ぬいぐるみの虚構
五時を知らせる夕焼けこやけのテーマがノイズと共に響き渡る・・・。
学校が終わり帰宅の途中、いつもの帰り道を僕は歩いていた。
通り道の途中で、山の端を無理に切り抜いたような狭い道がある。両端は崖になっていて、ほぼ半分以上が土砂に埋もれた細い道路だ。大雨や台風などの影響で土砂崩れが起きるかもしれないので、本当なら子供は通ってはいけないことになっている。だから、そこは通学路ではないのだ。けれど、その道のが早いので、いつも内緒で使っていた。
赤く染まる夕日を、髪の毛のような木々の葉が遮り、その道はいつもジメジメとして、さらには薄暗くなっているせいでちょっと不気味だ。今にも倒れてしまいそうな柳の木が、崖の上から斜めに生えている。根がちょろっと見えていて、もう少し周りの土が削がれたら崩れおちてしまうだろう。そうしたら、この道は完全に塞がってしまう。町内会や先生は危ないと役所に言っているのだけれど、まだ何の対応もしてはくれていない。
早くその道を抜けようと歩みを早める。と、僕の耳に何か聞き慣れない音が聞こえた。
「ミャー」
そう。それは猫の・・・それも子猫の鳴き声だった。
辺りを見回すと、柳の木のちょうど真下・・・崩れかかった壁にピタリとくっつけるように置いてあるミカンイラストの描かれた段ボールを見つけた。昨日まではなかったものだ。
気づいてしまった以上、中が気になる。僕は我慢できなくなり、その段ボールのほうに近づいて、その中をこっそりと覗き見てみた。
「ニャーン」
か細い声で鳴いているのは、やはり子猫だった。ドングリみたいなクリクリした瞳で、やっと見つけてもらえた喜びにゴロゴロと喉の奥を鳴らしている。
「・・・お前、捨てられたの?」
僕がランドセルを背負い直しながら尋ねると、子猫はそうだと言わんばかりにもう一声鳴いた。
「・・・でも、お母さんが猫は嫌いだから」
飼ってあげたい・・・そんな思いが浮かんだけれど、あのお母さんが飼っていいと言う事なんてありえない。猫や犬はもちろん、亀や金魚といった類の生き物までダメなのだ。
小学生に入ってからの五年間、僕も普通にペットを飼いたいと何度かねだったことがあったが、一度として交渉が成功した試しがない。
「ニャーン」
子猫は切なそうに鳴いた・・・ように僕には聞こえた。まるで僕を責めているみたいに聞こえるのだ。
「・・・わかったよ。飼い主、僕が探してやるから」
僕が飼えなくても、誰かが飼ってくれるかもしれない・・・そういう人を探す手伝いは出来るはずだ。
手の平にスッポリと収まってしまう猫を抱いて、家に向かって再び歩き出した・・・・・・。
家に戻ると、車がなかったので、まだお父さんは帰ってきてないようだった。中学生の兄ちゃんもまだ部活動で帰宅していないだろう。となると家にいるのはお母さんだけになる。
忍び足で駐車場を抜け、いつも入る玄関ではなく、家の裏に回っていく。そして、縁の下に隠してある、お父さんのクーラーボックスを引っ張り出した。休日に、お母さんにばれないよう釣りに出かける時のためにここに隠してあるのだ。
中から仕掛けやルアーを引き抜いて、僕はランドセルのなかから、使わないプリント用紙を出して、ボックスの中に敷き詰めた。即席の猫の部屋だ。段ボールよりはたぶん温かいだろう。後でタオルか何かをもってきてやればいい。
「・・・ニャー」
子猫は不満そうに鳴いたが、僕がちょっと怖い顔をすると、仕方がないかという風にボックスに収まる。
「後でミルクもってきてやるから。大きな声じゃ鳴くんじゃないぞ」
