前編
***
―――どうしてこうなった。
部屋の中央に、赤い液体が溜まっている。その上には、人の頭。よく見慣れた、女の子の顔。
「―――犯人は、あなたです!」
小柄な少女が、俺を指差して言った。
俺? 俺がやったってのか!?
「観念しなさい。もう逃げ場はありません!」
少女が一歩を踏み出す。違う、俺はやってない!
「往生際が悪いですよ――」
抵抗する気配を感じたのか、少女はにやりと笑みを浮かべた。
「――――お兄ちゃん!」
***
決して良いとは言えない目覚めだった。このご時勢に夢オチとは如何なものだろうか。
新年明けましてもう一ヶ月。土曜の朝にこんな目覚め方ってのはなかなかついてない。
「お兄ちゃん、ねぇ……」
ぽつりと呟いて、カーテンを開けた。日本海側の冬の気候らしい、どんより曇った空を仰ぐ。
「……なんで今思い出すかなぁ…」
古い記憶を夢で掘り起こされるというのは、なかなか気分が悪いものだ。……あいつはきっともう――――。
はぁ、と嘆息して窓に背を向ける。せっかくの休みを物思いに耽
ふけ
って浪費してたまるかってんだ。俺に妹はいない。そんだけだ。
コンコン、と部屋の別の窓を叩く音がした。
「起きてるー?」
続いて女の子の声が聞こえてくる。
「開いてるぞー」
少し大きな声で言うと、すぐにカラカラと窓を開ける音が聞こえた。
「おはよーう、柳!」
カーテンをくぐって現れたのは、生まれてから今までという十七年来の付き合いの幼馴染・山本椛。明るい茶色のふわっとした長い髪を持ち、人当たりの良さと笑顔が人気のこの幼馴染。家はすぐ隣、お互いの部屋に窓から行き来できるというベッタベタな設定持ち。もうお互いにプライバシーの意識とか薄い。
「おはよ」
「あれ? なんか顔色悪げ?」
ちなみにこいつは結構なおバカである。そんなところも好かれてるらしいけど。もう付き合い長すぎてよくわからん。
「そんなこたない。平常運行」
「ふ~ん? まぁいいけど」
椛は窓から部屋に入って俺のベッドに腰掛ける。
「……寒くねぇの?」
椛の服を指さしていう。二月の始めだというのに椛の格好は白い長袖のもこもこフードつきの上着、ここまではいいのだが、下はミニスカートにニーソックス。絶対寒いと思う。雪降ってないとはいえ寒いぞ、それは。
「ん? 寒くないよーあははー」
……バカは感覚も馬鹿なもんなんだろうか。そういえば小学生の頃、必ず冬でも半そで半ズボンの奴いたなぁ。それとはまた少し違う気がしないでもないが。
「ほら、柳も着替えて着替えて」
「へいへい」
寝巻きを脱いで俺も適当に引っ張り出した服を着る。
「……いまさらだけどさ」
着替え終わる頃に椛がまじまじと俺を見ながら呟くように言う。
「あたしが居るのに平気で着替えるけど、普通出てけー、とか言うもんだよね」
「それは俺が部屋に居ても平気で着替えるお前が言う台詞じゃない。そして着替え終わる頃に言う台詞でもない」
「あははー、まぁそっかー」
椛は楽しそうに笑う。俺はともかくお前は少し気にすべきだと思うんだけどなぁ……。まぁ、今更か。
そんな風に、椛と石井柳――俺は時間を共にしてきたんだから。
今日の予定。無し。
高校二年生の冬は気楽なもんで、三年生が受験でまだがんばっているのを「自分達も来年はこうなるのかー」とぼんやり眺めながら毎日を消化している。
太陽が真上に昇ったというのに家の中は寒く、椛と俺は居間のコタツに入ってテレビを眺めていた。
「そういやもうじきバレンタインデーだねー」
みかんの皮を剥きながら椛が言う。
「今年も欲しい?」
