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9.

9.


 微笑み山までの道を、三頭の馬が走っていた。牧草地をすでに超え、地続きになった草原をまっすぐと駆けている。馬に乗っているのはエリオットとジョーイ、そしてケインだ。マークを欠いたとはいえ、一度通った道なので迷う事はなかった。エリオットとジョーイは昨日おとといと同じ板金鎧を着ており、ケインの鎧はまだ直っていないので、ケインの装備も昨日おとといと同様であった。

「まさかセラさんを見つけた場所の近くにあるとはな……」

「だからこそ、でしょ。彼女も目星は付けていたのでしょう」

 ジョーイとケインが馬を走らせながら声を張り上げる。二人の先を行くエリオットは、二人が喧嘩をしているように聞こえて気が気でなかった。

「大体、微笑み山というのはどんな山なんだ?」

「あの夫人から聞いたでしょう?夕刻になると、山の表面に笑顔のように影が落ちる山ですよ!」

「だから、それがどれだと聞いている!」

「見てればそのうち分かりますよ!」

 風の音と蹄が地を蹴立てる音と、二人の大声が混じる。時折馬が長距離を走らされる事に不満を訴えるように大きくいなないた。

 やがて三頭の馬は、おとといマークが犬蜘蛛の足跡を見つけた場所にたどり着いた。三人は手綱を強く引き、馬は足を止めようと速度を緩めた。近場の湖で馬を降りると、三人はすぐ近くにある森を見据えた。森の向こう側には、ケインの言う微笑み山らしき山が見える。微笑み山へと至る道はジルトールとナバンとをつなぐ道からは外れた場所にあるため、馬を走らせられるほど整備されてはいなかった。通れない事はないが荒れている為、馬を走らせると躓いて落馬しかねないのだ。今のエリオット達にとっては森を通り抜けなければならず不便この上ないが、逆に言えばジルトールに気付かれていない事の証明とも言える。安心感はあったが、うかうかしてもいられなかった。

「おとといはこの奥であの蜘蛛を見たんだったな」

「セラさんが呼んだものなら、今日もあんなのが僕等を襲ってくるかもしれませんね」

「やめろ」

 ケインの推論をジョーイが青い顔で遮った。そんなジョーイを、エリオットが意地の悪い顔で見上げた。

「あの時はセラさんにいい恰好しようとしたから虫が平気だったんだよねー。今日は頼りにしない方がいいかなー」

「な、お前……」

「それは良い発想ですね。どんな魔物でも、僕等二人で片付けましょう」

「さんせー」

 意気投合したエリオットとケインは、そのまま足並みを揃えて森へと入っていった。置いてけぼりをくらったジョーイはどうすべきか悩み、結局走って二人を追いかけた。

「ま、待て!リーダーを置いて行くな!」

「だーれがリーダーですか」

「威勢ばっかの名ばかりリーダーだよねー」

「お前等ひどいぞ!そんな風に思っていたのか!」

 三人はがやがや言いながら、森の奥へと踏み込んでいった。


 国境付近にあるナバンの砦では、全ての兵士が険しい顔で哨戒にあたっていた。全員が鎧で身を固め、槍を手に油断ない目をあちこちに向けている。彼等が揃って敵を探すように動いているのは、朝にこのような通達がされたからだ。

『昨晩侵入者が入り、資料室が荒らされた。目的は不明、再び侵入する可能性あり。ナバンとジルトールとの威信にかけ、何としても捕縛すべし』

 これはナバンの兵とジルトールの兵のどちらの危機意識も高めた。セラとカーマンの目論見はジルトールの兵の誰にも知られていなかったが、犯人がジルトールの者であった場合の事態の深刻さは容易に想像がつく溜め、ジルトールの兵にとっても他人事ではいられなかった。侵入者への加担が疑われるからだ。

