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12.


12.


「どこだよここは、ったく……」

 森の中で茂る雑草を踏みつけながら、シモンズは悪態をついた。金属が何度も滅多打ちにされて上がる音を聞いて獣道を進んだのは良いが、山歩きに慣れていない彼は今、こうして道に迷ってしまったのである。太陽も空の上で徐々に高度を落としている今、彼としては一刻も早く下山したいのが本音だ。だが、未だ彼は自分が追う者の足取りを見つけられずにいた。

「鎧もそうだが、ナバンの旗を破って捨てた不届き者を放ってもおけん。……だがなぁ、一体ここはどこなんだ?……ん?」

 ふと、彼は足を止めた。森の奥で音を耳にしたからだ。

 剣と剣との打ち合う音と、それをかき消すように上がる雄叫び。絶えず響き重なり続けるその遠音は、まぎれもなく戦の音だ。

「こんな所で戦だと……?誰が」

 言いかけて、彼ははっとした。今この山には自分の元部下が四人、そしてナバンを狙うジルトールの魔女がいる。出会えば対立は必至であり、そして魔女が私兵を囲っている事は想像に難くない。そして、魔女が魔法によって怪物を呼び出す事も充分に考えられる。

「……大丈夫かな、アイツ等」

 シモンズは足を速めず、ゆっくりと音のする方へ歩いていった。

 彼に急ぐ気はまるでない。慣れぬ足場に躓いてこけるのが嫌だったし、何より、今さら慌てて行っても、着く頃には全て終わると知っていたからだ。自分の言った事を思い出し、シモンズはその的外れな言葉に苦笑いする。

「ジルトールも馬鹿な事をしたもんだ」

 呑気にそう呟き、彼は音のする方へと進んでいった。

「俺が外した奴等の事が、未だに分かってないとみえる」


 数人の兵士が剣を手に殺到する前で、マークが鉄球を振るった。遠心力で鎖が張りつめ、大人の頭よりも一回り大きい鉄球が唸りを上げて弧を描く。上から振り下ろされるそれを見て、兵士達は顔を青くして散開した。鉄球は鎖をしならせ、勢いのままに轟音を立てて岩盤に激突し、盛大に岩の破片を巻き上げた。不幸にも落下点のすぐ近くにいた三人の兵士が衝撃で宙へ舞い上げられる。

 そのすぐ傍らでは、三本の剣がジョーイに迫っていた。ジョーイはそれを黒い得物で受け、一気に弾く。その際ぎゃりん、と甲高い音が上がり、ジョーイは返す得物の勢いで背後からの剣撃を受けた。彼はその剣を受けたまま兵士へ強引に詰め寄り、一気に駆けた。押し出される兵士が強引に後ろへ下がらされ、押し付けられた得物を受ける剣がぎゃりぎゃりと何度も不気味な音を立てる。兵士は剣同士が上げるとは思えないその音に動揺し、剣を持つ手を緩めてしまった。その隙をジョーイは逃さず、得物を絡めるようにしてその剣を弾き飛ばす。

「ッ、チェアッ!」

 剣が空中へ舞い上がる。兵士は軽くなった自分の手と宙を舞う自分の剣に驚くが、すぐにジョーイに胸板を踏みつけられ、そのまま彼は無様にひっくり返った。ジョーイは仰向けになったその兵士を踏みつけ、黒い得物を構えて周囲を見渡す。

「次は誰だ!」

 ジョーイが高らかに叫ぶ。その直後、弾き飛ばされていた剣が彼の背後で地面に突き立った。その剣を見て、兵士達は攻め込むのに二の足を踏む。

鋭く砥がれていたであろうその剣の刃は、今や出来損ないの鋸同然だった。ただの剣ではこんな真似はできないのは明らかだ。先ほどジョーイに斬りかかっていた三人の兵士が自分の剣を見、似たような状態になっている事に気付き驚きを露わにした。

 それも当然で、ジョーイの得物は剣ではない。剣に似せた、鉄のヤスリなのである。

剣と切り結べば刃を食み、鎧をこすればその表面を裂く。もちろん人間相手への殺傷力も相当なもので、それを剣の扱いに長けるジョーイが持つのだから、剣を持った並の兵士に勝てる要素はほとんどないと言ってよい。

 ジョーイを囲む兵士達がたじろぐ一方、五人の兵士が逃げるケインを追いかけていた。ケインは後退しながらも、遅い来る兵士全員を視界に収めている。彼が手にしているのは黒い短杖のみ。兵士達は楽な相手だと、一様に笑いながら彼を追いたてていた。先頭にいる二人の兵士が剣の先でケインをけん制し、ケインがそれを短杖で叩いて逸らす。竜の死体の乗る台座の周りを回りながら、ケインは兵士達の距離が徐々に詰まっている事を感じていた。

「……そろそろですか」

 彼は距離を見計らい、軌道を変えた。兵士達は直角に曲がったケインを迷わず追う。更に距離が詰まり、五人の兵士は剣を構えてケインへ殺到した。

 と、そこで一瞬、五人の視界からケインが消えた。追いかけていた全員が虚を突かれ、先頭にいた兵士がふと下に目を落とす。

そこに、ケインはいた。手足を引っ込めた姿勢でうずくまっており、頭も両腕でしっかり抱え込んでいる。先頭の兵士は自分の勢いを止められず、そのままケインの体に躓いて前へもつれこむように倒れた。続く兵士達は、倒れたその兵士の体に躓き次々と同じように倒れた。

 彼等の倒れた先には竜の死体の台座があり、うち二人が背中からそれにぶつかる。早く立ち上がろうと彼等が手を付き顔を上げた時、すでにケインは立ち上がって息をふっと吐き、呼吸を止めて短杖を振り上げていた。

 二人の兵士が顔色を変えるより早く、ケインの短杖が何度も兵士達の頭に叩きつけられた。ヘルムを被っていなかった二人の頭を短杖が激しく打つ音が響き、こけなかった他の二人がケインの挙動と鈍い音の連続に目を疑う。倒れた兵士達は声を上げる間もなく、鈍痛と脳に響く衝撃で瞬く間に昏倒した。