「今まで欲しいって言った記憶が一回も無いけど」
同じようにみかんの皮を剥きながら言う。甘いものは別に好きではないし、世間が騒ぐのは製菓メーカーの陰謀に流されてるだけに思えた。だから別に興味はないんだが、なんだかんだで椛は毎年チョコをくれた。
「あれ、いらないの?」
「期待してる」
貰えてたものが貰えなくなるのは少し寂しいんでな。
俺の言葉に椛はあははと笑い、みかんを口に入れたとたんに顔をしかめた。
「ハズレ引いた?」
「……すっぱい」
ドンマイ、と言いながら自分もみかんを口に入れる。
「……なにさ」
椛がじーっと見つめてくる。
「……それ、甘い?」
「それなりには」
じーっとみかんを見つめてくる。
「……これと換えて?」
「やだ」
想像通りの言葉だったので即答して切り捨てる。
「ケチー…」
しゅんとされた。いじるのは日課みたいなものなので毎日こういう表情を見てるんだが、いまだに結構楽しいものである。
しばらくして、ガラガラ、と玄関の戸が開く音がした。次いで、「ただいま」という母親の声も。
「おかえり」
「おかえりなさーい」
買い物袋を片手に下げた母さんを迎える。
「あら椛ちゃん、いらっしゃい」
母さんはにこやかに挨拶をし、買い物袋を台所まで置きに行ってから、嬉しそうに戻ってきた。
「どしたの?」
気持ち悪いんですけど。
「これ、見てちょうだい」
言って、茶封筒を差し出した。
……なにこれ。
「一週間後にね、来るのよ」
「来るって?」
「何が?」
俺と椛は疑問符を浮かべる。来るって、何が――――
「アメリカからホームステイが!」
―――あー……。
「………………はぁ!?」
なにそれ一言も聞いてないんですけど。なんでこのババアこんな嬉しげなの!?
「えっ、ホームステイ?」
椛反応遅い。
「そうなのよー。新しい家族が増えるから楽しみで楽しみで」
「わー、すっごい楽しみ!」
……呑気ですねアナタタチは。
「………頼むからそういうことは俺にも相談してから決めてください…」
事後報告とかありえねぇ……。
「お母さん流のサプライズ?」
くたばれ。
「…まぁ、もう決まってることだからしゃーないか」
もうどうでもよくなった。こんな親に育てられてきたせいか、普通の人より諦めが早いらしい。
「つーか普通ホームステイって長期休暇中じゃねーの?」
「うふふふふ」
あ、ダメだこのおばん頭の中お花畑になってる。
「……はぁ。どうでもいいか」
「ね、おばさん。どんな人が来るの?」
興味津々と椛が身を乗り出して尋ねる。
「かわいい女の子が来るのよーうふふふふ」
誰かー。氷水。氷水持ってきてー。この人の目を覚まさせてー。あ、ダメだこいつ素面でこれだわ。どうしようもねぇ。
「女の子かー。ホームステイってことは家族の一員になるわけでしょ? お姉ちゃんになるのかなー妹になるのかなーどっちにしたって楽しみ」
なんでお前がうちの一員になってんだ。……ごめん今更だ。
はぁ。もうマジでどうでもいいか。どうとでもなれってんだ。
憂鬱な一週間でしたとさ。ええ。
結局母さんは「女の子」以外の情報を教えることはなく、「お母さん流サプライズ続行☆」と年甲斐もなくアホみたいなツラで言って終わるだけだった。
「柳は楽しみじゃないわけー?」
駅なう。空港はさすがに遠いので、母さん一人で迎えに行き、駅で俺と合流する予定になっていた。そのホームステイの女の子を迎えに引っ張り出され待合室で到着を待っている時、ついてきた椛が俺の顔を見て言う。
「正直言うとめんどくさい。文化の差とかもあるし」
「そこを理解し合うのが異文化交流でしょ?」
