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4.

 

4.


 銀髪の女は水筒から口を離すと、手の甲で口を拭った。

「はーあ、ありがと。もう喉が渇いて咳も出ないトコだったの」

 女はエリオットに水筒を返し、明るく言った。女の、美貌に反した男らしい仕草とさばさばした物言いに、エリオットは呆気に取られた。それはジョーイ達も同様で、セラに至ってはジョーイの背に隠れたまま強い警戒心のこもった目で女を見ていた。ジョーイが視線でセラに女の事を尋ねると、彼女は何も知らないらしく首を横に振った。

「あ、はい。どうも……」

 エリオットが女から水筒を受け取り、それをしまう。

「やー、やっぱ水は余分に持ってくるべきね。気を付けないと。で、親切なあなたはどこのどなた?」

「あ、え、エリオット、です……」

「そう。エリオット、あなたは何でここにいるの?」

 それはエリオットが女に対して聞きたい事だった。女には護身用のナイフすら、持っている様子は見られないのだ。マントの汚れ具合や顔色からして、森で夜を過ごしているのも容易に知れた。大蜘蛛に出くわしなかったのか尋ねようとすると、女は先読みしたかのように答えた。

「あたしは探し物。どうもこの辺に逃げ込んだみたいでね、昨日も野宿する羽目になったのよ。ひどいと思わない?」

「知りませんよ」

 反射的に答えてしまった後、エリオットは慌てて謝った。

「す、すいません。騎士なのに、不作法な返答を」

「いえいえ。もっと気安くていいのよ?だってあなた……」

 女がそこまで言いかけた時、エリオットの後ろまで来たマークが女に声をかけた。

「何、者だ?」

 マークが女を見下ろす。女も彼を見上げた。

「あら、まずは自分から名前を言うべきじゃない?騎士様っていうのは紳士だと聞いたけど?」

 女にそう言われ、マークが苦虫を噛み潰したような顔をした。

 騎士が作法にうるさいのは、ひとえに周りから、特に教会関係者や上流階級の人間から「そうあるべきだ」と圧力がかけられているからだ。特に場面によっては、騎士は国の顔とも言える立場に立たされることも多い。その為、どの騎士も長い時間をかけて礼節や作法を教え込まれている。殊、マークに至ってはある理由で他の誰よりも厳しく、倍以上の時間をこの作法の訓練に費やす羽目に会っていたので女の言葉は一際耳に痛いものだった。

「失、礼。マーク、だ」

「そう。……睨まないの。別に変な真似しようなんて思ってないから。ただ、そうね。お願いがあるの」

「お願い?」

 エリオットが首を傾げると、その後ろからジョーイがずいと顔を女に近づけた。

「何なりとお申し付けください。騎士たるもの、ご婦人の頼みとあらば何でも力になりましょう」

「ジョーイ……」

 ケインがあきれ果てた目でジョーイを見る。女はというと、ジョーイのその返事に表情を明るくした。

「本当に?」

「ええ。この森には危険な怪物がいるようなんです。早く出た方がいい」

 いつになく真剣な口調で言うジョーイに、女はふむと唸った。

「……あー、確かに。すぐ出た方がいいかも」

「でしょう?外までエスコートしますので、ご同行願います」

 ジョーイがそう言って、同意を求めるようにマークを見た。マークはすっきりしない顔でジョーイと女とを見比べる。

「マーク、何が不満だ?」

 マークは身を曲げてジョーイの耳元に小声でささやいた。

「どうも、不信だ。多分、魔女」

「魔女?あの魔女か?」

 ジョーイが尋ねると、マークは深く頷いた。

「……ならば、後で薬でも貰おう」

 肯定的な反応に、マークが渋い顔をする。そんな彼の肩を、ケインが叩いた。

「放っておきましょう。これはもう治りません」

 陰鬱な顔でため息をつく二人に、女は不思議そうに目を向けた。

「エリオット、あの二人どうかしたの?」

「ジョーイが女の子に甘いからねー、うんざりしてるの」

 あら、と女が大げさにうれしそうな顔をした。

「もー、女の子って歳じゃないのにー」

 女が身をよじって声を弾ませる。長身でありながら童女のように喜ぶ女に、エリオット達は一時呆気に取られた。場の空気の変化に気付き、女が喜ぶのをやめる。

「……こほん。それじゃ、外までお願いしようかしら。いい、エリオット?」

「あ、はい。それはもちろん」

 女が手を差し出し、エリオットがその手を取った。

「あ、そうだ。お名前は」

「リズよ、よろしく」

 

 エリオット達が森を出られた頃には、西に傾いた日が空を紅く染め出した頃だった。馬を繋いだ場所から城までは、どれだけ馬をとばしても半日はかかる。加えて、夜営に備えた道具を持ち合わせた者は誰もいなかった。