 ケインは滅多打ちにしていた二人が動かなくなったのを見て動きを止め、他の二人に目を向ける。無呼吸で激しく動いていたせいで、眼鏡越しの彼の目は血走っていた。先ほどの、まるで親の仇を仕留めにかかるような動きのせいもあり、兵士達の顔色からケインを侮る色は失せていた。

 彼等の前でケインがふう、と荒く息を吐く。

「次、誰です?」

 彼の言葉に、兵士達は怯えたように後退した。動かなくなった二人の兵士の顔を見れば、無理からぬ事だ。

 ところが、一人の兵士がケインの視界の外で動きを見せていた。それは先ほどケインに躓いた三人のうち、台座にぶつからなかった残りの一人だった。鎧を着た体をどうにか両足で支え、立ち上がろうとして手近なものに手を伸ばす。その手が触れたのは、台座に乗った竜の死体の長い尻尾だった。

 そこで、奇異な事が起こった。じゅ、と音が上がったのだ。

 兵士が音に気付き、そこを見る。竜の尾に乗せた手のひらの下から、煙が上がっていた。目を疑い、手を離してその手を見る。手のひらを包む革の手袋は焼けただれ、肌は黒焦げになって異臭を放っていた。鉄製の手甲の一部、ちょうど竜の死体に触れていた部分は飴のように溶けている。その有様を見て、彼は手に残る感覚に気付いた。骨に染みるような激痛が、男の正気を奪う。

「あ、あ……?熱っ、あああ!?」

 裏返った声で兵士が絶叫を上げる。その声にケインと他の兵士達が振り向き、その異常に気付いた。焼けただれた手を振り上げて錯乱する兵士を見る。ケインには、兵士の焼けた手も見えた。

「なるほど、触ればただではすまないと」

 彼は冷静に見たままを受け入れた。そして推察し、自論に納得する。

ヒイロノカネが触れば高熱を生じる性質を持っているのならば、ジルトールがヒイロノカネを狙う理由になる。ヒイロノカネ自体を強力な武器として利用できるのだから、自分のものとした後ナバンに攻め込むのも合理的な判断と言えた。直接触れないから取扱いには時間がかかるだろうが、それは工夫次第でどうにでもなる。

 ヒイロノカネのこの性質は、およそ自然に存在するものとは言えない。超常的と言えるヒイロノカネの存在をジルトールや魔女のセラが嗅ぎ付け、手中に収めようと考えたのは想像に難くなかった。

「……ん?」

 そこで、ケインは違和感を覚えた。少し考え、その正体に気付く。

 ヒイロノカネは、ナバンでは子供のお守りに使われている。触れれば高熱を生じるような危険なものが、子供の持ち物になり得るのだろうか?

「一体、なぜ……?」

 彼は疑問を晴らせなかったが、すぐに我に返り、他の兵士達へ目を向けた。よそ見をしている兵士達の注意を引きつけ、その場から走り出す。兵士達は彼が動いたのに気付き、彼を追って走り出した。

 ケインが自分から距離を詰めず離れたのは、得物が短いからだ。自分から仕掛けて返す刀で斬られては、自分が真っ二つにされかねない。後の先を取るのが、彼にとっては最良の手段なのである。

「どうしたケイン、逃げてばかりか!」

 他の兵士と切り結んでいたジョーイが、ケインに野次を飛ばした。距離を測りながら走っていたケインは、これに舌打ちして声を張り上げる。

「そっちもずいぶん冴えてませんねぇ!足元ふらふらしてますよ!」

 ケインは言いながら、自分の眼前に迫る剣の切っ先を短杖で叩き飛ばす。ジョーイと立ち会っていた兵士達が会話を聞きつけ、ジョーイの足に視線を落とす。ジョーイはそこを見計らい、足に力を込め前のめりになって一気にヤスリを振りかぶった。彼の挙動に気付いた兵士が剣で身を守ろうとするが、それより早くジョーイのヤスリが横一文字を描く。ある者は剣を根元から折られ、またある者は鎧の胸元を大きく裂かれてたたらを踏んだ。各々が自分のされた事を見て怯み、ジョーイから後ずさる。

 一方ケインは踏みとどまり、顔へ突き出された剣を短杖で受けた。軌道を変えられた剣の先がケインの耳元をかすめる。剣を突き出した兵士が踏み込んだ分距離が詰まり、ケインがふっ、と息を吐いた。その反応を見て、兵士の背筋に寒気が走る。剣が引かれるより早く、ケインの短杖が剣を弾き振り上げられた。一瞬のうちに棒が肉越しに骨を打つ音が何度も上がり、兵士が膝から崩れ落ちた。ケインはそれに目もくれず、次の相手へ身構える。ジョーイはその様子を見てふん、と鼻を鳴らした。

 そこで、ジョーイはエリオットの姿が視界にない事に気付いた。油断なく剣を構えながら、辺りに目を向ける。竜の台座の傍ではケインが、ジョーイとケインから離れた位置ではマークが兵士達を相手に奮戦している。エリオットの姿は見当たらない。

「エリオット!どこにいる!?」

 声を張り上げるも、本人からの返事はなかった。ジョーイに対峙している兵士達は、鬨の声とも取れるその声量に身構え攻めあぐねている。

 ジョーイの手から徐々に力が抜ける。戦場の中で浮ついた感情が彼を支配し始めたその時、彼の眼前に鉄球が落ちた。兵士達が鉄球の落下の衝撃でその場から吹っ飛ばされ、轟音と割れる岩盤の礫がジョーイの足元を叩いた。ジョーイの思考は予想外の出来事で、単純なものに変わる。彼は足元に落ちた鉄球をじっと見て、鎖の先を目で追った。

「よそ見、するな」

 かけられた声はマークのものだった。マークは鎖を手繰りながらジョーイに近づき、険しい目を彼に向けた。マークの言いたい事を察し、ジョーイは我に返った。ヤスリを握り直しマークに背を預ける。ケインもそこへ駆けつけ、二人に背を向けた。集まった三人を、兵士達が散開して囲む。

