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1.


1.


 エリオットの住む国は、かつて戦を控えていた。

 武力増強のため多くの者が剣を取り、その中でも優れた戦士は教会から洗礼を受け、騎士の位を授けられた。

騎士の位を与える事は兵達に向上心を持たせたため、戦力の増強には大いに効果的だった。いつでも戦えるよう、戦士達や騎士達は日々気を引き締め、訓練に明け暮れた。

 しかし、そうまでして待たれた戦は、起こらなかった。

 国と国との仲を取り持つ外務大臣が、見事和平を結ぶのに成功したのだ。

 これによって不要な争いは避けられ、さらに国交によって技術が以前よりも発達し、産業が活発になった。兵役によって抜けた労働力の穴は他国から来た牛と牛車によってほぼ完全に補填され、より少ない人員で作業が早く進むようになった。エリオットの住む国で編まれたタペストリなどの編み物は向こうの国にとっては非常に高価なものとして売れ、国の大きな収入源にまでなった。これによって女達が大きな労働力となり、女性の地位が高くなった。国交によって持ち込まれた物資や食品、技術によって二つの国では生活が豊かなものとなり、誰もが平和に暮らせる時代となった。

 しかしその結果、多くの騎士が割を食った。

 元々農夫だった者は剣を捨てて鍬を取り、農業に戻れた。しかし、騎士の位を貰ってしまえば、同じ事は出来ない。そんな事をすれば、位を与えた司祭や、騎士を従える国家に対して泥を塗るような行為になる。

騎士が鍬を取れは、もう騎士ではないのだ。時世が変わったために、かつての栄誉は身を縛る枷となった。

 かといって、国も増えすぎた騎士達をおおっぴらには雇えなかった。騎士が軍事力の象徴であり、城で何人も囲っていれば、他国から来た者達にいらぬ警戒心を与えてしまうからだ。それは王を始め、多くの者にとって望まざる事だった。

かくしてエリオットのように職のない騎士が何人も出来、行く当てを無くした。

その結果家を出てタペストリなどの工芸品を作る女達に代わり、彼等は今日も仕方なしに家を守る日々を過ごすのだった。


水を張った桶の中で、二本の腕と白い生地とが何度も絡む。シーツを掴む手が水面から引き上げられる度に、泡にまみれた水の飛沫が桶の外に飛び散った。

「よしっと。あーさむさむ」

 一人で大げさに言いながら、エリオットは水の入った桶からベッドのシーツを引き上げた。シーツが表面全体から水を吐き出して桶の水面でざぶざぶと音を立てる。エリオットは石鹸で泡立った水面の中から真っ白なシーツが出てくる事に機嫌を良くした。

「さっすが石鹸、よく落ちる。……少し臭う気もするけど」

 慣れぬ匂いに眉をひそめるが、文句の言える立場ではない。石鹸というのが輸入物の高級品だと聞かされていたからだ。

 エリオットは気を取り直し、シーツを絞って水けを切った。皺を伸ばし直し、家の横に立てた物干し竿にかけて垂らす。シーツは吹きつけてくる風を受け、はたはたと控えめになびいた。吹き飛ばされないよう、木星の洗濯バサミでシーツを留める。

「ふう、洗濯終わり。さーて、薪割りだ」

 水に濡れた手を腰に巻いたエプロンで拭き、エリオットは家の裏に積んだ薪の山へと向かった。隠すように立てかけておいた斧と、ぶつ切りにされた丸太とを取り出し、家の傍に生えた切り株の台座の上に丸太を立てる。エリオットは丸太が自立するのを確認すると両足を前後に広げて立ち、丸太を割ろうと斧を高く持ち上げた。

「よっ」

 エリオットの小柄な体が、斧の重さで後ろに傾ぐ。前に踏み込まれた足が浮いたその時、その背後から声が上がった。

「待て待て待て!すぐ降ろせ!」

「ん?」

 斧を持ちあげた格好のまま、エリオットが後ろを見る。

エリオットの家は、他の家よりも小高い丘の上にある。斜面にある道を駆け登ってやってきたのは、エリオットのよく知る顔だった。エリオットと同様、世が世なら騎士として王宮に仕えているはずの男だ。

