11.
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暗く寒い洞穴の先にあったのは、日の光の差す拓けた空間だった。頭上を見上げれば、ぽっかりと大きく空いた穴から高い岩壁に囲まれた空を見る事が出来る。日光に暖められた温い風が、それまで暗闇の中にいたエリオットとケインの肌を撫でた。
「はー、生ぬるい。生き返るー」
顔に吹き付けられる風にエリオットが安らぎに浸る。ケインはというと、曇りだした眼鏡を外してハンカチで磨いていた。改めて眼鏡をかけ直し、広場の中心にいるものを見て目を細める。
「これはまた……、さながら絵本のようですね」
彼がそう言うのも無理はないと、エリオットは思った。同じものを見上げ、その大きさと造形に息を呑む。
広場の中心には小高く盛り上がった台座があり、その上には陽光を受けてきらびやかに輝く赤いものがあった。その姿形と大きさは、一点を除いて、おとぎ話に出てくる竜そのものだ。
横たわった巨体からは一対の翼が生えており、大きなその翼は体全体を覆うように広がっている。持ち上げられた長い首は途中で力なく折れ曲がり、台の上で組まれた腕の上に乗った首の先には頭が無かった。ぽっきりと折れて出来たその断面の形状が、竜に似たその造形物が鉱物の塊である事を示している。牧場主の夫人の言っていた竜の死体という台詞を思い出し、エリオットは納得した。
「これがヒイロノカネ……」
エリオットは竜のオブジェを見上げたまま、ゆっくりと歩き出した。ケインがそれを見て、黙って後を追う。より間近で見ようと近づくエリオットの足取りはどこか覚束ないもので、ケインはそれが気がかりだったのである。
「エリオット、どうしました?」
ケインが尋ねるも、エリオットは答えない。ケインは早足で歩いてエリオットに並び、その顔を覗き込んだ。
エリオットの竜を見る目は、心ここに非ずといったものだ。ヒイロノカネの輝きか竜のオブジェの造形美か、あるいはその両方がエリオットの心を奪ったかのようである。それも無理からぬ事で、竜のオブジェは巨体でありながら鱗の一枚一枚までがしっかりと形作られているのだ。頭がないというのに、竜から息づくものを感じるのはケインも同じだった。
夢見る少年少女のようなエリオットの横顔を見て、ケインの頬がわずかに緩む。
「……、って!」
我に返ったケインが、先ほどの感情を打ち消そうと激しく首を横に振った。
立ち止まってしまった彼をよそに、エリオットは竜のいる台座まで歩み寄り、間近まで来てその足を止める。手を伸ばせば触れるほどの距離まで近づいても、頭を持たない竜に動く気配はなかった。それでも、エリオットには竜が今にも動き出しそうな気がしてならなかった。
ふと、足元に赤い鱗のような欠片が落ちているのに気付き、エリオットはそれを拾い上げた。荘厳な巨体に比べれば、剥がれ落ちた破片は光るだけの石ころも同然だ。
エリオットは手にしたその破片をまじまじと見て、子供の頃にもらったお守りを思い出した。箪笥の奥にしまったままのお守りも、これと同じものだった。
「あー、こんなんだったなぁ……」
感慨深げにつぶやくエリオットに、ケインが歩み寄って破片を見る。
「ははあ、初めて見ましたが、確かにきれいなものですね」
そう言って、彼は次に竜を見上げた。
「竜の死体と聞いた時はものの例えかと思いましたが、いざこうして見ると納得できますね。自然現象では到底こうはなり得ませんよ」
それにはエリオットも同感だった。ここまでの造形を持つ巨体が雨滴や風雪で出来上がるのは考えられない。昔本当に竜がいて、死に場所をここに選んで眠り続けた結果、その体が鉱物に変わったのだとエリオットは思った。エリオットが思ったままを言うと、ケインは「そうかもしれませんね」とだけ答えた。