 魔女の私兵たる兵士達十数人に対し、三人の有閑騎士。ナバン・ジルトールを問わず、これだけ聞けば多くの人々に結果は容易に想像できるものかもしれない。日々を家事に追われている騎士では、訓練を続けている兵士の集団に勝てないと考えるのが当然と言える。実際、この場にいた兵士達もそう考えていた。しかし、実際にその有閑騎士達を囲んでいながら、兵士達はまるで勝機を見いだせなかった。

「こいつ等、本当に騎士かよ!?」

 そんな声が兵士達の中から上がる。言葉の通り、ヤスリと短杖、鎖付きの鉄球をそれぞれ得物に持つ騎士などどこを探してもいないだろう。しかし現にここにおり、一人一人が人数に勝る兵士達を圧倒していた。

「そうだ、残り一人はどうした!?」

 一人の兵士が上げた声に、他の兵士達がどよめく。その騎士までもが得体の知れない得物で自分達を追い詰めるのではないかという危惧があったからだ。兵士達があちこちに目を向け、エリオットの姿を探す。ジョーイ達三人も、兵士達を警戒しながらも同じく仲間を探した。広場全体はもちろん、周囲を囲んでそびえる岩肌の隆起やくぼみ、広場の中心にある竜の死体に至るまで視線を巡らせるが、彼等の見る限りエリオットの姿はない。いるとしたらケインが打ちのめした巨漢や倒れた他の兵士達、唯一の出入り口を塞ぐように立つ魔女のセラと、後ろ手に縛られて倒れているリズの姿だけだ。

 ジョーイもそれは気がかりだったが、同時に彼は安心もしていた。敵にも所在が知れていないのならば、今のエリオットに危害は加えられていないはずだ。

そう安堵した時、ジョーイはある事に気付いた。彼だけではない。ケインやマーク、倒れているリズやセラの私兵達全員が目にしているものに異変を感じ取った。

頭上に見える空はまだ青いというのに、よく見ると辺りがぼんやりと赤みがかっている。まるで、赤い霧が立ち込めているかのようにだ。そして、その霧は徐々に濃くなっている。

「まず、げほっ、逃げ、て……」

 リズが叫ぼうとするが、腹の奥に残る痛みが声をか細いものに変える。これを聞きつけたのは、耳のいいマークだけだった。彼にも言葉の意味は分からない。しかし、霧に対して警戒心を抱かせるには十分なものだった。

「気を付けろ!」

 大声を上げたのは、ジョーイだった。彼は一度、この霧を見ている。二人の様子からケインもよからぬものを感じ、ジョーイに尋ねた。

「一体なんです?」

「少し前に、同じ霧を見た。空の鎧を動かす、得体の知れん霧だ」

 ケインとマークには、ジョーイの言う言葉の意味が分からなかった。だがしかし、二人は濃くなる霧のうねりを見て彼の言う事がでまかせではない事を予感した。

赤い霧はセラの前で渦を巻くように集い、塊と呼んでも遜色ない程の密度を得ていく。兵士達が辺りから引いていく霧と霧の集約する先に現れたものとに気付き、どよめきが起こる。そうこうしている間に、広場に立ち込めていた霧は完全に塊へと吸い込まれてしまった。霧が固まってできた塊は大人の腰ほどの高さまである岩のように変わる。その表面のいたる所では血液の流れる様を思わせるように脈動を繰り返していた。

 ジョーイ達と事態に追い付けずにいる兵士達の前で、集った霧の塊はさらに形状を変えた。てっぺんからぼこり、と音を立てて盛り上がり、一気に高さを得る。形が変わった事で重心が動き、塊はごろんと転がった。直後、別の部分が一気に伸びて先端を地面に付けた。最初に生えた部分も蛇のようにうねり、先を地面に潜り込ませた。

 二本の足を得て、塊が宙に浮く。変化は止まらず、塊はさらに形を変えた。上を向いた部分から頭、次いで肩、両腕と次々と生えていく。塊は人の形となったところで変化を終えた。

 霧が集まって出来た人型の存在に、全員の目が集まる。目鼻を持たないその人型は、新たな変化を迎えた。その全身にまとわりついていた赤く粘つくものから、しゅうしゅうと音を立てて白い煙が昇り始める。煙が上がるにつれて赤いものは失せ、その下にあるものが露わになる。立ち上る煙がその姿を覆い隠すが、それでもくすんだ黄色い外殻を煙越しに見る事ができた。

「……なるほど」

 ケインが面白くもなさそうに呟いた。彼は魔法に明るくないが、それでも犬蜘蛛がこれと同じ魔法で生み出されたものだとすぐに推測できた。人の形を取っている以上犬蜘蛛だとは考えにくかったが、それでも魔物が現れる予感に彼は短杖を強く握りしめ、煙の向こうを注視した。ジョーイとマークも、得物を持つ手に力を込める。

 やがて煙が薄れ、赤い塊だったものはその全身を衆目に晒した。

「……何だ、あれは?」

 ジョーイが率直な感想を漏らした。

 そこにいたのは、一人の騎士だった。ただ、全身を包む鎧の意匠はナバンのものとも、ジルトールのものとも違う。黄色い鎧の隙間に見える黒い肢体は不自然なほど細く、顔を覆う面盾の表面には一対の目を思わせる滑らかな部分があり、額の位置からは二本の細いものが生えている。虫の顔を思わせる頭部に、三人の騎士が既視感を抱いた。

「……まるで、蜂、だな」

 マークが呟く。ジョーイとケインは既視感の正体が理解でき、ああ、と同時に呟いた。頭部がまさにスズメバチのそれなのである。よく見れば、背中から薄く透明なものが垂れ下がっているのも見て取れる。脇腹からは左右一本ずつ細いものが生えており、それが昆虫らしさを一層強調していた。

 なにより、気配が異質だ。人の形をしていながら、呼吸の仕方がまるで違う、別の生き物を見ているような錯覚を見ているものに抱かせた。鉤爪のように曲がった三本指の手に武器を持っていないのも、その不気味さに拍車をかけていた。