それがめんどくさいから異文化交流嫌いなんだよ。
『♪―――間もなく到着します電車は―』
音楽の後にアナウンスが入る。
「あ、もうすぐみたいだね。行こっか」
小走りで待合室を出る椛に続く。待合室の外は寒く、吐く息も白い。
二人並んで立って待つこと五分弱、電車が到着した。
「あー、なんかちょっとドキドキする」
……気楽ですねお前は。俺は胃が痛いんだけど。ストレスっていうか今後の不安っていうかめんどくさくて。
ぽつぽつと降りてくる乗客がいる中、母さんの姿を見つける。ホームステイの人のであろう大きなスーツケースを引っ張って電車から降りる。
そしてその後に降りてくるのは、小さな女の子、疲れてそうなおっさん、ヨボヨボのばあさん、チャラそうなおにーさん……て、あれ? なんかそれらしい人居ないんだけど。
「……見た?」
「見たけど見つけられなかった」
「……うん」
どうやら椛も同じらしい。
俺達の姿を見つけ、母さんが大きく手を振る。年甲斐無いにも程があるぞおばん。
改札を抜け、俺と椛の前に来る。
「ただいまー。出迎えありがとうね」
「……あれ、ホームステイの人は?」
スーツケースは持ってるというのに、当のホームステイが居ない。どゆこと?
「ふふふ、ほら、自己紹介してね」
母さんは振り向いて楽しそうに言う。え、後ろにいたの?
「えと……はいっ」
明るい声がしたのと同時に、母さんの後ろからぴょこっと出てきて。
「フーカ・マーティンですっ。お世話になります!」
にっこり笑った、小さな女の子だった。
『……え?』
俺と椛の声が重なる。この子……フーカ、どう見たって小学生そこらの年齢だ。それだけじゃない、艶のある黒髪を後ろで括り、大きな黄色いリボンで飾ってある。くりっとした大きな瞳も真っ黒で、どう見たって日本人だ。元気な子なのはよくわかった。わかったけど、それ以外はよくわからん。
「あはは、やっぱり戸惑ってるわね~」
楽しそうに母さんが笑う。
「フーカちゃんのお父さん、日本人なのよ」
あー……ハーフってこと?
「そう。日本人の血が濃いみたいでね、見てのとおり見た目は完全に日本人よ」
なるほど納得したわ。で、母さんは戸惑う俺達が見たくて黙ってたわけだ。むかつく。
「さ、あなたたちも自己紹介なさい」
促され、自己紹介することにする。
「えーと。石井柳、ホストファミリーの長男ってか一人息子です。よろしく、フーカ?」
「はいっ」
にっこり笑顔で握手を要求される。手を差し出すと両手でぎゅっと掴まれた。
「よろしくおねがいしますねっ」
あー、うん。明るい子だ。いい子だ。うん。
「で、その柳の幼馴染兼お隣さんの山本椛です。フーカちゃん、よろしくね!」
「はいっ!」
椛とも握手。したところで。
「さてと、こんなとこで立ち話もアレだから、とりあえず帰りましょうか」
母さんの言葉に、全員が頷いた。
「フーカちゃんって何歳なの?」
元々物置代わりに使われていた部屋を片付けた部屋に、フーカは寝泊りすることになっていた。大した物も置いてなかったため片付けるのは楽だったけど。
敷かれたカーペットの上に、小さなテーブルを囲うようにして俺と椛とフーカが座って喋っていた。
「あたしですか? 十四歳ですよ」
……ごめん。思いっきり小学生だと思ってた。
「……あ、何ですかその顔。もっと下だと思ってたんでしょ」
ぷー、と頬を膨らませて怒る。その通りですゴメンナサイ。
フーカは父親が日本人だからか、日本語が流暢だ。お陰で会話するにあたり不便は全くない。
「ごめんごめん。フーカちゃんかわいいから幼く見えちゃって」