「あ、ジョーイ」

 たどり着くや否や、ジョーイはエリオットから斧を取り上げた。エリオットは振り返り、心外だと言わんばかりにジョーイを見上げる。エリオットは小柄で、その頭はジョーイの胸元の位置にあるのだ。

「何をすんだい」

「危なっかしいんだ貴様は!何でお前はそんなに斧を大きく振る!俺がやる!」

 ジョーイがそう言うと、エリオットは心外だ、と言わんばかりに彼を睨んだ。ただ、その顔はいまいち迫力に欠けた。エリオットは顔つきも、少年か少女のようだからである。むくれるエリオットをなだめようと、ジョーイは仕方なさそうにああもう、とうめく。

「分かった分かった、なら俺の洗濯を頼む」

「そっちの方が洗濯得意でしょ。嫌味?」

 エリオットの眉間に、さらに皺が寄る。ジョーイは自分を見上げるその顔から目を逸らし、苦々しい表情を浮かべた。

「分かった悪かった、だったら昼飯を頼む」

 その言葉で、エリオットの眉間がようやく緩んだ。

「それならいいよ。おいしいの期待してね」

 機嫌を良くしたエリオットは、ジョーイの脇を抜けてぱたぱたと斜面を降りていった。ジョーイが斧を振り上げて薪割りを始め、景気のいい音が上がる。乾いた音を聞きながら、エリオットは坂道のすぐ下にあるジョーイの家へと降りていった。勝手知ったる他人の家とばかりに家の扉を開けたエリオットの目に、二人の人物がくつろいで座っているのが入った。

「あれ、ケインにマーク?いたんだ」

エリオットの声に、開いた本にペンを走らせる眼鏡の男と、ジョーイよりも大きな体格の男とがエリオットに気付いて顔を上げる。どちらもエリオットの良く知る顔で、本来ならば家事など齧りもしないはずの人間だ。神経質そうなケインの目が細まり、エリオットに胡乱げな視線を向ける。

「いたんだ、じゃないですよ。それより、ご自身の仕事は済ませたんですか」

 実は彼等がここに集まるのは、恒例なのである。

「いや、あとは薪割りだけ。ジョーイがやってくれるっていうからさ。全く、人の仕事を取ってってさ」

「ジョーイは、エリオットが、心配、なだけ。悪く、言っちゃ、ダメ」

 巨漢のマークが、覚束ない口調でエリオットを嗜める。これもいつもの事だった。

「分かってるよ。昼ご飯、代わりに作る事になったから」

「そりゃあいいですね。僕達もご馳走になりましょう」

 ケインが意地の悪い笑みを浮かべ、マークがぼんやりした顔のままこくこくと頷く。エリオットはえぇ、と迷惑そうに眉をひそめたが、すぐにそれを受け入れた。どうせ使う食材は、ジョーイのものだ。

「まあいいか。それじゃ、ちょっと待っててね」

 エリオットはすぐに台所に駆け込み、食事の用意に取りかかった。少し経った頃、スープの良い匂いがジョーイの家の中に満ち始める。ケインがその匂いに、厳しい表情をわずかに緩める。

「うむ、やはりエリオットの作るスープは匂いが違いますね」

「俺達、じゃあ、こうは、ならない」

 素直な賞賛の声を聞き、エリオットはたちまち上機嫌になった。

「はいはい、分かったからマークはジョーイと薪割り代わりに行ってね。力自慢でしょ?」

「自慢、した事、ない」

「言葉の綾だよ、いいから行きな」

 マークが渋々席を立つ。逆らう気はないようで、そのまま彼は家を出ていった。エリオットは窓からマークが斜面を登るのを見ながら、ケインに声をかける。

「ケインは食器並べてよ。私は小間使いじゃないんだぞ」

「僕だってそうですよ。大体、僕はジョーイに家計簿付けるように頼まれて来たんです」

「……何頼んでんのさジョーイは」

 エリオットは呆れた後、ケインが広げていたものが帳簿なのだとようやく気付いた。かつては城で文官も兼任していたケインにとっては、家計簿など簡単な仕事なのだろう。だがそれでも、よその家の人間に数字を見せるその迂闊さに、ケインはもちろんエリオットも呆れた。