「さあ、相手をしてあげなさい」

 セラが言うと、蜂のようなその騎士は頷くように顎を引いた。膝を曲げ、身を前に傾ける。背中に生えた透明なものが、パっ、と音を立てて広がった。蜂騎士自身を覆うほどに大きな四枚の羽根が一斉に激しく振動し、その両足が宙に浮く。

 ジョーイ達三人は得物を身に寄せ、高度を上げて見下ろしてくる蜂騎士に身構えた。一方、セラの私兵達は加勢が現れた事で全員の表情に余裕が戻っていた。じりじりと三人を囲む包囲網が狭まる。

 大気が激しく震え、蜂騎士が動いた。空中から一気に迫る蜂の頭を、ジョーイ達は下がり、身を反らして避けた。通り抜けた後に残る羽根の轟音が三人の脳を耳から揺さぶる。朦朧としかかる三人の後ろで、蜂騎士は大きく上昇しながら軌道を変えた。

「っ、来るか!?」

 いち早く我に返ったジョーイが振り返り、ヤスリを構える。マークが鎖を鉄球に近い位置で持ち替え、のけぞるようにして大きく鉄球を振りかぶった。

 再び迫る蜂騎士へ、勢いの付けられた鉄球が飛ぶ。狙い違わず、下降を始めた蜂騎士の顔面へと鉄球が肉薄するが、蜂騎士は身をねじり螺旋の軌道を描いてこれを避けた。一瞬のうちに起こったその出来事にマークが目を見張る。瞬く間に蜂騎士の顔がマークの眼前へと距離を詰め、鋭い顎がマークの顔面に食いつこうと縦に開いた。

「マーク!」

 ケインが咄嗟に、杖を投げた。軸を中心に回転し矢のように飛ぶ杖は、一直線に蜂騎士の喉笛を捉えた。空中で蜂騎士がよろめき、マークの耳元でがちんと牙が噛み合う。蜂騎士はそのままマークの横を通過し、再び上昇していった。

 ケインが動かなければ、間違いなくマークは顔に噛みつかれいていただろう。普通の大きさのスズメバチの顎は、木の幹はおろか、固い外殻を持つ他の昆虫をたやすく粉砕する事が出来る。人と同じ大きさの蜂騎士ならば、人の皮はおろか頭蓋までも噛み砕けてもおかしくない。

 蜂騎士の通り過ぎた後で、ケインの短杖がからんと地面に落ちた。マークは間近で聞いた蜂騎士の羽音に眩暈を覚えながらも鉄球を肩に巻くようにして引き戻し、ケインに近寄った。

「す、まん。助かった」

「あてにしてるんです、行動で返してください」

 ケインは素早く短杖を拾い、再び上昇を始める蜂騎士を見上げて身構えた。マークも鎖を解き、再び鉄球を投げられるよう備えた。

ジョーイが二人に近づき、彼等を蜂騎士からかばう位置に立つ。

「あいつ、喉に食らって何でああも平然と飛べる!?」

 ジョーイの言う通り、蜂騎士の飛行軌道には怯んだりよろめいたりする様子がなかった。気管へ衝撃を受けたにしては、影響が少ない。

「おそらく呼吸も蜂と同様なのでしょう。虫は喉で呼吸しません」

「冷静に言ってる場合か」

 ジョーイの言う通り、三人の状況は良いものではなかった。セラの私兵達は、依然ジョーイ達の逃げ場を塞ぐように彼等を取り囲んでいる。蜂騎士との衝突を恐れてか、ジョーイ達に斬りかかろうとはしなかった。

「くっそ、揃いも揃って舐めた目で見ている……」

「よそ見、するな」

 ジョーイが周囲の目に苛立ちを抱くが、それをマークが制した。再び蜂騎士が、やかましく羽音を立てて三人に迫った。近づく蜂騎士が、両手を広げる。

 三本指を持つ両手の中心から、それぞれ太い突起が生えた。それは鋭い切っ先を持つ針であり、生えた勢いで黒い飛沫が飛び散る。飛沫の飛んだ先には、セラの私兵達がいた。ジルトールの鎧の表面に黒いものが乗る。

「……ん?何だこれ」

 兵士の一人が自分の肩に乗った黒い滴に、手を伸ばす。指が滴に触りかけた時、滴が鎧の表面でみるみるうちに大きく広がり、中央からちり、ちりと剥がれた。黒いものの落ちた跡からは、鎧の下に着こんでいた鎖帷子の一部が現れる。

 目を疑う兵士の前で、インクの染みのごとく、鎧の穴は広がった。慌てて反射的に開いた穴を押さえるが、腐食は止まらない。肩や胸、腹を覆う部分までもが黒いものによって腐り落ち、兵士は異常な事態と軽くなった体とに驚き、腰を抜かした。すぐ傍にいた他の兵士達にも同様の変化が起こっており、辺りは騒然となった。

「おい何だよこれえ!?」

「うわ、え?よ、鎧が腐るぅう!?」

 騒がしくなる広間。怯え戸惑う兵士達だったが、ジョーイ達三人の視界には入らなかった。蜂騎士が、その黒い液体の滴る針を携え空中から迫っていたからだ。ジョーイはヤスリを構え、降りてくる蜂騎士を真っ向から睨んでいる。

「ジョーイ、何してるんです!?」

「叩き斬る!下がってろ!」

「正気ですか!?相手がどれだけ速いと……」

 反論するケインだったが、その肩をマークが叩いた。彼は真剣な顔でケインを見る。

「任せ、よう」

「君まで何を……」

 言うんです、とケインが言いかけた所で、マークが鎖を持つ手を軽く持ち上げた。何事かとケインはそこを見て、すぐに理解した。マークの持つ鎖には、すでに黒い滴がついていた。鎖を伝って黒いものは広がり、鎖を腐食し始めている。所々が細く千切れつつあり、もはや使用に耐えられるものとは言えなかった。

 そして、ケインも自分に出来る事がないのを分かっていた。蜂騎士が短杖の間合いに入ったとして、ケインには相手の先手を打てるとも、後の先を取れるとも思えなかった。それだけ蜂騎士が人間離れしているのである。遠くから攻めようにも、持ってきていた弓はすでに真っ二つになっている。鎧を着ていない事も、ケインにとって大きな不安要素であった。黒い滴が金属しか溶かさないとしても、蜂の顎や鋭い針を捌ききる自信は彼にはない。

