弟
背の高い壁でぐるりと囲まれた町。囲まれたと書いたが、そこに住む町人にとってはそういう表現は適切ではないかも知れない。町人はこの町で生まれ、この町で育ち、この町で結婚をし、この町で子を産み、この町で死んでいく。それが当たり前であり、そうした必然とともに町を囲う壁が存在した。何年か前、中学校の課題で国勢調査か何かの資料を見たことがあったが、それによるとこの町に住む人々は全部で1万人であり、ここ40年の間、ほとんど増減なく1万人の人々が住んでいるらしい。40年間で起こった変化があるとすれば、約20年前に総人口の性別の分布において女性の割合が男性のそれを上回ったということと、つい最近、近所で有名な猫のスノウが死んだことくらいだ。それ以外の町の出来事はどれも似たような出来事の繰り返しであり、そしてそういううんざりするような日常は、これから先もきっと延々と繰り返されていくのだろう。それが僕の住む町。誰もがそれが人生であると信じ、誰もがそれ以外の人生など存在し得ないと疑いもしなかった。
けれど僕はそんな町から今まさに飛びだそうとしていた。
別に両親から虐待を受けていたとか、地元でいじめを経験したとか、その他においても大きな不満があったという訳ではない。それでも僕がわざわざ実家から1000キロメートルも離れた大学に好んで進学した理由は、単に親元を離れて自由にやりたかったからだ。それがなければ、似たようなレベルの、似たようなどうでもいい学部の、似たような適当な学科を選んで親元からそう遠くはない似たような大学に進んだって良かったのだ。その方が便利なことも多い。けれど、僕はどうしても独り暮らしという自由が欲しかった。
両親はそれについて、何一つ反対をしなかった。長男であるという時代錯誤的な宿命感からか、僕にはそれが意外であった。「どうしてわざわざそんなに遠くの大学に行くんだ。近くにだって似たような大学はあるんだぞ」「お前は長男なんだ。少しでも近くにいて欲しい」そんな意見の一つや二つ、出てくるものだと思っていた。しかし両親から出てきたのは祝福の言葉だった。「合格おめでとう。良かったな」「大学に行ってもがんばりなさい」もっとも、万が一にもそういう種類の意見が出てきたところで、僕は聞く耳を持たなかったと思うが、反対意見がまるで出ないというのも何だか拍子抜けであった。
しかし、考えてみればそれは当然のことであった。僕には弟がいる。それも僕なんかよりもずっと優秀な種類の弟だ。僕が学生生活の一人暮らしをスタートさせようとしていた頃に一年後に迫った東京の有名私立高校入試に向けて受験勉強に励んでいる中学三年生であった弟は僕よりもずっと両親の関心の対象であった。
「拓実、勉強の調子はどうだ?母さんからまた模試の結果が良かったと聞いたぞ」
「うん、順調だよ。心配はいらないよ」
寡黙な父も、弟とは二言三言、そのような会話をした。両親は弟の拓実が有名私立高校に合格すれば、そのまま国立大学の医学部にでも入れるつもりであるようだ。町の人々もこの町から有名私立高校の合格者が出るかも知れないということに大きな関心を示していたし、そして拓実が将来医者となってこの町に戻ってくることも期待した。拓実もそれを当然のように受け入れていた。何しろその受験には色々な人たちが協力の手を惜しまなかった。中学校の教師たちの何人かは拓実の受験のための特別な補講を放課後に行ってくれたし、町の大地主は拓実にそれは立派な勉強机を与えてくれたし、その他にも問題集やら文房具やらが余るほどに贈られた。そのようにして多くの人たちのバックアップを得て、拓実は一生懸命に受験勉強に励んでいたのだ。
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だから、僕のような凡人は例え長男であろうが脚光を浴びるタイプの人間ではなかったのだ。そもそも、長男だからという考えそれ自体が時代錯誤のそれであり、大切なのは弟は優秀であり、僕は凡人であるという事実であったのだ。だからといって両親の僕に対する愛情が不満足であったかというとそうではないと思うし、拓実の存在は僕にとっても自慢だった。両親から受ける愛情の兄弟間の差異なんてどうでも良かったし、もしもそこに差異があったとしたって当然の差異であろう。とにもかくにも、僕はそういう家庭で育ち、そういう家庭を離れ、親元から1000キロメートルも離れた大学へと進学したのであった。