「さて、と。セラさん達より早く着けたのはいいけど、これをどうすればいいんだろう?」
エリオットは首を捻った。ジルトールの目的がこのヒイロノカネなら、これを隠す必要がある。だが、どこかに持って行くには大きすぎるし、壊してしまうのも惜しい代物だ。
「まずは封鎖でしょう。誰もここへ来られないように、道を塞いでしまいましょう」
ケインの意見にエリオットは同意した。国の危機につながるかもしれないとあってはやむを得ない。
二人は洞穴に入ろうと、来た道を引き返し始めた。首なしの竜に背を向け、寒風の流れてくる洞穴へと歩みを進める。
「封鎖している最中に追い付かれなきゃいいけどね」
「その前に済ませるんですよ。口に出すと、ホントになってしまいますよ」
だん、と広場で音が上がったのはその時だった。二人が足を止める。
広場には先ほどまで二人以外に人影はなく、二人にはオブジェが動くとは思えなかった。ならば結論は一つだ。
「……ほらね」
投げやりな気分でケインがエリオットに肩を竦めた。エリオットが苦い顔を返す。そして、二人はゆっくりと背後を振り返った。
竜のいる台座の前に、うずくまる者がいた。白い鎧を着た背中が二人の目に入る。二人の知るものとは意匠の違いがいくつもあり、間違いなくジルトールのものだと二人は直感した。鎧を着たその背がゆっくりと持ち上がる。二人の立つ位置から見れば背中は竜の姿を完全に隠しており、その体躯の大きさを伺い知る事ができた。無論、巨体に見合うだけの力の持ち主である事もだ。広場にはエリオット達が入ってきた洞穴以外に出入り口はない。巨体の主は天井に空いた穴から飛び降りてきたのだと、すぐに分かった。
「……ケイン」
「何です?」
巨体の持ち主がゆっくりと二人に振り返る。
「力比べに自信はある?」
「微塵もありません」
二人のやり取りを聞きつけたように、ジルトールの鎧を着た男はにやりと笑った。
マークとシモンズがナバンの国旗を見かけた場所まで微笑み山を登ると、二人は辺りに転がる鎧の残骸を目にした。シモンズは残骸の正体が儀礼用の鎧だと分かり顔を青くする。砦で日々自分がまめに手入れをしてきたものだからだ。
彼は膝をつき、無残な切り口を見せる篭手を拾い上げた。引き裂いて出来たようなその切り口に、痛ましげに目を細める。
「お、おい。こりゃあ、何だよ……」
信じられないといった様子でいるシモンズをよそに、マークは辺りを見回して首を捻った。
「誰も、いない……?鎧、着てた、奴、どこだ?」
訛りを抑えて呟くマークをシモンズが見上げた。
「何の話だ?」
マークが足元に転がる胴鎧を指差した。それにもまた、めくれ上がったように出来た切り傷がある。
「こんな、損傷、着ている、人間、も、傷つく。なのに、血の、一滴、も、ない」
言われて、シモンズは辺りの地面に目を落とした。マークの言う通り、あるはずであろう血痕が見当たらない。
「そういやそうだな。じゃあ、わざわざ脱がしてからずったずたにしたってのか?」
「分かりま、せんが……、もしや、最初から、中身、が、無い、のかも」
「はあ?何を……」
言っているんだ、と言いかけてシモンズははっとした。
「そうか、魔女か!魔女が鎧を裂いたのか!あんのアマぁ……!」
マークは耳を疑った。彼には思いつきを言っただけであり、仮にシモンズが言った通りだとしてもわざわざ微笑み山で鎧を裂く理由がない。
「あの、団長。そこまでは……」
「俺が丹精込めて磨いてきたモンをこんなにしやがってぇ……、絶対に許さんぞ!」