 結局、彼はマーク共々急いでジョーイから離れた。ジョーイの手には、鉄の鎧も引き裂く事のできるヤスリがある。

 蜂騎士が針の先をジョーイに向け、滑空しながら彼へと迫る。ジョーイは両手でヤスリを持って上段に構え、深く腰を落とし相手を睨む。

蜂騎士の速さを見れば、後の先を取ろうなどとは考えられない。間合いの縁ぎりぎりを見極め、入ったと同時に斬り伏せてやる。ジョーイはそう考え、近づく蜂騎士から視線を離さなかった。

 蜂騎士が片手をジョーイに突き出した。黒い液体にまみれた針は、人の肘から手首までほどの長さがある。真正面から向かってくるせいで間合いは読み辛く、見誤れば顔に穴が開くだろう。ジョーイは蜂騎士から目を離さず、静かに息を吐いた。迎えるべき瞬間に対し、彼は神経を尖らせた。

 そして、その時は来た。

 蜂騎士の伸ばした腕の針先がジョーイの間合いに入る。しかし彼は動かない。針先がジョーイの眼前へと近づいていき、それだけ両者の距離が詰まっていく。針がジョーイの鼻先に触れるか否かといった瞬間、ジョーイはわずかに左に身を引いた。鼻先を針がかすめ、蜂騎士の顔がジョーイのヤスリの間合いに入る。

 経験と本能がジョーイを動かした。全身の筋肉が馴染んだ動きに従い、立てられたヤスリが傾ぐ。ジョーイはそのまま、一気にヤスリを振り下ろした。

「ッ、ヅェアッ!」

 鋭い一撃が蜂の顔に放たれる。角度、勢い共に申し分のないヤスリの一撃は狙い違わず蜂騎士の額へと吸い込まれ、そのまま蜂騎士の顔面を両断した。

はずだった。

 ヤスリが振り下ろされたその瞬間、蜂騎士が顔を上げた。のけぞるようにしてヤスリを見上げ、顎を開く。ジョーイのヤスリが蜂騎士の顔を両断しようとするその直前、蜂騎士の顎がそのヤスリに食いついたのである。ヤスリの進行は顎によって文字通り食い止められ、ジョーイは重くなった手ごたえでそれに気付いた。

「なっ……!?」

 驚愕するジョーイ。蜂騎士はさらに前進し、首を横にひねった。ジョーイの手からヤスリが引きはがされ、ジョーイがよろめく。蜂騎士は前進を止めず、そのまま肩をジョーイの胸に叩きつけた。ジョーイはその体当たりをまともに喰らい、大きく息を詰まらせた。彼の両足が宙に浮かぶ。

「!ジョーイ!」

 ケインの前で、ジョーイと蜂騎士が勢いのまま、、もつれ合うようにもんどりうって岩の床に転がった。蜂騎士の翅脈のある透明な羽根が広がり切ったまま背と床とに潰され、不恰好にへし曲げられる。羽根のかけらが辺りに飛び散り、陽光を受けてきらきらと光った。それを見て、セラが舌打ちした。もはや空を飛ぶのは不可能と見たからだ。こうなれば、上空からの襲撃はできなくなる。

 ジョーイが床を手足で叩き、大きく転がって蜂騎士から離れた。蜂騎士が咥えたヤスリを放り捨て、二本の足で立ち上がる。ジョーイは得物を口惜しそうに見たが、立ちふさがる蜂騎士を前にして拾いに行くのを断念し、ケイン達の元へと転がり着き上体を上げた。

「すまん、ゲホッ、この様だ」

「いえ、無駄ではありません」

 ケインの言う通り、立ち向かったジョーイの行動は無駄ではなかった。しかし、事態を好転させるものでもない。依然蜂騎士の武器は健在で、唯一有効と言えるヤスリはジョーイの手から引き離されている。金属を溶かす液体にまみれた針と、強靭な顎とを三人に向け、蜂騎士がジイイ、と低く鳴いた。

 これに対し、ケインが前に出る。

「地に降りれば、まだ分があります!」

 ケインは蜂騎士へ駆け出し、ふっ、と息を吐いた。短杖を体の前で構え、相手と距離を詰める。蜂騎士の挙動に神経を研ぎ澄ませ、ケインは短杖の先を突き出した。

蜂騎士は動く様子を見せず、その結果、鋭い突きがそのままえぐるように蜂騎士の喉元に打ち込まれた。ケインは止まらず、更に二撃、三撃と左右から立て続けに蜂騎士の頭を揺らす。四、五、六と回数が重なり、打撃音も重複する。少し前までケインのその猛攻を見てきた兵士達がこれを見て顔を青くした。同じことをされた仲間が、何人も目も当てられない顔になって倒されているのだから無理もない。鉄のヘルムをもへし曲げる怒涛の打撃を、蜂騎士は何発もその顔に打ち込まれた。

 しかし、倒れない。

 それどころか、その首から下は打撃の衝撃でわずかに揺れるのを除き、何の動きもみせていない。膝をついてもおかしくない頃合いになっても、蜂騎士は立ち続けている。打ち込む側のケインすら、異常と感じた。それでもなお、彼は手を止めなかった。しかし、やがて限界が来る。

「……っ、はあ、かはっ!」

 息が持たなくなり、ケインが咳き込む。杖を振る手が止まり、足元がふらついた。そのケインを、蜂騎士は一対の大きな複眼で見下ろす。その顔にはへこみどころか、傷一つ見られなかった。倒れる気配も、まるでない。

「バカねえ」

 セラが呆れたように呟いた。

「揺れる程の脳みそが、蜂にある?」

 その呟きと同時に、蜂騎士が動いた。ケインは咄嗟に短杖を持ち上げ、脇腹へ繰り出された針を捌いた。黒い液体にまみれた針の側面が杖の上をがりがりと掻く。黒い飛沫が振動で飛び散り、ケインの肩や頬、眼鏡のつるやレンズにまでかかった。金属で出来た眼鏡のつるが滴によって飴のように溶け、ケインの顔の前でレンズが傾く。ケインは近眼の曇った視界を晴らそうと空いた手を眼鏡へ伸ばすが、それより早く蜂騎士のもう片方の針がケインの顔へ突き出された。しまった、とケインが思った直後、針先は彼の肩に触れ、彼の体に沈んだ。