「全くです。少しばかり数字が苦手だからと、簡単に僕を頼るのはよくない」

「私もケインに頼む気はないなぁ」

「頼まれたってしませんよ」

 悪態をつくケインに、エリオットは聞き流すようにはいはい、と頷いた。ケインに手伝う気がないと分かり、一人でてきぱきと配膳の用意に取りかかる。鍋に入ったスープを皿に入れていき、盆に乗せたパンと一緒に食卓まで運ぶ。エリオットが四人分の食事を並べ終わると同時に、ジョーイとマークとが家に戻ってきた。ドアの閉まる音でエリオットとケインは二人に気付く。

「ありゃ、早かったね」

「さほど量が無かったからな。そこでマークに代わったら、遅くなる訳がないだろ」

 ジョーイの言い分にマークが頷き、エリオットはすぐに納得した。

 エリオットは三人が卓についたのを確認すると、自分も席についた。

「もう太陽も高いし、飯時だな」

 ジョーイが言うと、マークも黙って頷いた。時間を知ったケインもエリオットを見て同意を目で求める。

「分かってるよ。んじゃ、食べようか」

 そう言ってエリオットが手を合わせ、他の三人もそれに倣う。

「それじゃ、いっただっき」

 ます、と言いかけた所で、家の扉がノックされた。

四人は何事かと一斉に扉に目を向ける。閉じたままの家の扉の向こうには、明らかに誰かいるらしい。四人は顔を見合わせ、ケインが最初に口を開いた。

「誰が出ます?」

「俺の家だぞ」

「そうだね、よろしく」

「ん」

 ジョーイが立ち上がり、家の扉に手をかけた。

「はい、どちら様です?」

 扉を開くと同時に、ジョーイは来客と目が合った。

頭に白いものの混じったその人物は近所の牧場主の夫人だった。この辺り一帯を仕切る権力者の妻なのだが、ジョーイも他の三人も彼女が苦手だった。

「あら全員いるのね、全く暇そうでうらやましいわ」

 家を覗くなり、甲高い嗄れ声で嫌味を言い出す。おまけによく煙草を吸っているせいで、体臭もきつい。間近にいるジョーイが鼻を押さえたい衝動に駆られるのも知らず、彼女は一気にまくし立てた。

「まあ都合がいいけどさ、ちょいと頼まれてくれないかい?」

 言い方こそ疑問系だが、断るのを許さない口ぶりだ。これは毎度の事で、四人はいつも彼女のあしらい方に苦労していた。一度頼まれて牧草地を荒らす猪を退治した事があるのだが、彼女はそれにすっかり味をしめ、事ある毎に彼等に面倒を押し付けに来るのだ。

「また野獣退治の件ですか?」

エリオットが立ち上がって口を開く。牧場主の夫人はエリオットを見て声を張り上げた。

「そうよそうなのよ、ちょっとぱーっとやってくれない?」

 四人は例外なくこれには腹を立てた。

厚かましい話だ。騎士を体のいい便利屋だと思っている発言である。国に認められている司祭から位を賜った者達にする話ではない。

 かといって、断れる話でもない。主夫となった騎士達にとって、ご近所付き合いというのは避けては通れない大きな問題である。下手に断れば、日常生活に大きな支障をきたす。エリオットはこう答えるしかなかった。

「……分かりました、善処しましょう」

「善処じゃないでしょ、完璧にしてよ。うちのバターが臭くなったら、アンタ達のせいだからね」

 斬り殺してやろうか。そんな物騒な考えもエリオットの頭をよぎる。しかし今や平和な時代、剣で人を斬るなどご法度であり、徳のない行為だ。エリオットはもちろん、ジョーイ達も腸が煮えるのを堪えた。