血相を変えたシモンズがマークを無視し、坂を走り始めた。慌ててマークがそれを追う。
「団長、待って!」
「うおおぉー、絶対許さんぞ魔女めー!」
我を忘れて突っ走るシモンズはみるみるうちにマークをつき離し、山に茂る木々の群れの中に消えて行った。マークは必死で追ったが、元々彼は足が速くない。すぐに追いつこうとするのを諦め、歩いて坂を登り始めた。歩きながら、彼は言いたい事をすぐに言えなかった事を反省する。
マークがシモンズに言いたかったのは、鎧を裂いた人物を知っている事だった。鎧の傷はマークの知っているもので、同じような傷をつけられる人物を一人しか知らない。その為、マークはこの辺りにその人物、ジョーイがいる事を確信していた。槍が四本転がっているが血痕の類も見られないため、ジョーイが無傷なのも分かり危機感はない。
マークは歩いていると、ふと左手に面した崖の下に動くものを見かけた。崖の斜面から生えた木々の根元で身じろぎするものがある。見間違いかと思い、マークは足を止めてしゃがみこんだ。
「……何、してる、ジョーイ?」
そこには、木陰にうずくまるように隠れたジョーイの姿があった。
「……いや、団長が来たから、思わずな」
「やり、過ぎ、だな」
その言葉に、ジョーイは気まずいものをごまかすように笑った。
現れた巨漢は下ろしていた面盾を上げ、エリオットとケインを見下ろした。鎧を着ているエリオットを見て、へえ、と酒焼けした声を上げる。
「ナバンの騎士がこんな所にいるとはなぁ。暇な騎士がうようよしてると聞いたが、本当のようだぁ」
エリオットが無礼な発言に、ケインが自分が騎士と見られていない事に腹を立てるが、男に気にした様子はない。男は腰の後ろに差したものに手を伸ばし、それを引き抜いた。
男の背は、この場にはいないが、大男と比喩されるマークよりも高く、人間離れしていると言ってもいい。その上、今彼が手にした剣も彼の背と同等の長さを持っていた。ケインが男を睨みながら尋ねる。
「そっちこそ、ジルトールの人間ですね。それがなんでこんな所に?」
「一足早い観光旅行だぁ。ナバンの名所は、ジルトールでも興味の的でなぁ」
気楽な旅人のような台詞だが、鎧姿で言うには説得力に欠ける。ケインはすぐに大男の正体を見抜いた。
「ああ、なるほど。ゆくゆくは自分の国のものにするつもりですからね。ジルトールから潜り込みに来たのは、あの魔女一人ではなかったという事ですか」
男の目付きが、すっと座ったものに変わった。二人を侮った気配が消え、わずかにその両肩が下がる。
「……どうも色々知ってるようだなぁ」
「おかげさまでね。あなた方の狙いがヒイロノカネだというのも知っています。和平なんて回りくどい真似をしたのは、そうやってこそこそ観光旅行をするためですか?」
「ちょ、ちょっとケイン!」
エリオットが挑発的なケインの態度に焦って止めようとする。だが、男はすでにその挑発に乗っていた。
「俺ぁ、察しの良い奴は好きだぁ。叩き潰す理由を、すぐに自分で作るからなぁ」
そう言って、手にした剣を肩に担いだ。それが斬りかかりにくる姿勢だとすぐに分かり、エリオットは剣を抜いてマークの前に出た。それを男があざ笑う。
「チビが相手になる訳ねぇだろ!」
言うや否や、男の巨体が弾んだ。迫る白刃をエリオットが腰を沈め剣で受ける。鉄の甲高い音が上がり、エリオットは手にした剣が浮き上がるような錯覚を覚えた。両足が浮き上がるのが分かり、剣を持つ手に力を込めて胸に寄せる。男の持つ長剣は勢いを変えず、エリオットを持ち上げたまま一気に振り切られた。鎧を着たエリオットの体が大きく吹っ飛び、放物線を描いた後岩の床を転がる。
「エリオット!」