「あー、こりゃ駄目だ」

 空の色を見て、エリオットが馬に乗りながら呟く。同意するように、馬もぶるると鳴いた。

「一度、帰る、方が、いい」

 マークのこの意見に、異を唱える騎士はいなかった。彼等の住む家までなら、完全に日が落ちるまでには着く事ができる。ただし、セラだけは不安な表情を浮かべていた。

「あの、帰ってしまうのですか?」

「何、心配いりません。私たちの家に泊まっていただければ大丈夫です」

 ジョーイが胸を叩いて見せ、それにケインが眉根を寄せる。

「奥さんに何て説明する気です?」

「あ」

 途端に、ジョーイの顔から浮かれたものが消えた。

「半日も家を空けて、あげく女性を連れて帰るなど、あなたの奥さんがいい顔するとは思えませんがね」

「殺されるかもね」

 ケインとエリオットがそう言う度、ジョーイの顔がみるみる青くなる。その肩を、マークがぽんと叩いた。

「覚、悟」

「できるかっ!」

 裏返った声でジョーイは叫んだ。彼はセラとリズとに振り返り、頭を下げる。

「申し訳ありません。先ほどああは言いましたが、私の家にはご婦人方に貸す寝床を用意できません。お許しください」

「い、いえ、そんな……」

 セラが気恥ずかしそうに俯く。

「ここまで送って頂いただけでも、本当に感謝しています。必ず明日にでもお礼を……」

「宿は空いてないの?」

 セラがジョーイに礼を言う横で、リズがマークに尋ねる。マークは彼女がわざわざ自分に聞いてきた事を怪訝に思いながら、首を横に振った。

「この時期、どこも、いっぱい」

「あら、そうなの……。そうねえ、あなたの家はどう?」

 リズがマークを見上げて目を細める。探るような目を向ける彼女に、マークは露骨に嫌そうな顔をして首を振った。

「妻、に、説明、でき、ない」

「私もできませんよ。エリオットはどうです?」

「んー……。多分、うちは大丈夫」

「理解のある伴侶がいてうらやましいな」

 ジョーイがうらやましげな目でエリオットを見下ろす。エリオットは肩を竦めて、あいまいな笑みを浮かべた。ジョーイはこれを同意と見て、セラとリズに言う。

「ではお二人とも、今晩はこのエリオットの家にお泊りください。ご安心を、こいつは信用できる奴です」

「まあ少なくともジョーイよりはね」

 エリオットが嫌味っぽく言うと、ジョーイは渋い顔になって口をつぐんだ。結婚する前は手が早かった彼にとって、これは何より嫌味に聞こえた。

 リズがエリオットの乗る馬に近づき、尋ねる。

「じゃあ、お願いしてもいい?」

「あ、はい、どうぞ。それじゃ、後ろに」

 エリオットに促され、リズはその後ろに座った。エリオットの胴に手を回すと、彼女はセラに目を向けた。そのセラは、ケインの乗る馬に乗せてもらっている最中だった。エリオットに次いで背も体重も低い彼との相乗りなら、馬の負担はまだ軽い。

「ねえ、エリオット」

 小声でリズがエリオットにささやく。声色が思いのほか真剣だった為、エリオットは黙って彼女に目を向けた。リズが顎を少しだけしゃくって、セラを指す。

「あの子に気を付けて」

 それだけ言って、リズは黙った。蜘蛛の事を思い出し、エリオットは頷く。

「……はい。確かに、まだあの蜘蛛がいるかもしれませんからね」

 エリオットは全員が馬に乗ったのを確認すると、手綱で馬の首筋を叩いた。四つの蹄が地を蹴立て、馬が走る。他の馬も次々とそれを追い、一団は森から離れていった。赤く染まりだした芝の上を、長く伸びた馬の影が馬と並走する。日はどんどん沈んでいき、山の頂へと近づいていく。その度馬の影の足が伸び、次第に青みがかる芝の暗がりと同化していった。馬の通った蹄の跡は、濃くなっていく闇の中に隠れて見えなくなっていく。

 彼等を追うものが一匹、息を切らせて走っていったのは夜闇が辺りを支配した頃だった。


 エリオット達が馬貸業者に馬を返した時には、日は山の陰に隠れ始めていた。受付のある宿屋のあちこちにある燭台にはすでに火が灯り、白い漆喰の壁に跳ね返った光が屋内を明るく照らしていた。