「……っ!」

 針が更にケインの肉を裂き、体内で骨をこする。ケインは脳天を震わせるような激痛に意識が白みそうになる。蜂騎士は容赦なく針を押し込み、その針先がケインの背から生えた。

「ケイン!」

 ジョーイが声を上げる。ケインは歯を食いしばり、咄嗟に片足で蜂騎士の胸を蹴りつけた。両者の距離が開き、針がケインの肩から引き抜かれた。射抜かれた肩の穴から、後ろへと倒れるケインの動きをなぞるように血が噴き出る。つるの溶けた眼鏡がケインの足元に落ち、レンズにヒビの入る音が上がった。

 ケインは自分が倒れるより早く、手にした短杖を肩に打ち込んだ。針で開けられた肩の穴を短杖が通り、傷口が短杖を咥え込む。傷をえぐる行為に彼は表情を歪めたが、更に杖を押し込み、そうする事で無理やり血を止めた。

 仰向けに倒れたケインに、ジョーイとマークが駆けつける。

「お、おい!しっかりしろ!」

 ジョーイが反射的に短杖を引き抜こうと手を伸ばすが、その手をマークが止めた。咎めたのかとジョーイはマークを睨んだが、マークが傷の具合を見て表情を歪めているのに気付き考えを変えた。短杖の刺しこまれた傷口からは今も静かに血が腕を伝っており、服を赤黒く染めていた。ケインの手の甲からは袖口から流れてきた血が指を伝い、ぽた、ぽたと滴を落としている。

「……どうだ?」

「あまり、良く、ない。毒、かも」

 神妙な面持ちになる二人に、ケインが息を荒くしながら言う。

「……いえ、毒では、ないでしょう。痺れもしないし、眩暈もしません」

「痛くはないのか?」

「痛いです。気持ち、傷口が熱くなってる気もします」

 冗談のように明るく言ってはいるが、ケインは立ち上がろうとしなかった。それだけ傷の痛みが体に響いているのだと二人には分かる。痛まないにしろ、今のままでは短杖を抜く事はできなかった。

「そうよ、毒なんてない」

 言ったのはセラだった。三人を見ながら、彼女は蜂騎士を顎でしゃくる。

「その針の液は、金属しか溶かさない。なぜか分かる?」

 この質問に、三人は息を呑んだ。嫌な想像が、全員の頭をよぎったからだ。その答えを読んだかのごとく、セラが微笑を浮かべた。

「食べるものに毒を入れる?」

セラの答えを肯定するように、蜂騎士の顎が鳴った。

 マークが立ち上がり、倒れているケインをまたいで前に出た。腰に差した剣を抜き、蜂騎士の前に立ちはだかる。

「待て、剣なら私に貸せ!」

 ジョーイがマークにそう言うが、マークは聞き入れない。

「あらあら、盾になる気みたいね」

 セラがそう笑った時だった。

 ひゅ、と赤いものが彼女の目の前を横切った。気のせいかとセラが怪訝に思った直後、同じものがいくつも現れ、空中で同じ方向に流れていった。小石のように小さなものもあれば、人の頭ほどの大きさのものもある。そのどれもが赤く、揃って空中を行く様は旋風に乗っているかのようだ。しかし今、風は吹いていない。

「セラ様、これは?」

 セラの近くにいた兵士が尋ねるが、セラにも分からなかった。彼女ははっとして、リズを見た。

「あんた、まさか!」

「冗談。こんなにされて、魔法が、使える?」

 倒れたままのリズが、そう悪態をついた。後ろ手に縛られた状態では、円を描けたとしてもその後に書き足すものが分からない。効果の不確かな魔法を何の備えもなしにやるほど、リズは無謀ではなかった。

 赤い礫は空中を回りながら、どんどん広場の内側へと収束していった。礫の群れは蜂騎士とマークの間も通り過ぎ、蜂騎士の足を止めた。人ではない蜂騎士から見ても飛び交うものは異常らしく、蜂騎士は首を捻っていた。ジョーイやケイン、セラの私兵達の間までも礫は通過していき、密度を増しながら竜の死体の元へと集っていく。やがて空中で飛ぶものは竜の、体を覆うように広げられた翼の内側に滑り込んでいった。翼の内側は陰になっているせいで、誰にも見えない。陰に隠れた礫全てが完全に見えなくなった時、細かい金属が一斉にぶつかり合うやかましい音が上がった。意表をついたその甲高い音に、蜂騎士を除く全員がすくみ上がる。音の後、動く者はいなかった。

「な、何?」

 セラが気味悪そうに礫の隠れた先を見る。その足元で、リズがにやりと笑った。

 やがて、竜の翼の影から、腕が生えた。五本の指を持つ手は人間のものだが、表面は赤く透明感のある固いものでびっしりと覆われており、いたるところで鋭くとがっている。手首に続いて肘、肩が現れ、さらに足までが陰から伸びて地を踏みしめた。手が竜の翼を掴み、その頭を覗かせる。丸い形は人の頭のものではあったが、赤く硬いものに覆われたその顔は仮面のようで表情は読めない。