僕がそう言うと、解ったという返事の代わりか小さく鳴く。なかなか賢い子猫だと思う。
「なぁにー? 帰ってきてるの?」
上からお母さんの声がした。僕はビクッと飛び跳ねて、縁台に頭をしたたかにぶつける。星が目から飛び出るかと思うほど痛かったけれども、それを我慢して、慌てて縁台から頭を抜いた。
「・・・なにをしてるの? ただいまも言わないで」
「あ。いや・・・。別に」
「変な子ね。・・・おやつのプリンがあるから、ちゃんと手を洗ってうがいをしてきなさい」
お母さんはチラッと縁台を見やったけれど、特にそれ以上を追求するでもなくそう言って立ち去った。僕はホウッと溜息をつく。お母さんにもし見つかったとすれば、子猫の命は・・・たぶん、ない。
夜。兄ちゃんもお父さんも帰ってくる。
夕食のカレーを食べ終えると、兄ちゃんは二階の自分の部屋へ行こうと立ち上がり、お父さんは二本目のビールをあけて居間で野球観戦だ。お母さんは洗い物を始めた。
「なあ、お前のやってたゲーム借りるぜ。どうせ、今日はもうやらないだろ?」
兄ちゃんは二階に行く途中で振り返ってそう言う。
「嫌だよ。兄ちゃん。この前、僕のセーブデータ間違えて消してたじゃんか」
僕が抗議すると、兄ちゃんは拳を振り上げて威嚇するマネをした。
「今度は大丈夫だよ! 生意気いうと殴るぞ!」
僕は唇を尖らすが、こうなった兄ちゃんは僕の言うことなんて聞かない。きっと嫌だと言っても、僕の机からカセットを取り出して勝手にやりはじめるんだろう。
諦めて何も言わないでいると、兄ちゃんは満足そうに笑ってそのまま行ってしまった。
「・・・宿題はやったのか?」
ビールを飲みながら、赤ら顔のお父さんが言う。
「これから・・・」
僕が答えると、お父さんは「そうか」と言ってコクリと頷いた。
「・・・宿題は夕飯を食べる前にやる約束でしょ」
台所から、お母さんの声がする。地獄耳だ。
宿題の話を持ち出したお父さんをちょっと恨むけれど、お父さんは軽く舌を出しただけで、また野球の観戦に戻った。ちょうどホームランを打ったみたいで、お父さんが身を起こして「おお!」なんて言っている。
「・・・お風呂に入る前にやっちゃいなさい」
お母さんはカチャカチャ洗い物をしながら言った。
僕は子猫のことが気になって、チラッと窓の外をみたけれど、今日はそれほど寒くはないし、さっきミルクをやったから、もしかしたらもう寝ているかもしれないと思った。
返事をしない僕を、お母さんがジロッと睨み付ける。これ以上、怒らせるのはよくない。僕はそそくさと、二階の自室へと戻っていった・・・。
廊下で、兄ちゃんの部屋の前を通ると、ゲームのBGMが聞こえてくる。やっぱり僕の机から、ゲーム機本体と一緒に取ってもっていったんだ。引き出しの奥に隠してあったけれど、目ざとい兄が見つけないはずがない。
兄ちゃんの部屋には、新型のゲーム機があるというのに。そして、それには僕は滅多に触らせてもらえないというのに・・・。ときたま、僕が古いゲームをやっていると、懐かしくなってそれを持っていってしまうのだ。
僕は小さく溜息をついて、自分の部屋に入った。もちろん、お母さんの言うとおりに宿題をするつもりなんてない。僕はすぐにインターネットに繋げようと、机の上にあるパソコンの電源を入れた。
「・・・・・・子猫、ほしいかたいませんか、と」
僕は掲示板にそう書き込む。これですぐに返事がくるはずだ。インターネットは便利で、一瞬で世界中の人に子猫の情報が行き渡る。案の定、すぐに返事のメールが来た。
『子猫。欲しいです』