 シモンズもまた、血眼になって探していた。兵達はおろか、数人いる騎士をも率いる騎士団長としては誰よりもその侵入者に対して真剣にならねばならない。

「ったく、面倒な事になったな」

 そう言って、彼は引き連れている二人の兵士に声をかけた。一人はナバンの、もう一人はジルトールの兵である。

「お前等、どんな奴だと思う?」

 先に答えたのはナバンの兵だった。

「盗賊だとしたら、相当な凄腕でしょうね。盗賊なら、資料室なんかに忍び込まないと思いますけど」

「だよなぁ、おかしな話だ。お前さんはどうだ?」

 ジルトールの兵に尋ねると、彼は鼻を押さえて眉根をひそめた。

「……女、だと思う。いや、ます」

 無理に敬語に直しているのが分かり、シモンズは怪訝に思った。そのジルトールの兵は昨日までは自分に対して敬語など使わず、反抗的な態度が目立っていたからだ。

「そりゃ何でだ?」

「……それらしいのに鼻もがれそうになったんスよ」

 言いながら、彼は鼻を押さえた。シモンズは言葉に困り、「そ、そうか」とだけ返した。これにナバンの兵が表情を変える。

「そ、そうかじゃないですよ!重大な報告ですよこれは!」

「そ、そうだな。女か。よし、手分けするぞ。お前はあっち、お前はこっちだ」

 その時ちょうど分かれ道に立ったのを幸いとばかりに、シモンズは二人に指示を出した。

「団長は?」

「俺は引き返す。賊が近くに潜んで、俺等が通り過ぎるのを待ってるかもしれんからな」

 それぞれが納得し、三方向に散った。一人になったシモンズは、押し殺していた動揺を露わにして悪態をついた。

「全くアイツは……」

 シモンズは侵入者の正体を知っていた。彼自身が手引きしたのだから当然とも言える。それどころか、その侵入者に砦で目立たない為の服を用意したのも彼だった。

「エリオットの奴、何やってんだか……」

 苦労して服を手に入れた苦労をないがしろにされたようで、シモンズは乱暴に頭を掻いた。先ほどのジルトールの兵の口ぶりからしても、顔を覚えられているのは間違いなさそうである。

「あいつが今どこにいるか分からねぇしな……。どこに隠れてるんだ?」

 彼は昨晩資料室で起こった出来事を知らない。なので、彼は今もエリオットが給姿で砦のどこかに隠れていると思っていた。自然、物陰を見る彼の目は他のどの兵や騎士よりも厳しいものになっていた。他の誰かに先に見つけられては、うまく匿う事ができない。

 シモンズが今いる通路は、右に外に面した窓が並んでおり、太陽が砦の上をまたごうとするように高く昇っている様子まで見えた。通路の奥には、左手に件の資料室の扉がある。資料室はすでに早朝から十数人もの騎士達に調べられた後だったので、今は入り口前にナバンの兵士が一人で見張っているだけだった。その兵はシモンズを見て背筋を伸ばし、彼に向き直った。

「団長、お疲れ様です」

「おう。疲れたろう、俺が変わってやるから休んで来い」

「あ、はい!」

 よほど退屈していたのか、その兵士は軽い足取りでその場を去っていった。シモンズは辺りに人がいないのを確認すると、固く閉じられていた扉をこっそりと開いてみた。鍵は開いていた。

 本の詰め込まれた書架が部屋の中で規則正しく並んでいる。窓から差す光は厚手のカーテンに遮られており、資料室の中は通路よりも薄暗い。ひっそりと静まり返っており、無数にあるかという量の本から脈動が聞こえるかと錯覚する程だった。喉が渇くような静寂に、シモンズは我知らず唾を呑む。彼は資料室に入り、固く扉を閉めた。

「……おーい、どこだー?俺だぞー?」

 抑えた声で部屋の中で呼びかけてみるが、反応はない。彼は仕方なく、部屋の奥へゆっくりと歩き始めた。書架のせいで死角は多く、静寂と合わせて何かが潜んでいる予感を彼に抱かせた。シモンズは何が出てもいいように槍を構え直す。

呼びかけに応じる声がないのは誰もいないからか、それとも黙って自分が近くに来るまで待ち構えているからか。シモンズが自分の身を守るために想像をめぐらせた結果、刃物を持って待ち構える女給姿のエリオットが思い浮かんだ。笑いを誘う光景ではあるが、刺されるかもしれない立場の今では背筋が震えた。

「さ、刺すなよー?あんな服しかなかったんだ、悪かったから、な?な?」

 自然とシモンズの腰は低くなったが、反応はない。

「いない、か……?」

 シモンズは恐る恐る、更に資料室の奥へと踏み込んでいった。一つ、また一つと書架の裏を確認しては先を行く。自然と、息が押し殺したものになっていった。わずかな音も聞き漏らすまいと耳を澄ませ、槍を持つ手に力を込める。足音を立てないよう、慎重に歩みを進める。

 一歩、二歩、三歩、……四歩。

 自分の鎧の擦れる音が煩わしいとすら感じられた矢先、派手な音がした。書架に何かがぶつかり、転げ落ちる音だ。シモンズから離れた別の書架の列から上がったもので、彼にその様子は見えなかった。さらに本が雪崩込む音が上がり、男と女の悲鳴が混じる。

