雪玉
当時小学五年生であった拓実は六人の同級生たちと路上で雪合戦をしていた。路上とは言ってもその日のような積雪のある日には自動車の往来もなくなり、辺り一面がすべて子どもたちの遊び場となった。青森県の東南部に位置するこの街では内陸や日本海側の都市に比べればずいぶんと控えめな降雪量であるとは言いながら、それでも寒波がやってくると膝の辺りまで雪が積もった。少年たちは皆それぞれに膝まで積っていた雪を掻き集めて雪玉をつくり、それをお互いに向けて投げ合っていた。雪合戦だ。
誰かに教わるわけではなく、雪の降る街で育った少年たちは自然と雪合戦について知っていた。日陰の場所の雪は水分が足りずに雪が固まりにくいので、少年たちは太陽の光にさらされた雪を掻き集め、両手で適度に固めるのだ。それでも固まりが悪い場合は、両手の中で雪を温める。体温が雪を温め、雪玉が固まりやすくなるのだ。
雪合戦が盛り上がる中で、悪ふざけを始めた少年がいた。その少年は雪玉をぎゅっと力いっぱいに握りしめ、手の温もりで雪玉を必要以上に湿らせ、表面を滑らかに均した。それは雪玉というよりは氷球であった。少年はその氷球を投げ始めた。他の少年たちが急いで握った雪玉とは球速が違った。急いで握られた雪玉というのは、実にやんわりとしているものだ。だから、それがぶつかったところで少年たちは大きな怪我をすることもない。そして雪玉づくりにおいてそうするのは、雪の降る街に住む子どもたちにとっては誰かに教えてもらうまでもなく常識であり、暗黙の了解であった。しかし、その少年はそういう常識を破った。雪合戦のルールを犯した。球速の増した雪玉、いや、氷球が飛んでいくのを見て、他の少年たちはすぐさま関心を示した。
「おい、お前の球速いなぁ。ようし、お前よりも強い雪玉をつくってやらぁ」
少年たちはこぞって、それは固い氷球を作り始めた。そしてその美しい球へしばし恍惚の眼差しを向け、鑑賞を終えると、いつかテレビで見たプロ野球選手の投球を懸命に思い出しながら、通りの向こう側にある一本の木を目がけて投げ始めた。球が木に当たる度に、氷球が砕ける音が響いた。木の枝や幹に積もっていた雪が落ちてきた。その様が少年たちをより興奮させた。木に当てて遊ぶのに飽きると、今度はその氷球を投げて枝を折ろうとする者がいた。少年たちはとにかく自分の作り出した雪玉の威力を確かめてみたかったのだ。しかし、それにも飽きると今度は持て余した興奮を別のものに向けて発散し始めた。人だ。少年たちはどこからか持ってきたベニヤ板やらボロボロに錆びた金属板やらを盾にして、氷球がお互いの盾に当たっては砕ける様を見て遊び始めたのだ。それはまた盾で自らを守り切れなかったならばあの握り固められた氷のような雪玉が飛んでくるスリルを味わう新しい遊びでもあった。しかし、そもそも雪合戦にはそのやり方にも暗黙のルールがあって、人の首から上は狙わないというのがそれであった。けれども、わずか十歳かそこらの少年たちにどれほどの自制が効くだろうか。事実、既に雪玉作りのルールは犯されていた。雪合戦は時間の経過とともに上昇していく少年たちの体温と比例するようにしてどんどん熱を帯びていき、やがて首から上は狙わないというルールもすっかり失われていた。拓実はヒートアップしていくこの雪合戦の危険性を感じ取り、恐ろしくなった。万が一、あの氷のような球が無防備な顔に当たりでもしたら、きっと大怪我をするに違いない。拓実にはそれが分かっていた。それで拓実は言ったのだ。
「みんな、ちょっと待ってや。そのうちに怪我をするぞぉ。雪合戦はこの辺にして、別の遊びをしようじゃぁ」
しかし、他の少年たちは「拓実は怖いんじゃぁ。意気地がないのぉ」と返事をするために一瞬間手を休めただけで、拓実を嘲りながら危険な雪合戦を続けた。拓実は泣き出したい気持ちを抑えて少年たちから少し離れたところで雪合戦が終わるのを待った。誰も怪我をすることがないようにと祈りながら。しかし、やはり怪我人が出た。木の上から落ちてきた雪に驚いてよそ見をした少年の口元に、しっかりと握り固められた氷球が命中した。氷球が人に当たった嫌な音がした。その直後、鳴き声が聞こえた。拓実も泣きたくなった。皆で少年のもとへ近寄った。口元は出血で真っ赤になっていた。血の色と少年の鳴き声で、その場は大混乱だった。誰もが泣き出したかったが、泣いてもどうしようもないことを誰もが知っており、けれども小学五年生の少年たちに出来ることなどほんのわずかなことに限られていた。
「お、おれ、先生に知らせて来らぁ」
そもそも氷球を作り始めた少年が言った。坂道を下ればすぐに拓実たちの通う小学校があった。他の少年たちは皆で怪我をした少年についていると言った。拓実は「僕も一緒に知らせに行くよ」と、学校に向かうことにした。
そこまで話し終えると、拓実は一息ついた。前髪をサラッと掻き上げ、天井に目をやった。回想しているようだった。
「そこで兄さんが来てくれたんだったね」
そう、何人かの小学生たちが固まって、ある者は大声で泣き、ある者たちは大声で何かを叫び合い、下校途中であった僕はたまたまその辺りを通りがかったのだ。再び雪が降り始めていて視界が悪かったが、何かあったであろうことは明らかだった。
「拓実!どうしたんだ?」
当時小学六年生の僕もビックリした。今までに見たことのない量の血がその辺りの雪を真っ赤に染めていたのだから。だから、怪我をした少年が大声で泣き続けていることは救いになった。その血を流した本人の命が無事であることは分かったのだから。
その後の僕は怪我をしたその少年をおんぶして学校へと連れて行き、保健室にかつぎ込んだ。鳴き声を聞きつけた小学校の教師たちも何人か駆けつけてきた。保健室の先生は少年にストーブの前で毛布にくるまっているように言い、何度か清潔なタオルで口元の血を拭うと救急車が来るのを待った。雪合戦の繰り広げられた坂の上とは違って、学校周辺はダイナミックに除雪作業が行われた跡があったが、再び降り始めた雪の影響もあってか、救急車が到着するまでにひどく時間がかかった気がした。
結局、怪我をした少年は口元を三針縫うことになったらしい。翌日に母親と一緒に僕を訪ねて来て、フランケンシュタインを思わせる真っ黒な縫い糸を口元につけながら「ありがとうございました」と言った。拓実に対しても謝罪の言葉があった。「迷惑かけてごめんな?」少年はそう言って詫びた。
その夜は両親から褒められた。
「よくやった。お前が優しい人間に育って父さんたちは嬉しいよ」
滅多なことでは褒めることのない父親からの賛辞だったので、僕はとても嬉しく思った。拓実も嬉しそうだった。あれももう四年以上も前のことか。拓実が部屋に戻った後もそんなことを思いながら、僕は心地よい眠りに落ちていった。