 ようやくその全身を見せたのは、赤く硬いものに覆われた一人の人物だった。

「赤い鎧……?」

 セラが呟くと、赤いその鎧の主は顔をセラに向けた。顔の切れ込みの奥にある二つの目に睨まれ、セラが怯む。

 赤い鎧の主は台座を降りて岩の床に降り立った。陽光を受けて輝くその装甲は赤い水晶のようでもあり、すぐ後ろに控える巨大な竜の死体と色や光り方がよく似ていた。

「おい、あれ……」

「しっ」

 言いかけるジョーイを、マークが制した。

「……ようやく、来ましたか」

 ケインが荒い息で、安心したように呟いた。セラや私兵達が、警戒心を露わにして赤い鎧を睨む。

 赤い鎧が、ナバンの騎士のものに似ていたからだ。顔を隠す仮面や全身から生えた細かい突起部などの細部は異なるが、それでも一目でナバンのものだと分かる。

 蜂騎士が、赤い鎧へ向き直る。赤い鎧のすぐ近くにいたセラの私兵が、一斉に剣を構えながら大きく後ろに下がった。自然、赤い鎧と蜂騎士との間に立つ者は誰もいなくなる。

 魔物である蜂騎士と、正体の知れない赤い鎧とが向かい合う。対峙すると、赤い鎧が蜂騎士と比べて小柄で細見なのが顕著になっていた。蜂騎士が両手からそれぞれ一本ずつ針を生やしているが、赤い鎧は何も持っていない。それが逆に、赤い鎧の不気味さを引き立てていた。

 赤い鎧は何も言わず、蜂騎士を見ている。蜂騎士はジイイ、と鳴いて両手の針を持ち上げた。赤い鎧が、軽く片手を持ち上げ、マークのいる方向に向けた。マークが行動の意図を察し、手にした剣を投げる。回転しながら飛んできた剣を、赤い鎧は器用に片手で握りを掴んで受け止めた。その剣を構え、腰を落として蜂騎士を見据える。

 それからはどちらも動かず、互いの出方を見るのかのようにぴくりともしなかった。後の先を取ろうと計っているのか、踏み込む機会を待っているのか。はたまた、理論でも思考でもないもので自分の行動を決めているのか。共に表情が見えない為に、周りで見ている者は皆固唾を呑んで両者を凝視していた。

 赤い鎧の持つ剣の先が、ゆっくりと下がる。誘うような動作だったが、蜂騎士は動かない。剣先は地面すれすれまで降りたところで止まり、そこでぴたりと止まった。

 蜂騎士が、動いた。地を這うように足を滑らせ、両肘を引いた姿勢で赤い鎧との距離を詰める。姿が一瞬掻き消えたのかと見まがうほどの素早い動きに、赤い鎧も対応していた。低い位置からぶつかろうと迫る蜂騎士に対し、赤い鎧は両方の足を宙に上げていた。

 蜂騎士のすぐ上を、赤い鎧が宙を舞うように飛び越える。蜂騎士が踏みとどまるのと赤い鎧が着地したのは、ほぼ同時だった。

両者は共に振り向きざま、背後に向かって得物を繰り出した。黒い針先が赤い鎧の首元へと向かって突き出される。蜂騎士の動く方がわずかに早かったが、それが蜂騎士にとっては大きな仇となった。

 赤い鎧の振り上げた剣が黒い針の側面を叩き、針を下から打ち上げた。鋼の鳴る音が響き、針先が大きく上へと上がる。蜂騎士のがら空きになった脇腹へ、赤い鎧が上げた剣を振り下ろした。

「―――ッ、せっ!」

 気合の乗った剣撃が、蜂騎士の脇腹へと叩き込まれた。剣先が蜂騎士の黄色い外骨格を砕き、脇腹に並んでいた気門、つまり蜂騎士にとっての呼吸器官を斬り裂く。気門とつながる体内の器官を鉄の刃がかき分け、緑色の血液が辺りに散った。

 蜂騎士が斬撃の衝撃で、赤い鎧に側面を晒した状態でよろめく。その隙に赤い騎士が前へ踏み込み、剣を斜めに振り上げるようにして二撃目を加えた。脇腹に更に傷が走り、脇腹から生えていた細い虫の足が斬り飛ばされて宙を飛んだ。

 蜂騎士が片手から生えた針を手のひらに収め、脇腹を押さえて大きく後ろに下がる。赤い鎧は再び腰を落として蜂騎士を睨み、剣を構えた。その鎧には傷一つないが、剣には針を打ち上げた際に付いた黒い液体が今もこびりついており、剣戟の間も煙を昇らせながらじわじわと剣を蝕んでいた。そして今、先端に近いところで剣はどんどんくびれていき、ついに剣の中ほどのところで剣先が岩の床へと落下した。刃渡りの短くなった剣を見て、赤い鎧がわずかに動揺したように手にした剣を身に寄せる。

 それを機と見たか、蜂騎士は脇腹を押さえたまま赤い鎧へと接近した。赤い鎧はそれを見て、手にした剣を投げ捨てた。

 蜂騎士のもう片方の手の針が赤い鎧の喉へと伸びる。避けられないと見たか、赤い鎧はその場に踏みとどまり、空にした両手で針を受け止めた。赤い鎧の眼前で針の進行が止められ、針を押さえつける手のひらが黒い液体にまみれる。

 これを見てセラや兵士達は蜂騎士の勝利を確信した。蜂騎士の黒い駅は金属を溶かす。現に今、針を持つ手からは白い煙がもうもうと立ち昇っていた。

 赤い鎧と蜂騎士はそれから互いに一歩も引く様子を見せなかった。両者がそうして対峙している間も、しゅうしゅうと煙が昇っている。赤い鎧の篭手が液体に負けてはがれ落ちるのも、時間の問題と見られた。

 先に動いたのは、蜂騎士の方だった。押さえられた針をよじるようにして手を振りほどき、赤い鎧から離れる。逃げるように身を引く蜂騎士を追って赤い鎧が自分の腕を引き、一気に前へ踏み込んだ。直後地を踏みしめた足に力が籠められ、握り固めた拳が蜂騎士の顎へと伸びた。赤い拳が蜂騎士の顎に叩きつけられ、蜂騎士が後ろによろめく。更に赤い鎧が片足を上げ、身を捻ってその足を前へと繰り出した。前蹴りを喰らい、蜂騎士が大きく後ろに吹っ飛んで仰向けに倒れた。

 蜂騎士が押されているのを見て、セラ達が目を疑った。更に蜂騎士の針を見て、それこそ信じられないものを見る目になる。

 針の側面には、手のひらの跡が残っていた。あろうことか、針についたその手形から白い煙は昇っているのだ。これは鉄をも溶かす黒い液が、熱によって蒸発している事に他ならない。対して、赤い鎧から昇る煙は一切なかった。それどころか、熱がるそぶりもない。