「んぐ、ん!」

「だ、あっだだだ!」

 悲鳴は本の雪崩に押しつぶされ、やがて聞こえなくなった。

シモンズは最初に静寂を割った音にすくみ上がったままであったが、再び静寂が訪れたのを待って確かめ、音の出所へと耳を澄ませた。何者かの話す声が聞き取れる。

「あったー……、もー、今度こそうまくやれたと思ったのにー!」

「わめくな。見つ、かる」

 女の声はともかく、男の声にシモンズは覚えがあった。無理に言葉を細かく切る、独特な喋り方をするお男は彼の知る限り一人しかいない。

 シモンズは走って音のした方へ向かった。声の主達がその足音に動揺したのか、本を押しのけたり踏みつけて新たな雪崩の音が上がった。「あいだっ」という、足を滑らせたらしき悲鳴も聞こえる。逃げられまいと、到着するよりも先にシモンズは声を張り上げた。

「おい、マークか?」

 呼びかけに応じたように、声がやんだ。物音も、どこかから本が床に落ちた音を最後になくなり静かになる。少し前までの静けさとは違い、シモンズは緊張感が薄らいでいくのが分かった。相手も同様らしく、書架の陰から顔を覗かせた。高い位置に出たその顔を見て、シモンズはようやく相好を崩した。

「なんだ、お前か。どうやって入ってきたんだ?」

 気安い声に、マークも安堵する。姿を現した彼は、昨日同様鎧をまとっていた。

「魔女の、魔法、です」

 そう言って、マークは隠れていたリズをひょいと片手で持ち上げてシモンズの前に差し出した。羽織ったマント越しに腰の帯を掴まれて宙づりにされたリズが不愉快そうに眉をひそめる。長身のリズに対してこんな真似ができるのは、マークの体格ならではとも言えた。

「猫じゃないんだからやめてくれない?」

「逃げよう、と、するの、が、悪い」

 憮然とした顔でマークが言うと、リズは低く唸って自分から床に足を下ろした。マークが帯から手を離す。

 シモンズはリズを見て、首を捻った。

「誰だ?」

「誰だってご挨拶ねー。ああ、あなた達の団長さんなら当然か」

リズはすでに二人の関係を察したらしく、落ち着きを取り戻したようだ。マークはリズと初対面の時を思い出し、苦い顔をした。

「団長、を、悪く、言うな」

「マーク、このねーちゃんが魔女だってのか?」

「ええ、そうよ」

 マークの代わりにリズが答えた。悠然とした態度は、とても先ほど慌てて逃げようとした者とは思えない。

 シモンズはリズの顔をまじまじと見て、ううむと唸った。自分と目線が同じ高さにある女の目からは、陰謀めいたものを感じなかった。

「アンタが怪物を呼んだりしたっていうのか?何かそうは見えねぇな」

「そう?」

「ああ。アンタはどっちかってーと、自分から乗り込んでくる方の面だ」

 それを聞いてリズは吹き出した。

「ぷっ、フフ、そうかもね。団長さんはもしかして魔女をお探し?」

「ああ。ジルトールの結んできた和平ってのがどうも俺には信用できない。魔女もいるとあっては怪しい事この上ない。アンタがそのジルトールの送り込んだ魔女かとも思ったが……」

