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NoVeiL  作者: 天窪 雪路
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マルボーロミディアム

アユミはルーズにパーマをかけたショートヘアの似合う魅力的な女性だった。細見だけれど、芯がしっかりしていたから、見た目に反してある種の強さを感じた。そういう印象に輪をかけるように、会話の相手に余計な気を遣わず、色々とよく喋った。

アユミは僕の隣に腰かけ、膝をかかえて座った。そして、そのまま唐突に話し始めた。


「あれは私が中学三年生の時ね。卒業を控えた中学生活最後の学園祭だったわ。私はほら、今よりももっとかわいらしい顔をしていたから、今はこんな感じでも当時は結構モテたのよ。特に女の子にね。で、学園祭でやる演劇のジュリエット役の候補に選ばれたのよ。クラスメートに推されているうちに、私もすっかりその気になっちゃって。誰よりも演劇に夢中になっていたわ。きっと。

けれど、ジュリエットを演じたい子は私の他にも何人かいて。それがまた奇麗な子たちばかりなのよ。ひと学年に一人はいるじゃない?誰もが認めるマドンナのような子。そんな子もいるし、学校で一番頭の良い子も。それでね、オーディションをすることになったの。簡単よ。『ねえ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの?』それだけ。たったそれだけのセリフで何が分かるのかしらね。けれど、私はきっと何十回と練習したわ。頭の中での練習も含めたら、きっと何百回も。何て言うのかな、上手くセリフが言える自信というよりも、誰よりも上手くセリフを言ってやるっていうそういう意気込みだけは身についてきた頃に、オーディション当日になったの。ライバルたちが次々に演技をするのを見ていたけれど、私の中ではそれはもう感想どころじゃないわよ。心ここにあらず、というのはまさにあれね。で、いざ私の順番。ステージに出ようとしたその時、私の次に演技を控えた子が私を呼び止めたの。『待って』って。何かと思ったわ。『直してあげるから、ちょっと待って』って」


アユミは特に僕の返答を期待していなかったようで、そこまで一度も問いかけることもなく話した。

僕も僕で、何の前触れもなく始まった突然の彼女の思い出話に対して何と言って良いか分からず、タイミングを見て時折首を縦に振りながら耳を傾けていた。アユミはそれで満足そうだった。僕の相槌の打ち方はアユミに話を続けさせた。


「どうして呼び止められたのかと思ったら、私の衣装がめくれていたの。もう、下着もお腹も丸見えよ。緊張し過ぎて、そういうのにも気づかなかったのね。その子は私が選考の場に臨む前に教えてくれたわ。なんだか拍子抜けよ。おかげで思い切った演技が出来たわ。まあ、結果はダメだったけれど。

私、それ以来、その子ととても仲の良い友人同士になったわ。卒業後は進学先が遠すぎて、今では年賀状を交換するくらいしか連絡を取り合っていないけれど。それにしても、彼女のような人になりたいって本気で思うの。自分のことは確かにかわいいけれど、正しいことを知りながらそれを偽って、自分に不正直な生き方はしたくないって。私が彼女の立場だったらどうしただろう。自分が欲しいと思っているものを別の人も欲しがっていて、その別の人は今まさにヘマをしようとしている。見て見ぬフリをして優位に立つことだって出来るわ。何もしないだけで、自分が優位に立てるのよ。ねえ、あなたならどうする?」


やはり突然の問いかけにハッとしたが、僕はあまり正常ではない頭を何とか働かせてアユミの質問にこう答えた。


「僕だったら、誰かがそうするのを待ちながらじっと黙っていて、結局誰もそうせずにいたことに身勝手な罪悪感を覚えるかも知れない。そうするのがせいぜいのところだろうと思う」


僕が答えると、それまで抱えていた膝を見つめながら話をしていたアユミはこちらを見た。

僕には少し長く感じられたが、多分何秒かそこらの時間だ。そしてその瞬間の後にアユミは笑って言った。


「キミって正直な人ね。女の子と二人きりでいるんだから、普通なら『僕も色々な葛藤があるけれど、彼女と同じように手を貸すよ』くらい気取ってもいいんじゃないの?」


アユミのそういうオープンな話し方にも驚きがあった。自分の思っていることを相手によらず堂々と話すことができるタイプの人なのだろう。が、それよりも誰かに、ましてや女の子に「キミ」と言われることが僕にはとても意外に感じられた。これまでの僕の人生を振り返ってみても、アユミほど率直な印象を抱かせ、そして裏表のなさそうな人間と出会ったことはない。それは一方で、話し相手が僕でなくても同じように親しく話しかけるタイプであるということも意味するだろうから、そういう意味では身勝手ながら切なさに似た感情を抱いた。万が一アユミのような女の子と付き合うことになれば、僕は彼女が誰かと話をするたびにいちいち嫉妬してしまうかも知れない。そんな感情を抱いたということだ。


「残念だけど僕は『僕も色々な葛藤があるけれど、彼女と同じように手を貸すよ』なんて言えるような人種ではないよ。それにそんな喋り方じゃないよ、僕は」


「キミって本当に正直ね。でも、キミの喋り方って独特だと思うわよ。ちょっと口をすぼめて喋るの。『それにそんな喋り方じゃないよ、僕は』って」


僕はポケットの中からつぶれたマルボーロミディアムのハードケースを取り出し、少しよれたタバコを親指と人差し指とで真っ直ぐに直すと、それを咥えて火を点けた。その後は僕がアユミに対して何かを喋ったと思うが(アユミに何か喋ってと言われたのだったと思う)、あまり覚えていないことを考えると大した話をしなかったのかも知れない。そしてどんな別れ方をしたのかも曖昧模糊としているが、僕は誰もが眠りについた「ムショ」へと向かって一人歩いていた。

腕時計を見るとずいぶんと時間が経っていた。さんざんに酔っぱらって騒いでいた学生たちも既に引き上げてしまっていて、辺りは本物の静寂で包まれていた。ふと目をやると、足下の雑草だけは先程よりもずっと生き生きとして見えた。

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