ケインが走り寄ろうとするが、大男が足を踏み出しそれを阻む。振り切った剣を再び肩に担ぎ、獰猛に笑った。
ケインは矢筒に手を伸ばし、慣れた動きで素早く弓に矢をつがえる。が、弦が張りつめるより先に頭上から剣が迫り、ケインは大きく後ろに跳んだ。彼の眼鏡のレンズを長剣の先がかすめ、手にした弓が真っ二つになる。振り下ろされた男の長剣は地面に叩きつけられ、岩にヒビを入れて破片を散らせた。剣に折れた様子はない。
ケインは斬り分けられた得物を見て、すぐにそれを捨てた。こうなると、つがえようとした矢も武器にならない。ケインは大男と距離を取ると、背負った矢筒もすぐに捨てた。
大男が地面に沈んだ得物の切っ先を引き抜き、再びその長剣を肩に担ぐ。その後ろでは、エリオットが地面に手を付いて身を起こしていた。
「いったい、なあもう……」
エリオットが剣を杖のようにして、よろよろと立ち上がる。エリオットは二人から離れた位置におり、だからこそ気の緩みがあった。だからか、次に起こった出来事にすぐに対応できなかった。
男が背中を見せたまま、エリオットへ跳んできたのだ。
「え?」
エリオットとケインが不意の出来事に戸惑う。空中に躍り出た男は、身を捻って担いだ剣を振り上げた。空中を大きく掻くようにして長剣が渦を巻く。エリオットは風車が自分を押しつぶしに来ているような錯覚に囚われ、一時動くのを忘れる。
「エリオット!」
ケインの声に、エリオットがはっとした。迫る巨体に対し、転がるように横に跳ぶ。エリオットの足先を長剣がかすめ、長剣の先が岩の床をえぐった。剣は止まらず、引き裂くように大きな裂け目を床に作って振り切られる。大男はバランスを崩さず、剣を振り切った勢いで足から着地した。
またも岩の床を転がるエリオットに、再び大男が走り寄り剣を担ぐように振り上げる。長剣が持ち上がった瞬間、ケインが声を張り上げた。
「待て!」
大男が剣を持ち上げる手を止める。エリオットも倒れたままケインを見た。
「相手をしましょう。エリオットから下がりなさい」
「ケイン!?」
倒れたままのエリオットがケインの言葉に耳を疑う。大男もまた、言葉の意味に眉をひそめていた。
「あぁ?」
「私の方がそこのチビより腕が立ちます。それとも、弱い者しか相手にしないんですか?」
「ケイン挑発し過ぎ!」
「……面白い兄ちゃんだぁ」
男が膝を伸ばし、剣を担いでケインを睨んだ。ケインは腰の後ろに右手を回し、隠していた得物を引き抜いた。右手でそれを軽く振り、開いた左手に叩きつける。ぱん、と小気味のいい音が上がった。
ケインが持つ得物を見て、男がはん、とあざ笑う。
「そんなモンで相手をする気かぁ?」
男がそう言うのも、当然と言えた。
ケインが手にしているのは、短い木製の杖だった。表面は磨き上げられて凹凸がなく、黒く塗られている。もう少し長ければ、礼服を着て社交場に行くのにふさわしいものになっていたであろうというものだ。
しかし、エリオットは知っている。それには鉄の芯が通っており、かつそれこそがケインの、最も扱いを得意とする武器なのだ。
大男が鎧を着こんでいるのを確認して、ケインに言った。
「……ケイン」
「何です?」
「私、耳押さえてていい?」
「どうぞ。すぐに終わります」
言われて、エリオットはそそくさとその場から離れて竜の台座の陰に隠れた。大男はそれを見咎めず、ケインに向き直ってわずかに膝を沈めた。対峙するケインもまた、ふう、と息を吐いて短杖を軽く振り回した。またも杖の先が左の掌を軽く叩く。
二人はにらみ合ったまま、互いの出方を伺った。共に微動だにせず、辺りの空気の流れるかすかな音だけが辺りに満ちる。