「一応、味方、です」

「そうよー。悪―い魔女は別にいるの。ジルトールから来たセラっていう子よ」

「あの文官がか!?」

 シモンズが驚いた。まさか顔を知っている者がそうだとは思わなかったらしく、その声は一際大きかった。

「そうか、あの女がか……。確かか?」

「確かよ。昨日女給服の似合う騎士様がそいつ等に襲われてたもの。あたしが助けたの。で、あたし等はその悪い魔女を見張りに来たって訳」

 誇らしげにリズが鼻を鳴らすと、マークは面白くなさそうに表情を歪めた。緊張感を感じさせないリズの態度が、彼からすれば不真面目に見えた。

「……団長、カーマン、外務、大臣も、クロ、です」

「しかもグルよ。ジルトールはヒイロノカネの出る山が目的みたい。その山が占領されれば、和平の破棄も充分考えられるでしょうね」

「マジかよ……」

 シモンズは絶句した。彼にとってはどれも初耳の情報であり、整理しようとして考え込む。やがて彼は思い出したように呟いた。

「……ヒイロノカネって確か、微笑み山にあったよな?」

「あれ、知ってるの?」

「一応俺にも娘がいるからな。しかし、あんな物騒なモンがジルトールの狙いとはなぁ」

 マークとリズが顔を見合わせた。

「どういう事よ?」

「危険?子供の、お守り、じゃあ……」

 そこまでマークが言いかけた時、扉をノックする音が上がった。三人がはっとしてそこを見る。

「おい、誰かいるのか?」

 哨戒中の兵が扉を叩いているのが分かり、三人に緊張が走った。咄嗟にシモンズが口元に指を立て二人に黙るよう促す。その後彼は大声で呼びかけに答えた。

「おおーう、俺だ!どーしたぁ!?」

「何で鍵なんかかけたんです団長!早く開けてください!」

「おう、今行く!」

 シモンズが走っていこうとすると、マークがいきなりその肩を掴んだ。踏み出そうとした足が宙に浮き、シモンズは大きく後ろに倒れかける。

「ととっ、な、何だ、どうした?」

 声を押さえてシモンズがマークに問うと、マークは険しい顔をして扉を睨んだ。

「……いる、何人も」

「え?」

 当然の事を言われているようで、シモンズには意味が分からなかった。リズがマークの意図を読み、彼に問う。

「まさか、気付かれたっていうの?」

 マークは表情を固くしたままこれに頷いた。

 彼は国境での治安維持活動を専門とするレンジャーとして、屋外での哨戒活動に従事していた経験がある。その為、彼の耳はささいな物音、特に人の立てるかすかな物音や呼吸音といったものを鋭敏に聞き取る事ができた。彼の言う事が本当だとしたら、砦中の兵士が何人も扉の向こうで待ち構えている事になる。

 シモンズもようやく彼等の言いたい事を察し、緊張の面持ちを浮かべた。

「そりゃ、どういう事だ?」

「こっちの台詞よ。あなた、誰かに跡をつけられたんじゃないの?」

「何でだ?」

「あなたが面倒見良さそうだからよ。ジルトールの魔女とナバンの外務大臣様は侵入者がナバンの騎士だって知ってるから、あなたが頼られるって考えるのは自然でしょ?」

 シモンズは最初自分が見張られていた事に驚き、その後エリオットの潜伏が見つけられていた事に頭を抱えた。

「バレてんのかよあいつは……。じゃあ何で名指しで捕まえないんだ?」

「証拠が欲しいのよ。服なんて燃やせばなくなるし、だったら現行犯しかないじゃない」

「犯人は、現場に、戻る、か」

 リズがマークに頷いた。

「開けてください団長!いるのは分かっているんですよ!」

 ノックがさらに激しくなった。とても一人や二人が叩いて出る音ではない。マークとリズの言う事態が真実味を帯びたのが分かり、シモンズも焦り始めた。

「ど、どうする?」

「どうするってあなた、このまますんなり出ていく気?鍵かけたんだし、グルだと思われてふん縛られるのがオチよ」

「ここなら絶対アイツがいると思ってたんだよ。裏目に出たんだ」

 ノックの音がますますけたたましくなる。

「そうだ、アンタ魔女なんだろ?こう、パッ、と消える魔法とかないのか?」

「なくもないけど、それだと不自然よ!あなたがいるから、こうもガンガンうるさいの!」

「俺のせいかよ!」

 ついに二人が言い争い始めたその時、一際大きな音と共に資料室のドアが軋んだ。二人の喉から言葉が引っ込む。ガン、ガンと数人が体当たりを始めたのだとすぐに分かった。

「いよいよ時間がないようね……」

 観念したようにリズが呟く。シモンズも二人と、軋みを上げて徐々に割れ目を作っていく扉とを見比べて固唾を呑んだ。

「……いや」

 上がった声にリズとシモンズが振り向いた。声はマークのものだった。

マークはすでに両方の篭手を外しており、がちゃがちゃと板金鎧を脱ぎにかかっていた。

「どうするつもり?」

「マント、破いて、くれ」

 ええ、とリズは露骨に嫌そうな顔をして自分のマントを見た。シミやほつれの目立つぼろのマントだが、厚手の生地とその大きさから彼女が非常に重宝していたものだ。

「何に使うのよ?」

「この手、しか、ない。リズ、……さん、は隠れた、方が、いい」

「無理にさん付けはいいから。団長さんは?」

「俺に、付き合って、もらう」

「?」


 エリオット達が森を抜けて微笑み山のふもとに着いたのは、日が一際高い位置に昇った頃だった。あとは時間が経つにつれ、下降を始めそうな頃合いだ。ふもとから見上げると、微笑み山と呼ばれる理由が改めて理解できる。