「かわいくはないですけど……幼く見られるのにはもう慣れました」
はぁ、と嘆息する。まぁその容姿じゃあな……。
「まぁ映画館とか小学生料金で通れるわけですが」
こら。こらー。悪い子だよこの子ー。
あはは、とフーカは笑う。
「そういえばフーカちゃん、学校はどうするの? こんな時期にホームステイって普通無いよね?」
「あ、はい。ホームステイっていうか留学みたいなもんなので。そんな感じでもないですね、もっと単純に転入? 転校? なわけですよ」
よくわかんないですけどねー、と笑うがそれでいいのか。まぁいいけど。
ともかくこれからフーカを加えた新生活が始まるわけで、なんとなくさっきよりは気が軽くなった気がした。
その日は夕方まで三人で談笑し、夕飯をとってから椛は家に戻った。
***
その女の子は公園のベンチで泣いていた。嗚咽混じりに「お母さん」と聞こえるから、迷子なんだろう。
「だいじょうぶ? おかあさんとはぐれたの?」
そのときの俺は小学校五年生だったか。いつも一緒にいたバカが風邪を引いたために、退屈していた。退屈しのぎに、声をかけた。
女の子は頷く。
「きみ、このへんに住んでるの? 遠くから来たの?」
隣に腰を下ろして、女の子の頭を撫でて落ち着かせる。
女の子は泣くばっかりで、とてもしゃべれそうにない。とにかく、今は落ち着くのを待とう。
***
ボン、という爆発音で目が覚めた。
何事かと思い、バッと上体を起こして状況を確認―――しようとしたところで。
「おはよーございまーす」
フーカの笑顔があった。
その手には、バズーカ。
「……は?」
後ろにいた椛が、看板らしきものを持ち上げる。そこに書かれていたのは。
「……ドッキリ大成功…?」
寝起きの頭はなかなか働かず、その意味を理解するのに少しの時間がかかった。……って。
「……ネタが古いよお前ら…」
「フィーチャリング高田純次さん」
「企画してんのはテリーだろ…」
何でアメリカ育ちの十五歳がそんなネタ知ってるんだよ…。
「今何時……」
「六時半ですよ」
日曜の朝っぱらから何してんだ。
「そのバズーカどっから持ってきたんだよ……ったく」
ベッドから這い出て立ち上がる。
「反応薄くてつまんないなー、柳は」
「俺に反応を求めんな……。で、今日は何すんだ?」
椛が早朝から俺を起こすのは、大抵その日に何かしたい時だった。前日に言えっていつも言ってるんだけど学習してくれない。
「フーカちゃんにこの辺案内しようと思ってさ」
あー。なるほどね。
「で、昼飯はあそこでって魂胆か」
「魂胆ってなにさー。おいしいからオススメしたいだけだよ?」
いつも俺が奢ってるんだけど? ……まぁ、いいか。
「しゃーねぇな……」
嘆息しながら呟くと、椛は嬉しそうにガッツポーズ。
「あそこって?」
フーカは目をぱちくりさせる。
「いきつけの店だよ。椛お気に入りのね」
この辺にあるものといえば住宅地の中にぽつんとある公園くらいで、適当にぶらついて風景を覚えてもらえば多分迷わないだろうという判断の元結局散歩になりましたとさ。
「田舎だもんなー何にも無いよなー、と」
歩きながら思う。マジでなんもねぇ。
「案内っつったって案内する場所ないじゃん」
「そのツッコミは朝のドッキリのときにやっておくべきだったね」
ごもっとも。はぁ、と嘆息してフーカを見る。向こうの景色とは違うのだろう、楽しそうにあっちを向いては別の方向を向いたりしている。まぁ、いいか。
「フーカ、学校はどこなんだ? せっかくだから学校までの道歩いてみようよ」
「学校――は確か、H高校だったと思いますよ」
……なんだって?