ケインは大男の武器と身体能力を警戒していた。大男はケインの細さと、得物の短さに攻めあぐねていた。自分の方が有利なのは明らかだが、それでも相手になろうとするケインの腹積もりがまるで分からないのである。エリオットは台座の陰から成り行きを見ながら、来たるべき時を迎えるように両手で耳を押さえていた。
上の穴から見える空を、鳥の群れが横切った。羽ばたきと、ギャアギャアという声が大きくなり、それ等は徐々に遠ざかって小さくなる。
鳥の声が聞こえなくなるその寸前、大男が跳び上がった。巨躯の持ち主とは思えないほどの速さと高さで、上空からケインに迫る。すでに振り上げられた長剣が、ケインの頭を叩き割ろうと風を切る。
ケインは相手を見上げ、踵を浮かせた。頭上に迫る巨体というのは、対峙する立場からすれば身のすくむようなものだが、彼に恐れはなかった。
ケインはちらりとエリオットを見た後、地を蹴り前へ出た。地面を転がり、跳び上がった男の下をくぐって男の背後へ回る。
大男が空中から長剣を振りおろし、切っ先を岩の床に叩きつけた。刃は空を切り、またも轟音を上げて岩盤に剣が突き立つ。ケインを狙っての斬撃は外れたが、大男の動きはまだ彼を追っていた。立ち上がり距離を詰めようとするケインを見て、大男は宙に浮いたままの足を曲げて膝を胸に寄せ、手にした剣に全体重をかける。ケインはその動きを見て、咄嗟に足を止めた。剣を持つ手で体を支えている男の目が、自分を見ているのに気付いたからだ。
ケインに向かって、男の両足が一気に伸びた。剣を起点に伸びた男の体は、それ自体が極太の矢のように瞬時にケインを襲ったのだ。ケインはこれに対し、その場で強引に身を捻って後方へ跳んだ。ジャンプ自体は無理な体勢のせいで高さのないものだったが、回転を加えた事で飛距離を稼ぐ事ができ、ケインは男の蹴りをすれすれの位置で避ける事ができた。
ケインはどうにか足から着地し、手にした短杖の先を地面に付けて崩れそうな体勢を支えた。その一方、大男は伸ばした体から片足を地面につけ、もう片方の足を大きく勢いをつけて振り上げた。背中側に回っていた両手が長剣を持ち上げ、剣の切っ先が地面から引き抜かれた。振り上げられた足が強く踏み込まれ、男の体が前へと傾ぐ。長剣がはね上がり、ごう、と風を切ってケインの頭上に降りようとし始める。
しかし、ケインの動きはそれより早かった。
男の振り上げた足が地を踏んだ瞬間、ケインはすでに男との間合いを詰めていた。思いのほか速い彼の動きに、大男は剣を振り下ろそうとしたまま虚を突かれる。
短杖を持つケインの手が一瞬掻き消える。直後、黒い杖の重心が大男のヘルムに叩きつけられた。右の目じりに近い位置を叩かれ、大男がわずかに怯んだ。がん、という耳障りな大音量が広場の岩肌に響く。ケインの一打は鋭いものだったが、分厚く質のいい鉄のヘルムを震わせただけで損傷させるには至らない。当然、大男には傷一つつかなかった。
「ふん、そんな」
ものか、と言いかけた言葉は途中で途切れた。
剣を振り上げたままの大男に、またもケインの短杖が振るわれる。大男の持ち上げた剣が角度を変えるよりも早く短杖の二打目が男のヘルムに打ち込まれた。再び轟音が上がり、一打目の震えが残るヘルムがさらに振動が加わる。男の注意がヘルム越しに加えられた頭への振動へと向き、彼の動きがわずかに鈍る。
ケインは止まらない。三打、四打と立て続けに杖がヘルムを叩き、さらに轟音が重なる。五打、六打と間隔は狭まっていき、大男のヘルムを滅多打ちにするケインの動きはもはや病的と言ってもいいほど速かった。叩き続けるケインの口は固く結ばれ、目は血走ったものだ。