 木々に覆われた山肌は二か所で隆起、一か所で大きく落ち窪んでおり、その為に山には影が落ちていた。それが丁度笑顔を浮かべているように見えるのである。

 汗は乾いた気候のせいでとうに乾いていたが、それでも三人は森を歩いて抜けた疲労でくたくたになっていた。

「ねえ、もう休もうよー」

 エリオットが立ち止まり、両手で膝を押さえて言う。これに対し、ケインは足を止めなかった。

「駄目です、行きますよ。時間がないんです」

「ひどい奴だなお前は。疲労は枷だぞ」

 ジョーイが立ち止まり嫌味を言った。一人で先に行くわけにもいかず、ケインも渋々立ち止まる。

「……君と言う人は、主体性がないんですか?エリオットの言う事に簡単に従い過ぎです」

「ならば聞くが、疲れた友を見捨てていくのが主体性か?」

「そういう話じゃありません、目的意識を高く持てと言いたいんです」

 二人が言い争い始めるのを見て、エリオットはうな垂れため息をついた。

「あーもう分かった、悪かったよ。先行こ?」

 わざと大股で歩いて二人の傍を通り過ぎ、先を行く。ケインがすぐにそれを追い、おいて行かれたジョーイがエリオットを呼び止めた。

「エリオット、そんな奴の言う事など気にするな」

「正論だしね。それに」

 エリオットは振り返り、後ろに歩きながら言った。

「ずっと喧嘩されてもうんざりだし!」

 強い口調でそう言い捨てられ、ジョーイとケインの足が止まった。二人は言い返す言葉が見つからず、遠ざかるエリオットを追うに追えなくなる。やがて二人は気まずそうに顔を見合わせ、ジョーイがケインに言った。

「……私は悪くないぞ」

 負け惜しみのように言うジョーイ。ケインは目だけで「こっちの台詞だ」と返し、エリオットを追いかけた。ジョーイもこれに倣う。

 三人は山の周辺を回る道を歩き、山道を探した。ほぼ定期的に採りに行かれているのなら、細いなりにも道があるだろうと推測したからだ。本来なら道筋を直接夫人から聞くべきだったのだろうが、夫人がついに道を教える事はなかった。

「あのババア、なぜ道を教えなかったんだ?」

「商売に一枚噛んでるんでしょう。憶測ですけど」

「でもさ、おかげでセラさんやカーマン大臣にも知られてないんでしょ?先回り出来た事を喜ぶべきじゃないの?」

「そうだ、エリオットは良い事を言うな」

 気楽な調子になる二人とは裏腹に、ケインはそうは思わなかった。何か確証がある訳ではなかったが、二人が楽観的に構えているからこそ自分は油断すまいという意識が働いていたのだ。これは用心深い彼の癖とも言うべきものである。

「何だケイン、ずいぶんと浮かない顔だな」

 いつのまにか隣に並んでいたジョーイが彼に声をかけた。

「ご心配なく、生まれつきです」

「そうか、だろうな」

 それだけ言って、彼はケインを追い抜いた。さほど興味もないのに言うだけ言って去る様にジョーイの調子の良さが見え、ケインは呆れ果てた。ため息をついてふと目を逸らし、山を囲む森の中に視線を移す。

 そこで彼は、動くものを目にした。獣の類ではない。二足で歩き、日の光を受けて輝く表皮を持つ獣などいる訳がない。

 ケインは足を止めてそれを見た。彼の視力は眼鏡をかけていても大したものではない。なので彼には、見えたものの仔細な姿は見えなかった。光るものはすぐに木々の陰に隠れ、自分の姿を隠した。それが意図したものか否かも、ケインには分からなかった。

 ただし、見えたものを目の錯覚か、自分と無関係なものと思えるほど、彼は楽天的でもなかった。

「……気を付けた方が良さそうですね」

 そう呟くと、彼は早足でエリオット達を追った。


 砦の資料室の前では、十二人もの兵士たちが槍を構えていた。閉ざされたままの扉に対し、鎧を着た三人の騎士が体当たりをしてこじ開けようとしている最中だ。三人が同時にぶつかる度に扉に割れ目が入り、再びぶつかればさらに亀裂は大きくなっていく。ささくれた割れ目は今、あと一押しと言うところで扉を完全に真っ二つにしようとしていた。

「よし、気を付けろ!シモンズと侵入者がいきなり斬りかかってくるかもしれんからな!」

 そう檄を飛ばすのはカーマン外務大臣だ。朝に侵入者がいると言った大臣も彼であり、シモンズと侵入者につながりがあるだろうと言ってシモンズを泳がせたのも彼である。普段は頼りない彼が居丈高にものを言うのが砦中の騎士達には不可解だったが、現にシモンズは侵入者の出た資料室に鍵をかけてこもっている。シモンズが怪しいのは明らかであった。

「大臣、団長はどうしましょう?」

 扉が開くのを待ち構えていた兵士の一人がカーマンに尋ねた。

「もちろんひっ捕える。侵入者との関係を吐かせないといかんからな」

 もっともらしくそう言った時、騎士達の体当たりでついに扉が割れた。勢いのまま室内になだれ込む騎士達を見て、兵士達とカーマンが色めき立つ。

「よし、突入!」

 カーマンの号令で、兵士達が槍先を前に突っ込んでいった。兵達が入口を背中で囲むように並んで円陣を組み、扉を破った騎士達が彼等の後ろに回って剣を抜く。カーマンが騎士達の後ろに隠れた事で、資料室にこもる侵入者からの迎撃に完全に備えた布陣が出来上がった。兵にはナバンの者も、ジルトールの者もいる。シモンズの日頃からの訓練が今ここで完全に活かされていたのである。