良かった。思ったより、すぐに飼い主が見つかりそうだった。
『じゃあ、あげます。明日、あの崖の間の細い道のところへ来て下さい』
『はい。わかりました』
これでOKだった。僕は安心してパソコンの電源を落とす。
せっかく拾った子猫を渡すのはちょっと複雑な気分だったけれど、僕はとても安心した。こういう、普段とは違うことが起きるととても疲れるものだ・・・。
僕は疲れきって、その日はそのまま寝てしまった・・・・・・。
翌日。寝坊したお父さんが慌てて起きてくる。
「いかん、今日は朝一で重要な会議があるんだった。半年に一回ぐらいしか顔を出さない会長も来られる! 絶対に遅刻できん!」
そんな事を言いながら、ご飯も食べずに、ネクタイを締めながら走って出て行ってしまう。
「・・・お父さんったら。それなら目覚ましかけるなり、私に言っておくなりすればいいのに。せっかく用意した朝食ムダになっちゃうわ」
お母さんは溜息をついて、肩をすくめた。
「お父さんは、ハンタークエストだと、武器や防具を忘れて洞窟に行っちゃうタイプだな」
ゲームオタクの兄ちゃんがクスリと笑いながら言う。ハンタークエストというのは、昨日、僕の部屋から持っていったゲームのことだ。
僕が何のことかと兄ちゃんの顔をみやると、兄ちゃんは居間の隅にかかっているお父さんの背広を指さした。
「あ・・・」
お父さんが玄関を開けて猛烈な勢いで入ってくる。そして、けつまずきながら、背広をひったくるようにして持っていってしまった。背広を預かっていたハンガーが、壁掛けをグルンと一回転したかと思うと、勢い余ってガタッと下に落ちる。そんなことにもお構いなしで、お父さんは走っていってしまった。
そして、車のエンジンがかかる音がして、これまた猛烈な勢いでアクセルを吹かして駐車場を飛び出す音がする。プァーンとクラクションを鳴らすのが、ちょっとしばらくしてから遠くで聞こえた・・・。
「・・・あー。慌ただしいこと。イヤだイヤだ」
お母さんは額を抑えて、持っていた牛乳を一気飲みした・・・・・・。
子猫をクーラーボックスごと花壇の中に隠し、僕はそのまま教室に向かう。
廊下では潔癖性の学級委員長が、ゴシゴシと水道で手を洗っていた。僕に気づくと、ポケットからハンケチで丁寧に手を拭いて振り返る。
「おはよう」
「おはよう。今日は漢字の小テストだね。自信の程は?」
坊ちゃん刈りの学級委員長が、カチャリと眼鏡を上げながら言う。
僕は朝からうんざりした。この学級委員長とは、何かと勉強のことで張り合うのだ。塾も行っていない僕の学力が、学年一である彼とそんなに変わらないのが悔しいらしい。あと僕が運動ができるのも気にいらないらしい。学級委員長は運動音痴なのだ。だから、勉強だけは負けられないというのもあるんだろうけど。正直、相手にするのも面倒だ。
「・・・それなりに」
僕がそう言うと、学級委員長はフンと鼻を鳴らして行ってしまった。どうせ、何を言っても同じように機嫌が悪くなるだけなんだ。
教室に入って、チャイムが鳴る。席についていると、先生がやってきて教壇の前に立った。
「おはよう。出席を取る前に、今日は転校生を・・・」
転校生? 僕はいきなりの話に驚いて、目を瞬いた。
でも、先生はその先を言わないで口を噤んでしまっている。その次の言葉が聞きたい。転校生を・・・どうしたというんだろうか? だけど、先生は教壇に手を当てたままで硬直してしまっている。
「先生?」
僕が恐る恐る声をかける。けど、先生は瞬き一つせずに動かない。どうしたんだろうか?