鉄板越しに頭蓋を叩く衝撃が次第に積もり、大男の脳を震わせ始めた。脳の芯まで響く衝撃はついに大男にとって無視できないものになり、男の意識が白み始めた。
「てめ、おい、調子に……!」
言葉は短杖の一撃で掻き消された。もはや無視できないほどの轟音と頭への震動に、大男の剣を持つ手が次第に緩む。息継ぎの間もなく連打し続けるケインに、対峙する大男は彼に対して恐れを感じ始めた。男が手を動かすよりも、ものを言おうとするよりも先に杖が男の頭に打ち込まれる。
これだけ執拗に固いヘルムを叩き続けながら、杖には折れる様子どころかささくれ一つできていなかった。最も、今この場にはそれを視認できる者は誰もいない。対して、叩かれ続けたヘルムはついにへこみ始め、打撃の度に形を変えた。男の頭がへこむヘルムの容積に圧迫され、そして杖の連打が激しく脳を、そして頭を揺さぶる。
ついに男の意識が無くなった時、男の手から長剣が零れ落ち、がらんと音を立てた。のけぞる体を支える両足からも力が抜け、膝をつく。べこべこにされたヘルムを被ったまま、大男の巨体はどう、と倒れた。
ケインの杖が空を切り、彼の動きがぴたりと止む。彼は杖を振った体勢のまま微動だにせず、倒れた男を見る。その目は叩きのめした相手を見るものではなく、むしろ出来上がった自分の作品の粗を探すようなものに近かった。
竜の台座に隠れていたエリオットが、両耳を押さえたまま恐る恐る顔を出した。
「……終わった?」
エリオットの声に、ケインが表情を変えずに目を向ける。固まっていた彼の顔はエリオットを見ると、すこし遅れて緩んだものに変わった。ふう、とケインは息をつき杖を持つ手を下げる。
「もう安心です。耳を離して結構ですよ」
エリオットは普段の状態に戻ったケインに、安心して耳から手を離した。短杖を振るうケインの姿は、エリオットにとって初めて見たものではないが、それでも慣れる事のできないものだった。耳を押さえていたエリオットの両手は、少し前まで響いていた轟音のせいでまだ軽くびりびりと震えている。
「あー怖かった。ケイン、もうちょっと静かに叩いてよ」
「それは無理ですよ。息止めてたんですから」
「吸えばいいじゃん」
「止めなきゃああは動けないんです」
無呼吸状態で激しく叩き続けたからか、彼の息は荒れていた。エリオットは倒れた男を見、空を見上げた。広場の中心にいる竜のオブジェは巨大なものだったが、広場と穴とを隔てる岩の壁はそれよりも高い。穴の上にいたとして、飛び降りようとは二人は思わなかった。
「この人、あそこから跳び込んできたんだよね?どれだけ丈夫だったんだろ……」
「本当ですね。僕が勝てたのも、彼が油断したおかげです」
これは彼の謙遜ではない。事実、大男の力や素早さはケインを超えていたのである。短い杖の届く範囲までケインが大男に近づけたのも、大男のケインを侮る心理があってこその結果だった。ようやく落ち着いたケインの顔色に、勝者の余裕はない。
「ジルトールにはこんなのがうようよしてるんでしょうか?だとしたら……」
ケインの言葉を、エリオットが手で遮った。ケインが目を丸くして黙る。
「言わないで。怖くなる」
「……失礼」
ケインはエリオットから目を逸らし、眼鏡の位置を直した。
と、そこで二人の頭上から声が上がった。
「エリオット!無事か!?」
二人が顔を上げると、頭上の穴から二人の男が広場を見下ろしていた。ジョーイとマークだ。
「あ、二人とも」
「ケイン、貴様!早く離れろ!」
いきなりの罵声に、ケインは露骨に嫌そうな顔をした。
「何ですかいきなり?」
「お前が何をしてたか知らんが、いい恰好はさせん!マーク!」
ジョーイに言われ、隣にいたマークが頷いた。マークは片手をジョーイの腰に手を回すと、ためらう事なく彼を持ち上げ、穴から飛び降りた。