 カーマンが入口からすぐに見えた人影に、指を突き付けた。

「シモンズ!侵入者を匿った……え?」

 高らかに言いかけた台詞は、目にしたものの異様さに掻き消された。騎士達も、兵士達も同様らしく、目にしたものに呆気に取られた。

 まず目に入ったのは、他ならぬシモンズ団長だ。何も持っておらず、後ろにいる何者かによって首に腕を回されている。その何者かに盾にされる格好で、彼は無理やり締め上げられていた。

「おおい大臣様、助けてくれぃ!」

 情けない声をシモンズが上げる。それに対し、彼を締め上げる何者かが声を荒げた。

「だっしゃきに!ほがあ喚くとしぎるぞ!」

 ガラガラ声の上に、ひどい訛りだ。誰もが雰囲気に呑まれ、竦んでしまう。

 シモンズを締め上げているのは、シモンズよりも体格の大きい男だった。体格が明らかに男のそれで、服も男のものを着ている。

 異様なのは、首から上だ。頭の先から首の付け根までがぼろぼろの細布でがんじがらめに覆われており、顔付きが判別できないのである。さながらミイラのようでもあるが、広い肩幅とまくり上げた袖口から覗く腕の太さが、男が枯れた死体ではない事を表していた。布と布の細い隙間から覗いた二つの目が、統率の取れた兵士達や騎士達を睨みつけている。

「いれやほげ共が!こんつのタマが惜しんか、どがんさ行き!」

 高い声量と不可解な言語からくる迫力に、兵達が動揺からめいめいに疑問を口にしだす。

「おい、何て言ってるんだ?」

「わかんねーよ、俺に聞くな」

 どよめきが徐々に大きくなり、統率が乱れ始めた。男がそれに勢いづく。

「うせや!ほげにすた、ただじゃおかじゃ!」

 男が前に出、兵達が下がる。盾にされたシモンズが迫る槍先にすくみ、槍先が下がると安堵した。兵士達の後ろにいる三人の騎士も、男の言葉と迫力にたじろいでいた。

「奴は何が目的だ?」

「知らんが、何にせよ団長が危険だ。人質にされてるんだ、つながりがあるとは思えん。でしょう?」

 騎士の一人がそう言って、カーマンを見た。

 カーマンはというと、思ってもなかった事態に呆然とするばかりで言葉もなかった。顔を隠した大男のえもしれぬ迫力に完全に呑まれ事態を理解し切れていない、そんな様子が表情からも明らかだ。そんな彼の様子に尋ねた騎士が舌打ちした。

「何ぼけっとしてんですか、指示を!」

「え?……あ、ああ、じゃ、下が、れ?」

「下がれ?下がれと言いましたか?」

「そうだ、言う通りにしてくれ!頼む!」

 シモンズが割って入るように声を張り上げた。全員の目が彼に集中する。

「だまらっしゃ!そげにすだた、命ば捨ててよかあだな?」

 男がシモンズの首に回した腕に力を込めた。まくり上げた太い腕がさらに膨らみ、太い血管が浮かぶ。シモンズは首を締め上げられて苦悶の表情を浮かべた。

「げ、げひ……」

「おい団長がまずいぞ!」

 騎士達が大きくうろたえた。兵士達もまた同様で、その顔ぶれにはナバンもジルトールもなかった。

 シモンズの指導は非常にうまい。温厚で付き合いもよく、兵や騎士を差別しない面倒見の良さもあって、彼を慕う者は多かった。ジルトールから来た兵も、そのほとんどがすぐに彼と打ち解けていた。