「・・・よし。出席をとる! 元気に返事しろよな!」
先生がいきなり動き出したかと思うと、そんなことを言い出す。え? でも、確か転校生が・・・どうとか言ったような。
僕は自分の聞き違いには思えず、周囲を見回した。でも、皆なんの反応も示さない。先生に出席をとられて返事をしていく。まるで転校生の話はなかったかのようだった・・・・・・。
五時を知らせる夕焼けこやけのテーマがノイズと共に響き渡る・・・。
学校が終わり帰宅の途中、いつもの帰り道を僕は歩いていた。いつもと違うのは、子猫が入ったクーラーボックスを担いでいることだ。
僕は崖の間の、あの子猫がいた場所近くにクーラーボックスを置いた。蓋は半開きにしてあるんで呼吸はできる。でも、子猫の力じゃあけられない。僕が蓋を開いてやると、子猫は差し込んでくる夕日が眩しくて目を瞑り、ちょっと戸惑ったように鳴いた。
「ニャー」
「ごめんよ。閉じこめて。でも・・・もう、お前を飼ってくれる人がくるからな」
僕は子猫の頭を撫でる。子猫は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「・・・変なヤツ。猫って普通そんなことするか?」
僕は子猫をみやりながら言う。そういえば、昨日からなんだか変だと思っていたんだ。泣き声も「ニャー」だけじゃなくて色々だし、自分の手を舐めてみたり、尻尾をのばして欠伸をしたりもする。僕はこんな感情多彩な猫を初めて見た。
「・・・・・・はぁ、はぁ、はぁ」
荒い息づかいが聞こえて、僕はハッとして振り返った。
「もしかして、メールくれた人ですか」
「あ、あの・・・子猫」
それは大人のお姉さんだった。髪の毛は長く、良い香りがする。でも、なんだか慌てている様子だった。格好は室内着のような着飾らない感じだったし、なぜか靴も履いていない。せっかく綺麗なのにもったいないと僕は思う。
僕の方には目も向けず、子猫の鳴き声を聞くと、お姉さんは慌てたようにしてクーラーボックスに掴みかかる。僕はちょっと驚いて後ずさった。
「ああ。良かった! シロ! ああ、どんなに心配したことか! 私がここに連れてきたばかりに・・・」
「ミャー!」
お姉さんは、子猫・・・シロを抱き上げて頬ずりする。
「あれ? この子猫・・・飼ってた人なの?」
僕が首を傾げて尋ねると、お姉さんは眉を寄せながら僕の顔を見やる。
「あ・・・あの。この子猫で・・・何か、わかった?」
お姉さんは、何かに怯えるようにして僕に尋ねる。僕は首を傾げた。
「何かわかった? どういうこと? 捨て猫・・・じゃないの?」
この子猫を捨てた理由のことだろうか? そういう意味で尋ねたんだけれども、お姉さんは目を忙しなく左右に動かしている。何を言うべきか悩んでいるみたいだった。
「お姉さん?」
僕が声をかけると、お姉さんはハッとした顔をして僕の顔をマジマジと見やった。
「・・・お姉さん?」
お姉さんはビックリしたような顔をする。そして、お姉さんは自分の姿を見やった。確かに、ちょっと人前にでれる格好じゃない。お姉さんは明らかに取り乱したみたいだった。
「あ! 私・・・なんてこと! これじゃ・・・このままでは来るはずじゃ・・・」
お姉さんの慌てぶりは尋常じゃなかったけれど、やがて唇に手を当てて考えるようにして、落ち着きを徐々に取り戻す。そして、大きく息を吸い込んでから一つコクリと頷いた。何かを決心したかのように僕には見えた。
「・・・ねえ。坊や。私は、いまこの子猫を受け取ることはできないの。同棲している彼氏に相談してみてからでいい?」
お姉さんは髪を掻き上げながら言う。あれ? さっきシロって・・・。
「・・・ええ」