「……え?」
エリオットとケインが目を疑う。だが事実、マークの巨体は空中で下降し続けている。
マークは片手でジョーイを抱えたまま、もう片方の手の指を一本立ってた。そして、くるりと円を描く。
降下し続ける二人は、ついに竜が体を覆うように閉じた翼の先と同じ高さにまで到達した。あと少しで、二人の体は広場に激突してしまう。二人がそう予感した直後、穴の上から何かが現れた。空を切って飛んでくるそれは、ひゅんひゅん音を立てながら回転してジョーイ達二人に迫る。
マークは飛んできたものに手を伸ばしてそれを捕まえた。飛来したものは回転の勢いでじゃらりと鳴って大きくしなり、その正体を見せた。
マークが掴んだそれは、先に鉄球のついた長い鎖だった。鉄球は人間の頭と同じくらいの大きさで、磨き上げられた表面にはわずかに突起がいくつもついている。
およそ騎士が持つとは思えないその武器は、マークに片手で振り上げられ大きくて尾のように大きくしなる。鉄球は唸りを上げて放たれ、勢いのまま一直線に近くの岩壁へ激突した。轟音と共に鉄球が岸壁にめり込み、鉄球の半分ほどが埋まる。
マークはこれを見て、鉄球につながる鎖を引き寄せるようにして自分の腕に巻きつけた。鉄球とマークの間に伸びた鎖がじゃ、と金切声のような音を立てて張りつめ、空中のマークの下降に合わせてその傾きを変えた。マークとジョーイの体は振り子のように大きく振られ、地表すれすれを通過してから大きく上昇した。マークが鎖から器用に腕を振りほどき、空中でジョーイの体を持ち替え体勢を直す。飛んだ先にそびえる岩壁を足で蹴り、マークは穴からの落下の勢いを殺して広場に降り立った。マークの高い身体能力の成せる、見事な業だった。
マークが片手で鎖を引くと、岩壁の鉄球は簡単に引き抜かれて落下を始めた。鎖からの力に引き寄せられ、鉄球はぐるりと弧を描いてマークの手元にぶら下がる。鉄球の表面には、リズによって彫られた円型の傷があった。
「待たせたな」
エリオットとケインにそう言ったのはマークではなく、横抱きにされたジョーイだった。
「いや、ジョーイ全然格好良くないよ?」
「すごいのはマークです。お姫様抱っこされて何気取ってんですか」
二人の指摘にジョーイは自分を見、ばつの悪そうな顔をしてマークの腕を叩いた。マークは意図を組み、ジョーイを下ろす。マークの態度は当たり前の事をやったような平然としたもので、誇らしげな様子は微塵もない。
「流石はマークですね。それにしてもどうしてここが分かったんです?」
「何、馴染みのある不愉快な音がしてな。音を追ったらあそこに着いたんだ」
ジョーイの言葉にマークも頷き、二人は倒れているジルトールの大男を見下ろした。大男の被るヘルムがしぼんだようにへこんでいるのを見、ケインの持つ短杖を見て、「やはりか」と言いたげに二人で目を合わせる。
「……時々、お前が家でマリーさんを叩いてないか不安になる」
マリーというのはケインの妻である。ケインは言われた事に腹を立てジョーイに詰め寄った。
「しませんよ!人を何だと」
思っている、と言いかけたその時、広場に足音が響いた。
「ずいぶんと楽しそうね、有閑なる騎士様方」
エリオット達四人はその言葉に、揃って表情を固くして振り返った。彼等にとって痛烈な皮肉は、広場につながる洞穴の奥から上がっていた。そして四人は、この声を知っていた。ケインが大男のヘルムを叩く音は、図らずも彼女にも聞かれていたのである。
広場の穴から差す光の届かない洞穴の暗闇から、いくつもの足音が重なって響く。エリオット達四人は互いに少し離れ、自分達の得物が振れるだけの距離を取った。エリオットは騎士の剣を、ジョーイは剣に似た黒い武器、ケインは短杖、マークは鉄球のついた鎖を腕に絡めて声の出所を見据える。