「おい、どうすりゃいいんだよ!」

 昨日エリオットに鼻をもがれそうになった兵士が隣の兵士に尋ねる。尋ねられたのは、少し前まで彼とシモンズとで一緒にいたナバンの兵士だった。

「一応、言う通りにしよう」

「だから、何て言ってんだあれ?」

「あれはナバンの西部訛りだよ。流石にちょっとひどいけど、分からなくも……」

 その発言に、全員の目が集中した。近くにいた騎士が彼に詰め寄る。

「頼む、訳してくれ!」

「え、うぇええ!?」

 ナバンの兵士はうろたえたが、シモンズを見てすぐに気を改めた。ミイラ頭の男に向かって声を張り上げる。

「だ、団長を離せ!」

「ほだやったら、道を開きぃ!へげな事しきら、ただじゃおかど!」

 男が言った後、兵士は先ほどの騎士に振り返った。

「そう言うのなら道をあけろ、妙な事をしたら、ただじゃおかないぞ。……と、言ってます」

 ミイラ頭の男の言い分を受け、その騎士は直接相手に言った。

「分かった、兵を下げる!その代わり、団長を離せ!」

「そがぁ言うち、離すばぁ囲う気じゃろ!?先んじき!」

「そう言って、離したら囲む気だろ。先にどけ、と」

「そうか、むうぅ……」

 騎士は悩んだ。ミイラ男の言う事は、まさに先ほどまで騎士が目論んでいた事だ。言う通りに先に道をゆずるか、何か別の手を考えるべきか。考えあぐねてカーマンに目を向けるが、そのカーマンはうろたえるばかりで知恵を閃くような様子は見られない。役に立たない大臣様だと舌打ちし、騎士は仲間の騎士達に目配せして意志を確認した。黙ったまま三人は頷きあい、ミイラ頭を再び睨む。

「分かった、通れ!ただし、部屋を出たらすぐに団長を離すんだ!」

「んだらささっどぐだ!やっこがどげかなっても知らんど!」

「だったらさっさとどけ、こいつがどうかなっても知らないぞ、と」

「もう大分顔色青いぞ!早く解け!」

 騎士の言う通り、すでにシモンズの顔からは血の気が抜けていた。失神寸前で声もなく喘いでいた彼を見て、わずかに腕から力を抜いた。喉の圧迫感が幾分ゆるんだおかげで、シモンズは咳き込みながらも顔色を取り戻す。

「これでよかがか?」

「これで良いか、と」

「そうだ、今あける。各自、開け!」

 騎士の号令で、兵士達は一斉に槍先を上げた。全員が背筋を伸ばして踵を鳴らし、直後隊列が左右に分かれる。兵士たちの規律正しい動きによって、ミイラ男の進む道が出来上がった。騎士達も剣に手をかけたまま、ほぼ同時に左右によける。出来た道の真ん中で、置き去りにされたカーマンが慌てて騎士の多い右側に避けた。

 ミイラ男は資料室の外に出る道を見ると、左右の兵士達を睨みながら一歩、また一歩と前に出た。捕まったままのシモンズも、後ろから男に足先を引きずられて前に出る。

「……ほげなことすただ、こぬやっこがただじゃおかんべよ」

「馬鹿な事をしたら、この男がただではすまないぞ」

「分かっている」

「あ、すいません」

「違う、そいつに言ったんだ」

 通訳していた兵士に、騎士が言った。

 ミイラ男は兵士に挟まれた道を歩きながらも、油断した様子を見せなかった。表情を隠しているからというのもあるが、視線をきびきびと四方に向けて兵士達をけん制したのである。兵士達も相手に気取られないように槍を向けるタイミングを計っていたのだが、ミイラ男の視線にこれを止められた。

 ミイラ男が兵士達の列を抜け、資料室の敷居に差し掛かる。三人の騎士とカーマンとに挟まれる、あと一歩で廊下に出る位置でミイラ男は足を止めた。シモンズの首に回した腕を更に締め上げ、シモンズの足を浮かせる。

「!貴様っ!」

 騎士達が剣にかけた手に力を込める。

「まだじゃあ。そこば動かんと、黙っていときぃ」

「まだだ、そこで動かずに」

「いや、今のは分かる」

 騎士は視線を動かずに、通訳の兵士に言った。

 更にシモンズを締め上げた男は再び一歩、先ほどよりもゆっくりと前に出た。男の右には騎士が二人、左には一人いる。ミイラ男は左へ一歩前へ出ると、すぐに二人の方へてシモンズの体を向けた。団長を盾にされた二人の騎士は仕掛け時を失い、近づかれた方の一人は間合いを取ろうと一歩下がった。その騎士がミイラ男に近づいて斬りかかるよりも、シモンズが盾にされる方が早い。

「そこば動きんぞ。こごで離すんじゃば、ひぎる意味がなきんきに」

「そこを動くな。ここで離したら、逃げる意味がないからな」

「約束が違うぞ!」

「おまんほげか?わわやーとは言うとらん、おまんらがどいたんじゃろが」

「お前は馬鹿か?俺ははいとは言ってない、お前らがどいたんだろうが」

「なんだと貴様!」

「私じゃないです、アイツが!」

「分かってる!くそっ!」

 指揮を執っていた騎士は歯噛みし、ミイラ男を睨む他なかった。ミイラ男に一番近い位置にいた騎士も手出しする機会を見つけられず、資料室から出てきた兵士達も追うに追えずに廊下で立ち尽くす。