飼い主じゃないのかと尋ねたかったけれど、真剣なお姉さんの目がそれを許さない。僕は頷くしかできなかった。
「うん。じゃあ・・・また。メールするわね」
「はい。わかりました」
そう言って、お姉さんはその場からいなくなってしまった。僕の手にシロを残したままで・・・。
家に戻ると、車がなかったので、まだお父さんは帰ってきてないようだった。中学生の兄ちゃんもまだ部活動で帰宅していないだろう。となると家にいるのはお母さんだけだ。
家の裏に回って、縁の下に猫の入ったクーラーボックスを隠した。
「なぁにー? 帰ってきてるの?」
上からお母さんの声がした。僕はビクッと飛び跳ねて、縁台に頭をぶつける。そして、慌てて縁台から頭を抜いた。
「・・・なにをしてるの? ただいまも言わないで」
「あ。いや・・・。別に」
「変な子ね。・・・おやつのプリンがあるから、ちゃんと手を洗ってうがいをしてきなさい」
夜。兄ちゃんもお父さんも帰ってくる。
夕食のカレーを食べ終えると、兄ちゃんは二階の自分の部屋へ、お父さんは二本目のビールをあけて居間で野球観戦。お母さんは洗い物を始めた。
「なあ、お前のやってたゲーム借りるぜ。どうせ、今日はもうやらないだろ?」
「嫌だよ。兄ちゃん。この前、僕のセーブデータ間違えて消してたじゃんか」
「今度は大丈夫だよ! 生意気いうと殴るぞ!」
どうせ、僕の机からカセットを取り出して勝手にやりはじめるんだろう。
「・・・宿題はやったのか?」
「これから・・・」
「そうか」
「・・・宿題は夕飯を食べる前にやる約束でしょ」
「おお!」
どうやらホームランが入ったらしい。お父さんが声をあげる。
「・・・お風呂に入る前にやっちゃいなさい」
お母さんに言われ、僕はそそくさと、二階の自室へと戻っていった・・・。
僕は自分の部屋でパソコンを立ち上げる。もしかしたら、あのお姉さんからメールがきているかもしれない。
「・・・あれ? 違う人だ」
どうしてか、僕はあのお姉さんとは違う人からメールがきたのだと感じた。うん。それはきっと間違いないんだろう。そういうことになっているんだろう。
『子猫。欲しいです』
文章はそのままだった。でも、これはあのお姉さんじゃない。
『じゃあ、あげます。明日、あの崖の間の細い道のところへ来て下さい』
『はい。わかりました』
これでOKだ。僕は安心してパソコンの電源を落とす。
僕は疲れきって、その日はそのまま寝てしまった・・・・・・。
翌日。寝坊したお父さんが慌てて起きてくる。
「いかん、今日は朝一で重要な会議があるんだった。半年に一回ぐらいしか顔を出さない会長も来られる! 絶対に遅刻できん!」
「・・・お父さんったら。それなら目覚ましかけるなり、私に言っておくなりすればいいのに。せっかく用意した朝食ムダになっちゃうわ」
「お父さんは、ハンタークエストだと、武器や防具を忘れて洞窟に行っちゃうタイプだな」
兄ちゃんは居間の隅にかかっているお父さんの背広を指さした。
「あ・・・」
お父さんが玄関を開けて猛烈な勢いで入ってくる。そして、けつまずきながら、背広をひったくるようにして持って行ってしまった。
エンジンの音がして、猛烈な勢いで踏むアクセル音。駐車場を飛び出していく。プァーンという音が聞こえた・・・。
「・・・あー。慌ただしいこと。イヤだイヤだ」
子猫を花壇の中に隠し、僕は教室に向かう。
学級委員長がゴシゴシと水道で手を洗っている。
「おはよう」
「おはよう。今日は漢字の小テストだね。自信の程は?」
「・・・それなりに」
「おはよう。出席を取る前に、今日は転校生を・・・」
「先生?」
「・・・よし。出席をとる! 元気に返事しろよな!」
五時を知らせる夕焼けこやけのテーマがノイズと共に響き渡る・・・。
