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NoVeiL  作者: 天窪 雪路
19/21

好奇心

「さあ、そこに掛けて」


若い方の男はごく自然なジェスチャーを加えて僕に向けてそう言った。小太りな中年の男とは違い、とても話しやすそうな男だった。先程にも書いたように、若い方の男は恐らく30歳過ぎだと思うのだが、紺色のネクタイと細身のスーツとが実にしっくりと着こなされていて、実年齢よりも若々しく見えるだろうな、と思った。30歳過ぎだとは思うが、20代と言われたらそうかも知れないな、と思った。

若い方の男は僕が面接用に用意された椅子に腰掛けるのを見届けると、非常に適切な間を取ってゆっくりと話し始めた。


「まず、自己紹介をしておこう。私は田中というよ。こちらは溝口という。」


紹介された溝口という名の中年の男が田中の隣でにわかに微笑んだ。


「君も今回の求人広告を見て問い合わせをしてくれたんだね?」


田中が丁寧にそう言った。


「君もと言いますと僕の他にもずいぶんと面接を受けているんでしょうね。」


僕はやや緊張しながらも、電話の女性に対して抱いた感覚とそう性質の違わないある種の安心感を、この田中という男に対しても抱き始めつつあった。電話の女性の話し方にしても田中という男の話し方にしても、どことなく聞く者の心を捉えるそういうものがあった。


「そうだね、キミで通算6人目だよ。キミの通う大学の理工学部の学生で、それも1年生と限定しているわけだから、まずまずの関心を集めていると言えるだろうね。ところで君はどうして問い合わせをくれたのかな?」


田中はただ純粋に知りたいという理由でそれを聞いたようだった。そしてそれは僕以外の5人に対してもなされたようだった。


「はい、正直なところ、大学の夏休みにあまりにも時間があったもので、その時間を有効的に使えないかと思いまして。初めはギターでも練習して曲の一つでも弾けるようになろうかとも思ったのですが、僕の才能ではちょっと大変だなぁと思いまして。それで仕事をしようと思い立った時にこちらの求人広告を見たんです。」


「あはは、なるほどね。ある種の暇つぶしというところかな?ああ、別に嫌味ではなくてね。アルバイトというのは学生にとってそういうものでもあるからね。」


「すみません。ただ、暇つぶしをするだけでしたら他にも仕事はあったのですが、こちらの求人広告を見て、何となくこの求人は僕に向けられたものだとも思いました。僕は田中さんのおっしゃる求人資格を偶然満たしていたし、それに仕事の内容にも好奇心を覚えたんです。どちらかというと抽象的な仕事の紹介だったと思いますが。」


「それはいいね。多くの学生たちは正直に『自給の良いデスクワークだから』という理由を述べてくれたけれど、君は私たちの仕事にも関心を持ってくれたわけだ?」


「まだそこまでは。好奇心を持っただけです。そこで質問なのですが、こちらの仕事とは何をするものなのですか?『世の中の仕組みをより理解するための集計作業』とあったと思いますが。」


田中は面接が始まってから継続して爽やかで誠実な姿勢を保ち続け、やはり相変わらず両手をテーブルの上で組んだまま僕の質問に答えた。田中の隣で座っている溝口は特に言葉を発しなかった。田中が話している間に一度だけ一口水を飲んだだけだった。


「うん。それを説明するのはなかなか難しいんだ。もちろん、だからこそ君にここへ来てもらったんだけれどね。それでは君にこの仕事を紹介しよう。そしてもしもその上でこの仕事を気に行ってくれたなら、夏休みの間にこの仕事を手伝ってもらいたい。」


田中の誠実な話し方の前に異論など挟む理由はなかった。


「まず、私たちが行っている仕事はわりと大きな統計的調査を行い、それをうまい具合に集計して取りまとめるところから始まるんだ。そしてそれに基づいて世の中のうまくいっている部分はそれで良しとし、うまくいっていない部分には修正を加えようと努力するんだ。つまり、それは丁度医者が患者を診察して体の状況を色々な検査を行って把握して、どこにも異常がなければそれを健康診断とし、異常があればそれから治療を開始するのに似ていると言えるかな。私たちはそれを世の中のわりと大きな部分に対して行っている。」


「ずいぶん大きな話ですね?世の中に関わる大きな仕事なのに、僕のような大学生にアルバイトとしてそのお仕事の手伝いが務まるのでしょうか?」


「だからこそ誰にでも務まるというものではないんだよ。それであの求人広告のように対象をぐっと限定しているんだ。優秀で若い学生が何人か手伝ってくれるととても助かるんだ。」


「どうして1年生なのですか?2年生ではダメなのですか?」


田中はそこで初めてテーブルの上で組み合わせていた両手をほどいて言った。


「うん。1年生がいい。第一に時間がある。学生は学年が上がれば上がるほど学業やサークルや恋人やその他の人間関係で忙しくなるからね。第二に若ければ若いほどこの仕事に対する適正があるからなんだ。もちろん、しっかりしている人物ならば高校生だって構わないんだけど、高校生を確保するのはなかなか難しいからね。」


なるほど、と僕は思った。なぜ、僕のような人間を(もちろん、僕個人を示す意味ではなく、単純に求人資格を満たすという意味で)求めるのかについてひと通りの納得がいくと、僕はそれよりもずっとこの仕事について知ってみたくなった。どうやらこの仕事というのは怪しい類のものではなさそうだし、そればかりか何かとても真剣で真面目な目的を持っていると感じられたからだ。僕はただのアルバイトとしてその手伝いを行う学生に過ぎないが、それでもこの孤独な夏休みを充実したものにするだけの十分な理由がそこに存在する気がした。


田中という男とのそんなやり取りの後、溝口が口を開いた。


「いいんじゃないかねぇ?彼は我々の力になってくれると思うよ」


田中は溝口のその言葉を聞いてにっこりとほほ笑むと、再び両手の指と指を机の上でゆっくりと合わせながら言った。


「君を採用しよう。改めてよろしく。」

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