「すまないねぇ。うちも部屋がいっぱいで。ほら、お隣の国と交流が出来たから、そこから来るお客が泊まっていくんだ」

 馬貸しの男が申し訳なさそうに頭を掻く。念のために部屋に空きがあるかを聞いてのこの答えに、ジョーイが駄目か、と呟いてうな垂れた。

「もしかしたら、と思ったんだがなぁ」

「仕方ありませんよ。おかげで、この国はだんだん豊かになるんですから」

 セラが肯定的な発言で彼をなだめる。その横では、リズが他人事のように肩を竦めた。

「それじゃあ、このエリオットの家に泊めてもらいましょう、セラさん」

 リズがセラにそう言うと、セラは彼女に怯えたような目を向けた。

「え、ええ……。すみませんが、お願いできませんか?」

 セラがそそくさとエリオットに視線を移す。ケインとマークがセラの様子に眉をひそめるが、エリオットはそれに気づかずにこやかに応じた。

「どうぞどうぞ。毛布も余分にありますし……」

「あー!」

 思い出したように大声を上げたのは、ジョーイだった。何事かと、その場の人間が全員彼に目を向ける。

「どうしたの?」

「どうしたじゃないぞ、エリオット!うちに食事の用意がないのは覚えているだろう!」

「あ、そうだった!」

 ジョーイに言われ、エリオットも血相を変えた。

「もう今からでは日も完全に落ちる。妻ももう絶対に家に帰っているし、食べるものがないのもばれている!何を言われるか分かったものじゃないんだ、どうしてくれる!」

 エリオットを責めているというよりは、むしろ自分の不幸に嘆くような言い方であった。セラとリズが目を丸くする横で、三人の騎士がジョーイに同情の目を向ける。なまじ非を感じていた為に、エリオットの顔にはひきつった笑みが浮かんだ。

「わ、分かったよ。後でパンでも持って行くから」

「すぐだぞ、すぐ!事態は一刻を争うんだ!」

「たらの塩漬けなら、うちで余ってますよ」

「頼むケイン、譲ってくれ!」

「はいはい」

「……うちには、バジル」

「くれ!」

 マークが頷く。四人の傍では、セラが彼等の会話に目を丸くしていた。

「騎士のやり取りとは思えない、って顔ね」

 セラが驚き、リズを見る。

「驚く事ないでしょ。あたしだってそう思うんだから」

 リズがそう言う前で、ジョーイは更に懇願していた。鎧姿と相まって、それは見る者に妙な哀愁を感じさせた。

「そうだ、他にはないか?チーズでも塩でもいい、後で働いて返すから……」


 夜闇の中で、いくつも篝火が焚かれている。哨戒の為に焚かれたそれらはぱちぱちと音を立て、見回りの兵たちの眠気を誘った。彼等の間にある危機感や警戒心は、はっきり言って薄い。和平によって、敵国からの夜襲を危惧する必要がなくなったからだ。城壁に滲んだ風雨の跡が、炎によって影を得て不気味に動く。しかしこれは、戦の緊張感を経験した彼等に恐れを抱かせるものにはならなかった。

 城の外で辺りを見回る兵士達を、城の窓から見下ろす者がいた。彼は兵士でも、騎士でもない。ふと空を見上げ、星の位置を見る。

「……そろそろ時間か」

 彼は呟き、その場を後にした。城から出て、見回りの兵士に片手を立てる。

「あ、これはこれは」

 兵士が男を見て、頭を下げる。

「こちら異常ありません」

「うむ」

 それだけ答えて、男は兵士の前から離れた。兵士も見回りに戻り、城の角を曲がる。

 男は一人になったのを確認すると、城壁の傍に背を張り付けた。そして、隠し持っていた笛を口に当て、それを思いきり吹いた。普通ならばここで甲高い笛の音が鳴り、見回りの兵士が次々と集まっていただろう。

 しかし、男の笛からはすひ、と小さな音が上がった。気の抜けたか細い音で、吹いている男にすら本当にすら鳴っているのか疑問に思う程だ。

 男が笛から口を離し、首を傾げる。その直後、男の頭上から音が上がった。石に固いものが当たるその音に、男が顔を上げる。

彼を見下ろす顔が、そこにあった。八本の足を大きく広げて城壁の壁面に張り付き、八つの目を彼に向けている。

「来たか」

 男が蜘蛛を見て呟く。蜘蛛が犬の顎を開くと、喉の奥から声が流れた。

「ハーイ。こっちの状況は良いか悪いか、判断に困るトコね」

 開きっぱなしの犬の顎から、流暢に喋る女の声。男はこの声の主を知っていた。黙って蜘蛛からの言葉に耳を傾ける。

「今目標と一緒にいるけど、通りすがりの騎士様方に揃って保護されてる。気のいい人達みたいだから心配しないで。犬蜘蛛も、一匹近くに付けてるし。多分、明日一緒にそっちに戻るから」

 声はそこで途切れた。口を開けたままの蜘蛛に、男はこう言った。

「分かった。こっちはまだ尻尾を掴めていない。怪しまれないよう、目標の所持品を調べておいてくれ」

 言い終わると、男は蜘蛛に軽く手を振る。追い払うようなその仕草を見て、蜘蛛は口を閉じた。その後方向を変え、城壁を音もなく登っていく。蜘蛛が城壁を乗り越えるのを見送り、男は安堵した。静寂はつまり、誰の目にも見つかっていない事の証明だ。

「ふう……、気味の悪い化け物だ。あんなものを使う奴の気が知れんな」

 他人事のように呟き、男はその場を後にした。



先に言いますと、このリズはあのリズです。

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