 ミイラ男はシモンズを盾にしたまま後ろに下がり、ついに廊下を曲がって騎士達から姿を消した。

「どうします?」

「決まっているだろ!追え!」

 騎士の号令で、兵士達と騎士達が同時に駆けだした。カーマンが出遅れて、少し離れた後方から彼等を追う。

 彼等が廊下の突き当りにたどり着いた頃には、すでに二人の姿はなかった。左手に長く伸びる廊下と、上下に伸びる階段とで通路が三方に分かれている。

「くそっ、分かれろ!団長を救助だ!」

 騎士の指示にカーマンが驚いた。

「助けるのか!?」

「賊と団長は無関係です!見たでしょう!?」

 人質にされてる事を挙げられ、カーマンは返す言葉が無かった。

「わ、分かった。それでは、不審者の確保とシモンズ団長の救助を頼む」

「お任せを!散開!」

 三人の騎士がそれぞれ別の方向に向かい、兵士達が分かれて彼等を追う。ハーマンは所在無く彼等を見送ると、やがて静かになった廊下を後にした。荒事となれば、彼の出る幕はない。

 当然と言うべきか、カーマンは昨日の侵入者と先の大男が別の存在だと知っていた。敵が増えた事に焦りを感じ、自然と彼の足は速くなった。


 資料室に人の姿がなくなってしばらくした頃、リズは遮蔽の魔法を解いた。彼女の頭上にバツ印の乗せられた光の円が浮かび上がり、彼女の頭上に降りる。図形はたやすく彼女の体を通り過ぎていき、彼女の足元まで降りた直後魔法としての役目を果たし、消滅した。これでリズは誰の目からも見えるようになり、自由に移動できるようになった。それまで殺していた息を吐き、肩をほぐす。

「まったく、雑な手を使うんだから」

 敗れたマントの端を見ながら、彼女は呟いた。

 ミイラ男の正体はマークだったのである。

 素性を隠すために鎧を脱ぎ、リズのマントの端を破ってそれで顔を隠す。あとはシモンズに人質を演じてもらえば、侵入者を演じ且つシモンズを無関係な被害者と見せかける事ができた。

 リズに対しては、一目で魔女と分かる風体のせいで人質とするには説得力が足りない。なので一人だけ隠れて、今のように人けのない時期を待って抜け出す算段を立てたのだった。念のために遮蔽の魔法で姿を隠して一部始終を見守っていたリズは今、開放感からん、と背筋を伸ばした。

 マークの取ったこの手段で、リズは彼について一つ知る事が出来た。

「普段は訛りを抑えてたのね。結構回りに気を使う性質とは思ってたけど……」

 一人呟くと、彼女は資料室を出ようと決めた。これ以上ここに長居は危険だ。シモンズの無事を確認できただけでも良しとし、微笑み山へ向かおうと彼女は人差し指を立てた。魔法を使おうと指先に光を灯し、円を描こうとする。円を描いた後に描き足す記号をどうするべきか考えていると、描きかけていた円の弧が揺らぎ始めた。

 こんな事は、普通ない。

 リズが異変に気付いて手を止めた。描きかけの円はそのまま、煙の向こうに隠れたように揺らめいて消滅した。

 彼女はこの現象を知っていた。

「打消しの魔法……!?何で?」

「決まってるでしょ」

 リズは咄嗟に声のした方を見た。開け放されていた資料室の扉の陰から、セラが現れた。続いて、数人の兵士たちが彼女の背後に現れる。

「げ、いたの?」

「張ってたのよ。あなたの狙いが私の目論見なら、また盗み聞きのために戻ってくると思ってね」

「……ずいぶんあたしにお熱ね」

「嫌でも気にしちゃうの。当然でしょ、邪魔者なんだから」

 兵士達が槍先をリズに向ける。どの顔も、少し前には見なかった顔だ。マークを追いかけている兵士達とは違う。

 リズは再び指を立てた。再び円を描こうと指先に光を灯すが、それもすぐに煙のようなものでぼやけて消える。リズは目を疑ったが、すぐに眉根をしかめてセラを睨んだ。

「あなた、まさか」

「そうよ。少し前から打消しの魔法を使っているの。あなたみたいに呪文のいらない一流魔女じゃないからね、下準備が欠かせないのよ」

 言い終わるのを合図に、兵士達が資料室になだれ込んだ。瞬く間に訓練された動きでリズを包囲し、揃って槍を彼女に向けた。

 リズの魔法は円を描かなければ意味をなさない。どんな図形を描こうがすぐに消える今、リズは魔法が使えないも同然だった。そして武装した兵士達に囲まれ、完全に逃げ場はない。

「あらやだ、詰んでる?」

 自問した後、リズは両手を上げた。



今回、粗があるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。

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