「フーカ、十四歳っつったよな…?」
「ですよ。飛び級、です」
あはは、と笑う。……いやいや、ちょっと待て。飛び級自体は別にいい。問題ない。でも、H高校って。
「あたしたちと同じ学校ってこと?」
そう、H高校っていったら俺と椛が通う高校。そこに入ってくるってことは……。
「ちなみに学年は?」
「二年生に編入です」
……あんのババア…それもサプライズとかって黙ってやがったな…。
「つまり椛さんと柳さんと同じ学年ってことですね」
あははー、と楽しそうに笑うフーカ。……お前は知ってたんだな。いやそりゃそうだろうけどさ。
「はぁ……。まぁ、いいか」
嘆息してから歩き出す。もういいや。なんでもいい。
色々寄り道をしながら歩き、学校に着く頃には十一時を回っていた。
「ようやく着いたな」
正門前に立ち、学校に臨む。H高校は結構でかい私立高校で、駅から近い場所にあるなど条件も良い為、少し離れた場所に住む生徒も多い。
「道、覚えられた?」
「ええ、大体は」
飛び級するくらいだから頭は良い方なんだろう、余裕がありそうな表情だった。よしよし、なら心配ないな。
「さてと。そろそろお腹も空き始める頃ですねっ!」
椛がうずうずした様子でこっちを見る。わかってるって、しゃーねぇな。
「じゃぁ行きますかね」
「おー!」
「おー」
俺の言葉に二人が拳を突き上げる。……元気な奴ら。
「虎の壺」と書いて「とらのこ」と読むその店は、田舎じゃ珍しいスープカレー屋だった。
「やっほーてんちょーまた来たよー!」
店に入るなり椛が叫ぶ。
「相変わらずだなお前……」
いつものこととはいえ、他の客の迷惑に……ならんな。ここじゃ。ほとんど。客いねーもんな。
「おー椛ちゃん、いらっしゃい!」
男性が奥から顔を覗かせる。この人がここの店長っていうか唯一の店員で、卸から調理会計全部一人でこなしてる人だ。
「おっ、柳くんも一緒じゃねーか。いらっしゃい」
「椛が来るときは俺も大体一緒でしょうに」
「はは、そうだな。おっ、こっちの子は新顔やなぁ、友達?」
フーカを見ながら店長は言う。店長も威勢の良い元気な人で、どうやら俺には「おとなしい人」というのは寄り付かないようだ。
「この子フーカちゃん、柳の家にホームステイで来た子」
「ほー、て、あれ? っていうことは外人?」
まじまじとフーカを見つめて言う。
「フーカ・マーティン、ハーフです。よろしくお願いしますね、店長さん」
ぺこりとお辞儀をするフーカ。店長は納得したような表情で「よろしくな、お嬢ちゃん」と返していた。
「さ、座っとくれ。今日も客おらんから好きなとこにな」
店長、自分で言ってて悲しくないのか。よく切り盛りできるよなぁ。いつも思うんだけど。
フーカを間に挟むようにカウンターのイスに腰掛けてメニューを開き、フーカに渡す。
「? 二人は見ないんですか?」
「いつものやつで、って言えば店長わかるからな」
「何年同じの食べてるっけ?」
んなもん忘れた。五年は超えてるけど。
「ふーん……じゃぁ私はニンニクラーメンチャーシュー抜きで!」
「んなもんはここには無ぇよ」
「あはは、冗談ですよーぅ。私も同じのにしようかな」
「辛いのは平気? トッピングとか色々あるけど」
「苦いのは苦手だけど、辛いのは平気です」
なら、いいか。
「店長、いつもの三つで」
「はいよー!」
店長が返事をした直後に、どん、とカウンターに盆が置かれた。その上には、アツアツのご飯とスープカレー。
「早いな」
「そろそろ来る頃ちゃうかと思ってたからな」
エスパーかお前は。
ははは、と店長は笑う。