僕はあの道でシロと遊んでいた。そうしていると、あの決められた時間に背中に気配を感じる。
「もしかして、メールくれた人?」
「うん。そう」
それは・・・僕と同じぐらいの歳の女の子だった。なんでかとっても懐かしい気がする。とても可愛い感じのする子だ
「・・・シロ。おいで」
女の子が言うと、シロは僕の手をスルリと抜けて行ってしまった。女の子の足にまとわりついて、甘えたように鳴く。
「・・・シロ。預かってくれていたんだ。ありがとう」
僕の顔をジッと見て言う。なんだろう。なんで、そんな悲しい目をしているんだろうか。
「うん。本当は・・・違うんだろうけど」
なぜか解らないけれど、僕はそう言った。女の子はクスリと寂しそうに笑う。
「そう・・・だね。本当は、シロじゃなかった。この時に、私が持っていたのはこっち」
女の子は背中から、猫のぬいぐるみを取り出す。それは・・・ちょっとだけ、ほんのちょっとだけシロに似ていた。
「今日、転校してきて。イジメられて・・・これをここに捨てられちゃった」
女の子は、ミカンの段ボールを指さす。そうだ。ここに・・・猫のぬいぐるみはあったんだ。僕はコクリと頷いて、そのぬいぐるみを受け取る。
「じゃあ・・・これが・・・正解なんだね」
僕がそう言うと、女の子が、髪を掻き上げながら、僕の口に・・・口づけした。いきなりのことで僕は目を丸くする。
「・・・これも、なかったこと」
そうだ。これも・・・なかったことだ。
家に戻ると、車がなかったので、まだお父さんは帰ってきてないようだった。中学生の兄ちゃんもまだ部活動で帰宅していないだろう。となると家にいるのはお母さんだけになる。
忍び足で駐車場を抜け、いつも入る玄関ではなく、家の裏に回っていく。そして、縁の下に隠してある、お父さんのクーラーボックスを引っ張り出した。休日に、お母さんにばれないよう釣りに出かける時のためにここに隠してあるのだ。
中から仕掛けやルアーを引き抜いて、僕はぬいぐるみをそこに隠した。男の僕がこんなものを持っていたら、兄ちゃんにからかわれるか、お母さんに呆れられるかするからだ。隠しておかなければいけない。
「なぁにー? 帰ってきてるの?」
上からお母さんの声がした。僕はビクッと飛び跳ねて、縁台に頭をしたたかにぶつける。星が目から飛び出るかと思うほど痛かったけれども、それを我慢して、慌てて縁台から頭を抜いた。
「・・・なにをしてるの? ただいまも言わないで」
「あ。いや・・・。別に」
「変な子ね。・・・おやつのプリンがあるから、ちゃんと手を洗ってうがいをしてきなさい」
お母さんはチラッと縁台を見やったけれど、特にそれ以上を追求するでもなくそう言って立ち去った。僕はホウッと溜息をつく。お母さんにもし見つかったとすれば、ぬいぐるみのこと・・・かなり追求される。
カレーを食べ、兄ちゃんにゲームをとられ、お母さんに宿題をするよう言われ・・・僕は部屋に戻る。
僕の部屋にはパソコンはもちろん、インターネットなんてなかった。それはそうだ。まだこの世界には作られていないはずのものだから・・・。これが本当。
僕はこのときどうしていたんだろう。そうだ。朝の転校生・・・のことを考えていたんだ。
小学五年生にもなって、猫のぬいぐるみなんて学校に持ってきていたから、冷やかされて、取り上げられていた。その取り上げられていた、ぬいぐるみを・・・たまたま僕は見つけた。
「・・・明日、返してあげよう」
そう僕は呟いて・・・眠った。
翌朝。お父さんが慌ただしく出て行った。僕も兄ちゃんも学校に向かう。
と、僕は途中で道を引き返した。いつもの通学路とは逆の方向に向かう。
「・・・やっぱりね」
