いてたのは、刀にしては随分と長い漆黒の太刀だった。
滴る鮮血はあまりにも現実的で、否応なく彼女の死を俺に突きつけていた。
「できるかっ!!」
幸村の奥に垣間見える〈移人狩〉は黒衣に正体を隠している。
引き抜かれる刃、崩れ落ちる幸村。
「お願いやから、戦わんといて」
うつ伏せに倒れ込んだまま、なんとか首を曲げて俺に訴えかける〈家族〉の無残な姿。
二人なら勝てる。そう慢心していた。
〈一夜己刀〉を握る手が震えている。
咥えていた煙草は足元に落ち、じりじりと灰を残していた。
「待ってろ、幸村!!すぐに助けてやる」
「無理や!!うちらの手に負えん」
叫ぶ幸村を見下し、息の根を止めようと太刀を翳す〈移人狩〉。
「やめろぉぉぉ!!」
咄嗟に〈一夜己刀〉を薙ぎ、残像による剣戟を〈移人狩〉目掛けて飛ばした。
蒼い粒子が、まるで焔の様に燃え上がり、彼の斬撃を打ち消す。
「くそったれ!!」
駈け出そうとする元親。
その足元から蒼い光の輪が幾重にも浮かび出した。
拘束され身動きがとれなくなる。
「なっ!!幸村!?」
それは彼にとっては悪夢に等しき奇跡だった。
本来、ギルド設立者、およびリーダー権限を有する者には、メンバーに対して強制的な帰還術の発動が認められていた。
〈戦国華憐家〉の設立者である真田幸村にも権限は与えられている。
ただし、真田幸村というキャラクターに対してだ。
幸村は〈真田幸村〉としてではなく、サブキャラの〈召喚師〉として意識混濁性消失障害に陥った。
本来は有り得ない出来事だった。
認められる筈のない帰還術の権限。幸村はそれを実行していた。
「いやなんよ。うちの前で〈家族〉が死ぬのだけは……もう二度と見たくないねん」
視界が蒼く霞んでいく。
「ふざけんなっ!!おいっ!!やめろっ!!!」
伏す彼女の背中へ突き立てられる漆黒の太刀。
帰還術により転送される間際、幸村の唇が微かに動くのを元親は垣間見ていた。
━━家族を守ったってな。
声にならない願いを込め、彼女は静かに目蓋をおろした。
「コロス、ニューエイジャーハコロス」
かつての彼女とは見違える程に生気の薄い、それなのに面影だけは嫌でも見つけられる。
見間違える筈なんてなかった。
「幸村……」
元親はもう一度だけ、彼女の名を口にした。
真田幸村は漆黒の鞭に蒼い焔を纏わせ、ベリルへと立て続けに鞭を奮っていた。
「ちっ、面倒だな」
言理は頭上に滞空している幸村を睨み、毒気吐く。
跳躍しても届く様な距離じゃない。
ベリルが襲われているのをただ手をこまねいて見ている事しかできないのか。
「おいっ!!あんた、しっかりしろよ!!」
言理は隅に立ち尽くす元親へ呼び掛けた。
しかし、声が届いていないのか、無反応だ。
加速度的に急転する事態。
HPが尽き、転送輪へ追放されたココナは、なおえと合流していた。
転送輪の球面上には会場内の模様が映し出されており、二人は息を呑んで成り行きを見守っている。
「元親?なにぼさっとしてるんだい?」
意識混濁性消失障害としての幸村を知らないなおえに、元親と幸村の邂逅よりも先立って追放されていたココナ。
会場内で何が起きているのか、その真実を二人はまだ知らない。
音声は遮断されており、映像だけが流れている。
〈反転〉し、眼球を蒼く染めたベリルが瞬間移動の様な芸当を見せつつ、突然の乱入者と相対していた。
「お師匠様、ここから出ましょう」
二人を内包する球体を見回し、ココナは提案する。
「さっき試したけどね。駄目だったよ」
「シルフィード、なんとかできない?」
「可能ではあります。ですが、元親さんがまだ転送中です。不完全な切断を誘発する可能性があり非常に危険です」
〈憑依〉状態も解け、ココナのカンカン帽子の上という定位置へ落ち着いていたシルフィードが強引な脱出の危険性を示唆した。
「そっか……」
「あれが〈移人狩〉なのかな」
「だといいのですけど……」
「……?」
胸を撫で下ろすココナを横目に、なおえは黙考する。
そうか、〈移人狩〉の正体がリリアじゃなくて安堵しているのか。
しかし、どうだろうな。
私にはその安心が些か早計な気がするよ。ココナ。
まぁ愛弟子の為だ。師匠は師匠らしく補おうかな。
と、心の内にある秘め事を覗かせるなおえ。
二人の杞憂など顧みず、事態は更なる急変を迎える。
「間に合ったわね」
幸村が浮かぶ宙よりも更に後ろ、観覧席の最前よりぼそりと囁かれた。
「はい」
額から流血し、片目を紅く濡らす女性。
眼鏡も失い、金色の癖っ毛はやや泥を吸っていた。