「そりゃあ椛ちゃんと柳くんのことなら大体わかるわい」
「店長はいつから俺と椛の保護者になったんだよ……」
まぁいいけど。
「じゃぁ冷めないうちに食っ」
「いただきまーす!」
椛早ぇよ。
「……店長な、最近椛ちゃんのテンションついていけへんねんけどな、そろそろ歳ちゃうんかなーて思うてな」
「いただきます」
話が長そうだったから食べることにした。
「……店長寂しいわぁ…」
「いただきまーす」
お。フーカがトドメを。
さらさらしたスープに豚肉、ジャガイモ、オクラ、ニンジンなど大きく切られた食材が入っている。いつも頼むメニューなだけに、食べると結構落ち着く。
「どう? おいしい?」
「うん! おいしいです!」
フーカの笑顔が咲いた。気に入ってもらえたようで何よりだ。
「店長、おいしいってさ」
「てんちょーはもうおらんでもええ人間なんやさかいなー…」
あ、この人ダメだ落ち込んでる。
「ところで店長さん、店長さんって札幌の出身ですか?」
フーカが尋ねる。
「えー? ちゃうで、大阪の出身やでー?」
あれ、立ち直った。なんで質問で立ち直るのか。
「なんでそんなこと聞くん?」
「スープカレーの発祥って北海道じゃないですか。一時期札幌市内に二百以上のスープカレー屋があったくらいですし、そっちから来たのかなと思って」
そうなんだ? スープカレーの発祥とか全然気にしたことも無かった。ていうかフーカ詳しいな。
「あー。うちの師匠がそれやな、札幌の出で大阪に店出しとった人や。その影響で俺もこうやって」
「そうなんですかー」
「…最後まで喋らせたってーな……」
おぉ、フーカすげぇ。もう店長の扱いを心得た。
「……なぁ柳くん、最近の若い子てこんな大人を無碍にするん…?」
「知らん」
スープカレーを口に運んで、黙々と食べ続けた。
***
だいぶ女の子が落ち着いてきた。結構長いこと泣いていたのに、この子のお母さんが来る様子は無い。探さなきゃ。
女の子は袖で涙を拭う。
「だいじょうぶ?」
俺が声をかけると、女の子は頷くと共に「うん」と小さく返した。
「お母さん、探しに行こうか」
うん、とまた女の子は頷く。
俺を見上げる腫れぼったい目。早いとこ見つけなくちゃだね。
女の子の手を引いて、俺は歩き出した。
***
学校。まぁつまりはH高校なわけで、今日からフーカも同級生なわけだが。
ざわついた教室。ホームルーム前の時間。蔓延する、「転校生が来る」という噂。察するに―――
「フーカが来るの、このクラスみたいだね」
―――まぁ、そんな気はしてたけど。
俺の机に腰を下ろした椛があはは、と笑う。こいつも同じクラスだし、まぁフーカにとっちゃ都合はいいだろうな。
「なにさ、柳は嬉しくないわけ?」
「嬉しくはないな、少なくとも」
フーカのことは嫌いじゃないし構わないのだが、問題はホームステイということで同棲しているという事実にある。噂好きの生徒が多いので、それが面倒でならない。
「まぁいいじゃん、あたしとの噂も立ちまくってるから慣れたでしょ?」
まぁそうですね……。毎日一緒に登下校するもんね。お前がずっと付きまとってるわけだが。
嘆息して、諦めることにした。もういいや、どうとでもなればいい。
そろそろ担任が教室に来る頃―――と思った、時だった。
パリン、という音が、廊下から聞こえた。
一瞬で教室が静まり返る。そしてすぐ、ざわめきが広がる。
「何、今の音?」「ガラス割れたっぽいな」「廊下から?」
何人かの生徒が窓や戸から廊下を覗く。
「あれ、誰?」「石持ってるぞ」「あの子がやったの?」