「……ええ、そうですね。牛にストレスを与えないよう、頑張りますよ」

 ジョーイが凄みを効かせた声で答えるが、夫人は動じない。

「そうよ、任せたからね。ああそれと」

「草むしりはしませんよ」

 大きく声を上げて割り込んだのは、ケインだった。続けるつもりだった言葉を読まれ、かつ断られた事で牧場主の夫人が露骨に不機嫌な態度になった。

「なんでだい」

「牛が牧草でもない雑草を食べると牛が病気になったり、チーズが臭くなるのは分かりますよ。ですが生憎と、僕達は騎士でしてね。剣や槍を持って兵や獣を追いかけるのが仕事です。草に剣を構えるなど、馬鹿馬鹿しい事この上ない」

「暇なんでしょう?だったらやってもいいじゃないのさ」

「それはあなたが小作人にさせる事でしょう?生憎と僕等は主夫です。家を長く空ける事はできません。ああ安心してください。鹿だろうが猪だろうが、さっさと仕留めてきますので」

 相手に口を挟む余地を与えずにケインは一息に言い、これ以上の要望は呑めないと暗に示した。長い主張とその勢いに、夫人は言いたい事を潰されチッ、と舌打ちした。

「……はいはい、分かったよ。ならさっさとしとくれ」

 言うだけ言うと、夫人はさっさと帰っていった。扉の向こうで「ふん、騎士のくせに」という声が聞こえ、四人は喉から出掛かった言葉を堪えた。大人しく帰って貰えるなら、それが一番だ。

四人は足音が聞こえなくなるまで息を殺していたが、その後ふう、と同時に大きく息を吐いた。

「助かったぞ、ケイン」

「ホントホント、ケインは口上手いよねー」

「うらや、ましい」

 三人が惜しみない賞賛を与えるが、当のケインはというと浮かない顔をしていた。

「上手くいっていませんよ。困った事に」

「何故だ?」

「今朝言いましたよね、ジョーイ。僕は昨日鎧を修理に出してて、まだそれが返ってないんです」

 ケインのこの発言に、エリオットは目を丸くした。

「え、そうなの!?」

「そう、だ。困った」

 エリオットの問いに、マークが肯定した。騎士にとって鎧はただの防具ではなく、騎士の身分の証明でもある。この場の全員の持つ騎士の意地が、鎧もなしに遠出する事に抵抗を持たせた。

その上鎧に予備はなく、四人の体格はばらばらなので貸し借りが利かない。

「仕方ない、ケインは弓矢だ。俺達三人は鎧と、そして剣と槍だ。馬をあのババアから借りて現場に行こう」

 ジョーイが机に戻り、机の上に手をついて提案する。彼に遅れて机に着いたエリオットが、これに口を挟む。

「でも、牧場のどこかは聞いてないよ?」

「どうせすぐに分かるだろ。獣の跡なぞ、マークにかかればすぐに見つかる」

 任せろ、と言わんばかりにマークが親指を立てた。野外活動なら、マークの右に出る者はいない。

「そんじゃ、出発しよっか。皆家に戻って準備しないとね」

「うむ」

「ん」

 エリオットの決定に、ジョーイとマークがうなずく。しかし、ケインだけは浮かない顔でしていた。

「すいませんけど、余った矢があれば……」

「オッケー。貸したげる」

「……助かります。けど、くれはしないんですね。計算高い事で」

「そりゃあ私は、友人に家計簿任せる人とは違うからね」

「おいケイン、エリオットには言うなって言ったよな」

 ジョーイが厳しい顔でケインを睨むが、ケインは涼しい顔でこれを流す。

「聞かれれば答えますよ。大体、君はエリオットにいい顔しようとし過ぎです」

「きっ、貴様……」

 反論しようとするジョーイの肩に、マークがぽんと手を置いた。何事かとジョーイが彼を見上げると、マークは静かに首を縦に振っていた。

「分かる。恥ずかしく、ない」

「放っておけ!」

「はいはい、さっさと皆家に戻るよ。支度したらまたジョーイの家に集合。それでいい?」

 エリオットの提案に三人はうなずく。机の上では、人数分のスープが控えめに湯気を昇らせていた。

「とりあえず、まずは食べようか。頂きます」

「「「頂きます」」」


自慢にもなりませんが、私は「可能な限り自炊」派です。

だから何だという話ですが。

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