エルミル・ビア・パナシェは隣に立つ少女へ訊ねかける。
「あれが〈移人狩〉なの?」
「そう。私が〈葬儀人〉として追っていた……歪み」
純銀色の髪に鮮やかな緋色の瞳。
黒衣に全身を包んでおり、片手には〈移人狩〉が扱うものと酷似した鞭を握っている。
葬儀人リリアはエルの問い掛けに対して、頷き返す。
「拘束は任せて」
エルが自身の胸の前で両手十指を躍らせていく。
指先からきらきらと黄金に煌く粒子の糸が垂れ下がる。
黄金の粒糸の発現を認め、リリアはざっとその場から跳んだ。
「っ!?」
気付くと、幸村の周囲に黄金の粒子が舞っていた。
粒子は糸を模り、彼女を拘束しようと絡まり出す。
「これは、エル?」
黄金魔術の行使者を会場内に見つけようと、言理はぐるりと周囲へ視線を向けた。
遠く……観覧席に立って優雅に指を躍らせているエルの姿。
「そうか、無事だったか」
幸村は拘束から逃れる様に、地へ降り立つ。
対峙する二対の漆黒。
リリアは幸村の真正面へ着地し、静かに告げた。
「探したわ〈移人狩〉。私が……〈葬儀人〉が貴方を糺す」
「ジャマヲスルナ」
リリアは蒼い焔を纏う鞭を瞳に映し、呟く。
「それが疑似強制書換。道理で……私とよく似ている」
〈鼓舞士〉として愛用している鞭を一振りにくるめ、腰元へ収めるリリア。
そして、彼女は右腕を虚空へ翳した。
手先から継ぎ接ぎの粗さが目立つ純銀の両刃剣が浮かび上がる。
〈葬儀人〉には、それぞれ疑似強制書換、光学迷彩衣、そして葬具が与えられていた。
フィズは浮遊剣、アークは拳甲刃、ブラムは極細剣、マオは十字鎌。そして、リリアは蛇腹剣。
〈岬 朝日〉が魔女に対して組み込んだ〈葬儀人〉なる抑止力。
〈変革〉により、上界と箱庭との交信手段が途絶えるまでは、フィズを介して〈岬 朝日〉が〈葬儀人〉を設定していたのだ。
疑似強制書換には、魔女が選んだ〈理想郷の先駆者〉程の権限は認められていない。
白黒やなおえが覚醒し、発現させた能力も疑似強制書換に分類される。
要は〈水瓶の魔女〉が望む者か、望まぬ者か。強制書換と疑似強制書換の違いはそれだけである。
黄金の粒糸を蒼い焔で振り払いながら、漆黒の鞭をリリア目掛けて叩く幸村。
迫る鞭をかわし、蛇腹剣の刀身を伸ばしていく。
関節部に蒼い粒子が灯り、蛇のようにしなる蛇腹剣。
お互いの鞭が……蒼い粒子が衝突し会場内をより深く蒼へ染めていく。
「隙だらけじゃ」
「終わらせるわ」
ベリルの〈星〉が。
エルの〈粒糸〉が。
幸村を囲っていく。
━━それら全てが瞬きの間に消散した。
「……」
幸村の眼前に立ち、彼女への攻撃を阻む青年。
右手には仕込み刀を。左手には鞘と眼帯を握り締めていた。
眼帯に覆われていた片目が極彩色の輝きを放っている。
三賢人が一人。ヴァンプ・ブギア・スカーレットはかつて昇天の隣人へ到達した際、魔眼を与えられていた。
元親に昇天の隣人へ到達した経験はない。
しかし、彼は過去、〈宝瓶の祝福 (エントール)〉の快感に溺れ、存在渇望症候群を発症させた経験があった。
存在過剰摂取二次発症者。
かつてナノケリアを襲った悲劇。バジリスクが生み出した強制的に存在過剰摂取二次発症者を発症させる害薬。
初心者狩り集団〈バジリスク〉が滅んでも、決して潰える事のなかった悪意。
幸村を失い消沈した元親がすがってしまったものこそ、その害薬だったのだ。
戻れる筈のない末期症状へ陥り、発狂しかけた元親を引き戻したのは〈家族〉半兵衛だった。
奇跡的な生還を果たす元親。そんな彼の弱さを戒めるかの様に、眼帯の裏に呪いが残った。
白黒の白眼とも、なおえの神質とも異なる。ヴァンプが呪いだと皮肉った魔の眼球。
〈消滅視の魔眼〉視界に映り込んでいる現象を、行使者が望む限り打ち消す。
元親は知る由も無かった。
その対価は視力。
一度、発現させただけで急激に視界がぼやけた。
そう離れていない筈のリリアや言理、ベリルの表情もわからない。
それでも彼は後悔していなかった。
自らの視力と引き換えに〈家族〉を守る事を。
視力の激減から察するに、魔眼はあと二回も使えるかどうかだ。
彼は幸村の腕を掴んだ。
「来いっ!!逃げるぞ!!」
「ナニヲ……」
合成された音声を流し、困惑の表情を浮かべる幸村。
機械的な声から幸村の心情は読み取れず、ぼやけた彼女の表情からは元親の行動が正解なのかどうなのか、その後押しすらしてくれない。
それでも彼は〈家族〉の腕を掴み、あらゆる全てからの逃亡を選択した。