「……なんか、嫌な予感がする」
ぽつり、呟いた。
「ねぇ、あれってもしかして、転校生じゃない?」
そんな言葉が聞こえた。……予感的中の予感がする。
「柳」
「……へいへい」
椛に連れられて廊下を覗き込む。廊下の、教室から少し離れた位置にある窓は確かに割れていて、その傍ら、石を持って立っていたのは間違いなく―――フーカだった。
「何事だ!?」
廊下の向こうから男性教師が走ってくる。
「!? ―――お前が割ったのか? っていうかお前、誰だ?」
こいつ、体育の教師だ。単純な性格の、多分この状況下では一番面倒な奴。こんな時に……。
俺と椛が走ってフーカに近づく。
「ん、石井に山本」
「先生、この子、転校生です。今日入ってきた」
椛が必死に説明する。転校早々ついてないな、フーカも。でもここでフーカにあらぬ噂が立ってしまってはフーカも生活し辛い。どうにかしてでも誤解を解きたいのは、俺も同じだった。
「今このタイミングでガラスを割る動機は無いですよ」
「そう、だからこの子は犯人じゃなくて、石が飛んできたんだと―――」
すっ、とフーカは手を椛の口の前にやり、言葉を遮った。
「……フーカ?」
フーカはにこっと微笑んだ。いや、まさかフーカがやったわけじゃないよな?
フーカは先生の方に向き直った。
「二人が言ってくれたように、私が窓を割ったわけじゃありません。石が飛んできて、窓が割られたんです」
ほっ、と胸を撫で下ろす。でもなんでフーカはわざわざ飛んできた石を拾い上げたのだろう。
「じゃぁ聞くが」
教師は窓の下の辺りを指差して言った。
「ガラスの破片が廊下側にあまり落ちてないよな。外側から窓が割られたんじゃ、破片は内側に落ちるんじゃないのか?」
指差された方を見ると、確かに割れて落ちたはずの窓ガラスの量に比べ、廊下側に落ちてる破片の量は少ない。こいつ、単純だから疑い出したら完璧にそれが晴れるまで疑い続けるぞ……。
「固定された物の一部に力が加わるとき、どうなると思います?」
フーカは平然とそう言った。
「中学校くらいで勉強しましたよね。力が加わって、その物が動かないときは、必ず反対方向に、加わった力と同じだけの力が働くって」
どこか楽しそうな口調で、フーカは続ける。
「一緒ですよ。ガラスにだって弾力はあるんです。物がぶつかって力が加わったとき、ガラスの弾力で反対方向に向かう力も働くんです。そのため、破片は両側に飛び散る」
そしてにっこり笑った。
「ブローバック現象、っていう現象の一例です。広い面積に力が加われば別ですが、この大きさの石が窓ガラスにぶつかったくらいならこの現象は起こります」
俺はそのとき、理解した。あぁ、こいつは―――
「ご理解いただけましたか?」
教師は歯切れ悪そうに「あ、あぁ…」とだけ言った。
「疑って悪かったな。その石、渡してくれ。他の先生たちに報告するから」
「お願いします。では、失礼しますね」
ぺこりと頭を下げて、教師を見送る。
「……さて」
くるっと振り向いて、こっちをずっと覗いていたクラスメイト達に向かう。
「今日から皆さんと同じクラスになります、フーカ・マーティンです。よろしくお願いしますね」
そして笑顔で一礼。少し戸惑いつつも、クラスメイト達は手を振ったり拍手したりして向かえた。
「じゃ、教室行きましょう、柳さん、椛さん」
そう言って歩き出したフーカに、椛は続く。
―――この冷静な対応。推理。……こいつ、石を拾い上げたのは、わざと疑われるためか。
一つの疑念が、俺の中で生まれた。
こいつは、一体何を企んでる?