「どういう事だよ!?」

「何でバケモンの方が溶けてんだ!?」

 兵士達がどよめき、セラが顔を青くする。一方、リズやジョーイ達は当然の結果に満足しているように頬を緩めていた。リズのその顔を見て、セラがはっとする。

「まさかあれ、ヒイロノカネ!?」

 上がったその声は、裏返ったものだった。セラが気付いた事実は彼女にとって、納得できるものだったと同時に、驚愕に値するものだった。

 赤い鎧の、赤く染まった水晶のような装甲と、触れられた途端高熱を生じるその特性はヒイロノカネのものに他ならない。全身をヒイロノカネで覆っているのであれば、悪ふざけのような赤い鎧が存在する理由にも納得がいく上、鉄をも溶かす黒い液体を蒸発させたのにも合点がいく。

 しかし、着ている人間はどうなのか。少し触れただけでも鉄が溶けるような高熱を帯びるのだから、そんなもので全身を覆えば着た人間がたちまち焼けてしまう。動く事はおろか、着る事もままならないはずだ。だというのに、現に赤いヒイロノカネの鎧は、中身を得て動いている。そしてあろうことか、魔物である蜂騎士を圧倒している。

 戸惑うセラが見る中、蜂騎士が触覚をくるくると回し、じい、と鳴いて起き上がった。手形の付いた針を持ち上げるが、誰が見ても蜂騎士は満身創痍だ。脇腹から流れる緑色の血は今や片足を一色に染め、蜂騎士の足元に広がっている。

 赤い鎧が地を蹴り、宙を舞った。蜂騎士が顔を上げた時、すでに赤い鎧の足先が大きく振り上げられていた。蜂騎士が大きく顎を広げ、前のめりになって迎え撃つ。

 空中からの赤い鎧の蹴りが蜂騎士に決まるか、蜂騎士の顎が赤い鎧の足を捉えるか。迎え得る瞬間を誰もが息を呑んで見る中、一瞬のうちにその結果を迎えた。

 振り上げた足の勢いで、赤い騎士の体が後ろに傾く。その間にも距離は詰まり、赤い鎧は無防備な背中を蜂騎士に晒した。背中からぶつかるのかと誰もが思ったその矢先、赤い鎧の両足が空中で同時に伸びた。片足を真横に、もう片方を真下に向けて伸ばして生まれたその勢いで、横に伸ばされた足が風車のように大きく旋回した。赤い足が風を切り、見上げる蜂騎士の顎の下に滑り込む。赤い鎧の踵から生えた刃のように鋭い突起が蜂騎士の喉元へ届き、そのまま一気に振り切られた。音は、なかった。

 蜂騎士の首が宙を飛び、赤い騎士が深く沈んだ姿勢で着地する。誰もが言葉を忘れる中、ざっ、と地を踏む音が響いた。

 首を失った蜂騎士の体は、噛みつこうとした時の勢いでそのまま前へ倒れた。首の断面から血を吹く事はなく、投げ出された手足にも動く様子はない。少しした後、宙へ飛んだ蜂騎士の首がとす、と軽い音を立てて落ちた。

「……嘘」

 セラが呟く。その後、兵士達が剣を落とす音が立て続けに上がった。

 その場の全員に注視されている中、赤い鎧がゆっくりと立ち上がる。赤い鎧は背後に倒れる蜂騎士の遺骸に見向きもせず、その目をセラに向けた。兵士達がその視線から逃げ、赤い鎧とセラとの間に立つ者は誰もいなくなった。

 赤い鎧が顔を引きつらせるセラの前へ一歩、また一歩と近づいて行く。セラは足元を縫いつけられたかのように、動けなかった。仮面越しの目にじっと睨まれ、セラは動揺した。

「あ、あなた、ナバンの騎士なの?」

 赤い鎧は歩きながら、小さく頷いた。話が通じると分かり、セラは早口にまくしたてた。

「そ、そうだ!ならこうしない?あなたがここであたしを見逃せば、あたしはジルトールであなたの立場を保証してあげる!あたしは魔女だけど、ジルトールの文官でもあるの。ヒイロノカネが欲しいのはジルトールもそうだし、あたしもそう。あなたがあたしに付いてくれれば、客分としていーい生活も約束してあげる。ほ、本当よ?」

 セラがそう言う間にも、赤い鎧は着実に彼女との距離を縮めていく。足を止める様子は、ない。

「ど、どうせ戦になれば、ナバンは負けるのよ?勝ち目のある方につくのが賢い道よ。今のごたごたが明るみに出れば、和平なんかあっと言う間に破棄される。その時点で戦争よ!ジルトールは今すぐにでもナバンに攻め込む準備ができているの。どちらに付くのが賢いか、分かるでしょ!こんな小さな国より、大国についた方が得だって!」

 セラは言いながら自分が熱くなっているのが分かった。焦る程に本心が口から出てくるが、それでも赤い鎧は反応を見せない。歩み寄ってくる足の動きにも淀みがない。それがセラをますます焦らせ、同時に苛立たしい気分にもさせた。

「ここまで言って、聞かないの!?何よ、顔も見せないくせに!」

 赤い鎧はついに足を止めた。セラの目の前でだ。

 仮面のせいで、赤い鎧の意志はまるで読めない。しかし、セラは相手がまるで話に食いついてきていない事だけは確かに感じ取った。赤い鎧が拳を固め、ゆっくりと振りかぶる。

「き、騎士が女を殴っていいの!?」

 セラが言った直後、彼女の頬に拳がめり込んだ。見事に体の芯を捉えたその一撃はセラの両足を浮かせ、宙を舞わせた。浮き上がったその体は低い放物線を描き、セラは岩の床に倒れた。昏倒するセラの頬に、火傷の跡はない。

「……あいにくと」

 赤い鎧が言葉を発し、仮面を外した。その下から現れた顔は、ジョーイ達やリズのよく知る顔だった。

「私は女です」

 そう言って、アイリーン・エリオットはふう、と息をついた。


ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。

次回がエピローグです。

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