道を折れ曲がったところで、お父さんの車があった。そして、兄ちゃんもいた。
お父さんの車はもちろん停止しているし、その中に乗っているお父さんも止まっている。慌てている様子の一瞬だけを現したかのようだった。兄ちゃんもその側で、歩いている途中で止まっていた。さっき、僕と別れた時とまったく同じ顔と体勢だ。
「・・・これで、夜になったらそのまま戻ってくるんだ。会社にも中学校にも行く必要なんてないんだ。その“場面はいらない”んだから」
僕はクスッと笑った。そうだ・・・。そうだったんだ。
学校に行っても、学級委員長が手を洗っていて・・・小テストの話をするんだろう。そして、先生が転校生の紹介をするんだろう。きっと、転校生は来ているはずだ。“正常に戻った”んだから。そして、僕はあの道で・・・猫のぬいぐるみを拾うことになる。
でも、僕は・・・学校に向かう気になれず、そのままあの崖の道を通って、少し行ってから引き返した。
それは果たして正解だった。すぐに夕日になる。帰り道のような状態になる。もうこの過程に意味がないのだから当然だ。
「・・・・・・ごめんなさい」
ぬいぐるみのいなくなった段ボールをジーッと見ていた僕は、背中に声をかけられて振り返る。そこには、あのお姉さんがいた。シロを抱きかかえて。
「シロが逃げ出したせいで、プログラムがおかしくなってしまったの。だから、直接に・・・ネット環境を使って呼びかけてもらうしかなかった」
「僕だけが・・・自意識をもっているから?」
僕がそう言うと、お姉さんはコクリと頷いた。心底申し訳なさそうな顔をして。
「初恋の・・・人だった・・・から」
髪をかきあげながらいうお姉さんを見て・・・それが、あの転校してきた女の子なんだと解る。
「そう・・・。僕は・・・“思い出”だったんだね」
なんだか、それは当然なんだけれど・・・とても悲しい気がして、僕は夕日の空を見上げた。どうせだったら、僕も、お父さんやお母さんや先生や学級委員長みたいに・・・決められたことだけをしていたかった。
僕だけが・・・僕という人格を与えられていた。それがどういうことなのか解らないけれど、それが実在のシロと関われたことなんだろうと思う。
「・・・“本当の僕”には、好きになってもらえたの?」
さっきから疑問に思っていた質問を投げかけると、お姉さんは首を横に振る。
「だから・・・もう一度、やり直したかった。もう一度」
それで、何度も最初に出会う場面を繰り返していたのか・・・。
お姉さんに僕は同情する。そう。ぬいぐるみは返してあげたかった・・・でも、それは同情からだった。それ以上の感情は全くなかった。それ以上の気持ちなんてこれっぽっちもなかった。
お姉さんが僕に近づいてくる。涙で目を腫らしていた。シロもなんだか不安気だ。小さく呻くように鳴いている。
「・・・キスしてもいい?」
お姉さんが懇願するように言う。僕は首を横に振った。
「・・・“虚構の君”だったら。でも、今の君はシロと同じく“実在”だよ。それは僕の世界のものじゃない」
僕がそう言うと、お姉さんはガクリと膝を付いて、その場で泣き崩れた・・・・・・。
『嫌だよ。兄ちゃん。この前、僕のセーブデータ間違えて消してたじゃんか』
虚構の世界は消える。今度消えるのは・・・僕自身の番だった・・・・・・。
実はこれは私が考えた話じゃなく、昨日、実際に夢に見た話なんです。ですから構成や話の脈絡が理不尽すぎますが、あえて夢に見たままに書いた次第です。あまりにひどいところは無理やりでも解釈できるようにしてますが・・・ちょっと苦しいですね。ツッコミどころは満載です。
でも、この小説のちょっとした違和感や不気味、不穏さなどを共感して頂ければ嬉しいですね。