「ずいぶんな物言いですね、セラさん」
エリオットの言葉に応えるように、洞穴の暗がりからセラが現れた。その後ろには、リズの姿がある。
リズは後ろに手を回されており、俯いた頭から生えた銀髪はひどく乱れていた。黒い肌のあちこちが、痣でさらに黒ずんでいる。何らかの暴力を受けた後だと分かり、エリオット等四人は目を疑った。
「リズさん!?」
エリオットが声を上げた直後、そのリズの後ろから、兵士がぞろぞろと現れた。先頭にいる兵士はリズの腕を掴んでおり、彼女を乱暴に前へ押しやった。リズはたたらを踏み、両手を縄で縛られたまま無様に倒れる。
「……っ、つーぅ」
呻くリズを、セラがふんと鼻であざ笑った。エリオット達はその態度に目を剥いた。
セラは四人の態度など気にも留めず、四人の後ろで倒れているジルトールの大男を見てへえ、感心したように呟いた。
「そいつを倒せるなんて、ずいぶんお強いのね。まぁ、どうでもいいけど」
セラに続いて現れた十人ほどの兵士達が、四人を囲むように広がり剣を抜く。鞘鳴りの音が重なった後、すべての剣が四人に向けられた。
「リズさんに何したの?」
エリオットが問うと、セラは腕を組んで不愉快そうに鼻を鳴らした。
「私は魔法を使えなくしただけよ。後は知らないっての」
その言葉が本当だという事を証明するように、兵士達が揃って卑しく笑った。その全員がナバンの鎧を着てはいたが、四人には見覚えのない顔ばかりだ。ジルトールの、セラの私兵だと四人はすぐに察し、神経を尖らせる。
「……魔女の魔法を封じるなんて、そんな事ができるんですか?」
ケインの問いは、図らずもセラの機嫌を良くするものだった。
「そうよ?そもそも魔法は、魔女にとってイメージしやすい象形を中継して初めて発動できるもの。あらかじめ、その象形を打ち消す打消しの魔法を使っておけばこの女は魔法を使えなくなる。普通なら長くは続かないんだけど、ま、あたしの象形は煙だから、長時間こいつの周りに魔法を漂わせるのも簡単なのよねぇ」
得意げに言って、セラはリズを見下ろした。リズはうつ伏せのままセラを睨み、あざだらけの顔で笑みを返した。
「……ヘーン、だ。呪文を唱えなきゃ魔法を使えない、二流魔女の、分際で……」
この悪態はセラの逆鱗に触れた。彼女は表情を歪め、リズの腹を蹴りつけた。鈍い音が上がり、リズの体が揺れる。
「っ、げほ、えぐぇ」
リズが身を折り、足が空を掻いた。
「何て女だ!」
ジョーイがセラを睨んでそう吐き捨てた。四人の意志が固まり、武器を持つ手に力が籠る。
「何、やる気?今の状況分かってる?」
セラは余裕を湛えたまま四人をあざ笑った。四人を囲む兵士達も、見下したような笑みを浮かべている。
人数には倍以上の差があり、魔女であるセラまでいるのだからエリオット達の不利は明らかだ。そして山奥ともなれば人の出入りもほとんどなく、その為たとえここで死体ができても公には気付かれにくいだろう。黙っていればそれだけ死体の発見は遅れる。
つまり、セラ達ジルトールの人間にとって、この上なく都合のいい状況なのである。
しかし、エリオット達に恐れや不安はなかった。
「それは、こっちの、台詞だ」
マークに賛同するようにジョーイが続く。
「全くだ。どうも我々を過小評価しているらしい」
「いい機会です。家事で体がなまるかどうか、ここでしっかり検証しましょう」
ケインの後に、エリオットがセラを睨んで剣を彼女に向けた。
「セラさん。ナバンの騎士が弱いかどうか、しっかり教えてあげましょう!」
あと二回くらいで終わると思います。




